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断罪された聖女、逃げのびて魔女が住まうという森に辿り着く。

作者: ELL

ご覧いただき、ありがとうございます。


 

 その日、私は魔女が住まうという森に来ていた。


 森の入り口からは数多の人に踏み固められた『道』が続いていたが、それもだんだんと不明瞭になってゆき、今では背の高い草が生える、道なき道を進んでいる。

 ドレスの裾は土で汚れ、スカートには木の小枝や草の葉先に引っ掻けたひきつれが何ヵ所もできている。

 若い女性が一人で歩くような場所ではない。十人いれば十人が口を揃えて言うだろう。


 だというのに、私がある種の確信を持って歩けているのは、誰もが知っている言い伝えにすがって歩いているからだ。


 言い伝えでは、『女神降臨祭』の、午後から日没までの間に、太陽を道しるべに魔女の住まう森を歩けば、湖の畔に魔女の家を見つけることができる、ということだ。


 私にはもう時間がない。頼れる相手もいない。

 そして、選べる手段もほとんどない。

 唯一とも思える可能性に賭けて、魔女の家を目指していた。

 これ以上、私の矜持を傷つけられないように。私の尊厳を踏みにじられないように。


 日が薄雲に隠れる。ぼんやりとした白い光が、雲の切れ間からいくつもの光の筋を落とす。

 まるで私を手招くように。

 生い茂る葉の隙間から地上へと細い光が幾筋も降り注ぐその様子は、なんだか女神の祝福のようにも思えるほどに、幻想的だった。


 それまでの、森を目指すまでに私が感じた悲しみや虚しさや疲労感を労われているような、そんな心が安らぐ景色だった。


 太陽は私の味方をしてくれているのか。

 だとしたら、このあと会うはずの魔女様はどうだろうか。

 私の味方になってくれるだろうか。

「味方になってもらわなくちゃ」

 私は声に出してつぶやいた。無意識に。


『私は対価をもらえればそれでいいさ』


 突然、私の耳に、いや、頭の中に直接語りかけるように、知らない声が響いた。

 え?と、言い様のないもやっとした気持ちが心に浮かんだが、それを改めて意識する間もなく、さぁっと髪が舞い上がるほどの強い風が私の身体を包むように駆け抜けた。

 頬を私の毛先が叩く。

 私は突然の風に思わず目を強く瞑った。


 風が落ち着いた気配にそっと目を開けると、そこには太陽の光を受けて輝く水面を湛えたきれいな湖と、その畔には、小屋と呼んでも差し障りのない、こぢんまりとした可愛らしい建物があった。


