20. さようなら、チェルシー・ポッドホット
だけど今、アタシはチェルシーの姿でチェルシーとして話しかけられているせいで頭がごちゃごちゃになり不安がぐるぐるしている。
両親や義父母の言う通りにしてきたから間違いはないと思っていた。でもチェルシーがいなくなって、両親とも疎遠になってなんだかどんどん空気が悪くなって。
ボイルとも会えず、義父母が怖くなってからは『これでいいのかな?』と思うことが増えた。
大丈夫なんだよね?と聞いてもお義母様はアタシが欲しい言葉を返してはくれない。引退したはずなのにお義父様はあれこれ命令してくる。
夫であるボイルはアタシを守ってくれないしどこにいるかもわからない。
昔はドロシーがいるだけでみんながちやほやしてくれた。女は冷たかったけど令息は優しかった。でもチェルシーは令息もほとんど相手にしてくれない。
話してくれるのはほんの一部。それだってここだけの話で『他の場所やパーティーで会っても他人のフリをするから声をかけないでくれ』なんて言われてる。ドロシーの時はそんなこと一度も言われなかったのに。
もしかしてチェルシーのせいでアタシはこんなにも不幸になってるのかな?卒業が取り消しになったのもチェルシーのせいだってお義母様が言っていたもの。
チェルシーに裏切られ両親にも虐げられて可哀想なアタシ。と一人悲劇のヒロインのようにしなを作って悲しんだ。
もちろん、シャノワイルに見てもらえるように完璧な角度と泣き顔を作ることは忘れていない。
ここにきてもまだ自分は被害者だと思っている彼女にチェシーは溜め息を吐く。
「あなたは学業成績がどういう意味を持つかわからないのね。ならわかりやすく説明してあげるわ。
あなたは卒業できない。留年決定よ」
「……え?!な、なんで?」
「出席日数が足りない上に提出物は一切出していない。呼び出しも無視。学年末の最終テストを受けるまでもなく決まってしまったわ」
「うそ?!なんで?アタシ呼び出しなんて聞いてないわ!」
「学園内のことだから掲示板に貼り出されているのよ。知らないのは確認しないあなたの責任よ。
せめて授業に出ていれば内々の呼び出しですんだのに、掲示板にでかでかと『チェルシー・ポッドホットを卒業させない』と貼られていたわ」
「そんな…ひどい!!」
「当然よ。学園に来ているのに授業をボイコットして義務を果たさなかったのだもの。学園は男遊びをする場所ではないのよ?」
じゃあ、卒業パーティーにも出れないってこと?きらびやかなドレスを着てシャノワイルと踊ることもできないの?と絶望した。
「そんな、だって、アタシの時はなにもしなくても優秀な成績で……」
「忘れているようだから教えてあげるけどドロシー・ゴゴホットが卒業できたのはチェルシー・ポッドホットが三年間ずっとあなたの身代わりをしてきたからよ。
あなたの格好をして授業を受けて、テストも提出物もすべてチェルシーがやっていたの。
だからあなたはなにもしなくても卒業できたのよ。そうでなければ今のあなたのように留年することになっていたでしょうね」
自分の評価だと思っているドロシーの成績はすべてチェルシーが作ったものでアタシの功績じゃない。
チェルシーがいなければアタシは卒業できなかったしボイルと結婚もできなかったと言われ衝撃を受けた。
成績が悪かったらどんなに愛し合っていてもデイリーンを押し退けて結婚することはできなかっただろうって。
もしそれでも結婚したいと言うなら平民に落ちていたでしょうって言われて血の気が引いた。
アタシこんなに綺麗で可愛いのに?それでもダメなの?勉強しなくちゃいけなかったの?
「当然でしょう?ボイル殿下は王子殿下よ?男爵令嬢でしかないあなたが結婚するなんて到底無理な話だったのよ。たとえ伯爵でも爵位がギリギリだったし優秀な成績という付加価値がなければ陛下達から却下されていたわ。
だからあなたの美貌もダンスのうまさも王家の婚姻に関係ないの。むしろ王家の婚約に水を差しておいて生きて結婚できただけでも感謝しないといけないわ」
「そんなぁ……」
「チェルシー・ポッドホットが留年した理由もあなたは最終学年になっても授業に出ないから代わりに授業を受けていたからなのよ?
