よくあるプロローグ
ざまぁされる子の話です。
「デイリーン・パズラヴィア!貴様との婚約を今日限りで破棄する!」
声高に発するのはこの国の王子であるボイル様。彼はあろうことかご自分の婚約者であるパズラヴィア侯爵令嬢に婚約破棄を突きつけた。
卒業した喜びを分かち合い、楽しげな雰囲気だった会場はたちまち驚きと困惑で静かになる。
学園の卒業パーティーには卒業と成人を迎えた子息子女の他に彼らの親達、教師陣、生徒が就職する先の官僚も多く参加していた。
そんな場所で婚約破棄をするなど尋常ではない。
声が聞こえた者達は距離を取り騒ぎ立てた王子と指名された令嬢を恐々と見つめた。
とんでもない光景に令嬢らは短い悲鳴をあげ、親達は真っ青になっているが王子は強い意思で侯爵令嬢を睨みつけていた。
「理由をお聞きしても?」
「それは貴様がここにいるこのドロシーを男爵令嬢だからと見下しいじめたからだ!!慈愛の精神が聞いて呆れる!そんな者が僕の妃に相応しいわけがない!」
扇子で顔半分を隠しているが、パズラヴィア侯爵令嬢の声は落ち着いていて特にショックを受けたようにも見えず、取り乱した様子もない。さすがは侯爵令嬢だと大人達は感心した。
だがいくら腹に据えかねることがあったとしても王子が公の場で声を荒げ、婚約者を貶すなどあってはならない。それが政略で結ばれた結婚ならば尚更だ。
周りの貴族からは悪戯にパズラヴィア侯爵令嬢を辱め、侯爵家の権威を貶めようとしているようにしか見えず、臣下達は不審な目でボイル王子を見つめた。
「恐れながら申し上げます。わたくしにはなんのことかわかりかねますわ」
「ここに来てもまだ自分の罪を認めぬと言うか!」
「それはどんなことでございましょうか」
純粋な疑問として伺う令嬢の態度に王子は目を更に吊り上げ、パズラヴィア侯爵令嬢が男爵令嬢にしてきた悪行の数々をあげた。
それらは私物の紛失から悪口、嫌がらせにまで至っており先日男爵令嬢はパズラヴィア侯爵令嬢に突き落とされ足を捻ったのだとスカートを掴み彼女の足首を見せる。
その光景に令嬢達から悲鳴があがり王子は満足げに頷いた。
彼はドロシーがひどい怪我を負ったことを見せつけたことで同情を買えたと考えたがそうではない。
未婚で婚約者でもない異性が大衆の前で勝手にスカートを捲ったのだ。相手がどれだけ高位であろうがそんな侮辱を許せるわけがない。
大衆という大きな味方をつけたと思い込んだ王子の隣ではドロシーがふわふわとした庇護欲がそそられる顔を悲痛に染めて訴えた。
「デイリーン様!もう観念してアタシに謝ってください!そうじゃなきゃボイル様はあなたを罰さなくてはならないの!愛する人に引導を渡されたくないでしょう?
侯爵令嬢なんていうつまらないプライドなんて捨てて尊いアタシに謝罪してください!」
床に手をついて謝ってくれてもいいですよ!
