第七話 探索者に
よろしくお願いします。
午前10時少し前。和歌山市役所14階の会議室の前には、『ダンジョン講習会会場』と書かれた立て看板が置かれていた。
会場に足を踏み入れた浅見は思っていたよりも参加者が多いことに驚いた。ざっと見渡すと20人ほどの男女が席に座り、机の上に置かれている教材に目を通している。参加者の多くは若者だったが、30代後半と思われる男性や、高校生くらいの少女の姿もあった。全員が私服に見える。浅見は直前まで、あのジャケットを着ていこうか迷ったが、念のためにモンスターの素材を使っていない、普段の私服にした。どうやらそれで正解だったようだ。
浅見は空いている席に座り、筆記用具を取り出すと配られている教材を見た。
表紙には『探索者講習テキスト』と書かれており、目次を見ると『ダンジョンの基礎知識』『法律・ルール』『モンスターの種類と危険性』『安全対策』など、かなり幅広い内容が詰め込まれている。
「それでは、時間になりましたので、探索者講習会を開始します」
午前10時になると、ダンジョン協会の男性職員が前に立ち、講習会が始まった。
『ダンジョンの基礎知識』の講義が始まり、まずは『ダンジョンがなぜ発生したのか』について説明があった。しかし、結論として原因は未だ不明とのことだ。今でも研究者たちが日夜を通して理由を探しているらしい。
『既存のダンジョンの階層構造について』の説明もあった。石造りの迷宮のような場所や、葦が茂る水辺、ぬかるんでいる沼地など様々な階層がある。続いてその『エリアごとに異なるモンスターの特徴』も教えてくれた。沼地では蛙や蛇、草原では巨大な昆虫型モンスターが出現するという。講師の解説は続いているが、浅見は退屈そうにテキストを眺めていた。
浅見は数日前から時間があればダンジョンの事を調べていた。前日にも予習をしているために、今の時間は復習となってしまっている。
「お城のダンジョンは現在24階層まで攻略されています。一方、丘のダンジョンは18階層まで確認されていますが、なぜ探索が進んでいないのか。
それは、ダンジョンが周囲の環境に応じた構造を持つためです。
お城のダンジョンは開けた広場に発生したため通路が広めですが、丘のダンジョンは古墳の地下にあるため通路が狭く、モンスターとの戦闘時に立ち回りが難しくなっています。
皆さんも探索者としてダンジョンを選ぶ際は道幅の事を思い出してください」
草原や沼地、水辺などのワンフロア型の階層なら問題は無さそうだが、迷宮型のような通路がある階層では、道幅が狭いという事はそれだけ戦闘が難しいと言えた。
講師が言うように浅見は通うなら城のダンジョンにするつもりだった。スライムの攻撃を避けるのに道幅が狭いと危険と考えた。ダンジョンツアーのことを思い出していると、講師が「次のページを開いてください」と指示を出した。
次のページの見出しは『探索者に関する法律とルール』とあった。これも浅見は事前に予習済みだ。話半分に聞き流していたが、ある所でテキストに印を入れ始めた。
『救助依頼をする場合』の所だった。講師の説明を真剣に聞いている。
「ダンジョンに入る際は、ゲートで探索者カードを読み込ませる必要があります。これにより、誰が、どのダンジョンに、何時に入ったのかが記録されます。
この時、探索者はゲートにいるダンジョン協会の職員に任意で計画表を提出することができます。計画表には、活動する階層、予定日数、帰還日、人数など記入しますが、予定している帰還日を超えて戻らない場合に、救助隊を派遣させてもらいます。その際に掛かった費用はすべて救助者に請求されますので覚えておいてください」
仮に十階層に救助隊を送る場合にはそれ相応の探索者を派遣する必要がある。人件費や物資の費用など考えても恐ろしい。
実際は計画表を出す探索者はほとんどいない。残り物資を計算して活動する日にちをその場で伸ばす判断をする場合もある。それが出来なくなれば収入が減るために計画表を嫌う探索者が多いのだ。
その後は『ダンジョン内での暴力行為の禁止』や『武器の取り扱い』など、知っている説明が続いた浅見は、また聞き流し始めた。
時刻は正午を過ぎ、講習室内には軽い疲労感と空腹の気配が広がり始めた。
すると講師が、
「それでは、今から1時間お昼休憩とします」
そう言うと、参加者たちは会議室を後にした。
浅見は同じ階にある食堂へと向かう。
どうやらビュッフェスタイルの食堂のようで、壁際に料理が入った大皿が並べられていた。窓からは和歌山城が一望できて非常に良い眺めとなっている。
浅見は座る席を探していると、後ろから聞き覚えのある声で呼び止められた。
「しばらくぶりですね」
