198 鳳凰暦2020年7月14日 火曜日午前 ダンジョンアタッカーズギルド中央本部
ダンジョンアタッカーズギルド中央本部3階の小会議室から見える景色は低い。
平安は古都の景観を守るという方針があるため、いろいろと建築規制が厳しく、周りに高層ビルはないんだが、さすがに3階程度ではそこまでの見晴らしにはならない。
正直、古都の景観を守れているのかどうか、そもそも平安の出身ではない者にはよく分からない。
生活している限りでは、市内のいろいろな街は普通に都会的で、一部、昔のような雰囲気を維持しているところがある、という程度だ。向こうの方の、背後に見える山がよく見えればいいってことだろうか。
そんなしょぼい小会議室に、最上階となる5階に執務室があるグラマラス――ギルドのグランドマスターである出雲讃良――がいるのは珍しいな、などと俺――築地益男は考えていた。
今回は、緊急会議だ。原因は昨日、俺が部長に上げた情報のはず。そうでなければ、部長級が集まっているこの会議に俺の椅子が用意されている理由が説明できないだろう。
……まさか、こんなに早くグラマラスがあの情報に反応するとは。
いずれ、何か動きを見せるだろうとは思っていたんだが、ここまで早いのは予想外だ。どの部分に反応したのかは気になるところではある。間違いなく、あの部分だとは思うが。
最後に管理部の部長が入ってきて、グラマラスにぺこりと頭を下げて座った。総務部長と商務部長は出張中で平安にいないらしい。
「……すぐに会議を始めたい」
グラマラスは管理部長が座った瞬間にそう言った。その瞬間、管理部長がまずい、という顔になった。まあ、そうなるだろう。上役より遅いとか、どうにかしろよ。
そこはともかく。
さて、グラマラスは、急いては事を仕損じる、という状態か、拙速は巧遅に勝る、という状態か、今はどっちだ? 同じ失敗は繰り返してもらいたくないな。
「では、資料をご覧ください」
そう言って司会を担当するのは秘書課長だ。
どこの部にも属さない、グラマスの直属となる秘書課で、そこに属するたくさんの秘書たちは、実質的にはグラマラスが他の役員どもに付けてる内部でのスパイにあたる……はず。そういう意味だと秘書課にちょっと親近感が湧くな。監査部としては。
それでも、俺と同じ課長職がこの場にいることは、ある意味では安心材料とも言える。課長としての格はグラマス直属ということであっちが上だが……。
ぱらり、ぱらり、と資料をめくる音が聞こえてくる。秘書課長は、グラマラスと違って、ゆっくりとこの会議を取り仕切るつもりらしい。
「……この『走る除け者たちの熱狂』という、なんとも言えない名前のクランが、何かあるのかね?」
人事部長がそう発言した。ギルド内の人事に目を光らせる立場だから、アタッカーのことなんか、見下してるって話だ。本当のところは分からんが、それに近いものを今の言葉で、俺は感じた。
ただ、この発言は、うまくない。なぜなら――。
「ほう? そこにある、クランマスターの名前に、立川部長は見覚えがないようですね?」
――秘書課長が表情を変えずにそう言った瞬間、人事部長はもう一度、資料に目を落とした。
「釘崎、ひかり……釘崎ひかり、ですか……ああ。最近、平坂の方でいきなり退職したという新人に釘崎というのが……まさか。その釘崎がギルドを退職してクランを設立したということですか?」
「人事部には確実に釘崎ひかりの退職については話が通っているはずですが?」
「いや、退職の話はともかくとして、その後にクランを設立してるなどとは把握できるはずがないでしょう?」
「まあ、そうかもしれませんね」
「……最近、退職した、だと? どういうことだ?」
今度は管理部長が発言した。これも、ダンジョンアタッカーを統括する部門の長としてはどうかと思うが……この人たちは本当のトップだからな。下々のことを全て把握できる訳じゃないだろ。
「最近退職した職員の作ったクランが、どうしてCランククランになっとる? ありえんだろう?」
「は? 青山さん、何を……? いや、確かに資料ではCランクに……だが、釘崎というのが退職したという話は、何日前だ? ……先週くらいに、聞いた話だぞ? それがCランクなどというのは……」
「だから、ありえん、と言っとるんだ、立川さん」
「……みなさんは、クランのランクアップについて、とある抜け道があることはご存知ですか?」
秘書課長がぐるっと参加者を見回した。そうやって、二人のやりとりに流されそうになった会議の主導権を秘書課長が取り戻す。
グラマラスはほんの少しうつむきがちに、資料へと目を落としたままだ。何を考えているのかは……。
「抜け道か……Gランクからスタートさせて、そのまま一人でクランを運営するという、話だったか。抜け道というより、裏技という感じの」
「大金を積めば不可能ではないという、あれだな……」
「その大金をGランクアタッカーが用意するのは、実質、不可能だろう? できるはずがない。その一人のアタッカーのランクをGからCまで上げるのに、どれだけ優秀なアタッカーを雇わなければならんと思っとるんだ」
