中編
じっくりコトコト語った自己PR ー子爵令嬢傲慢編ー
デビュタントの夜会が始まろうとしていた、大広間にあった興奮の熱が急速に引いていく。
同時に張り詰める程の緊張感と、いくばくかの好奇心が場を満たし始めていた。
「どういうことかしら?」
ディルシアンヌが不思議そうにシルヴァンを見上げれば、珍しく僅かに眉間に皺を寄せたシルヴァンが首を横に振る。
その仕草を、隣に立つ少女への苛立ちだと取ったシュクリーは、更に一歩、前に踏み出した。
「ディルシアンヌ様、私は本気です!ずっとシル様の横にいたのは私でした!
不肖ながら、シル様に相応しいのは私だと思っています!」
背後で閉められた扉と、それを命じたらしいフィリップ・ヴィスコタン公爵令息を確認したディルシアンヌが、ゆっくりとシュクリーへと視線を戻した。
「シュクリー・ミエルクール子爵令嬢でしたっけ。
シルヴァンから噂は聞いていてよ。まるで物語のヒロインのような方ね」
クスクスと笑う声が響く。
ほんのりと浮かべた笑みは愛らしく、砂糖菓子の指先が唇に触れると、甘いお菓子が零れ落ちる錯覚に囚われそうだ。
「あの扉を閉められてしまっては、高貴なる方々が入場されるのにお時間がかかりそう。
退屈しのぎに、シュクリー様のお話を聞かせて頂きたいわ」
好奇心旺盛な子どものように、キラキラとした瞳を一層輝かせる。
まるで姉に絵本をねだるかのように、シュクリーが次に何を言うのかを待っていた。
その危機感の無さに、目の前にいるディルシアンヌの頭の中には知識じゃなくて、砂糖でも詰めているんじゃないかと思ってしまうほど。
シュクリーは出かかった暴言を喉に押し留めたが、同時に彼女相手ならば自分の願いも簡単に叶いそうだと考える。
体が弱くて領地に引き籠っていた上に、療養目的の留学では、大した勉強もしていないに違いない。
甘ったれたお姫様。
そんな少女になど負ける気はしなかった。
シュクリーにはシルヴァンと過ごした6年間があるのだから。
「きっと、恋愛だけではない、説得力のある言葉も頂けるのではないでしょうか。
私の前に立ち塞がるだけの熱意と共に」
ディルシアンヌの紡ぐ声はふわふわのクリームのように甘く響き、周囲にいる人々の数人が惚けた顔になる。
シュクリー自身も、そんな甘い居心地に一瞬気が遠くなったが、すぐに我に返ってディルシアンヌを睨みつけた。
「この、おめでたい場であるならば、今夜の私への発言は無礼講と致しましょう。
さあ、シュクリー様。貴女が彼に相応しいという理由を是非聞かせてくださいな」
「ええ、勿論」
喧嘩を売られているのだと感じる。
自信たっぷりな様子だが、これからシュクリーの語ることを聞いて同じままでいられるのだろうか。
少しばかり意地悪なことを考えてしまって、頭を振って思考を切り替える。
売られた喧嘩は買う主義だ。
「シル様と作り上げた絆と私の想いが一番の前提条件ですけど、ディルシアンヌ様がそれで納得できないなら、貴族らしい利点も言ってあげますよ」
シュクリーは威風堂々と胸を反り、シュクリーらしい笑顔を浮かべて真っ直ぐディルシアンヌを見た。
「先ず一つ、ディルシアンヌ様が虚弱なことです」
人差し指を立てる。
「シル様はヌガレ伯爵家の嫡男。
だったら後継ぎは大事ですが、ディルシアンヌ様の体で子どもは産めるんですか?」
周囲が大きなざわめきを起こした。
子爵令嬢如きが侯爵令嬢相手に無礼極まりない言葉だ。
先にディルシアンヌが無礼講だと言っていなかったら、到底許されるものではなかっただろう。
それをわかっていなければ無知であるし、逆にわかっていて言っているならば悪意しかない。
「私は学園での六年間を休みなく出席できていたし、健康診断でも異常はなかったです」
ついさっきまで彼女と仲良くしていた元同級生達は同意するように頷いているが、彼らに対してもディルシアンヌは無礼講だとは一言も口にしていない。
甘味にも似た微笑みを浮かべて何も言わないが、だから大丈夫だなんて思えるわけもなく、周囲にいた誰もが巻き込まれないようにと距離を取った。
「次に両家の利益の問題でしょうか。
シル様の生家、ヌガレ伯爵領は鉱石加工技術に秀でた、魔道具技師のアトリエが多いのは知っていますよね?」
変わらない微笑みからは何も窺えず、何も返さないことから知らないかもしれないという優越感で、シュクリーの唇が吊り上がって満面の笑みとなる。
「会ってもいない婚約者のことなんて、興味ないですよね。
とりあえず話を続けますが、ミエルクール子爵領では鉄鉱石が量産されています。
これだけ言えば、留学していて自国に疎いディルシアンヌ様でもわかりますよね」
