第四話 初めてのスライム
タイトルを付けてみました。
よろしくお願いします。
ダンジョンの中へ一歩足を踏み入れると、冷えた空気が肌を包む。目の前には広々とした石造りの通路が続いていた。
天井も高く、手を伸ばしても届きそうにない。ところどころに割れ目のようなものがあり、ほのかに光を放っていた。この光のおかげで、ダンジョン内は完全な闇ではなく、ぼんやりとした明るさが保たれている。
浅見が不思議そうに天井を眺めていると日下部が察して答えてくれる。
「なんで光ってるか未だに分からないそうです。欠片を持ち帰って調べても、ただの石としか鑑定されないみたいですし、それに削った場所もいつの間にか元通りになってるようで、ここは『そういうもの』って思ったほうが楽ですよ」
「なるほど。……ところでそのペットボトルは何に?」
いつの間に持っていたのか日下部が空の二リットルペットボトルを手に持っていた。まさかこれが武器とでもいうのだろうか。
日下部は「後のお楽しみです」と答えをはぐらかしていた。
少し先を歩いていた花村が2人の元へ戻ってくる。
「この辺りにはいなさそうです。真姫さんどうしますか?」
真姫さんと呼ばれた日下部が少し考えるそぶりを見せたが、答えはすぐに出た。
「ちょっと先まで行きましょうか。先の広場なら少しは残っているかもしれませんし」
「わかりました。私が先を行きますね。真姫さんはこの方をお願いします」
「オッケー」
どうやら2人は顔なじみのようだ。
花村が小走りで10mほど行くと、そこから注意深く歩き始めた。
「では、スライムについて何か知っていますか?」
急に話を振られた浅見は、急いでスライムに関する記憶を探るが、ゲームやアニメのスライムの知識しかなく、ダンジョンのスライムのことは何一つ知らなかった。
この催し物に参加する前に、ある程度調べておけばよかったと後悔する。
「ゲームのスライムなら知ってますけど、現実のは全然……」
「なるほどなるほど。では簡単に説明します。ゲームに出てくる水滴のような形じゃないんですよね。言うならお皿に割った生卵が近いです」
「どろどろしているんですか?」
「はい、どろどろです。ちょうど黄身の部分がコアと呼ばれるスライムの心臓部なんですけど、そこを踏んだり叩いたりして破壊すると倒せます。だから今日は武器は持ってきていません。
それと残りの白身の部分ですね。その部分はダンジョン協会が買い取っていますので探索者の方は回収したほうがいいですね」
化石燃料の代わりになる部分のことだ。浅見はキロ千円というのを思い出した。
「かなりの数を集めないといけないんじゃないですか?」
「ん? あー、さすがに鶏の卵よりも大きいですよ。ダチョウぐらい?」
浅見はダチョウの卵と言われてもピンとくる人がどれだけいるのか疑問に思った。日下部は手振りで説明しているが、その大きさを見るとバレーボールほどの大きさにみえる。
「実物を見たら分かりやすいんですけどね。あ、チラシにスライムの写真を載せるのってアリなんじゃ? でもスライムを見たことない人なんて初めて見たし……」
確かにダンジョンの情報やスライムといったモンスターの事は、今の時代、調べれば簡単に分かる。対処法やダンジョン協会が買い取る部分も事細かに指南してくれるホームページもある。これほどダンジョンに関する知識がゼロな人間は浅見ぐらいだろう。
何やら考え事をしていた日下部は、ハッと顔を上げた。
「注意することを言ってませんでした。あぶないあぶない」
「注意すること?」
「はい。スライムも攻撃をしてきますからね。強酸の汁を飛ばしてきます」
「汁ですか……」
あまり綺麗な感じがしない攻撃方法に浅見の顔が引きつった。
「液体って言ったほうが聞こえがよかったですね。すいません。
その液体を飛ばす前にコアの部分が盛り上がるんで、それを見たらその場から左右のどちらかに移動してください。一度しか攻撃してこないので、避けた後に煮るなり焼くなりといった感じです」
「そんなに簡単に避けられるものなんですか?」
「射程も1m程ですし、動きも遅いですから、気付いてさえいれば大丈夫ですよ」
気が付いていなければ危ないということに浅見は気付き、慌てて周囲を見る。
「大丈夫ですよ!私もこう見えて探索者の試験をクリアしていますので!」
わざとらしく首を動かしているが、どうも彼女がやるとどうも胡散臭く感じてしまう。緊張をほぐすためにやっているのか、これが彼女のキャラなのか……。市役所のことを思うとおそらく後者だろう。
しばらく、一行はスライムを求めて一階層を歩いていく。時折荷物を背負った4人組の探索者とすれ違い、挨拶を交わす。背丈ほどの大きな盾を持つものやアーチェリーを持っているもの、腰に日本刀のようなものを佩いていた。もっと深い階層からの帰りなんだろう。
