Rosé 〜機械仕掛けの少女兵〜
まばゆい光が僕の瞼を照らした。
それは酷く儚くて、でもどこか力強くて。
暗く落ち込んだ僕の人生を、確かに救ってくれるような。
そんな、暖かい光だった。
「…はぁっ、はぁっ…!」
一面に瓦礫が広がる大地を、僕と「彼女」は走る。楽しく追いかけっこでもしているのだろうか、いやそうではない。では何故?
答えは単純、命を守るためである。
「御主人様、ご無事ですか。」
僕の肺が擦り切れそうになる中、少しも息を弾ませずに彼女はそう言った。
「大丈夫だけど…っ、奴がもう、そこまで…!はあっ」
僕たちの後ろを走るのは、全身が黒と紫に覆われた巨大な怪物である。振り向くと、もうすぐそこまで迫っていた。
「振りきれません。私が応戦します。」
彼女は急に身を翻した。
「無茶だ!やめろロゼ!」
なびく長い髪を取り残すように、彼女は後方に駆け出す。白基調のドレスのように仕立てられた戦闘服を身に纏った少女は、片手に携えた細身の剣を勢いに任せて振った。
が、迎え撃つ怪物の片腕に身体を横から殴られ、吹き飛ばされてしまった。ドォンという大きな音とともに、瓦礫は粉塵をあげる。
「ロゼッ!」
思わず僕も振り返るが、目の前にあったのは怪物の大きな顔だった。近くで見ると、その身長は三メートル弱はある。僕も、腰にある彼女と全く同じ剣に手を添えるが、その行為に何の意味もないことは自明であった。
ダメだ。終わった。
僕たちの長い旅路が、こんな形で終わることになるだなんて。
これから自分に降りかかるであろう衝撃に耐えるべく、僕はぎゅっと目を瞑った。
あぁ神様、生まれ変わるとしたら、どうか平穏な形で…
そう、祈りかけるよりも早く。
閃光が僕の前を切り裂いた。
「…っ!?」
僕は声にならない声をあげた。
閃光にも見えたのは、背の低い男の影であった。男は機敏な動作でそのまま怪物を蹴り飛ばし、僕の視界から消えた。吹き飛んだ怪物は一瞬で近くの瓦礫の山にぶつかり、その身体は崩壊して消えてしまった。
怒涛の展開に頭がぼーっとしてしまったが、「彼女」が吹き飛ばされていたことをふと思い出し、僕は急いで振り返る。すると、既に彼女はこちらへ歩いている最中だった。
「ロゼ、大丈夫か!」
「はい、問題ありません。肩の部分のお洋服が少し破けてしまいましたが…。」
「…良かった…。」
なんとも言えない表情を浮かべる彼女を見て、僕は胸をなでおろす。ほんのりと桃色がかっている、長く透き通った髪を持つ彼女は、その無垢な瞳をこちらに向ける。
僕たちは、旅をしている。
かれこれ三年ほどになるが、その目的は未だ果たせていない。
先程の男が近づいてきたので、僕らはそちらに目を向ける。
「…あのっ」
「何者だ?お前たちは。どうしてこんな危険地帯にいる?」
僕の言葉を遮って、彼はそう言った。白髪の男は、冷たい目でこちらを見下ろしている。感謝の言葉ひとつくらい言わせてくれ。
「僕は、こいつの運命を変えるために旅をしているんです。」
横にいる少女に目をやった。「ロゼ」と呼ばれたそれは、きっと男のほうを向く。
「ロゼです。ご主人様の護衛をしております。」
「護衛…。」
男は若干ひきつったような顔をして、気を遣ったかのように咳払いをした。
「俺はゼロクという。普段は治安維持のためにこうしてパトロールをしているのだが…。お前、運がよかったな。それで、運命ってのは?」
「あっ、はい…。ロゼは僕のロイドなんですけど、昔から欠陥が酷くて。護衛としての機能を果たせてないんです。僕はそれでも全然いいんですけど、三年ほど前に彼女の廃棄処分が決まってしまいまして…。」
ゼロクは眉を動かした。
「ロイド…。富裕層御用達の機械仕掛けの戦闘兵か…。しかし、欠陥とは聞いたことがないな。」
「そうなんです!無茶苦茶なんですが、存在意義を証明しなければ廃棄する、と国から通達が来て…。」
