騙し討ち
二〇二四年、冬。
以前負った傷もだいぶ癒え、前線への復帰を明後日に控えた俺は、リハビリとして自重トレーニングとランニングを始めた。当然他の隊員は平常通りに基地内を行き交っているので、その邪魔にならない様に比較的起きている人間の少ない深夜にランニングを行っている。
「……よしっ。今日はこのくらいで良いかな」
決めていた距離分を走り終え、流れた汗をタオルで拭きながら一人で呟く。後は自室に戻ってシャワーを浴びて……。なんて考えていると、AAHWの格納庫の前を通り過ぎる。
「ん……?」
その時、格納庫に明りが灯っていた。
こんな深夜に、誰が……何で? と疑問に思った俺は、格納庫の扉を開けて中に入る。やはり明りがついており、その明りの元では中学生くらいに見える少女が、見た事の無い図面と一般的なスナイパーライフル型のAAHWを交互に睨んで何かをしていた。
「……あの、君は?」
流石に関係者ではあるのだろうが、俺は何か少女の事が気になって声を掛けた。
「うおぁッ⁉ ……んだよ、普通の隊員か。アタシ今忙しいから。シッシッ」
「普通で悪かったね……」
その少女は俺の問いかけに心底驚いた様に大きく跳ね、ゆっくりと振り返った。そして俺の顔を見た瞬間大きなため息を吐き、面倒臭そうに俺を追い払う様に手をヒラヒラと振る。
初対面の相手に対して随分な態度だ。しかし見た所中学生ぐらいの年齢だし、こういう感じになる子も居て当然だろう。しかしここはしっかり注意するなり、何をしているのか聞き出さなければいけないだろう。
俺は自分に気合を入れ直して、改めて少女に質問する事にした。
「あのね? 君が触っている兵器は『AAHW』といって、とっても危ない武器なんだ。それは危ないから、俺に渡してくれるかな?」
おれが努めて分かりやすく言うと、少女はとても嫌そうな表情をしてから怒りの声を上げる。
「アタシはAAHWの整備士だ‼」
「ええ⁉」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げ、数歩後ずさりする。いくら何でも、こんな少女が整備士なんて信じられなかった。
「ま……まさかぁ」
「マジだよ。……ホラ」
俺の態度が気に食わなかったらしく、少女は一度舌打ちをしてポケットからカードを取り出し俺に投げつける様に渡す。
「おっとと。これ身分証か。えっと……? 『下永 冴』……下永ってまさか⁉」
何とかそのカードを取った俺は、名前と役割を示すマークを見る。工具のマークが付いているので整備士で間違いは無さそうだが、名前の部分が気になった。
『下永』。この苗字は俺の知っている中だと、ただ一人しか居ない。AAHWの整備、補助パーツの設計・改良をA3から公式に依頼されている人物だ。
娘が居たなんて、聞いたこと無いが……。どういう事だ?
「ああ。そうだよ。……アタシの父親は下永 吉郎」
「やっぱり……。でも、娘が居たなんて、聞いたこと無いけど」
「公表する訳無いだろ? 異能力者に狙われたらどうすんだよ」
俺が疑問を口にしながら身分証を少女——冴に返すと、冴はやや不貞腐れた様子で言う。何か事情はありそうだが、部外者が気軽に触れて良いものでも無いだろう。
「親父に迷惑……かけたくないし」
「……」
「こぉら冴‼ 格納庫に勝手に入ったら駄目だと言っただろうが‼」
あまり深入りしないように、且つ何か冴に言葉をかけようと思考を巡らせていると、格納庫の扉が勢い良く開き、初老の男性が入って来る。
「うわぁジジイ!」
「ジジイとは何だ! 親に向かって‼」
そして迷い無く冴の目の前まで歩いて来ると、その男性は冴を作業台から引っぺがそうとする。
