第十四話 準備
よろしくお願いします。
城戸と日下部らが五階層へと向かった次の日、浅見は変わらずに日課の朝ランニングをしていた。
住宅街は平和そのもので、普段と変わらない日常があった。ゴミ出しをする主婦の姿に、散歩コースになっているのか、仲睦まじい様子で歩く老夫婦。もう少し時間帯が早ければ、通学をする子供たちの姿もあっただろう。
「ふぅ……」
クールダウンをするために同じコースを歩き始めると、ダンジョンの事が気になるようで、公園のベンチに座るとアームバンドからスマホを取り出した。
和歌山城ダンジョンで起きたような新モンスターの情報だが、昨夜は調べても出てこなかったが、今朝になってSNS上で話題になっているようだった。
似たような事が起きている場所もあるのか、写真付きで投稿されていたが、昨日の城のセンターと同じような光景が映っている。
一部の人間が『ダンジョンが本気を出せば人類など滅亡する』などと書き込んでいた。
地上はこんなにも平和なのに、ダンジョンでは異変が起きている。浅見は、どうにも気持ちの整理がつかなかった。
こんな事なら昨日はダンジョンに行かなければよかったとさえ思い始めている。しかし、知ってしまった以上、知り合いたちの無事を願いながら浅見は家に帰っていった。
ダンジョンへ行く準備をしながら、たまには紀伊風土記の丘のダンジョンに行こうかとも考えた。
だが、おそらく向こうのダンジョンも一階層の探索者が増えているだろうと思い、結局城のダンジョンに向かうことにする。
センター内はいつもと同じ雰囲気を取り戻していたが、壁の巨大モニターには、『五階層以降の立ち入りを控えるよう、協力をお願いします』と書かれている。
日頃から五階層で活動している探索者たちから不満の声が上がる。一度ダンジョンに入ってしまえば、探索者がどこに行くか分からない仕様上、こういうお願いする形でしか言えないのであった。
「五階層は大丈夫そうですか?」
ゲート付近にいる職員に浅見が聞いた。
「詳しい事はまだ……」
「そうですか」
力なく首を横に振る職員に浅見はこれ以上聞くことをせずゲートをくぐった。
「あ……」
漏斗からはみ出たスライムが零れ落ちていく。ペットボトルを伝うスライムを眺めて、ため息をついた。
今日の浅見はまったく集中できていなかった。
何度かひやりとする場面もあったが、そこはスキルの力で難を逃れた。
ぼんやりとスライムを探して歩いていると、前から背負子を担いだ数人の冒険者がやって来る。蟻の外骨格が積まれていた。
浅見は横にずれて道を譲ると、すれ違いざまに話し声が聞こえた。
「入り口の安全地帯、狭くなってね? ダンジョン、やばくないか?」
「俺も思った。ぜってー10mも無かったよな」
「このまま無くなったら最悪じゃね?」
どうやら二階層入り口の安全地帯が狭まっている様子だった。ダンジョンができて十年。色々なことが起き始めていた。
「けが人の様子は」
「薬で今は眠っていますが、早く病院に連れて行ったほうがいいと思います」
「まさか安全地帯が無くなってるなんてな……」
城戸と花村が小さな声で話し合っている。
ここは五階層にある洞窟。ワンフロア型の階層で丘陵や山岳といった地形が多く、城戸たちは救助者を連れて洞窟内へと避難していた。
増えたモンスターを間引くために送られた先兵たちのうち、無事だったのは一握りだった。走れる者は何とか五階層を脱出できたが、後のことはこの場にいる者たちには分からない。ただ、無事であってくれと願うばかりだった。
城戸がその先兵の一員だった花村を見る。
汚れ傷ついているが、泣き言を言わないのを見るとよく鍛えられているのだと分かる。しかし、うら若き乙女だ。城戸も中々に気を遣う。
「辛ければ休んでもいいぞ」
「大丈夫ですよ」
「お前もアレと戦ったんだろう? よく持ちこたえたな」
「多分ですけど、アレも本気じゃなかったんだと思います。それに、あのレベルなら道場でも顔を合わせてますから、何とか……」
「俺は腹に一発貰って気を失いそうになったがな」
お互いが経験した圧倒的実力差。暗い影がさすが、城戸が分かりやすく話題を変えた。
「しかし、ちょうど十年でダンジョンが変わるとか、どこのノストラダムス予言だよ、まったく」
忌々しそうに城戸が外を睨みつけているが、若い花村には通じていなさそうだった。
偵察に出ていた企業探索者の男が戻ってきた。
「とりあえず向こうのチームは宇佐美に任せてきましたけど、このままじゃジリ貧っすね。あの親分をなんとかしないと、キリがないっすよ」
「分かってるんだが、あれは、ちと俺には厳しい。攻撃が当たらん」
「スキル持ちの城戸さんでもでも厳しいって、ヤバいっすね」
そう言っていると3人は身をかがめる。
「何体だ?」と城戸が小声で尋ねると、様子を窺っていた企業探索者の人差し指が立てられる。
はぐれのようだ。
城戸が目配せすると花村が頷いて、石を手に取って遠くに投げる。ガサっと音を立てて草むらが揺れると、その物音に釣られてはぐれの意識がそちらにむいた。
素早く花村が駆けて、はぐれの背後から首を一突きにする。そのまま体重をかけて地面に押し倒すと短刀を捻った。