「それでも下北では下北家が主導してEランククランを作ったことがあったはずだぞ」
「それはあくまでも下北家だからできたことだ。平坂家や下北家がどれだけの企業アタッカーを抱えてるのか、知らんのか」
「……その、下北家ですら、Eランク止まりだった抜け道で、Cランクにしてみせたのが、先程から名前が出ている、釘崎、ひかり、です。まあ、下北家としてはEランクより上のランクを必要としていなかっただけかもしれませんが」
ウチの部長以外が口々に抜け道について話しているのをひと通り聞いてから、秘書課長はそう言った。
……釘崎。おまえさん、ものすごい大物の扱いだぞ。よかったな。
秘書課長がそのまま話し続ける。
「……それも、十日もかけずに、ですね。そこの資料にもありますが、クラン設立は7月6日の月曜日で、これは退職と同時です。この時点でGランクなのはまあ当然として、3日後の7月9日の木曜日にはFランク、ただし、Dランク資格保有の状態です。そして、一昨日、7月13日の月曜日に、Eランクとなると同時にDランクになり、さらにはその直後にCランクとなりました。クラン設立から10日もかかってません。というか、1週間ですね」
「クランの設立は退職と同時だと?」
「EからDはともかく、直後にC……?」
「まあ、なんというか。Dランクになった後、平坂支部でのことですが、すぐ隣の受付ブースに移動して、即座に地獄ダンのボス魔石を換金したとのことです」
「……ありえん。なんだ、それは」
「どういう人物なんです? 新人と立川さんは言ってましたが……?」
「資料の4枚目に詳細はあります。ヨモ大附属高の卒業生で、生徒会役員経験者。校内でのランキングでは最高で12位。採用時、中央本部へと声かけしたにもかかわらず、平坂を希望。今回のランクアップまではGランク止まりでした。あと……」
秘書課長がちらりと俺の方を見た。目は合ったが、発言を求められている訳ではないらしい。
「……こちらは内密ですから資料には載せておりませんが、ライトスパイクという名前で小説を書いております」
「変な名前だな……」
「最近は変な名前が普通らしいぞ。孫がそう言っとった」
「覆面作家、というやつか……いや、だがそれは副業規定違反なんじゃないか?」
「彼女はもはや退職しておりますので、そこはどうにもなりません」
「まあ、そうか……」
「……監査部はオマケ付きでここにいるんだ。もっと詳しい情報があるんだろう?」
法務部長はさっきの秘書課長の視線に気づいていたらしい。人事部長と秘書課長のやり取りの後で、部長のオマケである俺に発言させるように秘書課長を促した。
「浅草法務部長のご指名ですが……築地課長、お話、願えますか?」
「はい」
俺は返事をして立ち上がった。
「監査部第3監査課、課長の築地です。部長級の会議という慣れない場ではありますが、精一杯務めさせて頂きます。順を追って説明しますので、少しお時間を頂きたいと思います。まず……」
俺は、監査の太田部長にも説明したように、釘崎に関する調査が行われた流れと、釘崎が突然退職するまでの経緯について、とても自分に都合よく、説明した。
もちろん、釘崎の退職は自主的なものである。そこは絶対に譲れないところだ。調査に入った第3監査課長のパワハラだなどと言われる訳にはいかない。
「……文字が金になるというのは才能だろうに、恥ずかしいものかね?」
「いやいや。私も昔、小説っぽいものを書いてみた経験はあるんだが、恥ずかしいという気持ちはよく分かるよ」
「アンタ、そんなことしとったのか……」
「明らかな副業規定違反や、書籍の内容による守秘義務違反の疑いを監査の方でそのまま流したのは……まあ、この場合は、はぁ。仕方がないとしておくが……望ましい訳じゃないからな……」
とりあえず、その点に関する疑問はないらしい。法務部長だけは、監査部にいろいろと言いたいことがありそうだが。
……あいつの書いてる小説、平坂や雲海、下北ですごく売れてるらしいんだが、部長級だと誰も知らないんだな。まあ、ジェネレーションギャップだとすると、それも当然なんだろうが。
「だが、それと……この、前代未聞のランクアップは関係ないだろう?」
「浅草部長のおっしゃる通りです。私の部下たちが掴んだ情報だと、そこに関係してくるのは、例の『一億円の高校生』ということになります」
「あれか……」
「単なる噂じゃないのか……?」
「実際にヨモツ大学からの支払いはあるんだ。間違いない」
「こっちだと、来年1月のランキングのことでよく話題になるからな。まだ噂だと思っとるとは信じられんな」
「何を……」
「それで、その『1億円の高校生』がどうした? 将来有望だとしても、今回のCランクまでのランクアップに関係があるとは思えんのだが?」
騒がしくなった部長たちを制するようにそう言い、法務部長が俺を見つめてくる。おいこら秘書課長。もうちょっと頑張ってくれ。会議の主導権を取られてるぞ? 問い詰められる俺が大変なんだが? わざとか?