「冴……ちゃん、もしかしてこの方が、その」
「ああそうだよ! このジジイが下永吉郎だ!」
机にしがみ付いた状態で俺の質問に答える冴。すると、今更俺の事を認識したのか、吉郎が冴を離して俺の方を見た。
「ん? ……あぁ、悪かったな兄ちゃん。すぐ部屋に戻るから見逃してくれ!」
思わず身構えた俺だったが、吉郎は意外にも柔らかい笑みを浮かべて頭を下げた。てっきり、気難しい職人気質だと思っていたのだが……。
「い、いえ……。以後気を付けてもらえれば。あ、でも俺にその決定権は」
「——兄ちゃん、気を悪くしたらすまんのだが、一個訊いて良いかな」
「ッ……な、何でしょうか?」
『気の良いオジサン』といった雰囲気の吉郎の様子に呆気に取られていると、俺の目の前まで冴を連行して頭を下げてくる。冴は不満そうに余所を見ているが。
俺が罪に問える訳でも無いので、俺個人は二人を見逃す……と伝えようとすると、吉郎の目付きが鋭くなり、俺の目を覗き込みながら言葉を遮って尋ねて来る。
「『一一・一三』の時、兄ちゃん、現場に居たか?」
「⁉」
「……何で、分かったんですか?」
『一一・一三』。世暦二〇二〇年に起きた、大規模なテロ事件。異能力者保護団体であったハズの『明本』が起こした大事件で、街一つが明本に占拠された。
俺はその街を故郷に持つ……元住人だ。
「兄ちゃんの目の奥にな……張り付いてんだ。地獄みてえな風景が」
「俺の、目の奥……」
吉郎に言われ、俺は瞼を閉じる。確かに、目を閉じればすぐにでも、四年前のあの日の景色が見える。暫くすると、臭いや人の悲鳴まで聞こえてきそうな程、鮮明に。
「——ちょっと待てよ! 兄ちゃん、マジであの日あの街に……那御耶に居たのか⁉」
瞼を閉じているはずの俺の視界で、家族を目の前で失った近所の女性の絶叫が聞こえかけた時。冴が俺に尋ねる。
俺は目を開け、冴を見て答える。
「……ああ。俺は四年前のあの日、那御耶に居たよ」
「なら、何でここに来たんだ? 明本から那御耶を取り戻す為か? それとも明本の奴らを殺す為に——」
「冴ッ‼」
冴が言いかけた言葉を察した吉郎は、咄嗟に彼女の口を手で塞ぐ。
「悪いな、兄ちゃん。コイツは……冴は四年前に、家族を亡くしてんだ。一一・一三の時にな」
冴は答えが聞きたいらしく、吉郎の腕の中で暴れている。吉郎が口から手を離せば嚙みついてしまいそうな勢いだ。
「そう、だったんですか……」
「ああ。だから多分、あんな地獄を見た後でなぜA3に入隊したのか、気になってるのさ。……気を悪くしないでくれ」
そう言って冴の頭を撫でる吉郎と、不満そうだが抵抗せずに撫でられている冴。この二人は、俺には立派な親子に見えた。
「いえ。逆の立場なら、俺も気になると思いますし」
そう言ってから、俺はしゃがんで冴と目線を合わせる。彼女が俺の目をジッと見つめてくる。俺には吉郎程、相手の背景を読み取る力は無い。
だが確かに、冴の目の中に『悲しみ』、『恨み』、『怒り』等の感情が複雑に絡み合っているのが見えた。
「俺は、知りたいんだ」
「?」
俺の言葉を聞いた冴は、先を促す様に俺の目を見つめる。
「あの日俺は、家族も友人も……自分の命以外は全てを失いました。勿論明本は憎いし、どうしたって許せない奴も居て、ソイツだけはこの手で……なんて考えもあります」
「じゃあやっぱり、復讐のためなのか?」
未だに冴の口を手で抑えている吉郎は、冴の代わりと言わんばかりに俺に問う。だが、冴当人は真面目な表情で俺の目を見つめ、黙っている。
