第148話 統主
鋼がぶつかる音、怒鳴り声。
そんな音が反響する中、私は目を覚ました。
上体を起こし、周囲を見渡す。手から伝わる瓦礫の冷たさと硬さが、じわじわと私を現実に引き戻していく。
ここは?
見覚えのある瓦礫の山。どうやら中央刑務所のようだ。だが、周囲に人の気配はない。
──ドォン!
遠くで爆発音。続いて、鋼のぶつかり合う音が今度ははっきりと耳に届いた。
「焔さん?ヤト!?」
二人の姿がどこにもない。
恐怖と焦りが同時に込み上げた時、数メートル先で見慣れた黒い翼が瓦礫の上に寝そべっていた。
「ヤト!」
私はすぐさま駆け寄り、カラスに戻った小さな体に触れる。どうやら、気を失っているだけのようだ。ホッと息を吐き、私はヤトを抱き寄せる。
「ふああぁぁ~ん」
のんきに大あくびをするヤト。どうやら、私が抱きしめた拍子に目を覚ましたらしい。
「ヤト!大丈夫?」
「あれれ?凪!焔は?」
「わかんない。さっきまで一緒にいたんだけど、はぐれちゃったみたい」
私は顔をしかめ、遠くで鳴り響く音に耳を澄ます。
「とにかく、音のする方に行ってみよう」
私はヤトを抱きかかえたまま走り出す。
そうして一分ほど瓦礫の間を駆け抜けた時、それは突然起きた。
──ゴゴゴゴン!
地響きのような低い音。
私は思わずヤトと目を合わせ、顔を強張らせる。
この感じ、間違いない。ミレニアの罠が作動した音だ。
どうやら、何らかの拍子で仕掛けられていた罠が反応したらしい。
すると……。
──ドンッ!
背後の壁が、爆音とともに崩れ落ちてきた。
「ひ、ひいぃ!」
私は情けない悲鳴を上げて、一目散に駆け出した。
だが、壁の崩壊は想像以上に速い。
──雷閃刀の稲妻で罠を止めなきゃ!
そう思ったが、抜く暇がない。間に合わない。
崩壊がすぐ後ろに迫り、思わず目を閉じる私。その時……。
ザッ─!
突如、風が吹き抜けた。
いや、ただの風じゃない。空気の層を削り取るような、鋭い風だ。
雷閃刀の軌道か?いや、違う。
その風が纏っていたのは、圧倒的な「陰の気」だった。
──強すぎる。芙蓉や、もしかしたら焔さんより……?
直感的にそう感じるほど、今浴びた陰の気は別格だった。
あまりに強く、恐ろしい。威厳すら漂う、禍々しい「統べる者」の気配だったのだ。
私は恐る恐る振り返り、目を見開いた。先ほど崩れかけていた壁が嘘のように静止していたのだ。あの圧倒的な「陰の気」が、瓦礫の奔流を押し戻したのだろう。
だが、安堵する間もなく背筋を冷たい感覚がなぞる。
──誰かいる。私たちの、すぐ近くに。
私はそっとヤトを地面に降ろし、雷閃刀の柄に指を添えた。
連戦に次ぐ連戦。正直体力はもう限界だ。ヤトも似たようなものだろう。
だが、逃げるわけにもいかない。
私は唇を噛み、雷閃刀を一気に抜き、振り返る。
「誰!?」
私は恐怖を押し殺すように、声を張り上げた。ヤトも羽を広げ、赤い光をその身に纏う。
目を凝らし、周囲を警戒する私。すると、薄暗い空間の数メートル先に、ゆらりと影が佇んでいた。肩まで伸びた銀髪が、僅かな光を拾って揺れる。
そこにいたのは、三十代半ばほどの男だった。細身で長身、汚れた和服に、足首と手首には錆びた枷が着けられている。まるで囚人のような出で立ち。その顔が露わになった瞬間、私は息を呑んだ。
表情や目の奥に宿る、毅然とした強さ。
あまりにも似ている。大好きな、あの人に。
──この人はまさか、この人が……!