ロゼを治す方法を探すべく、それから旅をしているのです。そう付け足すと、ゼロクはしばらく黙り込んだ後、少し気の毒そうな顔をした。
「そうか、それは…大変だったであろう…。」
そう呟くと、腰についたポーチから地図を取り出した。
「俺も協力したいが、あいにく多忙でな…。ここに行くといい。工業の街で、比較的近くにある。俺も一度行ったことがあるが、ロイドを専門とする職人もいくらかいたはずだ…。」
ゼロクは顔を俯かせる。すると青年はおもむろに口を開いた。
「あの…ありがとうございます。こんな僕たちに親切にしてくださって。ロゼはロイドの中でもあまり優れた性能をしていないもので…僕も貴族ではあるのですが、あまりいい生まれではないので…。」
それでも、ロゼは僕が信頼している、大切な人なんです。
そう言うと、ロゼが桃色の髪を揺らし、無表情のまま俺のほうに軽く頭を下げる。その不器用な挙動に相反するかのような美しい表情に、俺の目は奪われた。その瞬間だけ時間がゆっくりと進むかのように。
彼の言っていることはよくわからなかったが、何というのだろうか、こう、彼らは…。
「おい」
去ろうとする二人に、ゼロクは声をかけた。
「お前…名前は?」
「ユウト様です。」
ロゼが二人の会話に割り込むように、身体をひょいと乗り出して言ってしまった。慌てるユウト。
この不器用ながらもなぜか信頼を感じられる二人に、ゼロクは思わず笑いをこぼす。
そして、こう告げた。
願わくば、君たちの旅路に幸あらんことを。
「ロイド」とは、上級身分の為の護衛「装置」を意味する。
人間の女性に酷似したその身体、思考回路は人工のものであり、正体不明の怪物から要人を守る為に作られた強力な戦闘回路を搭載している。感情を持たないため、時に人々から非情な兵器だと皮肉られる彼女らであったが、その上級身分の中でも一際目立ったロイドと主人がいた。
「これはこれは!例のスクラップ様じゃあないか!」
そう、このロゼとユウトである。
「…。」
工業の街、インダストリアの街路を歩く二人を囲むようにして、数人の男が笑いながらついてくる。洋風な街づくりの栄えた美しい国だが、こんな路地裏はやはり治安に問題があるらしい。
「こんな都会に出てきて、どこのゴミ溜めをお探しだい!?」
下品に笑う背の高い奴らに、僕はうんざりした顔で無視を決め込む。
すると、
「おい、無視してんじゃねぇぞ!」
男の一人が飛び出し、ユウトを蹴り飛ばした。
「うわぁっ!」
ユウトは煉瓦作りの歩道に身体を引きずらせる。
「御主人様っ!!」
ロゼが飛び出すが、男のうちの二人に取り押さえられてしまった。
「くぅっ…!」
「おいおい、まさか生身の人間に抑えられるとは。お前、本当にロイドかぁ?」
再び男たちが笑うのを聞きながら、ユウトはゆっくりと起きあがる。
「やめろ…ロゼ。」
ロゼは、不安げな表情を一瞬浮かべた後、ふっと力を抜いてとぼとぼとユウトのもとに戻った。
「行くぞ。」
二人は男たちを一瞥したのち、その場を後にした。男たちは気が済んだのか、それきり追っては来なかった。
傷口が水で染み、顔をきゅっと顰めた。
「…あの。」
町のはずれでユウトが傷を洗う中、ロゼが口を開いた。あまり綺麗ではない蛇口の前に二人して座る。美しく仕立てられた服は、少し崩れてしまっていた。
「申し訳ございません。私の弱さゆえに、御主人様にご迷惑をおかけしてしまい…。」
無表情で、彼女はそう言う。
「いいんだ。それに、もうこんなこと慣れっこだろう。どれだけ旅をしてきたと思っているんだ。」
僕はぎこちなく、彼女に笑って見せた。しかし彼女は再び、ただ申し訳ありませんと言う。
実は、ロゼの廃棄予定は二か月後に迫っている。結局、この街でもロゼの欠陥は遂に判明しなかった。この三年間僕たちは色々な所を歩き渡ってきたが、どこにいっても二つ返事で追い返されてしまう。もう、もう時間がないというのに!