「いえ。復讐が目的という訳でもなくて……ただ、知りたいんです。『なぜ、明本はあんな行動に出たのか……もしくは、出なくてはならなかったのか』を」
「プハッ! いつまで抑えてんだクソジジイ!」
「ぐぉあッ⁉」
俺が言い終えるや否や、冴は吉郎の腕の中から飛び出て背後に居る吉郎へ肘鉄を喰らわせて脱出する。肘鉄は見事に鳩尾へ入ったらしく、吉郎は悲鳴を上げると腹を押さえてうずくまってしまった。
「ちょッ⁉ 冴ちゃん何して——」
「うっさい‼ ……ああもう、考えがまとまらない!」
俺の言葉を遮った冴は頭をガシガシと掻きながら、不機嫌そうに唸る。俺は取り敢えず冴の言葉を待とうと考え、吉郎の方に向かう。
「大丈夫ですか、吉郎さん?」
「お、おう……。大丈夫だ。ありがとな兄ちゃん。冴は自分の言葉で物事を伝えるのが苦手なんだ」
「そう……なんですね」
「勝手な事言ッてんじゃねえ!」
俺と吉郎がてきとうな所に座って話し合っていると、冴が言いたい言葉の整理を付けられたらしく吉郎に対して怒りながら話しに割り込んで来た。しかしどこか様子が先程までと違い、何やらモジモジしている。
「……あ、あのさ、兄ちゃん」
「うん」
その理由を察した俺はしゃがんだ状態になり、冴と目線を合わせる。恐らく彼女は俺に言った無神経とも取れる言葉を謝罪しようとしているのだ。
「アタシ……あんまり口が上手くねえけど……ううん。ごめんなさい。事情も知らずに好き勝手言っちゃって。……アタシも整備で頑張るから、兄ちゃんも頑張って」
一瞬言い訳っぽく何かを言おうとした冴は、自分で自分を戒めしっかりと俺に頭を下げて謝罪してくれた。それだけで十分過ぎる。
「うん。頑張るよ。……ああ、それと」
「……?」
思わずクスリと笑ってしまった俺は、冴の頭を撫でてから答え、言い忘れていた事を言おうとする。冴は頭を上げ、俺の方を不思議そうに見ている。
「俺の名前……。笹山弌生っていうんだ。よろしくね、冴ちゃん」
「……おう、よろしくな。弌生の兄ちゃん‼」
俺が名乗ってから微笑むと、冴は調子を取り戻して弾けるように笑った。
翌日。俺は眠い目を擦って身体を起こすと制服に着替えて局長室へ向かった。明日から前線へ復帰するにあたり、俺を他の部隊に割り当てる為だ。
俺が所属していた隊は、全滅してしまったからな。
局長室のドアの前に立った俺は、一つ深呼吸をするとドアの横に付いている端末のボタンを押す。数秒置いて、室内の局長が俺に返事を寄越す。
「入れ」
俺はネクタイを軽く締め付け、ドアを開けるスイッチを押す。
「第三小隊隊員、笹山弌生、入ります」
「うむ」
ドアが開くと同時に敬礼をして名乗り、局長室に入る。そこには真白さんと頼人さんが居た。真白さんは第二小隊が全滅したから、俺と同じで他の隊に配属されるんだろうけど……。
「さて」
思わず横目で二人を見ていた俺は局長の声にハッとして姿勢を正し局長の方を見る。
Anti,Ability,Army……略してA3。その基地の一つであり、最も異能力者との戦闘が激しい基地で局長を務める辻 華樹局長は、その鈍く輝く金色の髪を右手で掻き上げつつ、左手で書類を見ながらほぼ灰になってしまっている煙草を深く吸い込み、蒼い目で俺達三人を見回す。
「貴様ら三人にわざわざ集まってもらった理由だが……。単刀直入に言うと、貴様ら三人に専用のAAHWを与えてやろうと思ってな」
右手の人さし指と中指で煙草を挟み、灰皿で火を消すと、局長は目頭を指で揉みながらサラリと言う。
「専用、ですか。唐突に感じますが……理由を聞かせて頂けますか?」
思わず呆けてしまった俺と真白さんに代わり、頼人さんもやや戸惑いながら尋ねる。局長は左手で持っていた書類の内三枚を取り出し、机に並べて見せる。