途中で何度か曲がり、歩いているとその時が訪れた。先を歩く花村が止まり片手をあげてスライムがいることを合図する。
遅れて浅見と日下部が合流した。
花村の視線の先に、両手の平を広げたほどの大きさがあるうごめく半透明のスライムがいた。水面に光が反射しているように、少し光って見える。
ただ、ゲームのような愛くるしい見た目とは違い、ちっとも可愛くない。
「まるでゲルですね」と浅見が言うと、「はい」と2人の声が被った。
「でしたら、まず私が攻撃を吐かせますので、その後に攻撃をお願いします」
花村がすたすたとスライムに歩いていく。人間が近づいてきたことを感じ取ったスライムが花村のほうににじり寄り、コアが盛り上がった。そして液体を噴射したが、花村は難なく避ける。壁に降りかかった液体がジュウジュウと壁を溶かしていた。
その光景をどきどきしながら浅見は見ていたが、ふと花村がスキルを持っているのか気になった。そして自分がスキルを持っていることを思い出した。
スキルのことを考えた途端、浅見の脳内に情報が流れ込んできた。そして浅見は自らが持つ神速の効果を理解した。それなりに有能なスキルだと分かり驚いていると、日下部が顔を覗かせる。
「どうしました? もうあの個体は攻撃してこないので、そこまで警戒しなくても大丈夫ですよ?」
「あ、はい。すいません」
スライムの前まで行き、至近距離で見た浅見は卵というよりアメーバー見たいだなと感想を抱きながら、真ん中で微かにふるえる半透明の水色のコアを踏みつけた。
パキっとかすかな破裂音が響き、スライムの体が一瞬震えた後、ぷしゅっと縮んでいく。
「初スライム退治おめでとうございますー」
手を叩きながら日下部が近づいてくる。そして脇に挟んでいたペットボトルを浅見に手渡した。ペットボトルの口には漏斗が刺さっている。
「回収するまでがお仕事ですよ!」
日下部の言葉で浅見は察した。
ペットボトルにスライムを入れて持って帰るということだ。
「素手で大丈夫なんですか?」
「はい。一度酸を吐かせていますので、体内にも残っていません。念のためにコアは触れないようにして、端を掴んで入れるといいと思います」
花村の丁寧な指導に日下部は頷いている。
スライムの端を掴むと、ぐにゃりと柔らかくぬるりとした不快な感触が指先に伝わる。ゆっくりと持ち上げるとスライムの体が、だらしなく伸びていく。
なんとか持ち上げたスライムの端を両手で持ち、恐る恐る漏斗の上に置いた。
重力に従って、どろりと落ちていくスライムの体をペットボトルへと流し込むと、ゆっくりとペットボトルに収まっていく。
全体が入りきると3cmほどの高さまで溜まっていた。
それを見て浅見が首を傾げた。思ったより量が少ないからだ。コアを踏み割ったあと縮んでいるのだが、浅見は気が付かずにいる。そして『まあいいか』と流すことにした。
ペットボトルに溜まったスライムをみて日下部が「あと10匹ぐらいですね」と言っているのをみると、どうやらいっぱいになるまで戻らないつもりらしい。
そして日下部の案で浅見もスライムを探しながら歩くことになった。
真面目にスライムを探して歩く浅見とは違い、勝手知ったるという感じで日下部は退屈そうにしている。
「スライムって具のない八宝菜に似てません?」
「ただの餡じゃないですか。ふふっ」
脈絡もなく不思議な感性を炸裂させる日下部に、花村が笑いをこらえきれず噴出した。確かに、少し白濁したドロリとした見た目は餡に見えなくもない。
すると浅見が無駄話をする2人を放って足を速めた。
「あ、浅見さん。待ってください」
慌てて日下部と花村は早歩きになっている浅見の後を追った。実はこの時、浅見がスキルを少しだけ発動していた。
スキル神速。自らの速度が集中の度合いによって上がるスキルだった。
後ろで日下部が言った『あ、浅見さん。待ってください』の言葉が、浅見の耳には間延びした男性の声のように聞こえていた。周りがスローモーションになった感覚。『なるほど、こういうことか』と内心で使い勝手を確認した浅見が力を抜く。
「すいません。気が急いてしまってました」
「よかった。気を悪くしたのかと思っちゃいました。すいませんでした。気を取り直していきましょう」
「ごめんなさい」
三者三様頭を下げてスライムを捜し歩き始めた。
パキっと軽い音が鳴り9匹目のスライムが力なく縮んでいく。さすがに9匹目ともなると、ペットボトルに移す作業も慣れたものだ。ペットボトルに入れ終わると、おおよそ9割ほど溜まっていた。
ふぅ、と軽く息を吐いて、浅見はスマートフォンを取り出して時間を確認する。ダンジョンに入って大体1時間ほど経っていた。
