第150話 裂声
次の瞬間、私──安吾は戦場へと駆け出し、ミレニアの使徒を目がけて雷閃刀を振り下ろした。その刃は閃光の如く冴え渡り、敵の肩や両脚、腕を次々と裂いていく。致命傷は避けているものの、動きを止めるには十分だった。
何かの気配を察したのか、安吾は立ち止まり、空を見上げる。そこにはいくつもの影──ミレニアの使徒の姿。牙を剥き、鋭い爪を掲げながら、今まさに襲い掛かろうとしていた。
『私の血で生まれた、異形の者か』
次の瞬間、安吾は強烈な陰の気を放った。
バシッと空気が裂けるような音が響き、空気が揺れる。まるで蜃気楼の中にいるように。
そして、上空にいたミレニアの使徒たちは、声を漏らすこともなく、地面に崩れ落ちた。彼らの体の一部は崩れ、粒子のように砂となって風に溶けていく。使徒たちは安吾を見るなり、怯えたように震え、じりじりと後ずさる。這うようにその場から逃れようとする姿は、もはや敵兵ではなかった。
僅かな沈黙の後、安吾は再び芙蓉を睨みつける。そして一歩、無言で彼女に歩み寄った──その時だった。
「安吾様!後ろ!」
遊佐の叫び声が空気を裂いた。その声に反応したのは安吾ではなく、私だった。私は自らの意思で雷閃刀を握り、即座に振り返る。そこには、禍々しい陰の気を纏ったミレニアの使徒たちが五人。獣のように刃を剥き出しにし、飛びかかってくるところだった。
私は雷閃刀を構え、胸の奥から言葉を呼び起こす。
焔との決闘の日──力を与えてくれた、あの大切な詠唱を。
──
夜斗の力よ 暁に染まれ
凪の調べよ 闇を導け
焔の如き 強き影
天命を超え 姿を現せ
──
放たれた言葉と共に、黄金の陽の気が私の体から奔流のように溢れ出した。それは、安吾が纏っていた陰の気と交わることなく、互いに絡み合い、天へと昇る螺旋を描く。私たちの“気”は龍のような形を成し、爪と牙を煌めかせ、咆哮とともに敵へ突進した。
風を裂く音と共に、龍はミレニアの使徒たちを飲み込むと、そのまま空へ登っていく。そして淡い太陽の輝きに包まれながら、静かに溶けていった。龍の軌跡に残されていたのは、力なく倒れた使徒たち。息はあるが、立ち上がる力はもう残されていなかった。
『なかなかやるな、幸村凪』
安吾はそう呟き、再び雷閃刀を握った。その時、ドサッという乾いた音が響いた。振り返ると、そこにいたのは腰を抜かした芙蓉だった。手にした剣は僅かに震え、顔には恐怖の色が浮かぶ。そんな彼女を見ても、安吾は一瞬たりとも迷わなかった。雷閃刀を握ったまま、一陣の風のように駆け出すと、ミレニアの使徒たちをかき分けて芙蓉の目前へ躍り出る。
「……ッ!」
驚愕に目を見開く芙蓉。
反射的に剣を構えようとした瞬間、安吾の雷閃刀が彼女の右手を斬り落とした。鮮血が宙を舞い、芙蓉は顔を歪める。だが、筋繊維が蠢くように再生し、瞬く間に腕が元通りになる。
芙蓉は瞬間移動で姿を消すと、安吾の後ろを取った。黒髪を乱しながら、安吾に鋭い爪を向ける。
安吾は振り向きすらせず、陰の気を解き放った。その衝撃に芙蓉の体は吹き飛ばされ、地を滑るように数メートル後方へと弾かれる。
安吾は芙蓉との間合いを詰めると、彼女の首元を目がけて雷閃刀を振るった。
──カラン。
小さな音とともに、芙蓉の首元から飛石がこぼれ落ちた。先ほど天宮が銃で鎖を撃ち抜いたそれが、再び地面に転がっていく。
慌てて飛石に手を伸ばす芙蓉。だが、安吾は表情ひとつ変えずに雷閃刀で飛石を貫いた。赤い火花が迸ったかと思うと、飛石はまるで線香花火のように小さな灯火と化し、儚く消えていった。
それを見た芙蓉は、一気に表情が歪む。
たった今、彼女の切り札が呆気なく砕け散ったのだ。
「この……薄汚い人狼族がァアアア!!」
芙蓉は咆哮すると、我を忘れたかのように、がむしゃらに安吾へ突進する。安吾は冷静に上段に構え、すっと目を閉じた。
──刹那。
閃光のような光と共に、芙蓉は頭から足まで、一直線に安吾の太刀筋を浴びた。芙蓉は叫び声を上げることもできず、力なく膝をつくと、そのままがくりと倒れ込んだ。