なんて好き勝手言うものだから観客と化した何人かが卒倒した。
「謝ったらわたくしになんの得があるのかしら?」
「と、得……?」
キンキンと金切り声で訴えるドロシーに対しパズラヴィア侯爵令嬢は変わらずゆったりと構えにこやかに問いかけた。
普通なら怒り狂って文句のひとつやふたつ、いや三つくらい汚い言葉で罵ってくると思っていたのに想像と違う。
それを理由に王子に泣きつきパズラヴィア侯爵令嬢を罰してもらおうとしていたドロシーは思いもよらない返しに詰まった。
「え?あー、え~っと………」
あるわけがない。ドロシーはただ高慢ちきなパズラヴィア侯爵令嬢に恥をかかせ、ボイル王子に泣いて許しを乞う情けない姿を見たかっただけだ。それでも自分が選ばれるだろうから余裕の笑みで構えてたいたに過ぎない。
自分の方が王妃に相応しいのよ!と見せつけたいがために婚約破棄するというボイル王子を止めなかった。
だがさすがに『みんなの笑い者になれて良かったですね』なんて言えば顰蹙を買うことくらいはわかっていたので、「次はきっと結婚できますよ!頑張ってくださいね」とにこやかに伝えれば周りの貴族からふざけるなと罵声を浴びせられた。
「きゃあ!な、何?!」
「おい!黙れ!黙らないか!!」
壁を揺らすような怒号にドロシーは王子の影に隠れ、王子は鎮めようと声を張り上げたが誰も口を閉じなかった。
男爵令嬢が侯爵令嬢に歯向かうだけでもありえないことなのに婚約者である王子を奪おうとしているのだ。しかもパズラヴィア侯爵家は現王妃の親戚。数代前には王女が降嫁している。
それに比べてゴゴホット男爵などほとんどの者が知らない弱小貴族。新興貴族よりも無名の男爵家が上位貴族を見下しているのだ。序列を覆されるようなことがあれば他の貴族とて他人事ではすまなくなる。
王家は何を考えているのだと罵られ、王子はようやく自分の選択に疑問を感じた。しかし罵られたことでカッとなったボイル王子の疑問はどこかに追いやられた。
「僕を誰だと思っている!黙らないか!」
怒りのまま叫んだがボイル王子の声を聞いてくれる者はいなかった。
王子にとってパズラヴィア侯爵令嬢は傲慢な令嬢で、王子の自分に対しても対等に口煩く命令してくる嫌な女だった。
対してドロシーは愛嬌もあっていつも可愛らしく王子を肯定してくれる。
ドロシーに嫌がらせをしてくるのは王子をコントロールしたいがためにパズラヴィア侯爵令嬢が束縛してるんだと信じて疑わなかった。
どうせ結婚するなら我が儘なパズラヴィア侯爵令嬢より甘え上手なドロシーがいい。
王子は間違っていないと矜持を持って対立したが臣下達はなぜか言うことを聞いてくれない。
大声を張り上げればパズラヴィア侯爵令嬢は仕方ないという体ではあるがいつも引き下がっていた。こうすれば誰もが言うことを聞いてくれると思ったのに。
どうして?と動揺すればパズラヴィア侯爵令嬢は王子に泣いて縋るどころか笑みを浮かべ手をあげる。すると騒音のように大きな声がピタリと止まった。
まるで指揮者のように、自分の方が従わせるだけの力があるのだと見せつけるような仕草に王子は冷や汗が流れた。
「婚約破棄、承りましたわ」
扇子を掲げたままにっこりと目を細めるパズラヴィア侯爵令嬢に王子はホッとした。よくはわからないが自分は勝ったのだ。
初めての勝利に笑みを浮かべ、ドロシーに顔を向けると彼女の期待する目を見て大きく頷いた。
「ならドロシーに謝罪もしてくれるな?」
「あら、なぜですの?」
「は?」
婚約破棄を了承するということはドロシーへのいじめも認めたということだ。なのにパズラヴィア侯爵令嬢は頬に手をあて小首を傾げた。
「やってもいないのになぜ謝らなければならないのですか?」
婚約破棄はするがドロシーへのいじめは否定するパズラヴィア侯爵令嬢に王子は以前と同じように大声で叱りつけた。
そうすれば恐れたパズラヴィア侯爵令嬢が震えて謝ると思ったからだ。だが予想に反して令嬢は眉を寄せ、
「まあ、はしたない。王子ともあろう方が嘘に振り回された上に大声で人を従わせようなんて」
と侮蔑を乗せた目で見られた。
「う、嘘ではない!ドロシーがそう言ったのだ!!本人の言葉が何よりの証拠であろう?!」
「もしそれが真実ならばそのいじめとやらの発言も意味があったでしょう」
そう言うとパズラヴィア侯爵令嬢は数人の令嬢達を前に出るよう指名した。
出てきたのは子爵、伯爵令嬢達で彼女らがドロシーをいじめていた真犯人なのだと紹介した。
ドロシーは認めなかったが王子が省いたいじめの内容を話す彼女らに王子は顔を青くする。もしかして、とドロシーを見やる。
「何自分は関係ない顔してるのよ!あなたが取り巻きのそいつらに指示してアタシをいじめてたんでしょ?!だったらやっぱりあなたが悪いんじゃない!!」
「ドロシー違う。彼女達は取り巻きではない」
「え?」
苦い顔をする王子にドロシーは動揺した。パズラヴィア侯爵令嬢が指名したいじめの真犯人は、パズラヴィア侯爵家の傘下ではない貴族令嬢ばかりだった。
そんなことドロシーが知るはずもなく、パズラヴィア侯爵令嬢が命令したのだと食い下がったが、彼女達が以前ドロシーが落とした令息達の婚約者だと知ると顔を強張らせた。
恨みのこもった目で睨まれたドロシーは悲鳴をあげやはり王子の後ろに隠れた。
「ですがそうなりますと、ボイル王子殿下は男爵家に婿入りするのかしら?」
「え?」
頬に手をあて疑問を口にするパズラヴィア侯爵令嬢に王子は肩を揺らした。
ドロシーは目を丸くして侯爵令嬢と王子を交互に見るが訳がわからないという顔つきだ。
淑女教育も貴族教育も最低限習っているはずなのにドロシーは「ボイル様は王子のままではないの?」と首を傾げた。
「ボイル王子殿下は側妃様のお子で第四王子ですから臣籍降下は生まれた時から決まっておりましてよ?