 さっきまで、そこにはいつ終わるともわからないうっそうと繁る木々と私の胸ほどの背丈の草と、そして柔らかく幻想的な光の筋とが広がっていたはずなのに。


「お前。しつこいというか、根性あるというか。ともかく、よく来たね」


 小屋の前には、影を作った森の木々を思わせるような、濃い緑色のローブを纏った女性が立っていた。その裾や袖口が風に揺れている。


 だというのに、私は彼女の髪の色も、顔も、認識できない。

 いや、記憶できない、というのが正しいのか。

 見えている。なのにわからない。

 絶対に思い出せないだろうとなぜか確信していた。


 わかるのは、まるで木の葉が揺れるように軽やかに風にはためくローブの色だけ。


「魔女様ですか?」

「魔女、ね……。なんと呼んでもいいよ、お前の呼びたいように呼びなさい」


 声も聞こえるのに、内容もわかるのに。

 柔らかい声なのか、力強い声なのか、高く軽やかな声音か低い落ち着いた声音か。何一つ記憶できない。声が、私の耳の奥で曖昧に溶けていく。


 彼女の姿と同じ、聞こえているはずなのに、わからない、記憶として留められない。

 経験したことのない感覚に、私は思わず一歩、後ずさりした。


 怖い。


 そう思って、身体が自分でもわかるほどに大袈裟に震えた。

 だが、その一方で、この異質な存在こそが、私の唯一の助けになると根拠のない確信があった。


「来るならおいで。帰るなら、そう、後ろを振り返れば森の入り口さ」


 そう言って、彼女は小屋の扉を開いた。

 彼女と私の間を風が吹き抜け、緑色のローブと私の髪が、まるでダンスを踊っているかのように、仲良く揃って揺れた。


 招かれている。

 畏れすら抱く相手の、その異質な世界へと招かれている。


 相変わらず、私の心の真ん中にある怖さは消えない。


 だけど。

 私に迷いはない。


 わたしは彼女の緑のローブを追って、小屋の中へと入っていった。



 *  *  * 



「座りなさい」


 小屋の中は、殺風景と表現すべきか、奇妙きてれつというべきか、私には判断がつかなかった。


 そこには、家具としてはテーブルと椅子だろうかと思われるものがあるだけだった。

 じわりと、肌にまとわりつくような湿度を感じるのは、湖畔の小屋だからなのか。

 森の中を歩いていた時のような、土や植物の青いにおいも変わらずに空気に滲んでいる。


 板張りの床の上には緑色と黄土色、茶色が混ざった円型のカーペットが敷かれていた。

 部屋の真ん中には、巨木の切り株が床から生えており、その周りを囲むように、四つの丸太が横たわっていた。

 部屋にあったのはそれだけ。飾り棚の一つすらない。

 座るように促した魔女様は、部屋の奥の方にある丸太に腰をおろして、立ちすくむ私を見上げていた。


 私は、切り株を挟んで魔女様と向かい合わせになる丸太の上に腰を下ろした。


 丸太は、想像よりもずっと座りやすかった。

 クッションはなく、ゴツゴツとした固さを感じるものなのだが、なんともいえない心地よさがあった。


「これ、なんかいいですね」


 私は、挨拶もせずに呟いていた。


「お前はこれを良いというのか。なるほどな」


 魔女様の姿も声音も曖昧なのに、なんか楽しそうに言われたな、と感じた。


「あ、ご挨拶が遅れました、わたくし」

「よい、知っておる。当代の聖女よ」

「……もう聖女ではありません。ただのクロエです」

「…………。そうか」


 魔女様は、そういうと、私の眉間あたりをじっとみつめた。いや、そのあたりに視線を感じたから見つめられたと感じたのだが、相変わらず魔女様の姿は、まるで水面越しに覗くようにぼんやりと曖昧で、その瞳の色はおろか形すらよくわからないのだけれど。


 魔女様はわたしが聖女であったことをご存じだった。

 ただ、それは今日の正午過ぎまでのこと。


 身に覚えのないいくつもの冤罪や悪評を盾に、王太子から婚約破棄され、同時に聖女の身分を剥奪され、実家の伯爵家からも除籍したことを告げられた。

 身分も、帰る場所すらなくなった。


 それが、今日の降臨祭の開幕式で、私に知らされたこと。


 衛兵に捕らえられそうになったところを『祈りの光』の目眩ましで逃れ、全力で走り、目についた辻馬車に飛び込んで、頭に挿していた銀と真珠でできた(かんざし)を強引に御者に握らせ魔女の住まう森まで逃げてきたのだ。


 その様子を、まるで見ていたかのように魔女様は私に告げる。

 時々、声が楽しそうに弾んでいるようにも聞こえる。

 私がうまく説明できない今日の出来事を、まるで吟遊詩人がうたうかのように、魔女様が楽しげに劇的に語って聞かせる。私に起きた出来事なのに、可哀想な悲劇を聞いているような、でも語り口は喜劇的にも聞こえて。


「お前……それにしても走るのやたらに速いな。そして、本当に根性あるな」


 魔女様はそう言うと、少し呆れたようにため息をついた。呆れたと感じたのは、私の劣等感か。


 私が聖女候補に選ばれたのが六歳の時で、当代の聖女に選ばれたのが十二歳の時だ。

 聖女候補に選ばれてからの十二年、私はひたすらにそのお務めを果たしてきたつもりだった。


 聖女の務めは過酷だ。


 王都の外れにある『女神の降り立った山』の山頂付近にある聖岩に祈りを捧げ、身体に聖力を満たす。その聖力を山の麓の神殿と、王都の真ん中にある中央神殿とに置かれた聖遺物の杯へと移す。