このままではまずい、いっそ二人でどこかに逃げてしまおうか…。そう、頭の中で儚く呟いた。
「御主人様?」
ロゼがきょとんとした表情で覗いてきた。
…逃げるだなんて、そんなこと何度だって考えた。けれど、ロゼは機械だ。統制権を持っている国にかかれば、簡単に連れ戻されてしまう。
必要性のないロイドなど、ただのスクラップだ。
「…っ。」
嫌な記憶がフラッシュバックし、頭痛がする。
「御主人様、大丈夫でしょうか。」
ロゼが、少し心配するかのような表情でそう言ってくる。
この声も、顔も、台詞も、全てプログラムなのだろう。
「くっ!!」
マイナスな気分のせいで、最低なことを考えそうになってしまった。ロゼは僕の、大切な「人」なのに。僕をこうして「生きよう」とさせてくれた、大切な存在なのに。僕の間抜けな一人芝居を見ていたロゼは、口を開いた。
「御主人様…御主人様は、どうして私にそこまでしてくれるのでしょうか。私などでなく、他の優秀なロイドを購入すれば、安全は保証されます。」
何を言い出すかと思えば、またそんなことを言うのか。
「そんなの…前にも答えた質問だが、君が、僕の、大切な人だからだといっただろう。」
ロゼは表情を変えないまま、答える。何故だろうか、一緒にいる時間が長いからであろうか、彼女の考えていることが何となくわかるのだ。
「それで、その…私も、御主人様のことが、大切です。」
何を言い出すんだ、君は。
沈黙が続くと、ロゼはだからと切り出した。
「だから…もう大丈夫です。私の命も近いですし、これ以上は御主人様が危険な目にあってしまいます。」
御主人様を、守りたいのです。
小さくそう呟いた。
僕は。
絶対にこの少女を救わなければならない理由を、やっと完全に理解した気がした。
「ロゼ」
「なんでしょう、御主人様。」
僕は彼女の手を取って、歩み始めた。
「君は、絶対僕が助けるから。」
ロゼは、珍しく目を見開いた。僕の何倍も強靭なその身体は、その刹那、ただの少女のように柔らかく感じられた。体温の感じられない掌も、ほんのりと熱く、生気のこもったように感じられた。
ロゼはそれ以上は何も言わなかった。
「ここを抜ければ、もう次の街が見えるはずだ。『歴史の街』…。巨大な樹が有名らしい。」
白い息を吐きながら、僕は隣を歩くロゼを見た。
彼女はちっとも寒そうにしておらず、白い息も吐いていない。呼吸は必要ないのだから当然なのだろうが…。
「見えました」
ロゼは声をあげる。顔を上げると、そこには一面に広がる巨大な街があった。たしかに、太く立派な大樹が、何かの象徴のごとくそびえたっている。僕とロゼは、薄暗くなってきた空のもとでその景色を眺めていた。
そのうちロゼはほぅ、と息を漏らした。
「とても…素晴らしい光景ですね。」
街の暖かい光は、そう言う彼女の顔を優しく照らす。オレンジに輝く繁華街の様子は確かに綺麗だ。しかしそれ以上に…彼女の横顔から、なぜか僕は目を離すことができなかった。
「そう…ですか。」
「あぁ。すまんが、俺にもこの嬢ちゃんのことは理解できねぇ…。」
繁華街から少し離れたロイドの検診所には、どこか少しもの寂しさのある雰囲気が漂っている。僕はロゼの顔色をうかがった。相変わらずの無表情だが、何を考えているのかはわかってしまう。
僕は、これまで以上の絶望を感じている。
「御主人様…。」
ロゼは若干悲しそうな声色で僕に呼びかけた。
店を出た僕たちは、街ゆく人々をただ眺め続けている。一日の終わりを感じられるような寂しさを持つ、煌びやかな街灯が照らす夜の街には、多くの人々がさぞ幸せそうに歩いていた。互いに手と手を取って。
僕が握るこの手もそうであったなら…。
人間の皮膚に非常に近く作られた手のひらの奥にある、一枚の合金に全てが拒まれているような気がしてならなかった。
この街が最後の希望だった。ロゼが回収されてしまうまで、あと一週間もない。それでは、次の街に到着することすら不可能だ。僕は深くため息をつく。
僕は結局、ロゼを治すことができなかった。彼女に対して申し訳ない気持ちと、彼女にもうすぐ会えなくなるという絶望がうずまく。
