5. 舞台裏(2) ※親お仕置き
「まあまあ、シャノワイル公爵。そのように殺気を向けられては萎縮して話もできなくなりますよ」
「……これは失敬。あまりにも非人道的な扱いに熱くなってしまいました」
王妃様にもお詫び申し上げます、と公爵が謝罪すると彼女は寛容に頷いた。
「だがこれで納得しました。どうしてチェルシー嬢が誘拐されたのか。どうして他のご令嬢と違い捜索願いが出されていなかったか。
そのお陰で我々の子供達が助かったわけですが、チェルシー嬢を想うと親として心が痛みます」
「そうね。醜聞を避けるために公表していない家もあるけど、無事に解放された連絡を受けた時、我先にと家族が迎えに来たことを今でも覚えています。
そして一人で帰った彼女のことも。もっと気にかけてあげるべきでした」
想いを馳せ肩を竦める二人に、前伯爵夫妻は驚愕し叫んだ。
「?!チェルシーは、誘拐されたのですか?!」
「嘘でしょう?!身代金なんて家にはありませんわ!」
二人のその反応にシャノワイル公爵は侮蔑を浮かべた顔で睨み、口髭を生やした紳士はやれやれといった顔で溜め息を吐いた。
二人が話していたことは今の話ではない。そして前伯爵夫妻も覚えていて当然の記憶だ。
七年前、この国の王女が誘拐された。それは王女だけではなく魔力が強い貴族の令嬢が狙われたものだった。
犯人は西の端にあるムリール国の異教徒集団で、目的は聖女または聖人の異世界召喚だった。貧困に喘ぐムリール国が起死回生を狙って異世界人の召喚に踏み切ったのだ。
しかし召喚するには大量の魔力、若い生命力が必要だとされてきた。全国民を使っても足りないと思ったムリール国は諸外国の貴族令嬢を使うことにした。
男は跡継ぎの可能性が高いが女ならそこまで問題にならないだろうという下賎な考えもあったという。
自国で誘拐された令嬢は十二名。いくつかの馬車に分けて移動し撹乱を謀ったが、国境を越える前に騎士団及び動ける兵が異教徒達を捕縛または成敗している。
王女を含めた令嬢全員の命と身柄は騎士団によって守られたと公には語られているが、いち早く王女を救出したのは同じく誘拐された令嬢だということが王家と救出した関係者などから調書が取れていた。
それがチェルシー・ポッドホットだったというのは後になってから発覚したため、当時大々的に報じられることはなかったが内々に褒賞が与えられている。
しかしポッドホット前伯爵は『当然のことをしたまで』と言って丁重に褒賞を断っていた。
一部からは殊勝な心掛けだと称賛されたが単に事態を正しく把握していないだけだった。
身に覚えのない褒賞が何かの陰謀かと勘繰って返しただけで後悔したし、チェルシーが誘拐されてたこともその時まで知らなかった。
見知らぬ馬車で帰ってきたチェルシーを『人様に迷惑をかけるな』と叱りつけ叩いてわからせてやったが、大変だったなと労ることはなかった。
怪我もなかったことからきっと目立たないところに隠れていて、誰かが王女を助けた際にちゃっかり便乗したのだろうくらいの認識しかなかった。
ゆえに未だに叩いたことを謝っていない。
夫妻はチェルシーと事件についてほとんど話をせず情報共有もないまま箝口令が敷かれたためポッドホット家ではチェルシーが誘拐された事実は『なかった』ことにされた。
そこから自分を守れるのは自分しかいないという意見を持つことも、表情が枯れるのも当然の結果なのだが、夫妻は娘の度が過ぎた反抗期と見定め強く教育するようになった。
称えられてしかるべき娘を堂々と切り捨てたと宣言する夫妻に口髭を携えた公爵が問う。
「身代金よりも娘の命の方が大事なのでは?」