「これは……」
俺達はその書類を覗き込む。そこには俺達三人のデータが記載されていた。真白さんは狙撃、頼人さんは指揮、俺は近距離戦……と、それぞれの長所が記載されている。
「それは、貴様ら三人のデータだ。特に頼人。貴様の指揮能力の高さは目を見張るものがある」
資料を見ていた俺達へ、局長は新たに火を付けた煙草を吸いながら言う。煙草の煙は部屋に充満しつつあるが、お構いなしだ。
換気扇のスイッチを切っている……。それだけ外部に漏らしたくない、極秘の話しなんだろうか。
「光栄です」
「しかし、だ」
頼人さんと局長の話しの中で、局長は資料から名簿を取り出して局長室内にばら撒く。
「……ッ」
俺はその名簿を拾い、目を通そうとして気付く。その名簿には——。
「局長、これは……」
「ああ。その通り。その名簿は——」
「殉職者、リスト」
その名簿には、この基地で異能力者と戦って命を落とした隊員の名前が並んでいた。その中には、俺にも見覚えのある名前が幾つか載っていた。
俺が所属していた、第三小隊のメンバーの名前や、それ以前に配属されていた隊のメンバーの名前があった。
「何が言いたいかと言うと、だな。貴様ら三人は異常なのだ。配属された隊の殉職率と、貴様らだけは生き残って来るという事実が」
俺は思わず真白さんの方を見る。あまりに静かすぎると思ったからだ。
案の定、真白さんは俯き、辛そうに瞼を閉じて歯を食いしばっていた。俺は、局長に一言だけでも言ってやりたいと思い、立ち上がって局長を見た。
「申し訳ありません局長。仰っている事は理解できるのですが、もう少し……言い方を考えては頂けないでしょうか。我々としては、そんな事を言われては少々堪えます」
しかし俺の不満の声は、頼人さんに先に言われた事で引っ込んでしまった。
とはいえ真白さんが心配だ。……後で少し声を掛けよう。
頼人さんの言葉に『む……そうだな。すまん』と素直に謝罪した局長は、頭を掻いて気不味そうに咳払いをすると、仕切り直して話す。
「あー……つまり、だな。生還率の高い貴様ら三人に、新型AAHWの試作機を専用機として渡し、データを採る為の特殊部隊を設立したいのだ」
特殊部隊。専用機。試作機……。正直どれも男子としては惹かれる言葉だが、俺はとある引っ掛かりを感じ、手を挙げて質問する事にした。
「お話しは理解できるのですが、整備はどうするのですか? 整備班も増やした方が良いのでは……」
俺からの質問に、局長は『そこなんだが』と前置きをした。それと同時に局長室のドアの外からインターホンの様な音。
「丁度来たか。入れ」
端末のボタンを押しながらそう言うと、ドアが開いて下永吉郎が現れる。
「下永吉郎だ。呼ばれたから来たが……って、兄ちゃんじゃねえか。今日から前線復帰か?」
「いえ、明日から復帰です」
「そうか、明日から……。なあ、今日は一緒に晩飯食わねえか? 冴も喜ぶぜ」
吉郎は俺の姿を見るや否や、明るい笑顔で話しかけてくる。やや戸惑いながら応対する俺を、頼人さんと真白さんは呆けた様子で見ている。無理もない。
A3の隊員で、下永吉郎という人物に興味の無い人間なんて居ない。一度はAAHWについてアレコレと聞きたいだろうからな。
「……という訳で、下永吉郎だ。彼の娘である下永冴と合わせ、貴様ら三人の小隊の整備を担当してもらう」
「下永……」
「吉郎……?」
局長が一つ、わざとらしい咳をして、やや強引に話しを戻し、吉郎を紹介する。頼人さんと真白さんは、少し戸惑っているようだ。当然だろう。
「これからよろしくな」
吉郎は俺達三人の表情を見回して頷くと、親指を立ててそう言った。