 すると、国境に結界が張られ、国が守られるのだ。


 この聖力を移しかえるお務めの移動時には己の力しか使ってはならず、また、杯を満たせば満たすほど結界は強くなると言われている。


 もちろんワインを注ぐように、盃に何かか満ちる様子が目に見えるわけではない。

 ただ、私の体感としては『何か』が身体の中に満ちていく感覚も、聖遺物の杯に聖力を移すときの身体から『何か』が引きずり出される感覚もわかる。


 そして、子どもの頃から数えきれない回数を行ってきたこの務めは、回数を重ねれば重ねるほど聖力を多く溜められた気がするし、多くの聖力を杯に移すことで務めを果たしていると信じていた。


 王都の中心部にある神殿から、そのはずれの山まで駆け、そのまま山頂まで駆け登り、祈り、山を降り、麓と王都の神殿を廻り杯を満たす。


 これを毎日欠かすことなく、一日に何度も。

 隣国との関係がきな臭い時期には、それこそ昼夜を問わず、寝る間を惜しんで繰り返した。

 国の安寧のためにと、馬車も馬も使わずに、自分の足で走り続け、聖女の務めを果たした。

 毎日毎日、雨の日も夏の炎天下でも、走りに走った。


 文字通り、走り続けた十二年だった。


 私の肌は農婦よりも日焼けしている。

 髪の毛も、汗に負けるから肩下あたりまでの長さに切り揃え、こちらもまた日焼けでパサパサになって色が褪せている。

 そして新兵よりも引き締まった身体は、柔らかさやみずみずしさとは対極と言ってもいいだろう。

 令嬢としてはありえない仕上がりだ。


 神殿の影響力を取り込むための政略とはいえ、王太子が私との婚約に不満を持つのも仕方がないこと。そうかもしれないけれども。


「歴代の聖女の中でも、かなり速いし、かなり走っておるようだ。一日も休むこともなく。実に素晴らしい。褒め称える程に根性がある」

「いくら根性があっても、他人の気持ちはどうにもなりませんし……」


 頑張った結果が婚約破棄と家からの除籍とは、つり合わないどころか、努力を全否定されたようなものだ。

 私には、見知らぬ誰かを気にして策を練る暇などないし、言われたような意地悪をする術も余裕もない。


 だというのに。


「見た目が棒っきれのようだと、令嬢らしさに欠けて見苦しいと、そんなこと、わざわざ悪し様に言う必要がありますか?」


 ずっと堪えていた涙が視界をあやふやにする。

 目の前の魔女様の姿だけでなく、巨木の切り株も、丸太も、その輪郭をぼんやりと歪ませる。

 言われた言葉を、口にしたからなのか。

 私は見苦しい?そんなこと、どうして言われねばならないのか。


「それで、お前、どうしたいのだ?」

「…………」


 ここに来る時は、終えられていない、今日のお務めをなんとか行うために、魔女様に目眩ましの術か何かをかけてもらおうと思っていた。

 だけど、こうして落ち着いて考えてみると、もうその必要はないのかもしれない。 


 そもそも、私は聖女ではなくなった。

 それは私の意志ではないけれど、そもそも聖女になったのだって、私の意志ではないのだから。


 もう、国を守るために走らなくてもいい。


 そう思ったら、なんだか心がすっきりと晴れやかになった。


 なんだ、簡単なことじゃないか。


 私は、もう、誰かのために走らなくていいんだ。


「今、改めて考えてみたのですが」

「なんだ?」

「何か、ここに来るまで考えてきたことが……その、どうでもいいかな?と、思いまして」

「ほう?お前、何を考えてきた?」

「今日の分、走れないなって。どうにかして走らなきゃって」

「うむ、実によい。根性もあるし、聖女らしい真面目さもある。だが、それもなげうつか。そうだよな、もう、聖女ではないものな」


 魔女様がなんだか楽しそうに聞き返したと感じたのは、私の気のせいだろうか。


「なんですけど。このままだと、私、無一文の宿無しなんですよね」

「…………。ここには置いてやれんぞ」

「あ、それは結構です」


 さすがに私もここが普通ではないことはわかる。

 そんな場所に長居するのは心が落ち着かない。


「……そうか」


 あら?なんだか残念そうに聞こえますね?

