第九話 次のステップへ
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それから浅見は精力的にダンジョンに通っていた。平日の昼前から夕方までしっかりとスライムを集めていた。ペットボトルが満タンになって、買い取り所へ行った後に再度ダンジョンへ行くほどだ。
初めこそ漏斗を忘れたりしたが、今となっては初心者を卒業して、一端の新人探索者と言えるほどに成長していた。
装備品も使いやすさを考えて少しだけ変わっている。
まず、手持ちのLEDライトをヘッドライトに変更した。
ヘルメットに装着できるおかげで、手が空き、探索中の利便性が格段に向上した。
リュックサックも、より大容量のバックパックに交換した。2リットルのペットボトルを 立てたまま4本収納でき、サイドポケットには500ミリのペットボトルが差し込める。おかげで水分補給が容易に出来るようになった。
このバックパックは上下で収納スペースが分かれており、下層のスペースには救急セットと保存食を入れることにした。
漏斗にも改良を加えている。
受け皿の端に小さな穴を開け、結束バンドを通して輪を作る。
さらにバックパックのストラップに、スマホ落下防止のストラップとカラビナを組み合わせ、結束バンドの輪をカラビナにかけられるようにすることで、簡単に取り外しができるようにした。おかげで、手で持ち歩く必要がなくなった。
ただし、カラビナは安全環のない簡易的なもので、強度はほぼゼロだ。
『漏斗専用フック』以外には絶対に使えない。
道もある程度の覚える事が出来たおかげで、地図も常時見ながら歩かなくてもよくなった。常にペットボトルを持ちながら歩けるようになった。
これにより、スライムを退治してから回収し終え、歩き始めるまでの効率が跳ね上がった。さらにスキルをほんの少し発動すれば、2リットルのペットボトルを満タンにするのに40分ほど掛かっていたが、今では約20分で満タンにすることができる。
往復の時間もある為きちんとした時給は出ないが、単純計算で七千円近くにもなる。まさにスキル様様であった。
浅見が探索者になって1ヶ月が経とうとしていた。ヘルメットを被ったまま家を出ることにも慣れてきたころ、二階層へ行くことを考え始めていた。
「そういえば講習会のチラシが……」
探索者になった時にダンジョン協会の職員にもらった、あのチラシを探すが1ヶ月以上も前になるため、とうの昔に紛失している。
稼ぎもそれなりに出ているため、平日だったが今日は休みにしてダンジョン協会の窓口で、武器の取り扱いの講習会の事を聞きに行くことにした。
「お久しぶりですねー」
もう浅見は驚かない。
なんとなくそんな気はしていた。
少し前まで――と言っても探索者講習の時だが、その時の日下部は髪を後ろで束ねていた。しかし、今はボブになっていた。
「髪型変えたんですね」
何気なく声をかける。『いい天気ですね』くらいの軽い挨拶のつもりだったが、相手はそう思っていないようだ。
無言のまま、浅見を見るその目は『ほら、他に何かあるでしょ』と言い、催促するように首を動かしていた。
「ん? ああ、似合ってますよ」
「うわー……今までで一番、心のこもってない褒め言葉ですわー」
大げさにショックを受けた風を装う日下部を放っておいて、浅見は来た目的を告げる。
「それで武器の取り扱いの講習を受けたいと思って来たんですけど、用紙ってありますか?」
「減点です。これは大幅減点です。――で、用紙はこれですね。直近だと明後日の午後1時です」
浅見を減点しながらも、仕事はきっちりこなす日下部は武器の取り扱い講習の申込用紙を取り出して手渡した。
そしてパソコンを操作し始める。
「浅見さんの探索者カード、貸してもらえますか?」
「別に面白い顔はしていないですよ」
用紙に必要事項を記入している浅見は、日下部がパソコンを操作していたことに気が付いている。
日下部は仕事上、で浅見の探索者カードが必要だから言ったのだが、以前の食堂でのやりとりを思い出した浅見の軽口だった。
「違いますー。ダンジョンの一階層で、どれくらい活動してるか確認するんですー」
「そんなむくれなくても……。どうぞ」
「あ、免許証はだいじょぶです。――登録番号は、っと」
一緒に免許証を出したが使わないようで、必要になるのは探索者カードに書かれている登録番号のようだ。三桁、四桁、七桁の数字が並び、前から県、西暦、管理番号となっている。
日下部は浅見がゲートを通った回数や時間を確認するのだが、「え?」と驚いた声をあげた。
「めちゃ頑張ってますね。この日なんて4回も入り直してるじゃないですか。スライムを入れる容器が小さすぎたとか……、いや、この量でそれはないか」
買い取ったスライムのキロ数まで細かく表示されており、なにやら計算を始めた。
「一度の清算で九千円弱ってことは、ペット4本で……、日給が……、稼いでますね!」
「個人情報どうなってるんですか。はい、書き終わりました」
本来なら初心者が背伸びをして二階層で活動し、その素材を買い取り所に持って行った場合、注意喚起するために買い取り素材まで表示されるようになっている。
日下部のように、知り合いの日給を計算するためにあるシステムではない。
こんな事をすれば問題になりそうだが、計算された浅見は毛ほども気にしていない様子だ。これが口うるさそうな人間なら、日下部も粛々と業務をしているに違いない。
日下部は要領の良いタイプと言えた。