声をあげることもできず、はぐれのゴブリンは息絶えた。
入り口へと戻ってきた花村が不満そうな声をあげる。
「純一さんなら、簡単に射れたんじゃないですか?」
「矢玉も無限じゃないのよ花村ちゃん」
矢筒に手を置いて、残り少ない矢をアピールする純一と呼ばれた企業探索者は、洞窟の中へ入っていった。
「お前も休んでいろ。ここは俺一人でいい」
頭を下げて花村も洞窟の奥へ戻っていった。
「日下部でも勝てないとなると、些か厳しいな……」
弱気な城戸の呟きに応えるものはいない。
「三階層にゴブリンが出たんだって! おかしいだろ!」
「落ち着いてください。本当にゴブリンだったんですか?」
「見間違えるわけないだろ!」
ゲートで若い男性探索者が職員に詰め寄っていた。どうやら違う階層のモンスターを見かけたようだった。
ダンジョン協会の職員に詰め寄っているが、無駄だった。
協会は探索者の管理こそしてはいるが、ダンジョン内部のことには関与していない。
そんなことを言われても、『知らんがな』としか言いようがない。
「とりあえず本部に連絡いれますので、落ち着いてください」
職員は連絡するために席を外したが、なぜ忘れているのか。
ダンジョンが初めて見つかったころ、SNSに投稿された写真では、地上にゴブリンが出て来ていたではないか。
こいつらは本来、階層を超えて活動する生き物なのだ。
それが、いつの間にか入り口付近は安全になり、次第に人々の記憶から忘れ去られていった。
十年越しのお試し期間が終わり、本来のダンジョンの姿に戻っただけなのかもしれない。
「九千円になります。ペットボトルはお持ち帰りでしたよね?」
「はい。いつもありがとうございます」
買い取り所の職員とも顔なじみになった浅見が、2セット目の換金を済ませ今日の活動を終わろうとしていた。集中力を欠いていた浅見だったが、最低限の仕事はこなしたようだった。
すでに先ほど職員に詰め寄っていた探索者の姿はない。
浅見が帰ろうとしたとき、巨大モニターからピンポンと音が鳴る。
『三階層で下層に出るモンスターの姿が目撃されました。探索者は十分に気を付けて活動するようお願いします』
まさに先ほどの若い男が言っていた事だった。
つまり一階層でも二階層や三階層のモンスターが上がってくるかもしれないという事だ。少しでもその可能性があるのなら、用心をするにこしたことはない。
浅見は帰る前にD-GEARに寄ることにした。
ひょっとしたら必要になるかもしれない武器と防具を見繕いに来たのである。
「二階層のモンスター相手に出来るような、片手で持てる武器と盾が欲しいんですけど」
いつものことながら店員に丸投げをする。店員は笑顔で対応していた。
まず盾のコーナーに案内されたが、値段はピンキリだ。
最安値は敬遠しがちなのは、昔に言われた安かろう悪かろうが根強いからか。
浅見も少し高い値段の盾を手に取っている。
何というか見た目がアルマジロっぽい盾だった。手書きのPOPにもアルマジロモンスターとあった。
「二階層なら十分に役立つ盾となっております」
ただ、浅見には思うところがあるのか、その盾を置いた。そしてこの店で置かれている最高級品の盾を取った。
「この真っ黒の盾って値段凄いですけど、相応に硬いというか性能がいいんですか?」
「そうですね。水生モンスターの甲殻でして、加工した後も油膜を張り続けているんです。打撃、斬撃のどちらにも優れていて、強度も申し分ありません。ライフルの弾も防ぐことができますし、戦車の砲弾も何発か耐えるんですよ」
浅見の一ヵ月ちょっとの稼ぎが無くなる値段をしている。
戦車の砲弾を耐えるというフレーズは、浅見の購買意欲をそそった。
「このカバンに入りますか?」
店員がバックパックの上から盾を当てるが、少し余裕が見える。
「入りそうです」
「わかりました、それを買います。あとシンプルな武器もお願いします」
店員はホクホク顔で浅見を案内する。
ショーケースを眺めていた浅見が面白い武器を見つけた。
「このアイスピックみたいな武器は何ですか?」
メリケンサックのような持ち手の横に針が飛び出している武器だった。持ち手を握ると小指から下側に円錐が飛び出ている形だ。
「振り下ろす形で使う武器ですね。硬い甲殻も貫く刺す事に秀でた武器となっております。……ただし限度がありますけど」
浅見が盾に目をやったのに気が付いた店員が付け足した。もう少しで矛盾の話のようになる所だった。
「どのくらいのモンスターなら貫通します?」
「確実なことは言えませんが、六階層ぐらいなら何とか、と言った感じですね。あとは使う人の力や技、刺す場所で変わるかと思います」
これなら蟻の頭を簡単に貫通できそうだと、浅見はこれを買う事にした。
「じゃあそれをお願いします」
「ありがとうございます」
カバンに盾とアイスピックをしまっていると、店員から武器の扱いについて説明を受けた。決まった場所以外で出すなというあれだ。
しっかりと説明を聞いて浅見は家に帰っていった。
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