それから俺達三人は、個々でタイプの違うAAHWを支給され、翌日の任務についての説明を受け、解散となった。
その日の深夜。
「……弌生か」
俺が、新型のAAHWを少しでも手に馴染ませておこうと考えて格納庫に向かった時、そこには頼人さんが居て、新型のAAHWを分解しているようだった。
「頼人さんも訓練ですか?」
俺が何気無く言って、自分のAAHWを手にして構えたりガンスピンをしているのを見ながら、頼人さんは『そんな所だ』と答える。
「……なあ弌生、このAAHW、何かおかしいとは思わないか?」
俺が素早くリロードをする練習をしていると、やや唐突に頼人さんは俺に尋ねた。
「おかしい、ですか? うーん……」
「『Anti,Ability,Human.Weapon』……つまりAAHWは、異能力者と戦闘する事を前提に設計・製造されている兵器だ」
「そうですね」
俺は新型AAHWのバレルがやたら長い事で若干癖を掴むのに苦労しつつ、頼人さんの言葉に耳を傾ける。
「だが、俺達A3は異能力者に対し、戦力的にはやや遅れをとっている。何故か分かるか?」
「異能力者は、身体能力と治癒力が異常に発達しているから、ですよね」
少しずつ手に馴染んで来たAAHWの、硬く冷たい感触を確かめながら俺は横目で頼人さんを見る。彼は真剣な表情で新型AAHWと仕様書を見ながら分解を進めている。
「その通り。……そしてAAHWは、人体とプラグを直接繋ぐ事で異能力者に近い身体能力を得る事が出来る。……だがこのAAHWは、再生力まで異能力者と同じラインに引き上げるんだ」
「再生力も……ですか。それが何か、問題でも?」
AAHWを元あった場所に戻し、軽く伸びをしながら尋ねる俺に、頼人さんは若干言い難そうにしつつ答えた。
「攻撃力、身体能力、そして再生力。……これら全てが異能力者と同じラインに引き上げられるなら、AAHWを装備している時の俺達A3隊員と異能力者は、何が違うんだ?」
「……⁉」
俺は思わず絶句し、頼人さんを見る。彼にとってもまだ確証どころか確信すら無い疑問なのだと思う。しかし俺にこの話しをしたという事は……。
「俺はA3の裏を調べる。……何も無いかもしれないし、何も無いに越した事は無いけど、調べずにはいられない。だから」
頼人さんはAAHWのパーツを可能な限り分解し、何も出なかったのを見て安堵の息を漏らした後、俺を見た。
「だから……何かあったら、頼む」
「『何かあったら』……って、何があるって言うんですか! それに調べるって言ったって、一人じゃ限界が」
「あぁ、それは大丈夫だ。付き合ってくれそうな知り合いが一人居る」
「ッ……」
俺の二つの質問の片方にしか回答してくれなかった頼人さんは、大きく伸びをしてから分解したAAHWを組み立てだした。
何となく、頼人さんはそれ以上の追求には答えてくれなさそうな気がして、俺も頼人さんも黙った。俺は格納庫を後にした。
その後、吉郎に招かれた通り一緒に食事をし、自室で風呂に入ってからベッドに倒れて眠った。
翌日。俺達三人はそれぞれ決めていた距離を互いに保ちつつ、つい最近確認された明本のアジトと思われる廃ビルに赴いていた。
特殊部隊の初出撃だが、迷彩柄や戦術的な服装ではなく、薄汚れた一般的な服装で、だ。少し遠くのビル屋上には真白さんがスナイパーライフル型のAAHWを構えており、俺から数百メートルの距離を保った頼人さんが、物陰に隠れながら付いて来ている。
『俺達の接近に気付いた明本の連中が警戒して、先制攻撃を仕掛けてこない様にする為』と局長は言っていたが、そう上手く行くだろうか?