「入ダン記録を見ると、釘崎ひかりのダンジョンアタックに、『1億円の高校生』が付き従っていることは間違いありません。そして、高校生でありながら、釘崎ひかりと共に地獄ダンをクリアしている、というのが間違いのない事実です」
「高校生が地獄ダンをクリアだと……? 確か、陵くんでも高校時代に地獄ダンをクリアしてなかったぞ?」
「待て……『1億円の高校生』は、ひょっとすると、高校1年、なのか? 築地くん?」
「何の話だ、浅草部長?」
「いや、昨日、平坂から問い合わせがあって対応したんだが、高校1年生で見習いアタッカーの登録が行われて、それが法的な問題はあるのかと……つまり、あれは……『1億円の高校生』の話だったのか?」
「あ、いえ。その話は、私も今、初めて聞いたので……」
……マジか、鈴木のやつ。あいつ、クランがCランクになったら、すぐに見習いアタッカーになったのか? 聞いてないぞ? 俺はおまえのことに一番詳しいからここに呼ばれてるはずなのに、かっこ悪いだろう、これじゃ?
管理部長が首を振ってから口を開く。
「いやいや、高校1年生が見習いアタッカーはどう考えてもおかしいだろう? 卒業まで2年以上あるのに?」
「いや。法的には何の問題もないというのが、今のところ、こっちとしては公式な見解になる。顧問弁護士の甑先生もはっきりとそう言ってたからな。このままでいいとは言わないが」
「え、そうなのか?」
……ダンジョンアタッカーの統括部門である管理部の部長が知らないって、いくらこの人のこととはいえ、それでいいのか?
だが、法務部長の口ぶりだと、法務部長でさえ顧問弁護士に聞くまではそう思ってたって感じではある。
鈴木、おまえ……またやらかしたな……。
「だが、そうなると……期待の大型新人が卒業前に退学になるんじゃないか? ヨモ大附属なんだろう?」
「ああ、あれか。ヨモ大附属だからな……見習いとして90%も抜かれたら、確かにそれは厳しい……」
さすがにヨモ大附属の方針は有名だ。部長クラスなら、みんな知ってるらしい。
「それは、困るな」
そこで、グラマラス――出雲讃良がはじめて発言した。
「グラマス、困ると言われても、私どもではヨモ大附属に口出しはできません」
「……港経理部長はクラン『走る除け者たちの熱狂』がどういう設定で換金額を動かしているのか、至急確認をしてほしい」
「はい。では、少し失礼して……」
グラマラスは人事部長の発言を聞き流して、経理部長に指示を出した。経理部長はすぐに席を立って小会議室を出て行く。
クランの収入が魔石などの換金を基本とするため、ギルドがクラン内の分配についてもシステム的に管理することで、経理的なクランの負担を軽減している。
ギルドによるクランへのサービス、という形だが、見方を変えればギルドがクランにおける金の動きを見張っているとも言える。
経理部長はそっちの統括部門の部長だ。ダンジョンアタッカーの統括は管理部なのに、クランの金の動きは経理部。そして、アタッカーに直接対応する脳筋な管理部は法務に弱い。これが縦割り組織の弱点というやつだろうか。
「浅草法務部長。平坂からの問い合わせは、どういう経緯だった? 平坂支部……いや、出張所からか? それともその後ろにヨモ大附属がいるのか?」