「安吾、さん?安吾さんですか!?」
「まさか……本当に!?安吾なの!?」
同時に声を上げる私とヤト。男は一瞬、困惑したかのように目を泳がせたが、すぐに静かに頷いた。
「ああ。よくわかったな。SPTか」
「そうです!わかりますよ!だって、だって……」
──焔さんとそっくりだから。
そこまで言いかけて、私は言葉に詰まる。気付くと、視界が涙で滲んでいた。
今この場に、彼がいないなんて。
早く会わせたい。ずっとずっと、彼が会いたかったお兄さんに。
すると、安吾は小さく笑い、目を細めて私を見つめる。
「その陽の気……幸村凪か?」
驚いて、私は瞬きを繰り返す。
「はい!あの、どうして私の名前を?」
「協力者から聞いた。お前のことやSPTの動きを。芙蓉が狙っていた磁場エネルギーはどうなった?」
「さっき壊しました!焔さんと!」
その名を出した瞬間、安吾の瞳が僅かに揺れた。
「焔さん、ずっと会いたがってました。安吾さんのこと、ずっとずっと気にかけて……」
私はつい早口になる。私の横で、ヤトもコクコクと頷いた。感情を抑えきれないのか、小さな翼がふるふると揺れている。
安吾はそんな私たちを見て、穏やかに言った。
「連れて行ってくれるか?焔の元へ」
「もっちろん!」
ヤトがぴょんっと跳ねて、翼を広げた。
「焔ね、今全速力でこっちに向かってるとこ!焦らなくても、もうすぐ会えるよ!」
ヤトの言葉に、私は思わず目を丸くする。
「ほんと!?ヤト?」
「うん!今ね、焔『陰の気』を放ってるから、魂の場所がざっくりわかるんだ。理由はわかんないけど、ここから十キロくらい離れた場所にいる。めちゃくちゃ全速力で走ってるよ!多分、あとニ十分くらいで着くんじゃないかなあ」
「十キロをニ十分で?」
私は思わず吹き出した。
──焔さんの脚力、オリンピック選手レベルじゃん。いや、それ以上……?
「頼りになるな。流石は真の八咫烏だ」
安吾の言葉に、ヤトは得意げに胸を張る。
「えへへ、ありだとう。でも、俺はまだ半人前で──ぴや?」
ふと何かに気付いたように、ヤトは自分の足をじっと見下ろす。
彼の視線を追うと、そこにあったのは──。
──三本の足。
そういえば、真の八咫烏は三本足になるんだっけ。ヤトは自らの足をまじまじと見た後、大きく羽を広げ、トルネードのようにクルクルと舞い上がった。
「ぴやああああああ!?!?足が、足が三本にいぃ……やだちょっと!なんで!?いつの間に!?俺、俺、真の八咫烏になってるうう!?!?」
全力で絶叫するヤト。
一方の私と安吾は、口を半開きにして呆然とする。
そうか。ヤトは覚醒した時の記憶がない。
どうやら、今初めて自分の変化に気付いたらしい。
「うわあああん!!!やったああぁぁ!!凪いいいぃぃ~!!!やったよおお!!」
次の瞬間、ボフッという音とともに、ヤトが全力で抱きついてきた。余程嬉しいのか、私の胸の中でぴょこぴょこ暴れる。
私も嬉しくなり、ヤトの頭と、前に突き出た嘴をわしゃわしゃと撫でた。
「ヤト、おめでとう!さっき大活躍だったんだよ!めちゃくちゃ格好良かったんだから」
「ぴやあああ!嬉しい、嬉しいよおぉぉ……俺、やったよ!焔──」
次の瞬間、ヤトの言葉が止まった。
安吾があまりにも焔に似ていたので、思わず彼に声をかけてしまったのだ。一瞬気まずそうに顔を伏せるヤトに、安吾はにっこりと微笑んだ。
「凄いな、その若さで。おめでとう」
安吾の褒め言葉に、ヤトはぱあっと顔を赤らめた。
「えへへ。ありがとう、安吾」
「良かったね、ヤト」
私がポンっと彼の頭に手を置いた瞬間──。
──カラン。
安吾に着けられた手足の枷が静かに鳴った。
私は安吾を見つめ、静かに問いかける。
「安吾さん、その枷、壊せないんですか?」
「ああ」
安吾は頷き、ゆっくりと口を開いた。
どうやらこの枷は芙蓉が作った特別仕様らしい。
安吾の強大な陰の気を封じ込めるための、特別な封印装置。枷の影響で、彼の陰の気は十秒ほどしか維持できず、連発もできない。
安吾は枷の破壊を何度も試みたようだが、小さな亀裂を入れるのが精一杯だったようだ。
話を一通り聞いた私たちは、安吾の枷の破壊を試みた。
私の陽の気やヤトの詠唱、合わせ技など色々試してみたが、枷はビクともしない。
「俺たちの力じゃ駄目だ。安吾の力で小さな亀裂が入ったってことは、この枷を壊せるのはきっと『陰の気』だね。一定時間、陰の気を放ち続ければ壊せるはずだよ。そして、それができるのは……」
──焔しかいない。
安吾はヤトに向かって静かに頷き、枷を見下ろした。
「もどかしいな。一刻も早く迎えに行かなければならないのに」
「迎え?」
安吾は私を見つめ、うっすらと笑みを浮かべながら愛おしそうにその名を告げた。
「あの強情な……桂木咲良をな」




