7. 母の企み
仕事と捜索に明け暮れる前伯爵に対して、待てど暮らせど帰ってこないチェルシーに母親である前伯爵夫人は嫌気が差していた。
娘を心の底から憎んではいないが、自分の時間が塗り潰され生活がチェルシーによって崩壊させられるような錯覚を覚えた。
彼女は侯爵家の生まれだったが特段恵まれてるとは思っていなかった。
兄弟は六人だし弟妹は嫌いではないが次女だから面倒を見ろと子守を押し付けられ不満だった。これで親の愛情や期待が寄せられていれば多少は満足できたが、上には長女どころか長男までいて勝ち目がなかった。
だから彼女は自分を一番に愛し守ってくれる人を欲した。
親の政略も打算もなく一途に自分だけを見てくれる人と家族になりたかった。
夫に愛され、子供に愛されることで初めて幸せな家庭を築ける、そう信じていた。
だが夫は愛をくれるが娘チェルシーの愛はさっぱり伝わってこなかった。
昔は『お母様大好き!』と言っていたが年を追うごとに減っていき生意気なことを言うようになった。それに泣けば許してもらえると思っているところがあってとても苛々する。
その点ドロシーは無垢なもので『お義母様!』『お義母様!』と頼ってくる姿が愛らしかった。娘とはこういうものよ、とお手本としてドロシーを近くに置いたのにチェルシーはひとつも学ばなかった。
ああ我が儘で愚かなチェルシー。
わたくしが家族を大切にするいい母親だからどんなに愚かでも絶対に見捨てられることはないとタカを括っているのね。だから家出なんてバカなことができるのだわ。
まったく、今まで放っておいてもらえたのは母の優しさだというのに。
母のわたくしが娘の居場所を知らないとでも思ってるの?どうせ乳母のところに隠れているんでしょう?
あの女は義母が雇ったスパイでチェルシーに殊更媚びていたことはわかっているのよ?
聞こえのいい甘言しか聞かないバカなチェルシーはあっさりあのスパイを信じてしまった。あの子がわたくしに反抗的になり、関係を引き裂いたのもあの女のせいに決まってる。
ドロシーの新婚生活を邪魔されても困るから放置してあげていたけど王妃様に言われたからもう潮時ね。
そう思い威圧的な手紙を出し、使用人を迎えに行かせたら『ここにはいない』という返事が返ってきた。チェルシーとは義母の葬式以降会っていないという。
たしかに義母の葬式の時に『教育に悪いからもう会わないでほしい』と圧力をかけたが、そんなことチェルシーが守るはずがない。
絶対にいるはずよ!と何度も連絡したが返ってくるのは『ここにチェルシーはいない』という返事だけだった。
そんなわけない。わたくしには確信があるの。
だってチェルシーは病気や素行の悪さを理由にしてまともに外に出したことがなかった。
夫からドロシーを宣伝するように言われていたしこんなことになるまではドロシー、もしくはドロシーの子供をポッドホット家の当主にすると決めていた。
ひとつでも多くお披露目するためにチェルシーへの招待状もドロシーに回していたのだ。だからチェルシーには知り合いも友達も作る機会すらなかったはずだ。
学園だって名前すら覚えてもらえていないだろう、というくらい交流させなかった。
そしてなによりチェルシーは生活能力がない。部屋の掃除くらいはできるだろうが洗濯も料理もできずお金すら持っていない。だってなにもできない令嬢だから。
だから頼るとしたら乳母の家以外ありえないのだ。
それなのに、チェルシーがいない?
