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第十五話 変異種

よろしくお願いします。

「よし、今日も行くか」


 少し窮屈になったバックパックの中身を確認して、浅見は家を出た。

 昨日、大きな買い物をしたからには、これまで以上にダンジョンで稼がなければならない。『気分が乗らないから観光でも』なんて悠長なことは言っていられない。

 今日は体力の続く限りダンジョンでスライムを集める気でいた。


 一階層にある広場で軽快にスライムを集めていると、今まで聞いたことのない声が聞こえてきた。

 とてもじゃないが、和気あいあいと楽しい会話といった雰囲気で出すような声じゃない。悲鳴のような切羽詰まった声だ。


「酸でも浴びたか?」


 救急セットや水を持っている浅見は、手助けになればと、声が聞こえた方向へ足を進めていった。


「逃げろ! 逃げろ!!」

「キャーーーー!!」

「助けてくれーー!!」


 前方から走ってくる探索者の様子が、酸を浴びたものの感じではなく、何かから逃げている様子だった。

 嫌な予感がする。

 流れに逆らうように浅見が足を進めた先で、本来ならこの階層には存在しないはずのモンスター、――二階層の蟻が、そこにいた。


「や、やめ……。だれか……」


 ガチガチと顎を鳴らした蟻が目の前に迫っている。

 逃げ遅れた探索者の男性が助けを求めて視線を彷徨わせると、浅見と目が遭った。その表情は恐怖で歪んでいた。


「くそっ、間に合うか!?」


 音が消えた世界。

 浅見は肩からバックパックを外すと、支えを失ったバックパックが、水中に沈むよりもゆっくりと落ちていく。

 地面に落ち切る前に盾とアイスピックを取り出した浅見は、蟻めがけて走った。


 蟻が顎を開き男性に噛みつこうとした時だった。諦めて目を閉じた男性に蟻が噛みつくことはなかった。


 その直前に何かがぶつかる大きな衝突音が響いた。そしてドサっと何かが落ちる音が続く。


 痛みが来ない。

 恐る恐る目を開いた男の視界に映ったのは、蟻を押さえつけ、必死に攻撃を繰り返す男の姿だった。

 盾で頭を押さえ込み、アイスピックを何度も突き立てる――浅見だ。


「あ、あ、あんた……」

「早く逃げろ!」


 もたもたと腰が抜けたのか立ち上がるのに時間がかかっている。

 そして動揺しているのか、現実を受け入れられていないのか、あろうことに男性は散らばった荷物を集め始めた。それを見た浅見が声をあげる。


「そんなことしてる場合じゃないだろ! さっさと逃げろよ!!」

「え? あ、ああ……すまん!」


 何度も突き刺され胴体が穴だらけになった蟻は次第に動きを遅くしていき、やがて止まった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 浅見が持つアイスピックを振るった手が僅かに震えていた。


「胴体もこれじゃ金にならなさそうだな……」


 穴だらけになった蟻を見下ろしていると、蟻がやってきた方向から誰かやってきた。

 それは背中にけが人を背負った2名の企業探索者と横を歩く花村の姿だった。


 その姿をみて浅見は一瞬息が詰まった。


「大丈夫ですか!!」

「あ、あの時の……」

「一体何が」

「五階層で新種が現れまして、真姫さんのおかげで私たちは脱出できました……。すいません、先を急ぐので」


 背負われている人は、生きているのかすら分からないほどだった。血の嫌な臭いと、五階層の凄惨さを物語るボロボロの装備。


 考えるよりも先に、浅見は体が動いていた。


 バックパックの中から紙の束を取り出して広げる。それは一階層から十階層までの地図だった。一階層に通うようになったときに、折角だからと印刷してバックパックに忍ばせていた。

 二階層から四階層の地図を持った瞬間浅見の姿がかき消えた。残るのはヘッドライトの一筋の光だけだった。







 四階層と五階層をつなぐ入り口付近で、探索者の集団がゴブリンの軍勢と戦っていた。

 見る限り、圧倒的とも言える数の差があった。


「ああああ!! もう無理かもしんない!! ってかもう無理!!」

「おうおうおう! 手を動かせ手を!」

「城戸っちみたいに、あたしは体力お化けじゃないし、スキルも持ってないの! 一般人なんだ! ってば!!」


 城戸は素手でゴブリンの頭を粉砕していき、宇佐美は刀で急所を突いていた。他の探索者もゴブリンを屠っていく。

 入り口近くなら逃げればいいものをと思うかもしれないが、壁際には数人のけが人が寝かされていた。そのけが人を守るように探索者たちは戦っていたのだ。


「もう、純ちゃんみたいに背負って突破しようよ!」

「アレが許してくれたらな!!」


 城戸が言うアレとは、少し離れた場所で日下部と戦っている新種のモンスターの事だった。


 2mほどの体躯に引き締まった身体。赤黒い肌と金色の瞳。頭から2本の角が伸びている。もっと深いところにいるはずのオーガによく似ていた。

 しかし、オーガの肌の色はこれほど黒くないし、背も大きくない。この個体はオーガの変異種と言えた。


 少し前に一階層ですれ違った探索者は日下部が斬りかかるのと同時に脱出した者たちだった。



「セッ!!」


 金属と金属がぶつかる鈍い音が鳴り響く。しかしあの変異種は武器を持っていない。ただただ皮膚が硬かった。

 柔らかいであると思われる目、口、喉を突いても、硬さに物をいわせて、手の平で防がれる。大柄な体躯のわりに素早く目も良かった。


「かったいなー。嫌になっちゃう」


 呼吸を整えるために変異種から距離を取る。未だ変異種からの攻撃は難なく捌けている。捌けているが体力は無尽蔵ではない。日下部が身に着ける鉢金の隙間から汗が滲んでいた。