「……直接はヨモ大附属の出張所からですが、出張所にヨモ大附属の教師からの問い合わせがあって、こちらへ確認が入ったと記憶しております」
「……それなら、とりあえずヨモ大附属は彼が退学にならないように、と考えたはずか……」
会議が、こっちが想定していた流れを超えていく。鈴木からの情報がないと俺は弱いな。くそ。
今夜の電話で鈴木に待遇の改善を要求しないとダメだ。二重スパイって言ったんだから責任を持てと言いたい。
「すまないが、『1億円の高校生』……つまり、ヨモ大附属の鈴木彰浩、彼は、今後のギルドにとって、陵竜也と並ぶ最重要人物だと認識してもらいたい」
「鈴木、彰浩……」
「鈴木、というのか……」
「だが、まだ高校生だろう……?」
中にはまだ鈴木の名前すら知らない部長もいたらしい。もっと有名なのかと思ってたんだが……まあ、そんなもんか。
「約10年前、陵竜也をたかが高校生と侮っていた連中がどうなったか、知らない訳ではないはずだ。それと、この話は知ってる者もいるとは思うが、先月、彼……鈴木彰浩は5日間で約3000万という換金額を叩き出したと聞いた」
「……3000万だと? 5日間で?」
「先月というと6月……高校1年生という話だが……この短期間で? 附中出身か?」
「ああ、今年のヨモ大附中出身は、あの陵竜也以来の、なんだ、プラチナエイジ、だったか? 優秀だという話があったな」
「彼は附中ではなく、一般入学の首席だ」
「え? 私は今年の入学式に出席しましたが、代表で宣誓したのは確か女子生徒でしたよ?」
「どうやら、代表を断ったらしい」
「はい?」
「バカな……もったいない……どれだけ名前を売れると……」
本当に呆れた、という顔で管理部長がそうつぶやいた。
「……実際、自分の名前を売るつもりはなく、さらには既存のクランにも興味はないらしい。新設の、Gランククランに協力して、それをCランククランへと押し上げて、とどめにそこの見習いになったんだとしたら、の話だが」
そう言ったグラマラスの口調にも、どこか呆れが混じっている。
「……彼がその、釘崎ひかりのクランの見習いになったかどうかは、まだ確定してませんでしたな」
……いや。確定してる。そもそも釘崎のクランは……鈴木のクランだ。その情報は絶対に出せないが。
「グラマスは……『1億円の高校生』のために、この緊急会議を?」
「いや。そうではなく……」
「すみません、戻りました……」
そこに経理部長が資料を手にして戻ってきた。額に浮かぶ汗を見ると、かなり急いだに違いない。
「……港経理部長、釘崎ひかりのクランでは、見習いアタッカーへの換金額からの吸い上げは何%になっている?」
「ええと……はい。えっ⁉ 40%! あ、いえ。40%に設定されています」
「通常の半分以下とか……」
「どういう設定だ?」
「まさか、優秀な新人を全部かっさらうつもりか?」
「……いや。そうなんじゃないか?」
「立川さん……?」
立川人事部長に視線が集まる。
……優秀な新人を全部、となると、間違いなく大問題になるな、これは。鈴木、大丈夫なのか、本当に? 共倒れは避けたいんだが?
