第五話 もう一つのダンジョンセンター
よろしくお願いします。
お試しダンジョンツアーを終えた浅見は自宅へと帰ってきた。汗ばんだシャツを洗濯カゴへ入れるとシャワーを浴びて汗を流す。
服も着替えてさっぱりした後でパソコンの電源を入れ、キーボードを叩き始める。開かれたページにはダンジョンに初めていく人に向けた『HowTo』が書かれていた。
『初心者向けダンジョン探索ガイド』と書かれたページが画面に映し出されている。ページのトップには、大きく『初めてのダンジョン探索! これだけは知っておこう』という見出しが躍っていた。
さまざまな注意点が書かれているが、『服装は動きやすいものを選ぼう』、『水分は持っていこう、ダンジョン内の水は飲むな』、『ライトや懐中電灯も忘れずに。ダンジョン内の照明は不安定』といった内容だった。
ダンジョンに入った経験のある浅見は、思わず頷いた。
『ダンジョン内では周囲を常に警戒すること』、『先に進む前に足元を確認』、『単独行動は避けること』。これも言いたいことは分かる。
いざという時の心構えも説いているが、この項目が一番多く書かれていた。
『モンスターに遭遇したらまず周囲の確認』モンスターが本当に1体か見たほうがいいとある。多勢に無勢を防ぐ目的があるのだろう。
『怪我をした場合は、それ以上進まない』とあり、ダンジョン内で悪化すれば身動きが取れなくなるかもしれない。そして『応急処置キットは必ず持っていこう』とあった。
考えてみれば当たり前のことだが、それを守らずに命を落とす新人探索者も少なくないのだろう。
最後に大きく『ダンジョンは自己責任の世界。無理をしないことが最も大切! 命を大事に!』と締めくくられていた。
有能なスキルを使えるようになった浅見だが、不意に攻撃をされると一巻の終わりだろう。
「仲間、ね」
『単独行動を避けること』の一文を、浅見は何度もドラッグしては解除する。
不意に同僚の顔が浮かんだが、すぐに『いやいや、それはない』と考えを振り払った。
花村のように企業探索者として雇われるのが一番手っ取り早いだろう。スキル持ちは引く手あまただ。しかし企業に所属すれば、結局は今のサラリーマン生活と変わらない気がした。
まだ探索者になっていないのに、あれこれ考えているのが可笑しくなったのか浅見は肩を震わせていた。
これからのことを考えるために浅見はダンジョン協会の買い取り額が書かれているページも併せて見る。
一階層のスライムがキロ千円で一番安いのかと思ったが、五階層から現れるゴブリンが持つこん棒が買い取り価格が五百円と最安値のようだ。焚き木やおがくずにしか使い道がないらしい。
初心者おすすめと書かれている二階層は昆虫類がでるようで、蟻やムカデの甲殻がキロ当たり三千円とおいしいらしい。1mを超える昆虫は1匹倒すと大体1キロほど甲殻が集まるそうだ。
「これならやれるか?」
と、日給の計算をする。今まで趣味という趣味がなかった浅見は無駄遣いなどせず、貯まる一方だった。無職になったとしても、しばらくは生き永らえる事ができるだろう。
浅見は探索者になるために必要なことを寝るまでの間、調べることにしたのだった。
次の日、日曜日の昼前に浅見は家を出る。
今日の予定はすでに決まっていた。和歌山市にある、もう一つのダンジョンの様子を見に行くつもりだった。探索者ではない浅見はダンジョンに入ることはできないが、せめて雰囲気だけでも見ておきたかった。
『宮街道』と呼ばれている県道145号を東に走ると国道24号にあたる。そして花山の交差点を右に曲がり、しばらく行くと左手に有名な温泉宿が見えてくる。
花山温泉だ。
鉄分を多く含んだ独特の泉質で知られている名湯である。日本でも珍しい高濃度の炭酸鉄泉で、炭酸ガスの圧力で噴出した湯は無色透明だが、空気に触れると赤茶色へと変わる。ナトリウム・カルシウム・マグネシウム・鉄分が多く含まれている湯は、神経痛や不眠症など20種以上に及ぶ効能が期待されている。
