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対 -TSUI-  作者: あさとゆう
第九章 最終決戦編
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第146話 共命

 それからどれくらい経っただろう。金属音と風の唸りが途切れなく響く中、私と焔は重力に引き寄せられるように、時紡石の力に身を委ねていた。頭に浮かぶのは、ただひとつ。


 ──十二年前の六月一日。北海道のおばあちゃんの家へ。


 強く念じれば、きっとヤトが導いてくれる。不思議と、そんな確信があった。私は焔の背中に腕を回す。決して離れ離れにならないように。


 すると──。


 ──ドンッ!


 一瞬で景色が反転し、眩い光の中へ放り出された。焔は反射的に受け身を取り、私を支えながら着地した。


 体勢はまるでお姫様抱っこ。


 ばっちり目が合う私たち。当然の如く、頬がみるみる熱を帯びる。


 だが、焔は照れた様子も見せず、そっと私を下ろした。


「大丈夫か、凪」


「は、はい!」


 頬を掻きながら周囲を見渡すと、朝露が漂っていた。柔らかい潮風が湿った空気を運び、懐かしい匂いが胸の奥をくすぐる。だが、おかしい。ヤトの姿が、どこにもない。


「ヤト?ヤト!」


 すると、焔が微笑み、そっと空を指さした。


「心配いらない。見ろ」


 見上げると、空に小さな裂け目ができており、微かに金色の光が漏れていた。どうやら、私たちはあそこから落ちてきたらしい。


「ヤトはあそこだ。確かな気配を感じる」


 私はホッと胸を撫で下ろす。


 そして、焔を見上げて恐る恐る尋ねた。


「あの、ヤトは真の八咫烏になったんですよね?」


「ああ。それに大きな謎も解けた」


「謎?」


 焔はふふんと得意げに笑う。


「君は前に言っていたな。君の心にヤトの御父上、通称『ヤトパパ』が宿っていると」


「はい」


「ヤトパパがいるということは、ヤトママもいる……つまり、そういうことだ」


 ドヤ顔で満足げに笑う焔。


 数秒の沈黙の後、私は盛大にズッコケる。


 どうやら焔は、ヤトの母──弥子がヤトに宿っていることを、大分前から見抜いていたらしい。


「気付いてたなら教えてくださいよ!私、さっき知ってビックリしたんですから!」


「君も気付いていたとばかり。以前君も言っていただろう。ヤトの様子がおかしかった時、『お母さんみたいだった』と」


 そういえば、確かにそんなこと言ったかも。とはいえ、あれはただの例え話。


本当にヤトママがヤトに宿っているなんて誰が想像できるのか。


「さっきヤトが覚醒する前、一瞬だけ別人がヤトに憑いたように見えた。恐らくあれがヤトママだ。ずっと宿っていたんだろう。それはそうと、凪」


「はい?」


 顔を上げた瞬間、焔が私の頬を両手でむぎゅっとつまみ、自らの方へ引き寄せる。


「ふ、ふおおおお……ッ!」


「暴走した陰の気に飛び込むなど、軽率なことをして。全部終わったらお望み通り、山ほどピクルスを食わせてやる」


「ふごっ!?」


 私はギョッと目を見開く。焔は頬をつまんだまま、悪戯っぽく口角を上げた。


「ひひょうえてたんへすね。わたひのほんひんのはへび(聞こえてたんですね、私の渾身の叫び)」


「当たり前だ。そんな可愛く誤魔化しても許さんぞ。覚悟しろ」


 手を離し、にっこり笑う焔。私はじんじんする頬をさすりながら、顔を赤らめる。


 ──今、「可愛い」って言った……?