戦場が静まり返る。
誰もが安吾の圧倒的な強さに、言葉を失っていた。
安吾は倒れた芙蓉を見下ろしながら、静かに歩を進める。斬られたはずの芙蓉の体は、筋繊維を蠢かせながら再生を始めていく。芙蓉はふらふらと立ち上がると、足元がおぼつかないまま駆け出した。
安吾は、黙々とその背を追う。立ちはだかるミレニアの使徒たちに、容赦なく雷閃刀を浴びせながら。
すると、逃げていた芙蓉が突如、姿を現した。彼女は一人の女性の首を掴み、その体を前に突き出す。まるで、人質を盾にするかのように。
女性は二十代半ばほどだろうか。肩までの長さのブラウンの髪が、乱れたまま風に揺られている。手足には枷。まるで囚人だ。
彼女を見るなり安吾の心臓がドクンと跳ねた。心の中で、私は確信した。
──この人が、本物の咲良さんだ。
すると、芙蓉が顔を引きつらせながら、低く声を吐き出す。
「御影安吾……。お前、私の娘に惚れてるな。気付いていないとでも思ったか。私を捕らえるために、お前は娘を利用した。娘もお前に騙されて……私を……」
芙蓉は力なくうなだれる咲良を睨みつけた。そして、自らの爪を、娘の首に突き立てる。
私はその様子を、安吾の心を通して見つめる。
咲良は芙蓉の一人娘のはず。なぜ、彼女を盾にするような真似を。いくら安吾と彼女が協力していたとはいえ、実の娘のはずなのに。
よく見ると、咲良の頬や額はうっすらと赤くなっていた。殴られた跡だ。目も虚ろで、意識は朦朧としている。彼女を見て、安吾の胸の内が波立つのを私は感じ取っていた。
『咲良を離せ』
芙蓉は応じない。だが、冷静でもなかった。目は泳ぎ、咲良の首に突き立てた爪も、僅かに震えている。その表情には、怒りでも悲しみでもない、説明のつかない戸惑いが浮かんでいた。
自分の娘を盾にしているという現実。
その矛盾に、芙蓉自身が混乱しているように見えたのだ。
すると、うなだれていた咲良が顔を上げ、こちらに視線を向ける。
安吾と咲良。二人の視線が重なったその時、安吾の鼓動がまたひとつ、跳ね上がる。
咲良は小さく頷くと、枷の重みで震える腕を引き上げ、ゆっくりと服のポケットに手を差し入れ、何かを取り出した。
──あれは……スタンガン?
護身用だろうか。だが、私は知っている。人狼の気を纏った今の芙蓉に、スタンガンなど無意味だ。咲良の意図が芙蓉に気付かれたら、彼女が危ない。
安吾も危険を察知したのだろう。咲良を静止しようと、彼女を見つめ、小さく首を振る。
しかし、咲良は止まらない。彼女は震える手でスタンガンのスイッチを入れた。青白い火花が、スタンガンの先端でほのかに揺れる。咲良は覚悟を決めたように芙蓉に向かって、手を伸ばした。
『よせ!咲良!!』
安吾の叫びとほぼ同時に、咲良は芙蓉の首元にスタンガンを押し当てた。そこから放たれた電流は、あっけなく芙蓉の陰の気に弾かれる。咲良の目が見開かれたのも束の間、芙蓉は咲良を睨みつけた。
だが、怒りに満ちた芙蓉の表情は痛々しいほど、少しずつ崩れていく。そして、一筋の涙が彼女の頬を伝った。
咲良の一撃は、芙蓉の体をかすりもしなかった。
しかし、その衝撃は、芙蓉の心を決定的に射抜いたのだ。
「もう、やめてよ……これ以上」
かすれた声で、咲良が言う。声は怒りを帯びてはいたが、確かな意志と苦悩が滲んでいた。彼女も母を止めるために、命懸けなのだ。
芙蓉は目に涙を浮かべたまま、しばらく言葉を発さなかった。そして、震える唇がようやく僅かに動く。
風に消え入りそうなほど、か細い声。
辛うじて聞こえたその言葉は──。
──無理よ。私はもう、止まれない。
その言葉と同時に、芙蓉は唇を噛む。そして自らの爪で娘の頸動脈を斬り裂いた。
その一瞬、時が壊れた。
まるで映像の一枚一枚が、断続的に再生されていくような奇妙な感覚。咲良はゆっくりと膝をつき、風に散る花のように崩れ落ちた。
鮮やかな血の赤が彼女の首元から広がり、乾いた地を濡らしていく。その赤は私と安吾の視界をも、じわじわと染めていった。