「御主人様。」
僕の、ぼくの大切な、一番信頼している、そんな、そんなロゼが。
「御主人様!」
はっとして振り向くと、すぐ近くにロゼの顔があった。
透き通る大きな薄紫の瞳は街の光を受けて潤み、頬はほんのりと薔薇色に染まっている。彼女の象徴とも言える薄いピンクの髪は、瞳の前でちらちらと揺れていた。こんなに愛おしい煌めきを持つ彼女が、もうすぐ失われてしまうだなんて。
「ロゼ…っ」
今にも泣きだしそうな声で、僕はそう漏らした。
街の人たちは道端に座る僕たちには目もくれず、この瞬間が終わることを惜しむかのように歩き続ける。僕だって同じだ。こんな二人の時間がいつまでも続く、僕にはただそれだけでいいのに。
そして、ロゼが何かを言おうと口を開いた瞬間。
大きな爆発音と同時に、甲高いサイレンが鳴り響いた。
「っ!?」
僕が目を丸くしていると、ロゼがさっと僕の前に立って、僕を守るように片腕を伸ばした。
この三年間、いつも君がそうしてくれたように。
「西部地区襲撃!西部地区襲撃!怪物が数体確認されました!」
大きく街に響き、何度も反響するアナウンス。それが示した位置は、丁度ここのすぐそばであった。
ついさっきまで幸せそうにしていた人々は、繰り返すアナウンスの元、悲惨な表情を浮かべて逃げ惑いはじめる。一目散に逃げる群衆の中には、転んでしまって動けずにいる子供なども見えた。しかし街の雰囲気とは打って変わって、僕の前にいる戦士はただ勇ましい表情を続けている。
「皆よ、この先の避難所へ早く避難しろ!くそ、今は一人もロイドがいないのか…?」やけに身なりのきちんとした老人がそう叫ぶ声が聞こえる。あまり上層階級が行き交うような街ではない故、護衛もいないのであろう。
「グォオオォォォオオッ!!」
「ひあぁああっ!」
大通りの奥の方で家がひとつ崩れた。「奴」はもうすぐそこまで迫って来ている。
僕は突然の事態に対応できず、ただ息を荒くさせるだけしかできない。早く逃げなければ、またあの時のような危機に陥ってしまう。
「ロゼ、俺たちも逃げるぞ!ここは危険すぎる!」
やっと口がきけるようになった僕は、そう大きく叫ぶ。しかし、ロゼはこちらを一度も振り返ることなく目の前から消え、またすぐに現れた。
胸元には、先程転んでしまっていた子供が抱えられていた。
「ロゼ…。」
「すみません、御主人様。わたし、行ってきます。」
えっ、と声が漏れた。どうして、わざわざより危険な場所に向かうんだ。君の能力じゃあ、奴らに勝てる筈がないじゃないか。
「ダメだロゼ!何を考えている!」
「御主人様…。」
いくらもうすぐ処分されてしまうとは言え、今ここで死にに行くことはないじゃないか。まだいくらでも生きていく手段はある筈だ。それを見つけるくらいまでは、僕と二人で…!
「御主人様!」
はっと我に帰る。目の前にいたのは、やはり無垢な顔をした少女。しかしこれまでとは変わって、その表情は固く引き締まっていた。轟音が響く中、ここだけ時が止まったかのように静かだった。子供が感謝を伝えて逃げて行った後、ロゼはおもむろに口を開いた。
「御主人様…私は、御主人様のロイドですよ。死ににいくつもりではございません。」
私を、信じて下さい。そう言って彼女は小さく微笑んだ。
そうか、忘れていた。彼女が性能で劣っているのは間違いない。けれど、この旅もずっとそうだった。ロゼは僕の、僕の最高に頼れる相棒だったじゃないか。
「わかった…行こう。一緒にこの街を守ろう。」
僕は、「最後だから」とは言わなかった。きっとその方が良いと思ったから。
そして腰に携えた弱々しい剣を確認して、立ち上がった。覚悟は決めた。ロゼが治らなかったことへの受け入れと、この街で散ることへの受け入れと。
そして、ロゼの方を振り返ろうとした瞬間。
僕の身体はゆっくりと地面に向かっていった。
「申し訳ありません、御主人様…。貴方を巻き込むことはできない。」
「ロ…ゼ…?」
薄れゆく意識。段々と暗くなる視界。その奥で、髪を結ぶロゼの姿。
ユウトは、それから数時間の眠りについた。
…。
どうして、君は一人で行ってしまうんだ?