ダンジョン協会の制服を着た日下部だった。
「ツアーはお世話になりました」
「いえいえ。それで、どうです? ご一緒しません?」
取り皿を見せる、日下部の誘いを断る理由もない浅見は一緒に食べる事にした。
大皿からそれぞれ料理を取って席に戻ると、皿の上の色合いの違いがはっきりと分かれた。
浅見の皿は揚げ物中心で茶色が多く、日下部の皿は野菜がメインで緑色が目立つ。
「見事に茶色いですねー。もっと野菜を取ったほうが健康にいいですよ?」
「母親か」
「冗談はさておいて、講習はどうです?」
「……まあ、事前に調べてたこともあって、正直なところ、半分くらいは復習ですね」
「ふふ、真面目ですねぇ。でも、勉強しておくのは大事ですよ。なんせダンジョンは命がかかってますからね」
日下部はサラダを食べながら、さらりと言った。
「探索者って自由ですが、その分、思った以上に厳しい職業です。一攫千金を夢見て始める人も多いですが、そういう人ほど途中で消えていきます」
日下部の言う『消える』が、単に探索者の職業を諦めることではなく、命を落とすことを指していると察し、浅見は唾をのんだ。
淡々とした口調で話ているが、多くのそういった探索者を見聞きしたのだろう。
「まあ、そんな一攫千金なんて狙いませんよ。身の丈ってのがありますから」
「確かに浅見さんは手堅そうですよね。1OUTでランナーが一塁でも送りバンドしそうです」
「それは回によるんじゃないか?」
手堅い人間が30歳を回った年齢で、勤めていた会社を辞めて探索者にはならないだろう。
「私なら長打狙いの一点張りかな」
なぜか分からないが非常に説得力があった。
しばらく他愛のない雑談をしていると、日下部が「そういえば」と思い出したように口を開いた。
「午後には筆記試験がありますけど、大丈夫そうですか?」
「あのテキストを見た感じだと大丈夫そうですね」
と答えた浅見は席を立った。一度の取り分では足りなかったようだ。ご飯も、もちろんお代わりしている。
またしても茶色がメインだが、先ほど日下部に指摘されたせいか、少しサラダも乗せられていた。
「さすが男性って感じですね」
一度目のペースと変わらない速さで食べていく浅見を見て、日下部が感心していた。浅見はそれなりに体格がいい。180㎝は超えていないが、ほぼそれに近い身長に体重も80kgほどある。学生のころは運動部にも所属していた。
そんな男が野菜多めの食事をとり、小食な訳がない。それなりに浅見は燃費が悪い。ただ運動も辞めて年齢の事もあるため、日頃は食事に気を付けてはいるが、外食になった場合は、折角だからと好きなものを食べると決めていたりする。
「これぐらいは食べるんじゃないですか?」
味噌汁を啜りながら答えていると、日下部がぶら下げているストラップに気が付いた浅見がジッと見る。浅見からすれば『何をぶら下げているのだろう』程度の気持ちでストラップを辿っていたのだが、その視線に気が付いた日下部がわざとらしく腕で体を抱いた。
「おスケベでいらっしゃる?」
「何を言って……。あ、いや、首からぶら下げているのは何か気になっただけです。じろじろ見てすいません」
「冗談ですって冗談」
軽口のつもりだったが頭を下げられて逆に慌て始める日下部が、制服の上着の内側にあったそれを引っ張り出した。
「じゃーん。ダン協の職員カードと、裏側には――」
そういって指で何やら抑えてから浅見のほうへ向けた。
「探索者カードが入ってます」
探索者証と書かれた一枚のカードには氏名と登録番号が書かれていた。チップは裏側にあるために今は見えない。
三本の指で探索者カードの半分を抑えているが、少し見えている。日下部が隠している部分には顔写真が載せられているのだが……。
「……なんで指で隠してるんです?」
「深く暗い乙女の事情があるのですよ」
ならば何も言うまい。
確かに公的機関の顔写真と言うものは、映りがどうのこうのという話を聞いたことがあった浅見はそういう事だろうと察した。
抑えている指が疲れたのか、日下部は表のダンジョン協会の職員証を表側にしてクリップで制服に固定した。
「そのカードも顔写真が入ってるじゃないですか」
「この顔写真はセーフです。ぎりぎりセーフです。あまり見ないでくれると嬉しいです」
「ああ、すいません」
特に変には見えなかったが、女性ならではの悩みがあるようで、浅見は視線を外した。
昼食を終えた2人は、次第に混雑し始めた店内に留まるのも悪いと、取り皿を片付けて食堂を出た。
いっている間に昼休憩が終わりそうな時間になっている。
日下部はエレベーターのボタンを押した。