同じ時間に同時に授業を受けることはできないし、一人で倍の量の課題をこなすことはできなかった。
あなたの両親はそのことを忘れてしまったみたいで、手を抜いたりドロシーの課題をやらなかったりすると体罰を与えていたけど。
そうまでさせてドロシーとして立派な成績を修めさせたのになんでこんなあっさりと捨てちゃったの?」
「捨ててなんか……」
「捨てたのよ。おねだりすれば買ってもらえるアクセサリーじゃないのよ?あなたはチェルシーが積み重ねてきたものを無駄にしたの。必要ないって捨てたよ。
……ああ、でもそうね。自分自身の力で手にしなかったから努力も苦労も価値もわからないんでしょうね」
捨ててない、気づいたら取り消されていたのよ!と言い返そうとしたがその前にチェシーが残念そうに呟いた。
「苦労して身につけたものがそう簡単に失ったりしないように、本当に欲しくて努力して手に入れたものなら簡単に手放さないもの」
あなたは簡単に欲しいと言うけど簡単に捨てていたものね。
後半はよくわからなかったが、ふと、思った。
アタシ、ボイル様のこと本気で好きだったのかなって。
出逢いは一目惚れのように恋に落ちていた。
欲しくて欲しくてたまらなかったけどアタシは彼の何が欲しかったのだろう。全部、と前までなら言えた。でも今は彼の地位が欲しかったんじゃないかって、そう思ってしまった。
暗い部屋に押し込まれるまでは自信をもってボイルが好きだと言えた。でも本当は結婚式くらいから『なんか違うな』と思っていた。
それを一番感じたのは王族が挨拶する時。一昨年前はあの壇上に自分も並び立つんだって思っていた。
そう思ったら隣で壇上を見上げるボイルが急にみすぼらしく見えてきて気持ちもどんどん冷めていった。
それに時折ボイルの目がデイリーンに向くのも嫌だった。妻はアタシなのに、美しいアタシを見ないで元婚約者を見るボイルが許せなくなっていった。
だからボイル様はアタシがこんな苦しくてつらい想いをしてるのに助けてくれないのかな?
だからアタシも夫がいるのに令息と火遊びをするようになったのかな?
そう考えたら自分達の恋が薄っぺらく思えて、ボイルなんていらないって思った。
それはチェルシーの私物を羨ましがって奪ったもののその物には興味を持てなくて放置した扱いと同じだった。
「あなたは男遊びに時間を使っていたけど、今はあなたがチェルシーだからあなたがどうにかしなきゃならなかったのよ。
あなたの身代わりになってくれるチェルシー・ポッドホットはもういないのよ」
チェルシーはもういない、と言われて何かが胸に刺さった。言葉に表せられないような痛みが視界をぼやけさせた。
「アタ、アタシはお義母様の言うとおりにしただけよ!言う通りにしたからボイルと結婚できたわ!
アタシ、幸せよ?!何も捨てたりしてないわ!だってみんながアタシに与えてくれるもの!
そうよ。きっと誰かが助けてくれるわ!だってアタシはみんなに愛されてるもの!ボイル様だってすぐに駆けつけてくれる!お父様お母様だって手を差し伸べてくれるわ!
そうしたら卒業だってできるし、お義母様やお義父様だってアタシを認めてくれる!アタシは愛されてるの!!」
「ならなんでそうあなたのお母様に言わなかったの?愛されているのだから学園に行きたくないと言えばすむ話よね?わざわざチェルシー・ポッドホットの醜聞を広める必要はあったのかしら?」
「それは…っ」
なかったかもしれない。
ドロシーではチェルシーにはなれない。それに勉強が嫌いで授業に出てもわからないドロシーでは卒業すらできない。
できることと言ったらチェルシーらしき格好だけで授業をサボり令息との逢瀬を楽しむことくらい。
それしかできないから他にどうしようもないけどなんで義母は学園に行けと言ったのだろう?