「お言葉ですがポッドホット伯爵家に余裕はないのです!学ぶ気がない者のために家の大切なお金を捨てる方が間違っていると思いませんか?」
「おい!余計なことを言うな!!」
「本当のことを言って何が悪いの?!あなただって悪いのよ?!わたくしに隠れて愛人に大金をつぎ込んでいるでしょう?!知っているんですからね!」
「ふざけるな!!愛人などいないと散々言っただろう?!それに大金とはなんだ?!そんなものがあるならボイル殿下の部屋の内装費に回せば良かっただろうが!」
「あれよ!金庫に入っていたあの大金よ!!」
「はあ?!あれは、チェルシーの支度金で………その大金がなんだと?!」
大金、金庫というワードに前伯爵はその大金がなんなのか思い出し焦った。
「え?チェルシー?なんで?……だったら学園を辞めさせる必要なかったじゃない」
「バカを言うな!あれはトゥルネゾル辺境伯がチェルシーの結婚支度金として渡されたものだ!あんなことがあって返すに返せず仕舞っていたのだ!それがないだと?!本当なのか?!」
「え、ええ……」
前伯爵夫人の言葉に前伯爵は真っ青になった。
辺境伯から渡された支度金はかなりの金額だった。なぜこんな大金をチェルシーなんかに?と不思議に思うほどの額で誰にも言えず金庫に仕舞っていた。
それが顔合わせの時の失態で破談となり家にも接近禁止命令が出ていたため返すに返せないままだった。
もしその支度金を全額返せと言われたら今の仕事を十年は無休で働かなくてはならない。
そんな大金が消えた?誰が使った?!と責めれば前伯爵夫人は知らないと叫んだ。なら元男爵夫妻か?!と睨むとこちらも知らないと言う。
ならばチェルシーが勝手に持ち出し、出て行ったのでは?と元男爵が答えると、
「元男爵の平民風情が伯爵令嬢のチェルシー嬢を罵るとはいい度胸だな。不敬罪で引っ立ててあげましょうか?」
とすかさずシャノワイル公爵に脅され元男爵は萎縮した。
「……そういえば、ドロシーがどうしても結婚式で身につけたい宝飾品があるからと金庫の鍵がどこか聞きに来てきたわ」
「教えたのか?!」
「い、いいえ!教えていないわ!でも、いつだったか業者が来て、その業者が上機嫌で帰って行ったわ……」
断片的な情報を呟きながら前伯爵夫人の顔色がどんどん悪くなり蒼白になった。
「わ、わたしも鍵がどこにあるか聞かれて、お兄様が肌身離さずお持ちだと答えた気が……」
とどめに元男爵夫人が落ち着きなく目を揺らし大量の汗を吹き出させていた。
「要するに、チェルシー嬢が家を出て行った後、ドロシー嬢は金庫の鍵のありかを前伯爵夫人と元男爵夫人に聞いた。
自分では開けられないと知ったドロシー嬢は業者を呼び金庫を開けさせた。業者が上機嫌だったのは金庫の中身をチップ代わりに渡したのでしょう。何せ大金ですからね」
「そんな!ドロシーにそんなこと教えていません!!知ってるはずがない!」
前伯爵は叫んだが、目を泳がす元男爵に王妃が聞くと以前酔った際に金庫に大金が入っているのをチラッと見たことがあるとドロシーに漏らしたのだと白状した。
ついでに『ポッドホット家を継げばあの金庫の金も全部ドロシーのものだぞ!!』と酔った勢いで宣い、ドロシーはその言葉を鵜呑みにしたのでは?という答えに辿り着いた。
「お前はなんてことを!」
「だ、だって、そんなものだとは思わないじゃないか!」
たとえ家のお金でもドロシーが勝手に使っていい理由にはならないのだが、親達は『盗むことは悪いことだ』と教えてこなかったらしい。
「それで、ドロシー嬢は何を買ったのですか?」
「………レースに宝石が縫い付けられた、ウェディングベールだと思います。あれだけは購入したことすら誰も知りませんでした」