「午後も頑張ってください。筆記試験、落ちる人はあまりいませんが、気を抜かないように。ま、浅見さんの真面目っぷりなら大丈夫でしょうけど」
「真面目っぷりってなんですかそれ」
そういうしている間にエレベーターの扉が開くと、日下部は中に入った。
「それじゃまたです。探索者になったらダンジョン一緒に行きましょうねー」
「機会があれば是非お願いします」
扉が閉まりかけたその瞬間、中から「硬派か!」という突っ込みが響いた。そして、扉が完全に閉じるとエレベーターは静かに降りていった。
浅見も講習会場へと戻っていった。
講習が始まるまでの間に浅見はテキストを読み進める。残りの項目は『モンスターの種類と危険性』『安全対策』の2つだ。
モンスターの種類などは、こんな薄いテキストで学ぶよりも、オンラインで調べたほうが詳しく載っている。危険性も言わずもがな。
安全対策も同じだ。ダンジョンに関する事が書かれているページじは、少なからずこういった安全に関係している事が書かれているのだが、すでに予習済みだ。
浅見は昼からは睡魔との戦いになることを予感していた。
結論から言うと何度か意識を持っていかれそうになった。だが耐えることに成功した。
そして今から最終の筆記試験が始まるが、制限時間は1時間で40問の選択問題と10問の記述問題があるようだ。
氏名と受講票の番号を記入し終えると、問題を読み進める。
歯ごたえのない簡単な問題をすらすらと解いていく浅見は、最後の記述問題へと差し掛かった。
主に倫理や道徳を問いかけている問題のようだ。これも安全対策や法律とルールで言っていた範疇の問題ばかりだった。この問題も浅見の手が止まることはなかった。
答案用紙を裏返してペンを置くと、講師の職員が浅見のほうに近づいてきた。
「残り30分ほどありますが、終わったようでしたら退出されても結構ですよ」
「なら退出します。1階の窓口で待っていればいいですか?」
「そうですね、17時にこの試験が終わりますので、それまでには窓口に来ておいてください」
「分かりました」と答えた浅見は、しばらく時間を潰すことにした。
1階の窓口を適当に見て回ったものの、特に興味を引かれるものもなく、最終的にダンジョン協会の窓口へ向かった。
受付では職員が対応している様子を、浅見は椅子に座りながら眺めることにした。
17時になると試験を終えた者たちがぞろぞろとやってくる。
受付の奥では職員数人で答案の採点を始める。中には日下部の姿もあった。いつものふざけたような感じではなく、真面目な顔をしていたのが印象的だった。
特に深い理由はないが浅見は日下部を見ていると、突然日下部が破顔した。口も何か呟いているようで少し動いていた。
名前を呼ばれた者から奥へ通されていく。
浅見も名前を呼ばれ奥へ行くと写真撮影が待っていた。写真を撮られると少し待つように言われる。
そして遂にこの時が来た。
再度名前を呼ばれ受付に行くと、カウンターの上には昼間に見た探索者証と書かれた1枚のカード。ただし名前は浅見の名が入っている。落ちる気がしなかったとはいえ、やはり探索者カードを見ると安堵するのか、浅見は小さく息を吐いた。
「試験お疲れさまでした。氏名に誤りがないか確認していただいて、よろしければお持ち帰り下さい」
氏名には浅見直哉とあり、漢字も間違っていない。
「大丈夫です」
そういって探索者カードを手に取った。思ったよりも分厚く作りもしっかりしている。裏面にはチップが入っている。ほぼ運転免許証に近いと言えた。
浅見は財布に探索者カードを入れると、受付の職員に向き直った。
「では、今後のことを簡単に説明します。
これで浅見様は探索者として活動することができます。が、講習で言われたかと思いますが、決して無理をせず、無茶をせず、余裕をもって行動してください」
まさに念押しと言った感じだった。職員はそういいながら1枚の紙を取り出した。
探索者になった今となってはダンジョンツアーは違う。浅見は受け取った紙を見ると、そこには武器の取り扱いの講習会についての案内だった。
D-GEARの店員も言っていたが二階層からは武器を使うことになる。費用はかかるようだが、浅見は申し込む気でいる。
「こちらも是非検討してください。
それでは探索者としての活躍をお祈り申し上げます」
「はい。ありがとうございました」
頭を下げて浅見は受付を後にする。
自宅へと戻ってきた浅見は財布から探索者カードを取り出した。
「これで俺も探索者か……」
ハンガーに掛けられたインナーたちと探索者カードを交互に見ては嬉しそうに顔を緩めていた。
呼んでいただきありがとうございます。
無事に探索者になれました。
次回からは探索者としての活動が始まります。