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対 -TSUI-  作者: あさとゆう
エピローグ 対なる者
155/156

第155話 愛慕

 その後、私と焔は屋根の上にいた。


 今日は少し肌寒く、私は上着を重ねていたが、思った以上に風はない。窓の外に広がる夜景。そして夜空に煌めく満天の星。宝石箱をひっくり返したような瞬きに思わず見とれていると、焔がそっと手を差し出してきた。


「え?」


「手袋を忘れてきたからな」


 そう言って、焔は私の手を包み込むように握り、そのまま自分のポケットの中へ入れた。突然の仕草に心臓が跳ねる。一方のヤトは焔の肩にちょこんと乗り、キラキラと目を輝かせながら夜景を見つめている。そんなヤトを焔は空いた方の手で優しく撫でた。


 ふわりとした夜風が、焔の銀髪とヤトの羽を揺らす。その光景を見ているうちに、私はもう堪えきれなくなってしまった。


 必死で押し込めていた涙が、止めどなく溢れてくる。袖で拭っても足りなくて、頬はすぐに涙で濡れた。


「凪?」


「どうした?」


 焔とヤトが同時に声をかけてくれる。私は鼻をすすり、泣き笑いのような顔で小さく首を振った。


 本当は、悲しくお別れしたくなかった。


 でも仕方がない。どんなに堪えても、寂しいものは寂しいのだ。


「やっぱり辛くて。焔さんとヤトと……離れるのが、寂しいんです」


 しん、と沈黙が落ちた。


 困らせてしまっただろうか。そう思った矢先、焔は何も言わず、私をそっと抱きしめてくれた。ヤトもスポッと私の胸元に飛び込み、羽の先で私の頬に触れた。


 じんわり伝わる温かさ。いつもは癒されるところだが、今日ばかりはこれすらも寂しい。もうすぐこの優しさにも触れられなくなる。そう思った瞬間、またひとしずく、涙がこぼれ落ちた。


 すると焔がそっと両手を私の頬に添える。そのまま、真っ直ぐ私を見つめて、静かに言った。


「泣くな、凪」


 そんなこと言われても。


 無理なもんは無理なんですよ、焔さん。


 私は声を出すこともできず、ただただ涙を流す。すると、焔の表情がふっと変わった。何かを決意したように、ゆっくりと口を開く。


「たった半年の辛抱だ」


 …………。


 ………半年?


 その言葉を聞いた瞬間、まるでスイッチを切られたように、涙がピタリと止まった。


 困惑する私の横で、ヤトが急に羽をそわそわと動かす。そして、焔を見ると、呆れたように首をすくめていた。


「半年って?」


「実は、半年後、長期出張が決まっている」


「出張?」


「行き先は君の世界。境界石を使って、ヤトと行く」


 私は言葉を失う。


 夜風が頬を撫で、さっきまで涙で濡れていた頬が、冷たくて少しだけひりついた。だが、そんなことはあっという間に意識の外へ追いやられ、私の頭は真っ白になった。


「……嬉しく、ないのか?」


 焔が小さく首を傾げ、控えめに尋ねる。頭が追い付かず呆然とする私。すると、ヤトが早口で補足をする。


「あのね、凪。その……俺、焔に言ったんだよ。『凪は絶対寂しがるから、出張の話を早めにして』って。でも、焔がさ、凪を驚かせたいからギリギリまで内緒にするって。だから、その……」


 ヤトの言葉を受けて、私はがくりと肩を落とした。そうして暫く考えを巡らせた後で、沸々と熱のような感情が湧き上がる。私はスッと顔を上げ、焔を鋭く見据えた。


「ところで焔さん。その話、いつから決まってたんですか?」


「九月、くらいかな。君が一度、家出をした時があっただろう。あの頃、長官から打診された」


「じゃあ、焔さんと決闘した後、屋根の上で話した時にはもう決まってたんですね」


「そういうことだ」


 ふふんと笑い、得意げに私を見つめる焔。


 どうやら、ヤトの言う通り彼の中では粋なサプライズのつもりだったらしい。一方の私は、焔の真意を知ったこの瞬間、小さく震えていた。


「三度目ですね、焔さん」


 その瞬間、焔とヤトの肩がぴくりと動く。


「……何が、だ?」


「私に何も言わないで、勝手に話を進めた回数です。一度目は私をSPTに推薦した時、二度目は、上木さんとの決闘が決まった時、そして、今の話が三度目です。パッと思いついたのが三回ですけど、じっくり考えればもっとある気がします。焔さんっていっつもそう。大事な話は絶対にしてくれない」


 焔の表情が徐々に強張っていく。私の怒りに、ようやく気付いたのだろう。


「私、一生のお別れかと思ってたんですよ!……どれだけ泣いたと思ってんですか!!」


 私は思わず(うつむ)き、焔の胸元をぽかぽかと叩く。ヤトが慌ててなだめようと私の腕をつつくが、お構いなしだ。


「凪」


 私の名を呼ぶ焔の声は、いつになくぎこちなかった。私は涙も止まらず、焔の胸元を叩き続ける。焔はそんな私の手を握り、頭をそっと撫でて抱きしめた。


「ごめん」


 そのひと言が響いた時、唐突に焔の唇が私の頬に触れた。


 驚いて顔を上げると、焔は少し照れくさそうに微笑んでいた。そして、さりげなく右手を伸ばし、ヤトの目元をそっと隠す。


「え?な、なになに!?」


 ヤトが戸惑う中、焔はそっと私の耳元に唇を寄せ、ある言葉を静かに囁いた。その言葉を聞いた瞬間、耳が一気に熱くなり、胸の奥がどくんと跳ねる。


 彼は改めて私に向き直ると、視線を外すことなく、真っ直ぐ私を見つめてくる。月明かりが差し込む中、不器用で誠実な彼の頬が、僅かに赤く染まっていた。


 私からの言葉を──返事を待っているのだ。


 私は彼の目を見つめ返し、柔らかく微笑んで言った。


「私も」


 その瞬間、焔はほっとしたように目を細め、優しく顔を引き寄せる。


 夜風が頬をかすめる中、私たちは静かに唇を重ねた。目を閉じて、心を預ける。少し肌寒い夜の中で、唇のぬくもりだけが確かなものとして伝わってくる。やがて、私たちはゆっくり顔を離し、互いに微笑んだ。


 ……と、その時。


 焔の手から抜け出したヤトが、ぷりぷりと抗議の声を上げる。


「なんなんだよう、もう~っ!」


 思わず笑いそうになっていると、焔はヤトをそっと抱き上げ、ふわりと頭に唇を寄せた。


「ほ……焔!?」


 ヤトは驚いたように目を見開き、私を見つめて来る。私も、涙の跡が残ったまま、笑いながらヤトの頭にそっと唇を寄せた。


 大切な存在へ、愛おしさを込めて。


 私たちからのダブルキスにヤトは一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、トルネードのように宙を舞い、キラキラと夜空に弧を描いた。


「ぴやあああ~~何だかよくわかんないけど、二人とも大好きぃぃぃ」


 私たちは楽しげなヤトを見上げながら、肩を寄せ合う。そして、再会の約束を心で交わすように、互いの手をそっと握りしめた。


 どうか神様。


 いつかまたこんな星空の下で、幸せな時間が過ごせますように。

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