「そこで止まって下さい! あなたはどこから来たのですか?」
そして廃ビルの足元に来た瞬間、儚げな印象を受ける美少年が、俺に問いかける。
その手の愛好家たちが好みそうな見た目と、しっかりした意思を感じる瞳。そして小奇麗な身なり。もしかしなくとも裕福な家の出身だったのだろう。
言葉遣いにもどことなく品を感じる。……だが、彼の膝から下には鋭い棘の様な何かが生えている。異能力によるものだろうな。
「私はつい最近異能力に目覚めた者です! A3に行けばどんな目に遭うか分からないので、明本の皆様に保護して頂きたいのです!」
頼人さんが考えた言葉を一字一句違わず大声で喋りながら両手を挙げ、敵意が無い事をアピールする。
少年は俺達二人を見つめてから目を閉じ、何かを考え、再び口を開いた。
「良いでしょう。まだスペースに余裕があるので、そちらにご案内致します。どうぞ中へ」
人の良さそうな笑みだ。人を騙すのはやはり気分が良くないが、これも任務であり、俺が俺の目的を達成する為に、しなければいけない事だ。
「助かります!」
俺も努めて裏表の無い人間を演じつつ、少年に案内された通りに建物の中に入る。
既に俺の正体に気付いていて、誘い込もうとしているのかもしれないが、それならそれで頼人さんと協力しつつ、脱出して出て来た奴等を真白さんに狙撃してもらえば良い。
建物の中は案外綺麗で、それほど埃っぽくも無く過ごしやすそうだ。人が暮らしているのだから当然化もしれないが。
「棘原 小越と申します。あなたは?」
「笹山 弌生といいます。よろしくお願いします、小越さん」
俺が周囲を見回していると、先程の少年がやって来て軽く頭を下げた。俺もそれに倣い、名乗って頭を下げる。
……よく見れば、小越の奥、上階へ続いているであろう会談の近くに数人、異能力者が立っている。彼らは警戒心剝き出しの表情で俺を見ている……いや、睨んでいる。
「あの……あの方達は?」
「ええ……すみません。あまり他人を信用しない方々なんですよ。事情は伏せさせて頂きますが、僕は彼ら彼女らを信頼していますよ」
小越は振り返って苦笑いしながら答える。その表情は嘘を吐いている様には見えない。
……相手の能力を確認しておくか。俺はそう考え、何気ない感じを装って尋ねてみる事にした。
「……そういえば、小越さんの能力は、その棘のような物なんですか?」
小越が質問に応えようと口を開く。少し素直過ぎる気もするが、俺達にとっては好都合だな。
「僕の能力は——」
小越の言葉を遮り前に出て来る少女。見た所高校生くらいだろうか。
俺に対して敵意すら向けてきている彼女は、鋭く俺を睨み付ける。
「それに答える必要あんの? それなら先にアンタの能力教えなよ」
ブラフはやめておいた方が無難だろう。変に取り繕うとボロが出かねない。ここは誤魔化しておくか。
「いえ、そうですね。すみませんでした。異能力者にとって異能力は生命線。詮索すべきじゃありませんでした」
俺の謝罪に満足したのか、少女は鼻を鳴らして下がろうとする。だがそれを制止した小越は少女に軽く注意をした。
「ふん」
「そ、そうですか……。けど二偽さん、そんな風に当たっては良くないですよ。仲良くしましょう?」
「分かったわよ。でも、アンタが初対面の相手を信頼し過ぎなのよ?」
二偽と呼ばれた少女と小越の様子から、何となくの信頼関係が見えた。恐らく小越はこのアジトの長か、それに近い立ち位置に居るのだ。
となれば、彼女やその他の連中は、小越を人質に取られれば抵抗しにくくなるはずだ。それか頭である彼を最初に殺してしまって混乱させるか……?