 まぁ、それも私の気のせいでしょうね。


「それでですね、魔女様に何ができるのかわからないのですが、ちょっとご相談したいことがあります」

「……とりあえず言ってみろ」

「いくつかあるのですが」


 頭に浮かんだことを、指折り数えながら、優先順位を考えてみた。


「いくつか……そうさな、対価をもらえれば、な」

「対価……」


 対価。

 そう。

 私の望みはまさにそれだ。


 魔女様の声を聞いた時に感じたもやっとした違和感。


 私の努力で結界は維持され、国は救われた。

 だとしたら、その努力に対する対価を払ってもらってもいいのではないかしら。


「そうですね、対価については、相談させてください」

「……まあいい、まずは言うだけ言ってみろ」


「まずは国から、私が聖女候補として、そして聖女として務めてきた十二年分の正当な評価とそれに伴う対価を請求したいです。いいえ、請求するだけでなく、確実に手に入れたい」


 私の言葉を聞き、魔女様は楽しそうに口許に弧を浮かべた。はずだ。記憶に残っていないけれど。

 この、見たはずの姿が、意識した端から霧散していく感覚は、いつまでたっても落ち着かない。なので、もう私の感じたような表情をしていると信じよう。


「なるほど。それはどれくらいが妥当だと思う?」

「国防費のほとんどはもらえてもいいと思うのですが、それは少し図々しいかもしれませんので、半分。いいえ、三分の一。それを十二年分ですね」

「ほう。お前、なかなかふっかけるな」


 ふっかけるとは失礼な。


「これからの私にとって、金銭は外せませんから。私が労働の対価を求めるのなら、それは国に対してが妥当でしょう?」

「まぁ、そうだろうね」


 国を守るための結界を張ってきたのだ。ずっと。十二年も。

 私が走り、祈ることの対価が、女神様による結界であるのなら。

 その結界による安寧をもたらした私へも対価があってしかるべきでは?


「隣国との一触即発の時期に、国境線に多くの兵の派遣をすることなく、平時と変わらぬと国民感情を落ち着かせたのです。一等殊勲で認められたならまだ許せるかもしれませんが、やって当然のように扱われたのですから」


 そう。聖女である私は、国のために毎日を過ごすことを当然とされていた。

 果たしてそれは、当然なのだろうか?


「私、先ほど魔女様から『対価』と言われて気づいたんです。私はこの十二年、一日も休むことなく国に強制的に奉仕させられてきたんです」


 暑い日も、寒い日も、体の具合が悪かろうとも。


「誰も、一度も、そのことを労ってくれなかった。生きていくのに困らない程度の衣食住が与えられるだけ。教育すら、まともに受けられてない」


 私の日々は、そのほとんどすべてが走ることで占められており、走っていなければ、体力を回復するために横になるか、走るための力となる食事を食べているか。

 そこには楽しむことや贅沢することは含まれていない。

 走るために知恵もいらない。

 私が身に付けた作法は、神殿の杯に聖力を満たすためのものと、静かに口を閉じて立っていること、神殿の端から端までしとやかに歩くこと。ただそれだけだ。


「不思議ですね。姿も声もあやふやな魔女様を前にしていると、なぜだか、今まではっきり意識できなかったもやもやしたものが分かりやすい形になります」

「そうか」


 本当に不思議だ。今まで、自分が虐げられ、搾取されていたとは気づけなかった。


 知恵がないということは、思考する時間と機会がないということは、とても不幸なことなのか。

 あるいは不幸に気づかなかったらよかったのか。


 しかし、私は気づいてしまった。もう、知らなかった時には戻れない。


「王太子との婚約も、そもそもあの人のことよく知りませんし、本人にも結婚にも興味がないので、それがなくなることは全然構いませんが、やってもいないことを罪だ悪評だと大勢の前で罵られたことは許したくないですね。そんな暇、本当に私にはなかったので」