 無理やりにでも脱出の道を作る事も考えた。しかし安全地帯が失われ、数体のゴブリンが四階層へ上がっていくのを日下部は見ていた。


 この変異種が後を追ってこない保証はどこにもないし、仮に逃げ切れたとしても、やつがうろついている限り、犠牲者は増え続けるだろう。

 しかし倒すにしても、どう倒せばいいのかが分からない今、完全に手詰まりだった。いたずらに時間を伸ばしたところで、良い方に転がるとは思えなかった。


 呼吸が整った日下部が、変異種の気が城戸たちに向かないように攻撃を仕掛ける。再度柔らかそうな部位を狙うが、やはり防がれる。

 ただ、防ぐという事は、当たればダメージを負うという事でもある。分かっているがその一歩が遠かった。




 ゴブリンの亡骸が高く積み上がるたびに、城戸が全力のパンチで弾き飛ばす。体力に自信がある城戸でさえ疲労の色が隠せなくなっていた。

 

「おぇっ。吐きそう」

「吐いてもいいが、手を動かせよ」


 宇佐美は体力の限界が近そうだったが、城戸の容赦ない言葉を聞いて睨みつけている。

 

「そんだけ気を吐けるなら、まだまだいけるな!」


 城戸を見上げるように宇佐美は睨んでいたが、その背後にあるものを見て叫んだ。


「え? 城戸っち上!!!!」


 ゴブリンの攻撃を食らったところで、城戸にとっては屁でもないことを、皆が知っている。なのに宇佐美が切羽詰まった声をあげるという事は、それ以外の理由があるという訳だ。

 宇佐美の視線の先にあるものを見て城戸は驚いた。


「な!?」


 慌ててゴブリンの集団に突っ込んでいき、上から落下してくる日下部を抱きとめた。

 棍棒でタコ殴りに遭いながらも、日下部を守りながら戻ってくる。宇佐美も合わせて動いているあたり流石と言えた。


「おい、大丈夫か?」

「痛ー。しくったー。あいつ想像以上に賢いかも」


 変異種の攻撃を捌いて耐えていたところに見えた一筋の光。喉への最速の突きを放った日下部だったが、変異種は、それを防ごうともせず前に踏み込んできた。

 今までずっと守っていたふりをしていたのだ。

 喉に切っ先が当たるが、鈍い金属音がなるだけで、ダメージを与えた感触がない。


 誘われた。そう思った瞬間に日下部は背後へと飛んだが、間に合わず変異種の攻撃を左手に受ける事となり吹き飛ばされた。


 すると変異種が吠えた。咆哮と言ってもいい。すると今までがむしゃらに突っ込んできていたゴブリンの足が止まった。


「ホゥ! ホゥ! ホゥ!」

「ギャッ! ギャッ! ギャッ!」


 変異種に応じるように、ゴブリンたちも一斉に声をあげた。

 統率のとれた行動。

 ゴブリンがこんな行動をするなんて、今まで聞いた頃がない探索者たちはたじろいでしまう。


「なんなのこれ……」

「まるでゴブリンのボスだな」

「ててて、あー、もし脱出できそうなら、私を放って行ってくれて構わないから」


 城戸から降りた日下部が、肘を気にしながら歩いていくと、ゴブリンたちが道をあける。

 まるで変異種が日下部との一騎打ちを望んでいるかのように見えた。ゴブリンたちは、まるで騎士が王を見守るように変異種の周囲に集まっていく。やがて変異種を取り巻く大きな円が出来上がる。


 もう、ゴブリンや変異種の興味は城戸や宇佐美にはなかった。


 それを見て、城戸はリーダーとしての役目を果たすため指示を出す。


「よし、負傷者を連れていけそうな奴は手分けして運び出す準備をしろ。宇佐美は護衛について行け」

「はあ? 何言ってんの? あたしだってまだ全然やれるし!」

「なに聞き分けの……、その意欲は買うがな、今は言う事を聞け。……泣くなよ」

「泣いてねえし!」


 何もできない悔しさからか宇佐美の目には涙が溜まっていた。


 手分けして、何とか負傷者全員を運び出す算段がついた。

 おそるおそる四階層へ続く膜へと足を進めるが、変異種はそれをただ見ているだけで、咎めようともしない。

 取るに足らない小物とでも思っているのかもしれないが、負傷者を運び出すのには好都合だった。


「少ししか残ってないけど、水と食べ物、それに救急セットを置いとくから……」

「あぁ。気を付けてな」

「姫ちゃん連れ帰ってこないと、一生許さないから」

「元よりそのつもりだ」

「……城戸っちもだから!」


 シッシと早く行けと城戸が手の甲を向けて振る。


 そしてこの場には、城戸と、変異種と対峙している日下部だけになった。






和歌山要素が最近ないですね……すみません。


読んでくれてありがとうございます。

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