信じられなかった前伯爵夫人は探偵を使って調べた。前伯爵に言ってもいいが話してもし本当にいなかったら文句だけではすまない気がした。
彼は王妃様や公爵二人の前で辱しめられたことが堪えているようでここずっとピリピリしている。元使用人の家でも醜聞を晒せばもっと機嫌が悪くなるだろう。
騎士の夫は生真面目だがプライドが高く短気なところがある。他人が殴られるのはいいが自分は殴られたくなかった。
絶対乳母の家にいると信じて待つこと数週間。確実な答えを書類で貰った夫人は愕然とした。
チェルシーは乳母の家にいなかった。乳母の親類や学園に通っているという孫達も調べてもらったが、チェルシーの気配すらなかった。
「なんてこと……じゃあ、まさか、チェルシーはもう、」
死んだのでは?と考え卒倒した。
そしてベッドで何日か寝込んだ夫人はこう考える。
やってられないわ。
いないのならしょうがないじゃないじゃない。
遺体が出てこないってことはきっと生きてるってことよ。どんな惨めな生活をしているかは知らないけど、生きてるならそれでいいじゃない。
チェルシーが好きにして好きに死んだならわたくしだって以前のように自由に過ごしたい!
だってお茶会やパーティーに参加したい!行きたかった観劇も我慢していたのよ?母親として十分やったわ!そんなことを考えた。
そこで名案を思いつく。
冷静な頭があれば絶対に選択しない迷案だ。
「ねぇドロシー。あなた、チェルシーになって学園に行きなさい」
こっそり二人きりで内緒話をするように顔を近づけた前伯爵夫人はニヤリと笑った。
あんな拙い変装でチェルシーはドロシーとしてやっていけたのだからドロシーだってやれる。そんなありえないことを思いついた。
前伯爵夫人はチェルシーが王女を救ったことは知っていても、チェルシーのことを正しく見ていなかった。前伯爵のように暗闇で王女なのかチェルシーなのか見分けがつかなかったんだろうくらいにしか考えていない。
十歳の子供が体を張って暴漢から王女を守りきったのだという想像力はなかった。
また変装が完璧過ぎて誰も見分けがつかなかったため、チェルシーがわざと質を落としていたことを前伯爵夫人は知らなかった。
ドロシーはドロシーでつい最近までチェルシーが自分の身代わりで学園に通っていたなんて知らなかった。
成績がいいのは自分の生活態度が良かったのだと本気で信じていた。
もしくはあまりにも自分が美しいから甘く点数をつけることでドロシーの気を引きたいとか、ドロシーに一目惚れした教師が『ドロシー様は将来王妃様になるのだから』と点数をかさ増ししてくれたのだとか考えていた。
ゆえにドロシーは渋った。
なんで美しくて崇高なアタシがチェルシーなんかにならなきゃならないの?と。
自分とチェルシーの容姿には雲泥の差がある。
顔は言わずもがな。華やかで美人顔のドロシーに対して不細工ってほどではないが地味でパッとしないのがチェルシー。
体型だってドロシーは胸もお尻も大きく男が理想とする体で、チェルシーはヒョロガリの子供体型。
細ければパットを入れて誤魔化せるだろうけど、逆はありえない。そんなチェルシーになれだなんて侮辱としか思えなかった。
なにより勉強するために学園に行きたくない。
そう言い返したが前伯爵夫人は問題ないと嗤った。
「あの子の顔も姿も知ってる者なんていやしないわ。一年で変わる子は変わるし授業にもほとんど出ていないからきっと大丈夫よ」
そういえばそうだった。どうせ友達もいないよね、と思ったらできなくはないのかな?と思い直し、勉強しなくていいなら行くわと答えた。
王妃の采配で退学から休学に変更されたことをいいことに、ドロシーはチェルシーとして復学した。
最終学年だから育ちの良さも誤魔化せるだろう。
見た目よりも成績よりもチェルシーが生きていてポッドホット家に帰ってきたことが大事だった前伯爵夫人は、ニコニコとチェルシーに変装させたドロシーを送り出す。
その変装は黒髪のカツラに地味なメイク、大きな目を隠すために眼鏡を着用した。
本気で似せるならもっと弄る必要があったがドロシーが頑なに拒否したため『地味な誰か』になった。
そんなドロシーを危惧してか、もしくは罪悪感があったのか前伯爵夫人は『学園では絶対にドロシーとバレてもいけないし、カツラを脱いでもいけない』と釘を刺す。
ドロシーは軽く答えて出発した。
この行動がどれだけの被害をもたらすのか、二人は想像もしていなかった。
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