「それはそうだろう。ひたすら走っていたものな。して、どうする?」

「大勢の前で悪し様に罵られて、それ以前からも随分と暴言を吐かれてきましたし。こちらも相応の対価を払っていただきたいです」

「金か」

「いえ、それはあの人が汗水流して手に入れたものではないので」

「ふむ。何か考えのある顔をしているな」


 魔女様には私の顔がわかるのだな、と、当たり前なのに妙なことを思った。


「期間は婚約期間の半分の、三年にしましょうか。その間、ご本人ご自慢の容姿を頂きたく。あ、わたしがそれをもらっても仕方がないので。そうですね……。会う人にとって、もっとも醜悪だと感じる見た目として認識される、とかどうでしょうか。鏡越しには、ご自身にとっての、最も醜悪な」


 王子は大変なルッキズム主義のご様子なので、相応の効果がありそうなのがいい。鏡を見たときにどんな姿が映るのか、私が知れないのが少々残念だが。


 魔女様は、一瞬、沈黙すると、弾けたように笑った。

 静かな小屋の中、魔女様の笑い声が響く。

 さすがに笑ったのはよくわかった。


「お前、なかなかいいな、面白い」


 笑い終わると、魔女様はそう言って私を誉めてくれた。


「女と見まごう程の美貌と評判の王太子と、お前の容貌を取り替えるのではないのか」


 なんと!なんということ!


「王太子にはさんざんコケにされた、私のこの見た目ですが。令嬢らしくはないとはもちろん思っていますが、私自身は気に入っているのです。私のこの見た目は、国のために走り続けた誇りです。炎天下に出れば目眩をおこすようなご令嬢の繊細さではこの国の聖女は勤まりませんから」


 そう。

 棒切れのように肉のついていない、新兵より引き締まった、よくよく日焼けした私の見た目は、この国の聖女として国に尽くしてきたことの証だ。

 国のために走り続けて得た身体だ。


「この見た目は私の十二年間の努力の証です。そんな素晴らしいものを、まるで価値のないように言う者に与えるとか、たとえ魔女様でも言っていいことと悪いことがございます!それとも何ですか?魔女様もこの見た目を無価値だと仰るのですか?」

「いや、そうではない。すまぬ、悪ノリが過ぎた」


 本当に失礼極まりないこと。


「私の、この、見た目は?」

「大変素晴らしい。お前の努力が輝いておる」

「…………。謝罪を受け入れますわ」

「すまなかった。お前の努力をないがしろにした。あの、阿呆な王子と変わらぬな」

「いわゆる令嬢らしくないのは存じておりますから。価値観の相違ですわ」

「いや、本当に輝いておる。真実、そう思っておる」


 表情はわからないが、声の調子もわからないが。

 なので、魔女様の言うことが真実かどうかはわからない。けれど、信じたいから信じよう。


「私を除籍した実家については、深く恨んでいるわけではありません。見知らぬ他人とさして変わりませんので」

「見知らぬ他人。そんなものなのか?」

「生まれてから六歳までは、恐らく、それなりにきちんと育ててもらえたのでしょうね。だから私は魔女様の住まう森のことも知っていましたし、文字の読み書きもできますから」


 そう。きっと、よくある普通の少女だったのだろう。ただし、それも聖女見習いになるまでのこと。


「ですがその後は何の接触もなく、家から除籍されました。いえ、除籍されたことを告げられただけです。親から言われたわけでもない。会ってもいない」


 私が聖女見習いになって以降、家族との接点はなにもない。手紙もなければ面会もない。それが誰の意図なのかはわからないが、その結果が除籍か。


「六歳の時以降の私は、あの家には存在しないのと同じことです。なので、私の預かり知らぬところで彼らが得た富も名声も、権力も配慮も。ありとあらゆる、聖女に由来するものをそっくりそのまま取り上げていただきたいです。私はいりませんので、よろしければお譲りします」

