第154話 結華
十一月も半ばを過ぎた。季節はすっかり冬の気配に包まれ、頬に触れる風が冷たい。
私はいつにも増して、ヤトを抱きしめる回数が増えていた。カラスであるヤトの体温は人間よりも高くて、湯たんぽのように温かい。でも、それはただの口実だった。
本当は、寂しかったのだ。
元の世界に帰る日が近づけば近づくほど、胸の奥にぽっかりと穴が空いていく気がして。不安になるたび、ヤトの柔らかな羽に顔を埋めて、こっそり甘えていた。
とはいえ、この気持ちを焔とヤトに伝えるのは気が引ける。そんな思いもあり、私はここ数日、空元気のように明るく振る舞っていた。
いつも通り、笑って。
もしかしたら、焔もヤトも私の変化に気付かないふりをしてくれていたのかもしれない。静かに、優しく時は流れ、いよいよ帰還前夜を迎えた。
この家で過ごす最後の食事を終えた後、私はヤトを抱きかかえながら焔と向かい合って座っていた。
どうやら、SPTは私の家族に「凪は生きている」ということだけは、それとなく伝えていたらしい。それを聞いて少しホッとしたものの、すぐに不安の波が押し寄せてくる。
きっと家族は、私が誘拐されたと思っているはずだ。元の世界に戻ったら、数日……いや数週間、下手したらこれからずっと、心配した親が毎朝毎晩、学校への送り迎えを始めるかもしれない。
「あの、SPTの話はしちゃ駄目なんですよね?家族にも」
「ああ。申し訳ないが口外はご法度だ」
私は苦笑いを浮かべた。家族相手に誤魔化せるだろうか。特に父は現役の刑事。娘の身に何があったのか、犯人は誰なのか、執念深く追うはずだ。そして、きっと一番疑われているのは、今目の前にいる焔だろう。
焔と初めて会った時、親友のひなたは彼を「ストーカー」呼ばわりしていた。あのひなたなら間違いなく、家族にも焔のことを話しているはずだ。
すると、ヤトがぴょんっと、私の膝の上で跳ねた。
「凪!大丈夫!俺ね、凄く便利な言葉、テレビで聞いたんだ!それさえ言えば、絶対に誤魔化せるよ!」
「テレビ?」
ヤトは胸を張り、羽を広げて高らかに叫んだ。
「『何が起きたのか、記憶にございません』──これでぜーんぶ解決さ!」
…………。
ズコーー―!!
思わぬヤトのセリフに、私と焔は盛大にテーブルへ顔面ダイブした。
「ヤ、ヤト。何のテレビ見てたの?」
「ええっと、なんか広い場所で偉そうな人たちがズラ―って座ってて、順番に喋ったりしてた」
──国会中継だ。
思わず笑いが込み上げる私の前で、焔が腕を組み、ぽつりと呟いた。
「記憶にございません、か。いいかもしれんな」
「え?」
「最初から記憶を失くしたフリをする。そうすれば、深く詮索されずに済む」
「簡単に言いますね、焔さん……」
焔はくすっと笑い、紅茶を一口すする。そして不意に表情を引き締めて話題を切り替えた。
「それと明日、凪と一緒に帰る人間が、もう二人いる」
「二人?」
思わず聞き返す。私と一緒に帰る人物、それは花丸しかいないはず。人数が合わない。
「花丸だけじゃなくて?ねえ誰?ねえねえ誰!?」
矢継ぎ早のヤトの質問に、焔は静かに紅茶をもうひと口すする。そして間を取った後、静かに告げた。
「凪と一緒に帰るのは、花丸耕太と──瓜生蓮華だ」
…………。
…………え?
「どええええええええ!?!?」
私とヤトは前のめりになりながら、見事なハモりを決める。その反応に、焔は少し気まずそうに視線を外し、頬を掻きながら口を開いた。
「よくわからんが、知らぬ間にあの二人は恋仲になったらしい」
「恋仲って、瓜生さんからしてみたら相当なことなんじゃ!?ってか、そもそも瓜生さんはこっちの世界の人ですよね?私の世界に来たら、簡単に帰って来られなくなるんじゃないですか!?」
思わず立ち上がりかける私。
「そうそう!恋仲って言ったってさ、もし花丸と別れるようなことがあったら、瓜生はどうするんだよ!帰る場所がなくなるじゃん!」
ヤトも身を乗り出して叫ぶ。それを聞いた焔は、再び静かに紅茶をすする。
「失礼。あの二人が恋仲……という表現は、適切ではなかった」
そして、焔はゆっくり顔を上げると、さらなる衝撃を言い放った。
「今は恋仲だが、あの二人はこれから……夫婦になる」
…………。
え?う、う、う…………。
「うそおおおおおおお!?!?」
私とヤトは大口を開け、さっきよりも大きな声で叫んだ。
「花丸が瓜生を誘ったらしい。自分の世界に、一緒に来てくれないかとな。瓜生は一度は断ったらしいが、花丸が熱烈にプロポーズをして、結果的にOKしたそうだ」
「あの花丸さんが……」
そんな積極的な一面があったなんて……!
ってか、展開はや!!
完全に度肝を抜かれる私をよそに、焔は話を続ける。
「だが、それを長官に直談判したところ、こっぴどく怒られたらしい。長官はこっそり瓜生の再就職先や住まいの手配を進めていた。それなのにいきなりの結婚宣言だ。展開が早すぎるのもあって花丸の覚悟が信用できなかったんだろう。そこで、長官は花丸を問い詰めた。『お前の覚悟は本物か』と」
「なんか、長官さん……瓜生さんのお父さんみたいですね」
焔は小さく頷くと、穏やかに言葉を続ける。
「花丸は毅然と言い放ったそうだ。『あなたがいくら反対しても、僕たちは結婚する。何があっても、これから彼女と生きていく』と」
「……それで長官さんが、折れたってことですか?」
目を丸くする私とヤトに、焔はにっこりと微笑んだ。
花丸さん、凄い……!
胸の奥が、ふっと熱を帯びる。けれど、それと同時に言葉にできない寂しさが込み上げてくる。
上木と天宮。
花丸と瓜生。
みんな少しずつ前に進んでいるのに、私は……。
焔やヤトと離れたくない。そう思う気持ちはあるけれど、花丸のような覚悟はない。
それに、焔のことは好きだけど彼には彼の人生がある。安吾とも再会できて、ようやく焔は穏やかな時間を手に入れた。この世界で生きていくことが、彼にとって幸せなことなのだ。
自分の感情を押し付けるわけにはいかない。
いくら心が、彼に傾いていたとしても。
私はそっと、焔が淹れてくれた紅茶のカップを手に取り、口元に運んだ。ほんのり甘いはずのその味が、今日はどうにも苦く感じられる。
気付くと、目元に熱いものが込み上げてきた。私は慌てて、袖で涙を拭う。できるだけ、焔とヤトに気付かれないように。すると、小さな声がそばから聞こえた。
「あのね、凪。実は……」
ヤトが何かを言いかけた、その時だった。焔がコホンと咳払いをして、遮るように言う。
「凪。紅茶を飲んだら、少し外に出よう。ヤトも一緒に」
「外?どこへ?」
焔は柔らかく微笑み、こう告げた。
「宝石箱が見える場所」