ですのでパズラヴィア侯爵家に婿入りする予定だったのですが…いくら愛があるとはいえ王子殿下が男爵家に婿入りなど聞いたことがございません。その辺りはいかがいたしますの?」
陛下もお許しにならないのでは?と小首を傾げる侯爵令嬢に王子は我に返った顔をした。
彼は婿入りしても王子の立場でいられると思っていたようだ。侯爵だろうと今と変わらず『王子として』敬ってくれると。
だからボイル王子はドロシーを使ってパズラヴィア侯爵令嬢に恥をかかせ、どちらが上か皆の前で知らしめたかった。頭を下げさせ許しを乞わせられたら許してやるつもりだった。
なにせパズラヴィア家には娘一人しかいない。自分以外に跡を継げる者はいないと自負していた。
しかし侯爵ではなく男爵家に入るかもしれないとわかった今自分の立場に不安を抱いた。
自分はパズラヴィア侯爵家に必要とされて婚約したのではないのか?と。
だからパズラヴィア侯爵令嬢は口煩く自分に取り憑いていたのではないか?と。
その前提が全部ひっくり返るとしたら?
うっすら気づき王子の顔が強張った。
「そんなはずない。嘘つかないで!」
「嘘なんて言ってませんわ。皆さん知っていることよ?」
ねぇ?と侯爵令嬢が周りに問うと全員が首肯した。
「え、嘘。ボイル様は、王子じゃなくなるの……?」
嘘でしょ?とボイル王子の袖を掴んだドロシーだったが彼に振り払われたたらを踏み尻餅をついた。それなのに王子は振り返りもせず、手も差し出さずまっすぐパズラヴィア侯爵令嬢を見て縋った。
「ご、ごめんデイリーン。僕は少し間違ったみたいだ。こ、言葉のアヤなんだ!僕が好きなのはずっとデイリーンしかいない!