「取り上げるはいいが、名声も権力、配慮もいらないよ」


 富はお断りにならないらしい。


「富がたくさんあるといいですね」

「お前…………」


 そう言って、再び笑い声が小屋いっぱいに響き渡った。

 私に由来するものは、なにもないかもしれない。

 由来するものがたくさんあるのかもしれない。

 どちらにせよ、私との関わりのない人々だったのだ。

 なかったこととしてこれからも過ごしてほしい。

 私には、頼る家族はいなかった。そしてこれからもいない。そう思うしかない。

 家族を求めて泣くほど幼くもないし、未練もない。


「それでですね」


 私は、切り株の向こうの、緑のローブの袖が揺れるのを見つめながら言葉を続けた。

 ぼんやりと認識が揺らぐ顔を見るのは、少し疲れたのかもしれない。

 わからないが、風もないのにローブの袖が揺れているのが少しだけ気になった。


「ここまでのことですが、如何様にか叶えていただけますでしょうか?」

「……。うむ、お前が吾に払う対価についてはともかくとして、叶えることはできよう。国防費の三分の一?それをお前がどう手にするかについては、その方法がちと迷いどころだが」

「分割は嫌です。即金で、世界銀行の私の口座に今すぐ入金を。さすがに今すぐ全額は無理でしょうから、まずは今年度分を、日没までに。残りは五日以内に全額を」

「譲歩したようでわりと強奪の勢いだな」


 この国の貴族は、生まれたことを国に申請すると同時に『世界銀行』という口座が開設され、国からのささやかすぎるほどにささやかな祝い金が贈られることになっている。

 口座のお金を引き出すには、登録された血液が必要だ。

 国同士の金銭の授受、商取引から個人的なお祝い金まで。あらゆる場面で『世界銀行』が活用されている。安全で確実な手段として、世界的に認められて国の管理を離れた組織として確立されている。

 私は今まで銀行に縁がなかったのでその全容は知らないけれど、話に聞くに、相当に便利なものなのだろう。

 私は使ったことがないし、いくら入金されているのかを確認したこともない。だが、世界中のあちこちにある支店に赴き、私がその場でほんの少しの血を出せばお金が引き出せるのは、これからの私にとっては何よりも重宝するだろう。安全に大金!(たぶん)を確保したい。