ボソボソと答える元男爵夫人は泣いていた。貴族の家には代々ウェディングベールを受け継ぐ風習がある。
次の世代の妻に渡ることで繁栄と絆が約束されると信じられてきた。そのベールを元男爵夫人は娘のドロシーにも被ってほしかったのだろう。
だが彼女が選んだのはミルキーウェイと言われた夜空の川をモチーフにした一点もので法外な値段のウェディングベールだ。
「王家でも躊躇するとんでもない高価なものを誰が買い上げたのかと思ったらこんな近くにいたのね」
扇子を広げた王妃は不憫そうに夫人を見遣った。
いくら古臭いであろうウェディングベールを嫌ったとしても、結婚式を人生で最高の日にしたいとしても、それだけのために家を傾かせるほどの買い物など考えなしにもほどがある。
しかも人の家の金庫を開け、チェルシーの支度金が勝手に使われたのだ。立派な犯罪に王妃は頭を痛そうに押さえた。
「待ってくれ。あれはボイル殿下がプレゼントしてくれたものかもしれないだろう?」
「それはありえません」
前伯爵の言葉に王妃はきっぱりと答えた。
ボイルの個人資産はパズラヴィア侯爵令嬢への慰謝料ですでに底をついていてウェディングベールを買える予算などないのだ。
側妃も自分の息子の結婚式を欠席するほど不満に思っているからご祝儀を渡すこともない。
ゴゴホット男爵家の没落の次はポッドホット伯爵家の没落が脳裏を過る。
突きつけられた現実に四人は表情をなくし呆然とした。
「あなた達の大切な娘はどうでもいいの。それよりもチェルシーさんがまだ見つかっていないことは理解しているわね?そのことについてがもうひとつの用件になります」
聞きなさい、と言われ四人は怖々と王妃を見つめた。
「このままチェルシーさんが見つからないのであればポッドホット家は当主不在として取り潰しになります」
「なっ?!」
ぎょっとした前伯爵が真っ青な顔で叫んだ。
「当然でしょう?あなた達はすでに引退しているしチェルシーさんは退学によって後継者を辞退、前伯爵夫人は親権を放棄しました。
ボイル殿をドロシー・ゴゴホットの夫とするならばポッドホット家ではなく没落したゴゴホット男爵家に婿入りしたことになります。
ポッドホット伯爵家当主はチェルシー・ポッドホットとなるためボイル殿に当主としての資格はありません。血が繋がっていないのだから当然ですわね。よってポッドホット家はお取り潰しとなります」
没落の二文字が現実になったと四人は悲鳴を上げた。
「ど、どうにかできませんか?!私が当主に戻れば」
「わたくしに言われても困るわ。それを許可できる立場ではないもの」
陛下か宰相、貴族院にでも聞いてみて?と言われて前伯爵は愕然とした。
ドロシーとボイルを結婚させて華々しい未来が待っていると思っていたのにこれでは地獄じゃないか!
没落を免れるにはどうしたらいいか王妃に泣きつけば「そうねぇ、」とどうでも良さそうに斜め上を見上げた。
「チェルシーさんが見つかって、且つあなた達の元に戻りたいと言うのならポッドホット家を取り潰さないかもしれないわ」
「ほ、本当ですか?!」
「ええ。チェルシーさんはわたくしの娘の恩人ですし、知らぬ間に生家がなくなれば悲しむかもしれないわ。あの子が望むならわたくしも助力を惜しまないつもりよ」
にっこり微笑んだ王妃に前伯爵達は助かった!と喜んだ。
裏を返せばチェルシーが望まなければポッドホット家など潰れてもいいと言っているのだけど四人は気づかない。
王妃からすればこの四人もいらぬ存在だと思っているのすらわかっていなかった。
「まずはチェルシーさんを自分達の足で探しなさい。捜索願いが出されたのも前伯爵が狩猟シーズンから帰ってきた数ヶ月後だったでしょう?