「探索者カードお返ししますね。ずっと一階層だったんですか? 一度も二階層には行かずに?」
用紙の最終確認をしながら日下部が聞く。
「まだ武器を買ってないですし、ちゃんと講習受けてからじゃないと危ないじゃないですか」
探索者になる前はサラリーマンだった浅見は、せいぜい扱ったことがある刃物といえば包丁ぐらいなものだ。盾もふざけてゴミ箱の蓋を盾替わりにして遊んだことがあるぐらいで、取り回しなど考えたこともなかった。
それにスライムの激臭事件もある。スキルがあるとは言えど、基本に忠実にをモットーに浅見はしていた。
「そうなんですけどね。でも男性って冒険とか大好きじゃないですか? まだ見ぬ世界が呼んでいる的な。講習費用六千円です」
「あと十歳若ければ冒険してたかもしれませんけどね。六千円ちょうどです」
「今でも十分に若いと思いますけどね。領収書と……、これが当日の予定表です。時間厳守でお願いします。あと探索者カードも忘れないでください」
浅見は領収書を財布に入れると、受け取った予定表に目をやった。
そこには集合時間や集合場所がかかれており、予定表を見る限りだと実際に二階層へと行くようだ。一階層で使っている装備を着用と書かれていた。武器と盾類の防具は要らないとある。
「二階層に実際に行くんですね」
「そうですね。最後は実際に二階層のモンスターとも戦いますよ」
「武器の取り扱い訓練も二階層でするんですか?」
「ですね」
「その、……大丈夫なんですか?」
何をそんなに不安がっているのか日下部には分らなかった。だが少し経って「あっ」と何か思いついたようだった。
「二階層の入り口から、大体50mぐらいはモンスターが寄り付かないんです。理由は不明ですけどね。
それに、講師役の職員とベテラン探索者も同行します。参加人数によって多少変動しますが、それなりの人数がついてくるので、安全はしっかり確保されてますよ」
「そうなんですか。なら大丈夫ですね」
そして日下部は「ふっふっふ」と何かを企んでそうな笑いをする。
「何を隠そう、この私も補佐で行くので大船どころか豪華客船に乗ったつもりでクルージングですよ!」
「今日は、ありがとうございました」
腰を上げて帰ろうとした浅見の手を日下部が掴んだ。
「すみませんって。見捨てるの早くないですか? もうちょっとラリーを楽しんだりしてもいいと思うんですけど」
この時、浅見は日下部の手の平の硬さに驚いていた。
手の甲からすらりと伸びる指先を見る限りは女性のそれで、きめ細やかで綺麗な手をしている。しかし、強く握りしめられたわけでもないのに、驚くほどしっかりとした感触が伝わってくるではないか。
ふと、『この手がどうやってこうなったのか』とよぎったが、女性に「なんで手の平がゴツゴツしてるんですか?」なんて聞くのは無粋というものだと思った浅見は、そのまま腰を下ろすと日下部も手を離した。
「もうちょっとラリーって暇なんですか? いつもすぐ座れますけど」
市役所1階にあるダンジョン協会の窓口は、他の窓口と違ってあまり利用する者がいないように見えた。実際に隣の窓口は十数人が順番を待っている。
日下部が少しだけ身を屈める。そして小さな声でぼそぼそと話始めた。
「ここだけの話ですよ?」
「はい」
浅見も釣られて小声になる。他所には聞かれてはまずい事があるのかと思った。
日下部は周囲をちらりと見回し、口元を手で覆う。
「――超暇です」
そして浅見は何も言う前に腕をつかまれた。立ち上がるのを察知されたようだ。
「いやね、忙しいのは探索者講習会の採点と、探索者カードの発行の時ぐらいです。浅見さんぐらいですよ? オンラインで申し込まないで、わざわざ窓口に来る人って」
やはり窓口にわざわざ来る人はいないようだ。日下部はさらに続ける。
「それに、探索者が聞きたいことがあったら、普通はセンターの職員に聞きますよね? わざわざ窓口に来る人なんていませんって。――ってことはまさか、私に会うため!?」
浅見は 軽くため息をついた。申し込みも終わり特に聞きたいこともない。
つまりこれ以上、日下部の暇つぶしに付き合う理由もない。
呆れた表情で日下部を見た後、突っ込むこともせず挨拶を済ませる。
「……はいはい。では、ありがとうございました。また何かありましたらお願いします」
「えー、もう帰っちゃうんですか? ……ま、仕方ないですね!」
手をひらひら振りながら、営業スマイルを浮かべる日下部は、もう浅見の手を掴むことはなかった。
いつも軽口を叩いて掴みどころがないが、やはり人の機微には敏いのかもしれない。
「また何かあればお気軽にお越しくださいませ―」
そしていつもの定型文で締めくくっていたが、いつもより棒読みだったのは気のせいか……。
市役所を出るとD-GEARの看板が少し見えた。
浅見はその看板を見て、二階層用の武器を先に買うか考えるが、首を振った。
二階層の事をまだ何も調べておらず、昆虫のモンスターが出るということぐらいしか情報を持っていない。
それに明後日の武器の取り扱い講習を受けてからでも遅くはないだろう。
そのまま大人しく家に帰ることにした。
家に帰るなりスマホを手に取ったが、すぐに机の上に置いた。
パソコンを立ち上げ、キーボードを叩く。
――二階層、攻略情報
浅見は二階層の事を調べ始める。
もっとああしたい、こうしたいと思うのですが、上手に文字で表現できないもどかしさがあります。
練習あるのみですね。頑張りたいと思います。