そんな風にグルグルと思考を巡らせていると、横から小越が話しかけてくる。
「それじゃあ弌生さん、あなたの部屋に案内するので、付いて来て下さい」
確かに。彼には些か警戒心が足りていない様に見えるな。
「はい。お願いします」
俺と小越は他愛の無い話をしながら上階に上がり、小越は俺が部屋として使って良いスペースに案内してくれた。外もよく見える窓際だ。俺は外の空気を取り入れる為、古びた窓ガラスを開ける。
真白さんの待機しているビルからも良く見えるだろう。
……俺はふと、小越に『一一・一三』の事を質問してみたくなった。彼は四年前のあの日、あの街に攻め込んだのか。
もし明本として街の侵略に参加していたのなら、何故そうする事になったのか、聞きたかった。冷静でいられる自信は無いが、それでも。
それは、俺がA3に入隊した理由だから。
「あの、小越さん」
「『小越』で良いですよ。何ですか?」
やめてくれ、そんなにこやかな視線で俺を見ないでくれ。俺はこの後、君達を……このアジトに攻め込もうとしているんだよ。
そう思う自分と、『当然の報いだ。四年前のあの日、俺達はもっと酷い目に遭ったのだから』と思う自分で思考が分離していく感覚を覚えながらも尋ねてみる。
「……小越。君は四年前の事件を知っているかい? 世間では『一一・一三』と呼ばれている事件だ」
俺の問いかけで、小越の心にどんな衝撃が走ったのかは知らない。しかし彼は俺の問いに対して、暫く黙り込んでしまったが、細く息を吐き答えた。
「ええ。知っています。あの時、僕もそこに居ましたから」
次の瞬間、俺は無意識の内に新型のリボルバー式AAHWを一丁だけ、左腰のホルスターから取り出して小越に向けた。
だがそれとほぼ同時に、小越は右腕の先から棘を生やし、先端を俺の喉元に突き付けていた。
当然俺は動けない状況に我に返る。
小越は先程までと打って変わって冷徹な瞳で俺を見つめた。
「……ッ」
「それはこちらのセリフです。A3の方。あなた達A3は、僕達異能力者を弾圧しています。それも、『A3』という名の付いていない時期……僕達異能力者が現れた直後から。何故です?」
——何? 確かにA3は異能力者を弾圧してはいる。してはいるが、それは異能力者の出現から数年以上経過してからのハズだ。
俺はAAHWの引き金を少しずつ引く。それに合わせて撃鉄がギリギリと下がって行く。
「どうやら、君には聞かなきゃいけない事がある様だ」
「それはこちらのセリフで——ッ⁉」
俺のAAHWから弾丸が発射されるよりも早く斬ろうとしたであろう小越は、膝を一度曲げ——そして、右方向からの強烈な衝撃を受けて横向きに倒れた。
「……だからすまない。作戦を開始させてもらう」
俺は右手に持っていたAAHWのグリップ底面を使い、裏拳の要領で困惑している小越の顎を横から殴り付けて気絶させた。
小越の両脚の膝より少し上の部分は、無理矢理引き千切られた様なグチャグチャの断面で切断され、皮下組織が露出している。間違い無く真白さんの狙撃だ。
俺は両腕に持ったAAHWの状態を目視で確認し、大きく深呼吸する。
すると、階段の方から慌てた様子の、女性の声がする。
「小越くん⁉」
「君か。……確か二偽さん、だったかな」
俺は、二偽と呼ばれ、つい先程小越と親し気に話しをしていた少女に対し、撃ちかけていた方のAAHWの銃口を向け、発砲した。
「お前ッ‼ お前が——っ⁉」
『ズガン』と一発の銃声。それとほぼ同時に少女の右肩には銃創が空く。
その痛みに怯み、目を閉じて右肩を左手で押さえた少女の隙を突いて俺は数歩走りつつ、左でナイフを取り出して順手持ちする。AAHW等ではなく、ごく普通のナイフだ。
そのナイフを、痛みで意識が逸れたままの二偽の左肩にナイフの先端を突き刺す。
『ブチブチ……ガキャッ』という嫌な感触と、肉等の柔らかい物を貫通して骨にナイフの刃が突き刺さる音がする。嫌な手応えがした分、彼女への攻撃が成功したという確信が得られた。
既に銃声はしているが、階下からの応援は来ない。その代わりに聞こえて来るのは、複数の銃声と悲鳴。そして何らかの液体が噴き出し、流れを作る音。
俺は湧き上がる罪悪感から目を逸らし、痛みで叫び声を上げそうになっている二偽の口
へ、右手のAAHWの銃口を差し込む。
「ああッ……⁉ ぁがっ」
「君達二人を拘束する。抵抗できると思うな」
俺のその言葉で、二偽は階下がどうなっているのかを察したらしい。彼女の立ち位置だと、階下の様子が見えたのかもしれない。
俺は頼人さん、真白さんの二人と合流し、小越と二偽には応急手当てをしてから拘束。行きとは違い基地に無線を入れて迎えを寄越して貰って基地に帰投した。
戦果としては、大勝利だ。
……ただ、小越が舌を噛み切ろうとしたり、二偽が大声を上げて泣いたのには、参った。