捜索を人任せにして何もしてこなかったのだもの。家族が探していると周りにも見せるべきだわ」
そうすればチェルシーさんの方からやってくるかもしれませんし。
そう優しく諭してやると名案ですね!と父親達が持て囃した。
すでに一年経っているのにまだ見つからないということは国外に出奔したか、絶対に見つかりたくないと潜伏したか、最悪の場合儚くなってしまったかだ。
国外に伝手がない前伯爵が捜索するには多大な出費が予想されるし、潜伏している場合彼らがチェルシーを見つけることは不可能だろう。
最後の場合は没落にとどまらず監督不行き届きで夫婦は収監される予定だ。
ここまで出遅れた捜索はとんでもなく難儀するだろう。
そのつもりで吹っ掛けたのだが彼らの表情は明るい。容易に見つかると楽観的に考えているのか他に打開策を考えているのかわからない。
今年の大寒波を挟んで無事でいられると信じてるならチェルシーを人とは思っていないのだろう。
「でしたら!でしたらドロシーも一緒に探させてください!!」
「………は?」
何をするつもりかしら?と眺めていたら前伯爵夫人がバカなことを言い出し思わず低い声が出た。
「チェルシーはドロシーをとても慕っていて、二人は本当の姉妹のように仲が良かったのです!チェルシーがいなくなってドロシーはずっと心を痛めていましたわ!
ドロシーが探していると知ればチェルシーも喜んで出てくるでしょう!
チェルシーのためにもドロシーをわたくし達にお戻しください!!」
ドロシーを牢から出せ、罪は問うな。命令さながらの言い分に王妃の顔が引きつり他は怒りを通り越して不気味なものを見る目で前伯爵夫人を眺めた。
「………………約束はできないけれど、話だけはしておくわ。期待はしないでちょうだいね」
なんでこの愛情を本当の娘に向けられないのかしら?理解できないわ、と思いつつ告げるとドロシーがどれだけ美しく、聡明で伯爵夫人として相応しいか説明しだしたので控えていた騎士に目配せして追い出させた。
「………どうしたらあそこまで他人の子に固執できるのかしらね?人の娘にそこまでする価値なんてあるのかしら?」
前伯爵夫人はチェルシーを探すフリをして元の生活に戻るつもりなのだろう。期間を設けなかったから延々と探したフリをしていれば逃げ切れるとでも思っているかもしれない。
浅はかな考えに溜め息を吐く。
「魅了も考えましたが、本人に会って話し、調べてもそんな能力はありませんでした。ただ見た目は弄っているようで、前伯爵夫妻はそれを良しとしているようです」
「本人に弄った自覚がなければまた騒動を起こすでしょうね。確実に彼女の見た目は遺伝しませんから」
「前伯爵夫妻があの見た目を後継に残すために引き入れたとしたら間違いなく大騒ぎするでしょうね」
王家の政略を壊し、貴族牢に入るような荒唐無稽な女を次代に残すなどありえないというのに何を勘違いしてるのやらだ。
「……して、あのことを彼らに知らせなくてよかったのですか?」
「ああ、前伯爵になったのはボイル殿達に引き継いだからではなくもっと前に剥奪され、伯爵家に居残れたのはチェルシーさんの実親だからと、彼女が成人するまでの暫定措置だったということ?
知らせたところで彼らの立ち位置は変わらないわ。というかポッドホット家当主自ら彼らに告知したのよ?忘れてる方がどうかしてるわ」
個人的にはさっさと処分してしまった方が憂いが減るのだが恩人とポッドホット家のためそれもできない。まあ、優柔不断な国王のせいもあるが。
「彼らは凡庸な陛下の民だもの。真面目に働いてくれてるうちは処断しないとポッドホット家当主と約束しているの。それもチェルシーさんが成人するまでの話なんだけど……」
どうなるかしらねぇ?と王妃は憂鬱そうに溜め息を吐いた。
読んでいただきありがとうございます。