君がいなくなってしまったら、僕の生きる意味などなくなってしまうというのに。
どうして、君はそうやってこんな僕を守り続けてくれるんだ?
あの時から、僕は君に救われ続けた。
ゆっくりと目を開くと、柔らかな光が僕を照らした。この世界の全てに絶望していたあの時に、君は僕の元にやってきた。
貴族の生まれだったが、学業など能力に恵まれなかった僕は、いつでも周りから蔑まれていた。どこに行くにも何をするにも、周りからの非道な行いに耐え続けなければならなかった。
そう、僕も君と同じだったんだ。
ある朝目覚めると、君は僕のそばにいた。ロイドについては、よく兄たちのそれを見てきたから知っているのだが、非情な雰囲気が強く感じられたので、別に所有する事は望んでいなかった。だからこそ、いくら周りがロゼを劣等だと言っても、僕には到底そうは思えなかった。
だって、君は唯一、僕に等身大で寄り添おうとしてくれたから。
勿論、主従関係を意識しているのは伝わったけど、なぜかそうしようとしているのがよくわかったんだ。
…。
僕が六歳の時に君が来て、八年ほどが経った時、僕たちは急に父の部屋に呼び出された。そしてこう言われた。
「必要性のないロイドなど、ただのスクラップだ」
そして、ロゼの存在意義を証明できないというのなら、彼女を処分するというんだ。おかしな話だよね。
こうして存在してくれるだけで、僕に君は必要だってのに。
それからはもう必死だった。三年間、行動しなかった日などなかった。何十もの街を巡った。途中何度も苦難があったけど、二人で乗り越えてきたんだ。君が守ってくれたんだ。
そんなロゼは、また僕を守ってくれた。
ロゼ、君は今、どこにいるんだい。
「…はっ。」
僕の意識が戻るのを待っていたかのように、僕は身体を飛び起こした。
ここは…。避難所だろうか。暗い建物の中には、何百もの町民が座り込んでいるように見えた。
「目が覚めたかね。」
唐突に声をかけられたので振り向くと、先程街で人々に避難を促していた老人だった。
「私はこの街の長を務めている者だ。君は、あの勇敢なロイドの主人で間違いないな?」
ロゼの事だろう。僕が頷くと、彼は続けた。
「見当違いだったら申し訳ないが、彼女はロゼというロイドではないか?」
「…ロゼを知っているのか!?」
僕は身を乗り出した。
「おぉ、やはりそうか。いやはや、ロイドに珍しい劣等種がいると有名になっていたのだが、まさか彼女だったとは。劣等だなんてとんでもない。先程、こちらに勝利を報告しに来たぞ!」
瞬間、僕の心は晴れやかに躍った。ロゼが。怪物数体に対して勝利を…。
「す、凄い…すごいよ…!」
彼は続けた。
「聞いた話だが、彼女、もうじき処分される事が決まっているそうじゃないか。実に惜しい事だ、私から処分を取り消すように依頼しておこう。」
「ほ、本当ですか!」
…やった。
ついにやったんだ。ロゼの勇敢さと強さは、ついに華開いた。やっと、彼女の存在を誰かに認めてもらう事ができた。三年間の長旅は報われたんだ!
僕は彼に感謝を伝えて飛び出した。
ロゼ、君は本当に凄い。生まれながらに周囲からの圧力にさらされながらも、遂に自分の存在意義を知らしめした。
僕には、できなかった事だ。
早く会って、共に喜び合いたい。そして、これまでの事、これからの事…。話したい事がたくさんあるんだ。ロゼ。
ロゼ…!