ミエルクール子爵領の鉄鉱石を優先的に販売し、ヌガレ伯爵領の工房で加工される。
どちらにも相応に利益のある話だ。
「三つ目はマナーと社交の問題かと」
シュクリーの言葉に、ディルシアンヌが首を傾げた。
彼女の反応は一々鈍い。これについては虚弱ゆえに、活発に動けないのではないかと思っている。
「ディルシアンヌ様は長く領地暮らしで、王都の学園にすら通えずに療養目的での留学しかしていません。
学園でも数人、ディルシアンヌ様の通っていた他国の学園に短期留学された人がいますが、ディルシアンヌ様を見た人がいないと言っています。
ヴィスコタン公爵令息のフィリップ様は見たことあるそうですが、それも一度だけとか」
シュクリーがフィリップへと視線を向ければ、「間違いない」と返される。
ここで、ついつい意地悪な表情に変わってしまったことに、シュクリー自身は気づいていない。
周囲の令嬢が目を逸らし、扇で口元を隠した。
その視線に含まれる意味は、決して好意的なものではなかった。
「つまり、留学先にほとんど通えていなかったんじゃないですか。
それって、教養とかマナーとか、伯爵夫人に必要なことが身に付いているか怪しいですよね」
さすがの言葉に、周囲の若者達はどよめきすら起こさずに息を呑む。
顔色が悪くなる周囲の空気はシュクリーも察しているが、彼らはただ、侯爵令嬢に喧嘩を売っていることに狼狽えているだけだ。
誰もがシュクリーの言葉を否定していないのだから、正論であることは認めているのだろう。
「王都にも出てこず、この国に顔見知りもいないディルシアンヌ様に、伯爵夫人としての社交ができるんですか?」
学園は小さな社交場だ。
ここで多くの貴族の卵たちとシュクリーは出会っている。
親しくしている人達もいる。
彼女とは違うのだ。
「最後に。今年のデビュタントで叙爵される令嬢がいるという噂を知っていますか?」
ディルシアンヌに尋ねれば、変わらぬ表情のままに「ええ」とだけ返ってくる。
「あれ、きっと私です」
言えば、ディルシアンヌが目を丸くして、ぱちりと瞬きを繰り返しながらシュクリーを見た。
「ここにいる中で、学園の首席をシル様と争い続けたのは私だけ。
卒業論文は学園長と担任のお墨付きで、卒業してからも研究を続けて、改めて論文を発表した方がよいと言われました」
ここまで言ってもらえたので、国からの支援を申請しているし、既に王城での支援申請面談も終えている。手応えも感じたので、申請は通るはずだ。
叙爵の件は、その帰り道に聞いた噂話だった。
デビュタントと叙爵のタイミングが同じせいで、繁忙であることに溜息を落とした執務官の愚痴だ。
柱の陰にいたシュクリーに気づかなかったのだろう。
聞いてしまったことを気づかれないよう、そそくさと立ち去ったが、城で勤める者が言うのだから間違いない。
「ねえ、これではっきりしたと思いませんか?
健康で、成績優秀。爵位まで持つことになる私と、侯爵令嬢という立場しかないディルシアンヌ様。
シル様に相応しいのは私なんです」
だから、さっさと彼の横から離れて。
最後の言葉は呑み込んで、勝ち誇った顔でディルシアンヌを見る。
擁護するようにフィリップが声を上げた。
「学園でのシュクリー嬢の優秀さは私が保証しよう!
そして、確かにヌガレ伯爵令息のシルヴァンとシュクリー嬢が、どう見ても恋人同士のようであったことも!」
大広間に響く声に小さな歓声が湧く。
ここにきて、すっかりシュクリーと彼女の仲間達は主役気分だ。
今宵の社交界デビューは皆であるにもかかわらず、彼らは自分達だけが舞台の主人公のように振る舞っている。
彼らと周囲にいる者達との温度差は明確だった。
誰もが笑みを顔に貼り付けながら、冷ややかな視線を向けている。
そんな中、ディルシアンヌが小さな笑い声を上げた。
シルヴァンが何か言いたげにするが、その唇を白魚の指先が押し留め、ディルシアンヌの顔にある菫の輝きが細くなる。
「シュクリー様のお言葉、大変面白いものでした」
ふわりと、クリーム色の髪が微かに揺れて、大広間の照明を反射した。
全く動じていない姿に戸惑うが、それ以上に面白いという表現をしてくる意図がわからない。
これだけ正論を打ち立てられて、ディルシアンヌには何一つ反論できるものがないというのに。
「そのご褒美として、私が手ずからご自身の立場を諭して差し上げますわ」
途端、一気に空気が変わった。
甘い空気は変わらず残ったままだが、その裏に潜む何かが見え隠れしている気がして、思わず腰が引ける。
けれど、そんなシュクリーを気にすることなく、ディルシアンヌは甘ったるい笑みを浮かべるだけだった。