市民からはもちろん他県の温泉好きからも人気が高く、宿の駐車場も満車なことからその評判の高さがうかがえる。市内にいながら本物の温泉を味わえるのだ。
花山温泉を通り過ぎて道なりに走って行くと、交差点に大きい石碑風の看板が現れる。少し見にくいのだが、道行く人々の様子が変わっているので気づくだろう。一目で探索者と分かる人が大勢歩いている。
その交差点を右に曲がると和歌山市にある2つ目のダンジョンがある。
和歌山城の敷地に発生したダンジョンと同様に、こちらのダンジョンも敷地内に出現している。
紀伊風土記の丘の敷地内である。
この場所は高さ150mの丘陵に大小さまざまな古墳がある場所となっている。博物館としても楽しむことができ、縄文時代の土器や弥生時代といった色々な展示物がある。また、竪穴式住居などもあり、学生の学びの場ともなっている。
浅見は社会見学として小学生の頃、この場で火起こし体験をしたことを思い出していた。
和歌山駅から紀伊風土記の丘行きのバスも出ており、交通の便もいい。
終点となっている紀伊風土記の丘のバス停から、舗装された歩道を歩いていく。昔の記憶と照らし合わせながら歩く浅見は、この辺りの変わりように驚いていた。
以前は田んぼや畑が住宅地に混ざって点在していたが、今となっては影も形もない。田畑があった場所には商業施設や食堂などが並んでおり、探索者で賑わっていた。
その探索者たちをみて浅見は昨夜調べたことを思い出していた。どの探索者も、武器らしきものを布でしっかり包んでいる。
昨日の花村も、武器をコインロッカーに預けて人目に触れないようにしていた。そういった配慮も探索者には求められる。
武器類は決められた場所でないと、出してはいけない決まりなのだ。
歩道を歩いていくと紀伊風土記の丘の建物が見える。土器などを展示している建物だ。
およそ15年ぶりに訪れた浅見は、懐かしさを噛みしめていた。前に来たときは18歳の時だった。その時はただ何となく散歩に来ただけだった。
近くにあった園内マップの看板を見ると、目的のダンジョンセンターを見つけた。建物の裏側にあるようだが、センターの形がなんとも遊び心があった。なんと前方後円墳の形をしていたのだ。
和歌山城のセンターは景観を守るべく白と黒で統一されていたが、紀伊風土記の丘のセンターはどういうセンターなのか、浅見は楽しみに向うと意外な光景が広がっていて驚くことになった。
てっきり土や石を積み上げた柄なのかと思っていたが、ガラス張りの建物に観葉植物が並ぶ姿は、まるで植物園のようだ。
円墳部分は半球型のガラスドームになっていて、開いている部分があるのを見ると開閉も出来るらしい。
何というか……、すごくオシャレだ。
建物の入り口の横の看板には「和歌山ダンジョン探索センター」と和歌山城のセンターと同じ看板が出ていた。
浅見は恐る恐ると言った感じでセンターに入る。探索者になっていない者が入ってもいいか分からなかったためだ。
昼過ぎのセンターは、花村の言葉通り探索者の姿はまばらだった。入口にパンフレットが並べられた棚があり、浅見は一冊もらうことにした。
パンフレットを開くと、施設の作りは和歌山城のセンターと大きくは変わらないようだった。しかしダンジョンが古墳の地下にあるようで、ゲートをくぐってから結構な距離を歩くようだ。
浅見はどうやってダンジョンを見つけ出したのか不思議に思った。
次にあのガラスドームが気になる浅見は、パンフレットの裏面を確認する。
すると夜には天体観測として夜空を見上げながら寝転がれるスペースになるのだという。仲の良さそうな男女が写った写真が載っていた。どう見てもカップル向けのスポットだ。