「…ロゼ…?」
「…御主人様…やりました。討伐に成功しました…!」
彼女はそう言って不器用な笑みを浮かべた。
「おい…どうしたんだよ、ロゼ…!」
彼女はゆっくりと僕から目を逸らし、たいそう残念そうな顔をした。
屋外に出てすぐ、ロゼの姿は目に入った。
しかしその姿は、見るも無残なものだったのだ。
僕はロゼに近づく。彼女はもう明け方になった大通りの端にもたれかかるように座っており、ぼんやりと街を眺めていた。まだ生気のこもった美しい顔だが、その身体は破損し、機械の部分が見えてしまっていた。人間の身体だったら軽傷ほどなのだろうが、不幸にもロイドとして最も重要な背中のコアが壊れていた。
あれはロイドの精神だ。そして、それが破損する事はすなわち身体の崩壊をも意味する。
「彼女は、一人であの怪物と闘った。」
僕が呆然としているなか声がするので振り返ると、あの男が立っていた。
「ゼロクさん…。」
「俺はついさっき此処に到着した。到着が遅れそうなので街を救うのは厳しいかと思ったが、まさかこいつがやったは、何とも勇敢な少女兵よ。」
朝の冷たい風が吹き抜ける。
「俺がもっと早く到着できれば、彼女は無事だったかもしれない。すまなかった。」
…今はそんな事、どうだっていい。それよりもロゼを助けないと…。
僕はロゼの両肩に手を添えた。
「ロゼ!早く治療をするんだ、急ぐぞ!」
「…。」
そうして彼女を動かそうとするが、全く動かない。自分が非力である事を、ここまで恨むことはなかった。
「御主人様…。私はもう…。」
「ロゼ…聞いたか?お前、もう自由の身になったんだ!ここの町長が、お前の価値を証明してくれるってさ。お前は本当に凄いよ、だから堪えろ、ここさえ凌げれば、これからも…。」
あと一歩なんだ。そうすれば、君とずっと一緒に居られるというのに。
「…。」
ロゼは必死になる僕を見て、考えこむような素振りを見せた後、おもむろに口を開く。
「御主人様…私は…ロゼは…御主人様に助けて頂いて、感謝で溢れました。
やめろ、そんな事を言うな。そんなのまるで、これで最後みたいじゃないか。
「私は…御主人様の為に戦う事ができて、光栄でした。」
彼女の淡いピンクの髪は、先から崩壊を始めた。
僕が繋いだ手先も、ほろほろと崩れかかっている。
御主人様…私は、私は。
「御主人様と共にあれて、幸せでした。」
「…!」
ロゼはこちらを向き、さぞかし幸せそうな笑顔を見せた。その瞬間辺りが、まるで世界に僕と君の二人だけがいるかのように静かになった。
君はそうやって、どこまで僕の感情を揺さぶるんだ。僕にとって君が、どれほど大切なのかも、わかっているのだろう?別れ際にそんな事を言われたらさ。
「忘れさせて…くれないじゃ…ないか…。」
溢れる涙を止められない。
彼女の身体は本格的に崩壊を始めたので、僕は彼女を抱きしめる。するとロゼは少し驚いたような表情をして、そして再び笑った。
「あぁ、御主人様…。私は本当に幸せ者です。最期にまで、御主人様とこうして共にあれるのですから…。」
消え入りそうな声で彼女は告げる。
「あの時…初めて出会った時…救われたのは私の方です…。御主人様の温かい言葉は…これまで出会ってきた人たちとは違うものがありました…。本当に…救われたんです…。」
彼女はそこで初めて涙を流した。
ロイドが泣くなんて、聞いたこともない。やはり彼女は特別だ。
僕たちにはもう言葉は要らない。けれど、「それ」だけは伝えたかった。
ずっと彼女を見てきて。ずっと彼女と共にいて。ずっと二人で乗り越えてきた。
「ロゼ。」
「はい、御主人様。私もです…。」
その五文字を呟いた後、ロゼは満足そうに笑って、その身体を風に乗せて消えて行った。
いつかまた、逢えたなら。
「このあたりも、もう安全かな。」
あれから、十年の時が流れた。
僕はまだ生きている。
「分隊長!当地区の安全確認、完了しました!」
「うん、お疲れ様。帰ろうか。」
僕は国軍に入り、今では先遣隊の分隊長として、国々の治安維持に努めている。数年前にロイドの改良があってから、あっという間に国にはびこる怪物たちはその姿を消していった。戦闘ばかりだった先遣隊の仕事も、今ではこうして人が住めるかの安全確認だけだ。
君がいなくなった後も、世界は凄まじい早さで変化を続けている。
あの事件の後、僕はロゼの主人として立場の復興を成功させ、何とかこうして軍に入る事を認めてもらえた。なぜ軍に入ったかって?