「しかし即金か」

「もらいっぱぐれを避けたいので、即金で」

「十二年分だろ?」

「私は国家予算を年数分出せといっているわけではございません。国防費、実際にほとんどかからないわけですから、微々たる金額でしょうに」 

「さぁ、それはどうかな。国の予算部門の健全性が垣間見れそうだ」

「王族の皆さま方がその身を着飾るためのお金を控えればどうとでもなりましょうに」


 今日の式典ですら、私に与えられたのは、飾りも刺繍もない白いドレス。それが聖女の衣装だ。

 金銭的な価値があるだろうものは、髪に挿していた銀と真珠の簪だけ。

 それも先代の聖女から譲られた唯一の装飾品で、密かに聖女が受け継いでいた、らしいものだ。


 まぁ、私はそれを逃走時に辻馬車代に使ったわけだが、私が譲りたい次代もいないからいいか。

 いや、先代の形見だと思うと、勢いで御者に渡したことを少しだけ後悔する。

 これから先、先代の思いを感じられるものが何もなくなってしまったことは、やはり寂しい。だが、それに救われて、今ここに居るのも事実だ。


 私を断罪した元婚約者は、全身がピッカピカに光輝いていた。ありとあらゆる、光を受けて反射する、高貴な素材でその身を包まれていた。

 あれらを売りさばけば当然お金になろう。


「さて、どうしたものか」


 魔女様は自分の顎を撫でた。緑色のローブの袖が風にはためくように揺れる。


「ああ、そうだ。お前、これからの身の振り方については今ここでは口にするな」

「それは何故でしょう?」


 妙なことを言われたな、と、思った。


「うん、今までのお前との話な、この国の民、ほとんどの者が聞いたであろう」

「え?」


 言われたことを理解するのに、少し時間を要した。だってまさか、そんな。


「この国の、ありとあらゆる木々、植物。きれいに整えられた庭園の花から、街路樹、窓辺を飾る鉢植えに、花瓶に飾られた花、どこかの娘の髪を飾る花飾りや、軒先を彩る蔦。道端の雑草に至るまで。すべての植物からこの会話が聞こえている」

「…………。それはまた、ものすごいことでございますね」


 この、木々の葉を映したような色のローブを伝ってなのか、切り株を伝ってなのか、はたまた、落ち葉を敷き詰めたようなカーペットのせいなのか。

 いや、考えても仕方がないことだ。


「今ごろ、この国の民は慌てておろうぞ。これから先、聖女が消え、いずれは結界が消えるのだから」

「恨まれますか?私」


 結界が消えれば国の安寧は守られない。


「お前を恨むのはお門違いというものだ。恨むなら、お前ではなくお前がここに来ることを決意させた者を恨むがいいだろうよ。誰でもそれくらいはわかるだろう」

「ありがとうございます、女神様」


 私は、楽しげに声を弾ませている(だろう)魔女様、いいえ、女神様にお礼を言った。


「なんだ。お前、気づいておったか」

「もちろんでございます。私は、女神様によって聖女に選ばれたのです。それに、毎日毎日、結界のためにどれだけ私が女神様に祈りを捧げたと思っているのですか?女神様の気配は、よく知らない婚約者よりも身近に感じておりました。間違えるはずがございません」

「さよか」


 この森にも、小屋の中にも。横たえられた丸太にも。あらゆるところに女神様の気配が漂っている。

 だから畏れを感じ、怖いと感じ、居心地がよいと感じるのか。


「それに、女神様は対価をお求めになられますから」


 己の足のみでここまでこい。祈りを捧げよ。さすれば力を分け与えよう。守ろう。


 これが女神様が遥かなる昔に残した始まりのご神託。

 その身を削り、何かしなければ力を貸してはくれない相手だと、六つの時から知っている。

 先代の聖女様から、「女神様は努力がお好きなのだ」と聞かされたが、私が努力した先にある国の安寧それこそが、私の犠牲とともにあったことをきっちりと多くの人に知ってもらいたい。


「まあなー。先代もよく『やりがい搾取だ』『我の走りに投げ銭を!』と騒いでおった。この国は、ここまでだろうかな」

「捨てるのですか?」

「人聞きが悪いな。まぁ、お前は本当に、本当によく走っておったから、まだあといくらかは結界も維持できよう」

「もし、私ではない誰かが走るとしたら?」

「走ればよいだろう?昔々は、皆が走って……別に歩いても構わんのだが、皆が己の足で参って、詣でて、祈って、報告して。そうしておった。それを誰か一人に押し付けたのは、お前たちのやったことだ」