婚約破棄なんてしない!撤回する!!そして君と結婚する!いいだろう?!」
「ボイル様?!アタシを王妃にしてくれるんじゃなかったの?!」
「うるさい!僕はそんなこと一言も言っていない!適当なことを言って僕やデイリーンを惑わせないでくれ!!」
「そんな!アタシを好きだって、デイリーン様よりもずっとずっと愛してるって言ったじゃない!!」
「黙れ黙れ黙れ!!」
「ああ!わたくし、いいことを思いつきましたわ!」
婚約破棄の断罪から修羅場と化した言い合いに観客は呆然と見ているだけだったが、被害者であるパズラヴィア侯爵令嬢だけは明るく手を叩いた。
その声に王子とドロシーが顔を向けると侯爵令嬢がにっこりと微笑む。
「ゴゴホットさんはポッドホット伯爵家の養子になればよろしいのよ!伯爵位なら王家もギリギリ体裁が整いますもの。これならボイル王子殿下も心置きなく結婚できますわね!」
「え?いや、だが僕はデイリーンを愛して…」
「伯爵家のことなら問題ありませんわ。ポッドホット家とゴゴホット男爵家は親類関係ですの。
ポッドホット家には娘が一人いますが、体が弱く学業成績も後継者として相応しくなくもて余しているんですって。
唯一あった婚約の話も素行の悪さで破談になったとか。あら、これは余計な情報でしたわね。
殿下が婿養子となれば伯爵家に箔がつきますし、後継者問題も解決。ゴゴホットさんも真実の愛で結ばれたボイル殿下と結婚できるなんて素晴らしいことだと思いませんか?」
ねえ?、とパズラヴィア侯爵令嬢が見やると二組の家族が出てきた。片方はドロシーの両親で、もう片方はポッドホット伯爵家だった。
どちらも卒業生の保護者らしいフォーマルな格好で来ているところを見ると婚約破棄は出来レースだったのでは?と思う者もいたが、それよりも後ろに隠れるように立っているポッドホット家の令嬢のみすぼらしさにある意味目が行った。
彼女は急に呼び立てられたのか着替えもさせず制服姿で居心地悪そうに立っている。
恥ずかしそうに背を丸め、黒髪で緩く解れたお下げという姿は起き抜けのように見え、きらびやかにめかしこんでいる母の伯爵夫人と比べても野暮ったく見えた。
婚約が破談になったと言われて少し驚いたような顔をしたが、それ以外は分厚いカーテンのような黒髪とメガネで顔を覆い俯くことで暗い表情を隠した。
「はい!ボイル殿下が我がポッドホット家に婿入りしてくださるなんてこんな名誉なことはありません!」
「私共も娘を幸せにしていただけるのならば異論はございません」
「え、いや、だが……」
「まあ、まあ、まあ!両家から快い返事をいただけて良かったではありませんか!
ゴゴホットさんもこれで正式に伯爵家の令嬢……いえ夫人になれるのだから嬉しいのではなくて?
伯爵夫人になれば高位貴族のパーティーにも参加できるようになりますし、社交界の女王になることも夢ではないかもしれませんよ?」
「社交界の女王……」
後押ししてくる両家と社交界の女王という言葉に乗せられたドロシーは今までの態度を一変させ嘘のようにあっさりと承諾した。
残ったのはボイル王子だけ。婚約破棄を告げた時の勢いなどとうになくなり、まるで戦場でひとりぼっちにされたような錯覚を覚えた。
「デ、デイリーンはいいのか?僕と結婚できなければ瑕疵がついて次の結婚なんて……」
「わたくしのことなどよりも殿下はご自分の幸せを考えるべきですわ」
本当は自分に想いがあると答えてほしかったがパズラヴィア侯爵令嬢は王子を優先するように微笑んだ。
よく知らない伯爵家よりも三大貴族に数えられるパズラヴィア侯爵家に入りたい。否、つい先程まで自分は王子だから何をしても許され受け入れられるものだと信じていた。
今更政略結婚の意味を理解したボイル王子は泣きそうになった。
しかしそんな顔を見てもパズラヴィア侯爵令嬢は笑みを浮かべたまま王子に手を差し伸べない。
パズラヴィア侯爵令嬢が泣いて謝ることで許しを与えて周りから称賛され、愛らしいドロシーを連れてパズラヴィア侯爵家に入ってもなんの問題もなく受け入れられるだろうと考えていた王子は、この予定外の状況についていけず打つ手もなかった。
「皆様!幸せなお二人に盛大な拍手を送りましょう!!」
温度差の違う二人のカップル成立に会場にいた者達が一斉に拍手を送った。
パズラヴィア侯爵令嬢から満面の笑みを向けられた王子は内心複雑だったが、彼女がお膳立てしてくれたお陰で爵位の壁も乗り越えられることができたのは確かだ。
僕のことをちっとも心残りにしてくれないのが気になるがそれが彼女の愛情なのだろう。ドロシーを苛めるくらい僕のことが好きなのなら今後も何かと寄り添ってくれるかもしれない。
「僕はドロシー・ゴゴホットと結婚しポッドホット伯爵家を継ぐこととなった!!二人で力を合わせて国に尽くして行こうと思う!どうか僕達を見守ってほしい!」
喉に何か引っ掛かるものを感じるものの、パズラヴィア侯爵令嬢の行動を好意と受け取った王子はドロシーの手を取り二人は声援に応えた。
その声援が薄っぺらいものだとも知らずに。
読んでいただきありがとうございます。