注目に対して視線を返さずに、立川人事部長はややうつむきがちに、自分に言い聞かせるように語り始める。
「今、プラチナエイジと言われる学年がヨモ大附属に入学しただろう?」
「それは、知ってるが……」
「釘崎ひかりは、中央本部の誘いを蹴って、平坂を希望しているという話だったな。しかも、平坂支部ではなく、ヨモ大附属の出張所だ。当然、卒業したばかりだから、新入生がプラチナエイジだということも知っていただろう」
「確かに……」
「隠していた副業がバレて、解雇されたとしても、実は気にしなかったのかもしれないな。最初から、有望な新人をスカウトできた時点で退職して、クランを設立するつもりだったとしたら」
「なっ……」
「いや、だが、そこまでは……」
「普通ならありえない、40%という見習いアタッカーからの吸い上げと、普通ならありえない、クラン設立と抜け道を使ったランク上げ。このふたつだけでも、かなり入念に計画しているとしか思えん」
そこで人事部長の話は止まった。ほんの少しだけ間をおいて、口を開いたのは法務部長だった。
「……一度しか通用しないやり方だな。法務部としては、今後、経産省と相談して、法改正か、もしくは通達かで、高校生の見習いアタッカーの学年を法的に限定していくつもりだ。法的にどうかという問題とは別に、今のままだと青田刈りで騒動が起きる可能性が高い。こういう抜け穴は早く潰すべきだ。それに、高校生の早すぎる見習い入りは教育上もよろしくはないからな……。ああ、いや……だからこそ、そこの部分に……青田刈りに、もっとも適した『1億円の高校生』に目を付けた、のか……築地くん。彼と釘崎ひかりの関係については何か分かっているのか?」
……法務部に法改正まで考えさせるとは、鈴木は怖ろしいヤツだな。
高校の就職活動は3年生からという常識と法律の条文のズレを突いたのか。法務部長が通達とも言ったから、あいつのことだ、法律だけじゃなく、そこまで目を通して抜け穴を見つけてた可能性が高い。
トップクランの勧誘も、三大附属の中ではヨモ大附属がもっとも人気だ。だから、見習いアタッカーになるのは、ヨモ大附属での支払いに問題がなくなる3年生の夏休みからが基本で、それが常態化、常識化していた。
ダン科でない場合も、高卒での就職なら一般的には高校3年生で就職活動をするのが普通だ。
鈴木の常識破りか。だとすると、ある意味ではいつも通りなのか……?
「……あ、はい。先程グラマスがおっしゃっていた、5日間で3000万円という換金額の話は、ギルド側で不正監視と確認をしていたのが釘崎ひかりでした。出張所でも、彼とはよく話をしていたと所長の宝蔵院から確認が取れています。実質的に、いろいろと規格外な彼のお世話係のような状態だったそうです。ですから、しっかりとコンタクトは取れていたはずです」
……これは全て真実だ。俺が嘘をつく必要はひとつもない。悪いな、釘崎。まあ、ちょっとした仕返しだと思ってくれ。
「やはり、そうか……」
「信じられんが、そういうこととしか思えんな……」
「余計なことかもしれんが……こっちの資料だと、釘崎ひかりのクラマス報酬は7%になっとるぞ」
「……普通は1%とか、2%とかじゃないのか?」
「あの陵竜也の『竜の咆哮』で3%だと聞いたことがあるんだが……」
「自分の換金分も合わせて7%となると……」
「いや。自分でアタックしないつもりなんじゃないのか? そもそも小説家なんだろう?」
「……つまり、不労所得としてのクラン設立か? 自分だけは安全なところから稼ぐとか?」
「法制上の抜け穴をうまく突いて、プラチナエイジのもっとも有望な新人を見習いで早期に確保、少なくとも卒業後3年間は在籍してたくさん稼ぐだろう? 3年間でギルドを抜ける方が珍しいんだから、その収入はその先も続くはずだ。そして、その総額からクランで吸い上げて、そこからの7%だぞ? 小説なんて、当たるかどうか、分からんだろう? どう考えてもこっちの方が確実だ」
「文筆で稼げるくらい頭がいいんなら、そういうことも考える、のか……?」
「……最新のデータにとんでもないものがあるぞ」
「港さん?」
「月曜にCランクになってから、大量に銀の延板をクランカードの方で換金。700万近いクラン収入が入って、それを……」
「それを? 港さん、もったいぶらないでくれ」
「……火曜日、この朝のうちにほぼ全額、YRQの株の購入にあててやがる……」
「株式投資か? 確か、政府方針でトップクランは……」
「政府が指定している企業への投資は、トップクランだと非課税だ。非課税はやりすぎだと思うが、トップクランがギルドとの魔石の換金で握ってる巨額の資金を吐き出させて、それで経済界で動かしたいというのが政府の本音だからな。商務課が魔石貿易で稼いでも、そのおよそ半分はクランやアタッカーに流れるんじゃ、国全体の経済としてはうまくない。もちろん、本当は製造業に突っ込んでほしいんだろうが……運輸系でYR関係なら、民営化した旧政府系の企業だから、間違いなく非課税の政府指定には入ってるだろう。しかも、YRQは、赤字路線を抱えた鉄道事業はともかくとして、駅チカの土地開発が中心の不動産事業でかなり稼いでるし、将来性も抜群の企業じゃないか……」