「そうなんですね」

「六歳のお前が自分で辿り着ける程度の場所だ。誰だって行けばいい。行って、真摯に祈って、麓と王都の二ヶ所の神殿に報告するだけだ。誰でもできることさ」


 確かに。同世代の聖女見習いは何人も居たはずだ。

 いつのまにか私一人になり、先代が亡くなったときに次代の聖女はお前なのだな、と、女神様からのご神託が下った。

 だから、私が選ばれたと思っていたが、なんの事はない。確認されただけなのか。


「それを一人に押し付けたから、お前が一人で、一日に何度も走っていた、ただ、それだけのこと。吾の思いはそこにはない」


 女神様の声は、小屋全体に反響し、まるで私を包むように、幾重にも重なって聞こえた。

 あらゆる植物を通じてこの会話を聞いている人たちにも、こんなふうに、四方から響くように聞こえているのだろうか。


 私がもう走らないと宣言したことを、どう受け止められただろうか。

 顔も見ずに私を除籍した家族は、私のことをどう思っただろうか。いや、もう、関係ない。

 王子を見ると、自分が思う醜悪な見た目に見えることを、つまりは、自分の心の写し鏡だと、誰かは気付くだろうか。私は二度と王子を見たくない。自分の心を見るのが怖い。

 国防費の三分の一。ちょっと欲張りすぎたかしら?いいえ、対価をもらってなかったのだから、慰謝料込みだ。正当に評価しないのが悪いんだ。


 私は、今までの女神様とのやりとりを反芻していた。


「今日は女神降臨祭だろ」


 おもむろに、女神様が話し始めた。


「今日は年に一度だけここに来れる日だったから。会えてよかったよ。お前、名前を誰かに呼ばれたのは、最後に名前を呼ばれたのはいつだ?」


 思いもかけない問いかけだった。


「先代の聖女様が亡くなられるときなので、十二のときです」


 あの時、祖母のように慈しんでくれた先代の聖女様が、皺だらけの手で私の頭を撫でて、最期に、私の名前を呼んでくれた。

 優しく厳しい先代との別れを思い出し、鼻の奥がツンと痛んだ。


「そうか。六年前か」


 そういうと、おもむろに女神様はその両手を広げ、ふわりと私を抱きしめた。


 大きな切り株を挟んで対峙していたはずなのに。

 私の視界は、森の色を映したようなローブの緑色に覆われ、ゆっくりと意識が遠退いていった。


 意識を手放す前に、頭の芯に声が響いた。

 私の名を呼び、私に語りかける。

 でもそれは、きっと、これからの私のために、国中に届けてくれた声なのだろう。


 柔らかく、硬く、甘く、苦く、高く、低く、軽やかに、重厚な。

 なんとも形容し難い、でも、幸福感をおぼえる声だった。


『クロエ。今まで大義であったな。お前は本当に国のために懸命に走っておった。この十二年、お前ほどこの国の安寧に貢献したものはいない。その十二年の真摯なる走りと祈りに対する対価として、お前の望みをすべて。すべて望むままに叶えよう』



 *  *  *


 目を覚ますと、そこは森の入り口だった。

 大きな木の幹のくぼみに背を預けるように。二股に別れた枝に跨がるように。

 木に抱かれるようにして、私は身体を休めていた。


 私を森の中へと導いていたはずの今日の太陽は、その赤みが宵闇に飲み込まれるのを静かに赦していた。

 魔女の家を見つけられる時間が終わる。

 そして、私が国のために走っていた日々も終わるのだ。


 私はもう、誰かのためには走らない。


 私のために、まずは歩こう。

 そして、私のために何が出来るのか、一つずつ考えよう。

 そして、時には私のために走るのもいいかもしれない。


 そのためにも。


 ここから一番近い、世界銀行の支店に歩いて行こう。

 預金残高の確認をしなくては。

 私がはじめて得る対価は、国防費の三分の一。いくらかなぁ。


 楽しみだ。

心地よいざまぁの難しさを痛感しております。

聖女と女神様とのやり取りを聞いた、国民の皆様の反応を連載形式でまとめました。

『突然、植物が喋り始めた国の、皆様の反応は』

https://ncode.syosetu.com/n7590jz/

全七話、19000字ほどになります。併せてお読みいただけると嬉しいです。


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― 新着の感想 ―
家族かぁ、6歳の子供を取り上げられてずっと音沙汰無しってのは不穏な感じを受けちゃうなぁ。 クロエちゃんへの人質として生かされていたとは思いますが、除籍も他人から告げられただけってのは家族もその頃には…
誰でも出来るちょっとしたことを誰もしなかった…というのは含蓄がありますね。信仰って神様のために時間か体力を使うことなんだろうな… 自分の力で歩くための力があるのって重要〜〜!!人間最後まで立って歩ける…
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