君みたいに、この世界を守りたかったから。
だってほら。
僕は何処までも広がる広大な風景を眺めた。遠くには我らが国が大きく広がっており、太陽の光がそれらをきらきらと照らしていた。
君が守った世界は今、こんなにも美しく輝いているんだよ。
「…。」
失ったものは戻らない。あの日から、涙を流さない日などない。
この仕事は時に悲劇を忘れさせてくれるけど、いつだって心の隙間に君はいる。今だってそう、君は僕に笑いかけてくるんだ。
いつかもう一度、逢いたいな。
君は、僕の人生の全てだった。落ちぶれていた僕が、こうして人の役に立てるようになったんだ。君のおかげだよ、ロゼ。
ねぇ、ロゼ…!
透き通った風が、僕の頬をくすぐった。
「ただいま…。」
一応貴族としての立場があるのか、小さな屋敷のような所に僕は住んでいる。怪物が消えることで国も豊かになり、また僕の功労も認められているのだという。
こんな大きい場所、僕の身には余るんだけど。
「帰ってきたか。」
「うわぁっ!」
唐突に誰もいないはずの玄関に響く声に、僕は驚いて声を上げた。
「ゼ、ゼロクさん…!?」
「久方ぶりだな、いつしか任務を共にした時以来か。」
十年前から驚くほど姿が変わらない、最強の戦士は僕の前で笑った。
「どうしてこんな所に…。今日もお忙しいでしょう。」
「いや、こっそり抜け出してきたんだ。勿論、今日の分の仕事は終わらせたさ。」
平和になった世界で、彼もまた役不足な任務ばかり与えられているのだろう。
そんな事より。とゼロクは切り出した。
「今日はお前に、伝えたい事があって来たんだ。お前の遠征帰りを待っていた。」
彼が真面目なトーンで話し始めたので、僕は少々身構えた。
「ロゼの事だ。」
「…!」
「先日の研究で判明したんだが、単刀直入に言うと、彼女はロイドの身体を纏った人間だった。他の個体にはない、人の心を持った存在だったんだ。」
「人…の…。」
僕の心臓は鼓動を早める。
「そして、さらにこれは昨日…。彼女の『人間とロイドの境』という特殊な要素は、彼女の魂を二度目の人生へと導いた。」
「…つ、つまりそれは…!?」
「人間の身体は、彼女のロイドモデルを再現したものを人工で作ることに成功した。国としても、貴重な機会だから率先して研究を行ってくれた。」
ゼロクは穏やかに笑って、僕に語りかけた。僕がおそらく凄い顔をしているからだろうか。
「ユウト…これまでよく頑張ったな。」
早く向かってやれ。そうゼロクが言うと、僕は少しの硬直の後、急いで自分の部屋へと駆け出した。
凄まじい勢いで部屋の扉を開けると、中には驚き、声を上げる少女の姿があった。
「あ…あ…!」
その紫かがった大きな瞳はゆっくりとこちらを覗き、薄いピンクの髪はなだらかに揺れた。
戦闘服ではない、白基調のドレスのような服を身に纏った少女は、その身体をこちらへと向けた。
そして、以前よりも生気の増した、艶やかな唇から言葉は告げられた。
「御主人様、お久しぶりです。」
穏やかな笑顔と共に。
全く、君はずっと眠っていたからわからないんだろう。僕がどれだけ「この時」を望んでいたか。こんな事が起こる筈がないと絶望していたのか。
その人に逢えたら、と。何度夢に見たことか。それができるなら、他には何も要らないとまで思っていた。
話したい事が沢山あるんだ。十年前のこと、十年間のこと、これからのこと。
何から君と話そうか迷うけれど、まずは。
「おかえり、ロゼ。」
僕も笑顔で、彼女にそう伝えた。
〜完〜
ロゼを読んでいただき、ありがとうございました。
今作品は、私が昔から考えていた長編作品を短編作として書きかえたものです。
この一万文字と少しだけの作品が、皆様の心に少しでも残ることが出来たのなら、非常に嬉しく思います。