「そろそろ一杯になりますし、戻りましょう。帰るまでが探索ですからね! ちゃんと帰れるかな~?」
日下部がにやにやと浅見を見る。浅見は子供じゃあるまいし、と踵を返した所で立ち止まった。
ここに来るまでに何度も曲がったが、どう曲がったかなんていちいち覚えていない。それに、風景がほとんど変わらないダンジョンでは方向感覚が鈍ってしまう。
「はい! 地図もありますが、道を覚えておくのも大事になってきますので、覚えられるなら覚えておきましょう!」
してやったり、と日下部が地図を取り出した。現在地を教えてもらい、浅見はその地図を頼りに、なんとか入口まで戻ることができた。
揺らめく膜の向こう側にはセンターのゲートが見える。膜をくぐるとまぶしさを覚えるが、直に目は慣れた。
「お疲れさまでしたー。お試しダンジョンツアーはどうでしたか?」
「どう、って言われても……。疲れました」
革エプロンを外しながら浅見は思いのほか自身が疲れていることに気が付いた。ダンジョン内は少し肌寒かったが、着ているシャツは汗で濡れていた。
「ま、慣れですね。慣れ。それじゃ花村さん、浅見さんを買い取り所に連れて行ってあげてください。それでツアーは終わりになります」
「分かりました。ありがとうございました」
浅見が礼を言うと、日下部が少し驚いた顔を見せた。
「今のは、なかなかポイントが高いですよ。それじゃこう見えて私は忙しいので失礼しまっす」
こうして日下部はゲートの横にあるブースの奥へと消えていった。
花村に連れていかれる形で買い取り所へと行くと、日下部と同じ服を着た職員が出迎えた。
「そちらのスライムの買い取りでよろしいですか?」
浅見が持つペットボトルを指しながら職員が聞く。
「はい。よろしくお願いします」
「探索者カード、または探索証のご提示をお願いします」
持ってないですけど、と固まっていると花村が探索者カードを出しながら職員に告げた。
「私のです。こちらの方はダンジョンツアーの参加者でして」
「あぁ、なるほど。失礼しました。ではおかけになって少々お待ちください」
職員は花村の探索者カードを見たあと、納得したようでペットボトルを持って奥に行った。
「カードって必要なんですね」
「はい。収入になるので所得税が」
「なるほど」
サラリーマンだろうが探索者だろうが払うものは一緒と言うわけだ。
この立派なセンターも税金で建てられていると思えば納得いく。
椅子に座り清算を待っているが、ほかの探索者がやってこなかった。一階層でもあまり探索者に会っていない浅見が疑問に思うのも仕方ないだろう。花村に聞いていた。
「そういえばあまり探索者の人と会いませんでしたけど、やっぱり和歌山の探索者って少ないんですか?」
「どうでしょう? 時間帯によると思いますよ? だいたい朝から入って夕方か夜に帰る人が殆どですし、この時間、14時過ぎは一番すいている時間帯かも」
「ってことは朝一のダンジョンは混んでいたりするんですか?」
「場所によってはそうですね。モンスターの奪い合いも起きたりすると聞きます」
悲しそうな顔で花村はうつむいた。
マナーの悪い探索者を憂いているのだろう。
なんと返したらいいか迷っている浅見に助け船がでた。清算が終わったようで職員から声がかかった。
買い取り所へと向かうと、トレイに二千三百円がおかれていた。
「スライムはキロ当たり千円ですので、2.3キロで二千三百円となりますが、よろしいですか?」
受け取っていいのかわからなかった浅見が花村を見ると、軽くうなずいていた。どうやら貰っていいようだ。
「はい。それで大丈夫です」
「ではお受け取りください。容器はお持ち帰りになりますか?」
スライムを入れていたペットボトルだ。
はっきりいって要らない。
「処分とかって……」
「大丈夫ですよ。こちらで処分しておきますね」
浅見はお金を受け取ると財布に仕舞った。日下部も言っていたが、ツアーはこれにて終了となる。
「お疲れさまでした。ほかに何かなければこれで解散となりますけど」
「はい。わかりました。今日はありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございました」
別れた花村は、ゲート横にあるコインロッカーで何やら取り出した後、そのままゲートをくぐって行った。仕事に向かったのだろう。
その後姿を見ながら、浅見は花村の企業のCMソングを口ずさんでいた。
子供の頃にスライムのおもちゃで遊んだことはありますか?
私は外に持って行って、地面に落とし砂まみれにした記憶があります。
最近ではキーボードの掃除にスライムを使ったりしますね。