『はいはい。ロマンティックなことで』と独り身の浅見が毒づいた。パンフレットをポケットに入れると職員を見つけて声をかけた。
「すいません。探索者じゃないんですけど、施設内を見て回ってもいいですか?」
「はい。一階部分の施設は一般の方もご利用できますので、どうぞご覧になってください。ただ二階の宿泊施設は探索者専用となっておりますので、ご了承ください」
「わかりました。ありがとうございます」
食堂をよく見ると、数人いる探索者に混じってマダムたちがお茶を楽しんでいた。
浅見は、普通のコンビニでは売っていない探索者用の品物を手に取ってみたり、応急処置セットの値段に驚いたりしながら、紀伊風土記の丘のセンターを見て回った。
食堂の壁にある巨大なモニターに、表示されるダンジョンの最新情報や探索ルールの注意喚起もしっかりと確認している。モンスターの奪い合いの禁止や、譲り合い、助け合いと言った、インターネットで調べた事と似たような道徳を呼びかける内容が映されていた。
「兄さんは探索者に興味があるんか?」
ふいに声をかけられ、浅見が声のするほうを見るとコーヒーを飲んでいる2人の探索者がいた。外見を見ても浅見より少し年上に見える。
「はい。まだ色々と調べてる段階ですが」
「探索者は気楽でいいぞ。上司のご機嫌を取る必要がない」
隣の男もしきりに頷いている。
「それに働いた分は全て自分の収入になる!」
どうやら男は探索者になる前の職場でサービス残業をしていたのだろう。浅見の会社はちゃんと残業手当がつく。その部分は共感できそうになかったが、隣の男はまたしても頷いていた。
「もしスキルなんて取ったもんなら一気に有名探索者の仲間入りだしな。実入りも桁違いっていうぜ」
「やっぱりスキルを持つ探索者って少ないんですか?」
「全体の5%とか発表されてたか? ただ自己申告制だから隠してるやつも多いだろうけどな」
この男が言う事は当たっていた。自己申告のために公表されていないスキルを持つ者も中にはいた。浅見もそのうちの1人に入る。
スキルを持つ探索者は、全体の10%未満ほどの割合に落ち着くが、使えるか使えないか、の違いがあるため、第一線で活躍するスキル持ちはもう少し数を減らす。
「そうなんですね。先輩方はスキルをお持ちなんですか?」
先輩と呼ばれて嬉しかったのか男たちは顔がほころんだ。
「こいつと4年ほどダンジョンに通っているけど、まだ取れないな。めちゃくちゃ使えるスキルが手に入ったら人生バラ色だぜ」
そういってコーヒーを啜る。酒じゃないのが何とも締まらない。
「先輩方の活躍を願っています」
「おう。兄さんも頑張りな」
頭を下げて浅見はその場を離れると、ゲートの前まで来る。
すると職員と目が合い、何か言わなければと思った浅見が「見学です」と言うと手招きされた。不思議に思いながら近づいいくと職員はチラシを取り出していた。
「こういうイベントも行っていますので良かったら参加してみてください」
お試しダンジョンツアーと書かれたチラシだった。土日に和歌山城のダンジョンで開かれている例のアレだ。
「これってここではやってないんですか?」
「このダンジョンは、城のダンジョンに比べて一階層の道幅が狭いので、大人数で歩くのに適していないんですよ」
浅見は昨日のダンジョンツアーを思い出して、大人数になることがあるのか? と思うが口には出さない。
「そうなんですね。機会がありましたら参加してみたいと思います」
「ぜひ!」
一通り見回った浅見はセンターを後にする。
しかし、折角だからと帰宅する前に、入館料を支払い土器などの展示を見学することにした。本日は特別なイベントはないようだが、通常の展示でも浅見は楽しそうに見学していた。
博物館というものは若いころより、おじさんになってからのほうが楽しめると思います。
不思議ですね。