チェルシーの身代わりなら義母とお買い物やお茶会でもよかったのではないか?できもしないことをやらせて、バレたらアタシまで怒られて。
そうよ。『チェルシーに変装したいと言ったのはドロシーなのよ!』ってお義母様がお義父様に言っていたわ。そのせいでアタシは食事を抜かれたの。
たしかにチェルシーに変装して外に出歩けるようになったことはよかった。子供だけど令息とお喋りできたのもお義母様のお陰だと思う。
でもお義母様の嘘は許せないと思った。なんで家を継いだアタシが叩かれなきゃならないの?食事を抜かれなくちゃならないの?
お義母様がチェルシーになれって言わなければアタシはこんな目に遭わなかった。痛い思いをしなかった。シャノワイル様の前で醜態なんて晒さなかった。
チェルシーの名を使ってチェルシーを辱めたのだってもとを正せばお義母様のせいだ。
でも今の義母に逆らうことはできない。逆らえば頭ごなしの叱責や下手をすれば鞭や平手が飛んでくる。
義母は『あなたを想ってやっているのよ。わたくしの手だって痛いんだから』と言うが痛いのはドロシーだ。
そこまで考え、チェルシーもこんな気持ちだったのだと気づいた。
少なくともドロシーの生母はあんな虐待じみた体罰をしなかった。あんなことをされれば自分の意見など言えなくなる。チェルシーも怖かったんじゃないだろうか。
「チェルシー、あの……」
誤解を解かなければ。チェルシーも痛かったよね。つらかったよねって。アタシも同じ思いをしたから気持ちがわかるよって。
家に帰るのが怖いならアタシがついてる。二人で力を合わせて義父母に立ち向かおうって。二人ならきっと。
「あなたにとって私がチェシーでもチェルシーでもどっちでもいいのよね?あなたが楽になれれば」
呆れるほど厚い面の皮ね。
背を向けるチェシーにドロシーは危機感に襲われた。
このまま行かせちゃいけない。
今引き留めなければもうチェルシーは帰ってこない。そんな気がした。
「ほ、本当よ!本当にあなたを心配してみんながあなたを探してるの!!だから帰ってきて!お願いよ!!」
「………」
「……もう、嫌なの。お義父様もお義母様も怖いし、使用人も出て行っちゃうし、ボイル様も帰ってこないし………アタシ、つらくて、どうしたらいいかわかんないのよ」
「……その言葉を、出て行く前に聞きたかったわ」
ボタボタと落ちる涙を拭うことなく泣いていれば目の前にチェシーが膝をつきハンカチでドロシーの濡れた頬を押さえた。
「チェル、シー……?」
体も黒髪もチェシーのままなのに顔だけは見覚えがあるチェルシーになっていた。
でも記憶とは違う。チェルシーの顔は地味というほど地味ではなく、お義父様に目元が少し似てて、そしてどこかドロシーにも似ていた。
「ドロシー。私はもうあの家には帰らないわ。名前も身分も全部捨てたの。だからチェルシー・ポッドホットはあなたにあげる」
「いや…嫌よ。チェルシー…っ行かないで、」
「よかったわね。これで堂々とポッドホット家を継げるわよ」
違う!そういう言葉が聞きたいんじゃない!!
嫌!嫌!と叫んだがドロシーにハンカチを押し付けるとチェシーの顔に戻してシャノワイルからカツラを受け取った。
「嫌よ。お願い。チェルシー。アタシを見捨てないで」
一緒に帰ろう?
そう訴えてもチェシーは何も返さずドロシーにカツラを被せ、眼鏡をかけさせた。
「さようなら。チェルシー・ポッドホットさん」
見開いた瞳から涙が零れ落ちる。
薄く微笑んだ笑みはあまりにも他人行儀で、チェルシーとはもう二度と会えないのだと理解してしまった。
読んでいただきありがとうございます。