 その時、焔が唐突に手を差し出した。困惑して首を傾げる私に、彼は穏やかな視線を向ける。


「……何があっても、はぐれないように」


 私は少し頬を赤らめ、小さな微笑みを返した。そしてぎゅっと彼の手を引き、そのまま歩き出す。


「こっちです!」


 小鳥が囀り、柔らかな朝風が舞う。


 向かう先は、おばあちゃんの家だ。


 お母さんやおばあちゃんと手を繋いで歩いた坂道。


 近所のスーパーでお菓子を買ってもらった帰り道。


 妹の真子が転んで泣いた日、おんぶして歩いた道。


 帰りがけによく立ち寄った公園。


 ブランコに揺られながら、たわいもない話をした午後。


 そんな思い出が詰まった道を歩き、ようやく辿り着いた。


 目的地である、「聖所」に。


「ここなんですけど……どうしましょうか。家族は今ごろ、おじいちゃんのお葬式に行っているはずです」


「幸村藍子は日時を敢えて指定した。つまり……」


 焔は窓に近づき、手を添えて引いた。鍵は開いていた。きっとおばあちゃんが開けておいてくれたのだろう。


 私と焔は、音を立てぬよう窓からそっと入る。懐かしい香りがふわりと鼻をくすぐって、思わず顔がほころぶ。


 だが、思い出に浸ってばかりもいられない。急がなければ、皆が帰ってきてしまう。


 私はおばあちゃんの部屋の扉へ手をかけた。軋むような音を立てて開いた扉の先──机の上には、かつて見た光景が広がっていた。


 両腕で抱きかかえられるほどの、大きな木箱。私たちは目を合わせ、ゆっくりとその箱へと歩を進めた。手を伸ばし、木箱に触れた瞬間、私は息を呑んだ。


 木箱が、脈打っている。


 ごく微かだが「生きている」ような感覚が指先に伝わってくる。まるで中に眠る「何か」が、目覚めの時を今か今かと待ち続けているように。


「この木箱。恐らく幸村藍子の実験の産物だ。磁場エネルギーを限界ギリギリのところで制御しているのだろう」


 焔が静かに呟く。だが、その横顔は強張り、額にはじんわりと汗が滲んでいた。


「焔さん?」


「もしこの木箱がなかったら、ぞっとする。まるで爆発寸前の時限装置だ。幸村藍子がこれほど強大な力を隠し持っていたとは。わかってはいたが、実物を前にすると、やはり……とてつもなく恐ろしい」


 彼の顔に浮かんだ緊張の色が、この木箱の力の凄まじさを雄弁に物語っていた。私は焔の手に触れ、彼に向き直る。


「行きましょう、焔さん」


 私は木箱に両腕を回し、そっと抱きかかえる。それから、私たちは家を後にした。向かった先は──海辺。


 おばあちゃんの実家から、歩いてニ十分足らずの場所だ。


 今日はとりわけ風が穏やかだ。頬を撫でる潮風は優しく、波の音だけが静かに寄せては返している。誰もいないここなら、磁場エネルギーを破壊できる。そう思って来たのだが、私はひとつの疑問に突き当たっていた。


 ──これ、どう壊せばいいんだろう。


 考えてみたら、探すのに必死で「どう壊すか」までは考えてなかった。だが、焔はそんな私の思考を見透かしたかのように微笑む。


「凪、私たちは“対なる者”。だからこそ、ここに導かれたのだよ」


「え?」


「さっき、君が瓜生を助けるためにしたことと同じだ。陽の気と陰の気。二つの力は拮抗し、相殺される。空間ごと、無へ還すことができる」


 私はゆっくりと頷き、木箱を持つ手にぎゅっと力を込めた。


 ──トクン、トクン。


 胸の奥まで伝わる鼓動のような音。


 この力は、かつておばあちゃんを長く苦しめてきた「禁断の力」。この静かな脅威を巡って、焔の世界──対の世界は混乱の渦に呑まれた。これがある以上、桂木芙蓉の陰謀は終わらない。


 それを今、対なる者──私と焔が終わらせる。


「凪」


 顔を上げると、焔が真っ直ぐ私を見つめていた。


 迷いも恐れもない眼差し。私はその視線を正面から受け止め、力強く頷いた。


 そして次の瞬間、私と焔は一斉に陽の気と陰の気を放出した。


 一閃。黄金の光が水平線を裂き、波間を貫く。光は一瞬で消え、木箱もまた、跡形もなく消滅した。


 一拍の静寂。


 その後、今後は突風が吹き荒れた。耳元で金属が擦れたような大きな音が響く。私と焔の間に、強大なエネルギーの渦が今まさに現れていた。手のひらを伝う力は、恐ろしいほど不安定だ。


 一瞬の瞬き、ひとつの息遣い。


 たったそれだけのことが力の均衡を壊してしまいそうで──。


 しっかり、しっかり……。


 私は息を殺しながら、慎重にその力を抑えるように手のひらを掲げた。そうして、崩れそうな均衡をどうにか繋ぎとめる。


 すると、徐々に力は薄れていき、耳元で鳴り響いていた金属音も、風も波も、静けさを取り戻した。気付けば、手のひらには何もなかった。ただ、煌めく太陽が、私と焔の間の澄んだ空気を照らしていた。


 私はそっと息を吐いて、焔を見る。彼はまるですべてを包み込むように、柔らかく微笑んだ。それを見て胸を撫で下ろす。成功した。磁場エネルギーは今、完全に消えたのだ。


 ──良かった。


 そう言いかけた時、彼の視線がふと私の背後へと移った。視線に導かれるように、私はゆっくり振り返る。


 数メートル先、波打ち際にひとりの女性が佇んでいた。


 黒髪をきちんと結い、着物の喪服に身を包んだその女性は、私たちをただじっと見つめていた。凛とした、温かさを纏って。


 それが誰かなんて、考えるまでもなかった。


 幸村藍子。


 大好きなおばあちゃんが、そこにいた。



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