最終話 約束
ついにやって来た、お別れの日。
夕暮れの光が差し込む大広間には、私と花丸、瓜生、そしてSPTの仲間たちが集まっていた。
私はともかく、花丸は山のような荷物を抱えていた。聞けば、結婚祝いをSPTの隊員たちや紅牙組からたんまり受け取ったらしい。重そうな荷物を抱えながらも、花丸の表情はどこか晴れやかだった。
一方、瓜生は長官に歩み寄り、少し緊張した面持ちで深々と頭を下げる。自分はかつてSPTを裏切った身──そう思っているのだろう。それでも長官は瓜生を見てにっこりと微笑んだ。
「彼と幸せになるんだよ」
その言葉に、瓜生の目がふっと潤んだ。彼女はもう一度、胸の奥の感情を押し込めるように、深く頭を下げた。
そして今度は、上木の元へ。気まずそうに頭を下げると、上木は無言でそれを制し、瓜生をそっと抱きしめた。二人は互いの耳元で何かを小さく語り合っていた。どこか照れくさそうで、それでいてとても穏やかな空気が場をそっと包み込む。
そんな中──。
「凪」
焔の静かな声が届いた。
振り返ると、彼はそっとある物を私に差し出した。それは、以前にも何度か借りたことのある、発信機付きの懐中時計だった。
「元の世界に帰って何かあったら、内蔵されているスイッチを押せ」
私はきょとんとした顔で彼を見る。
「あの……でも、押しても焔さんすぐに来られないですよね?半年後の出張まで」
私がそう尋ねると、焔は一瞬だけ周囲を見渡してから懐に手を入れた。そして、こっそりと木箱を取り出す。
「……?」
焔は私にだけ見えるように、そっと箱を開けた。中に入っていたのは──境界石。それは私の世界と対の世界を行き来できる、特別な石だった。
「え……!?」
目を見開く私に、焔は人差し指を口元に当て、「シー」と小さく息を漏らした。どうやら、SPTの境界石をちゃっかりくすねたらしい。
「それと、君が持っているスマホも、私とやり取りができる」
「え?元の世界に帰っても使えるんですか?」
焔は穏やかに微笑む。
一方の私はというと、ぷくりと頬を膨らませた。
「凪?」
「その話も、できたらもうちょっと早く知りたかったです!」
私の不満げな声に、焔は気まずそうな顔を浮かべる。その表情が可笑しくて、私は思わずくすりと笑った。
「冗談です。ありがとうございます!何かあったら、連絡してもいいですか?」
私がそう告げると、焔は安心したように微笑み、ふっと声を落として言った。
「何もなくてもいい」
「え?」
「いつでも、連絡をくれ。……そのために、これを渡した」
焔の言葉を受け、私の頬は一瞬で赤く染まる。照れすぎて頭が爆発しそうになった次の瞬間、唐突にボフッとヤトが私の懐に飛び込んできた。
「凪いいぃ!俺のこと、忘れないでね!半年後まで、絶対だよ!」
羽をぶわっと広げながら、ふるふると震えるヤト、私はその羽を撫でながら、優しく抱きしめ返した。
「忘れるわけないよ。カラスを見るたびに思い出すよ、絶対」
「へへへっ」
ヤトがくすぐったそうに笑いながら、私の腕の中で小さく身をよじる。私はもう一度、ぎゅうっと力を込めてヤトを抱きしめる。
「大好きだよ、ヤト」
私は、心に焼きつけるようにその温もりを噛みしめた後、ヤトを焔の腕に預ける。
私は、焔とヤトに微笑みを向けた後、花丸、瓜生とともに床に描かれた転移の円へと足を踏み入れた。この輪の中で、境界石を発動させるらしい。
ぐるりと見渡すと、長官が静かに頷いている。
天宮は背筋を伸ばしながら、優しい眼差しをこちらに向けていた。
丹後と江藤は、並んで見送りながら、それぞれ微笑んでくれている。
上木はそっと手を振り、私たちを言葉なく励ましていた。
そして、焔とヤト。
二人は少し離れた場所から、私たちをじっと見つめていた。焔は黙ったまま、いつもの穏やかな眼差しでこちらを見ている。彼に抱かれながら、ヤトは目を潤ませ、「ぴや~ん……」と寂し気な声を漏らしていた。
その時、境界石が静かに光を放ち始めた。眩い光が次第に私たちの周囲を包み込み、徐々に輪郭が滲んでいく。
光の中で、仲間たちの顔がゆっくりと溶けていく。まるで夢の中へ消えてしまうように。そして、最後に見えたのは、焔の笑顔だった。
少し照れたような、真っ直ぐな微笑み。私は、彼の姿が見えなくなるまで、寂しい気持ちを堪えて笑顔で応えた。
──またね。焔さん、ヤト。
* * *
それから数週間後。元の世界に戻った私は、すっかりいつもの日常を取り戻していた。今日も目覚ましの音を聞き逃した私は、だらしなく寝癖がついたまま家を飛び出した。
竹刀袋を抱えて、いつもの道を駆け抜ける。十二月の空気は頬を刺すように冷たい。風を切る足音の中で、ふと頬に冷たい感触が触れた。
──初雪だ。
私は足を止め、空を見上げる。舞い降りて来る雪の結晶を、口で受け止めるように、私は深く息を吸い込んだ。
吐いた息が白く染まり、冬の訪れを静かに告げる。
その時、ポケットのスマホが小さく震えた。取り出して画面を見ると、そこにはバナナにかぶりつくヤトのドアップ写真が写し出されていた。写真には、焔からの短いメッセージも添えられている。それを読んだ私はくすりと笑い、再び走ろうと前を向く。
──と、その時。
私の横を、一羽の大きなカラスが横切った。黒い翼が音もなく風を裂き、空高く、白い雪の中へと舞い上がっていく。
その姿を目で追った瞬間、胸の奥にしまっていた記憶が、波のように一気に押しよせた。
仲間と肩を並べ、駆け抜けた日々。
夜を越え、温もりに触れ、共に笑い合った時間。
燃えるような瞳と、真っ直ぐな言葉に、心を射抜かれたあの瞬間。
匂いが、声が、感情が、波打つように蘇る。
高鳴る鼓動。胸の奥が熱くなり、全身を熱情の波が駆け抜けていった。
私は空へ羽ばたいたカラスを見つめながら、静かに、確かな一歩を踏み出した。
ここからまた、新しい物語が始まる。
そんな想いに、胸を焦がしながら。
── 「対 -TSUI-」 完 ──