「浅草さん、アンタ、法務のクセに株まで詳しいのかい?」
「そういう話じゃない。釘崎ひかりってやつは、とんでもなく賢く稼ごうとしているってことだ」
「どういうことだ?」
今度は法務部長と管理部長のやりとりに注目が集まる。どうにも忙しい会議だ。司会のはずの秘書課長はあきらめ気味に立ち尽くしている。
法務部長は聴衆を意識するかのように、ぐるっと小会議室のメンバーを見回してから、口を開いた。この人、話が長いんだよな……。
「いいか、クラン設立とランクアップの抜け道は、クランメンバーが一人であることが前提だ。それで、クラマス報酬が7%、他には見習いだけなら、残り約90%のクラン資金は、全部、投資に回せるじゃないか。しかも、Cランクのトップクランになったのなら、政府方針で投資が非課税になる企業がたんまりとあるんだぞ? そして、その投資で返ってくる配当や売買益は結局、クラン収入になってそれをまた投資に使って……『1億円の高校生』が高校生の間は自分ひとりだけのクランでやりたい放題。卒業後にメンバーが増えたとしても、その頃には買い込んだ株からの収益だけでいったいどれだけのリターンがあると思う……?」
「本当の狙いは、政府が進めているクラン資金の投資で、そこからの利益ということか……? つまりクランをクランじゃなくて、投資ファンドのように利用してるってことか……?」
「そこに目を付けてるクランなんて今までなかったってことが、重要だ。陵竜也の『竜の咆哮』が政府の方針に乗っかって株を買ったなんて、聞いたことあるか? ないだろう?」
「そりゃ、株にはギャンブル的な要素があるからだろう?」
「どちらかというと、アタッカー連中はあの能美みたいな脳筋思考が多いからじゃないか?」
「いや、陵くんは上を目指すタイプだからな。アタック資金が必要で、そっちに回せる資金はないんじゃないか……?」
「クラン規模も大きいし、分配を考えると、そういう運用できる部分は少ない可能性もある……」
「形式上はメンバー一人の釘崎ひかりのクランならそういう問題は全部クリアだ。投資は少額でもできなくはないが、やはり資金は多い方がリターンもいいだろう? クランとして資金を集めて、非課税の指定に入ってる企業の中で特に優良なところを狙うというのは、かなり上手いやり方だと思うんだが……しかも、『1億円の高校生』は5日間で3000万も稼いでくるんだろう? 彼が見習いになっていたとして、その40%だけでも1200万、そこからのクランマスターの報酬だけでも7%で既に84万だから、100万に近いな。自分では何もしなくても、だ。当然、危険なダンジョンアタックも、な」
「そういうことか……自分は副業……いや、もう本業か。小説家として稼いで、クランでは優秀な後輩をスカウトしまくって稼がせて、さらには株で大きく稼ぐとか……釘崎ひかり……いったい何者だ……? 今までも、どこかのクランに誘われてギルドを辞めていった者はいるが、ここまで計画的なのは……」
……あのおとぼけな釘崎がそんなこと考えてる訳があるか⁉
いや、だとすると、鉄道会社の株の購入は鈴木の指示ってことになるんだが……いや。あの鈴木なら、なんでもありだな、たぶん……そういう気がする。
「どこの経済学部出身だ……いや? ヨモ大附属か。高校からの新卒ならまだ19歳でこれか……ありえん……」
「釘崎、ひかり……確かに、逸材かもしれん……」
「立川さん、逃がした魚は大きいんでは? 人事部の怠慢じゃないか?」
「そう言われても、どうにもならんだろう? そもそも釘崎ひかりがこれを最初から狙っていたんだとすると、我々にはどうにもできんことだ。それに、採用の時の部長面接は、ここにいるメンバーだって加わっていたじゃないか。採用前にこれを見抜けなかったというなら、ここにいる全員が、同罪だろう?」
「……株に関する話は、私も初耳ではあるが、確かに、そこまで考えていたとすると、釘崎ひかりという人物が並みじゃないのは間違いない、か。それはある意味では朗報だ」
「グラマスは、『1億円の高校生』ではなく、釘崎ひかりのクランを……? まさか?」
「ああ。釘崎ひかりのクラン、『走る除け者たちの熱狂』に、特別指定クランの内定を取り付けたいと考えて、この会議を開いた」
「ギルドからの全面的な支援、ですか……」
「あの陵竜也の『竜の咆哮』でさえ、初めて国際クエストを達成した時に指定したんじゃなかったですか?」
……監査部にはもう先にこの話は入ってたんだが、グラマラスの狙いは別にある。
グラマラスは小会議室の全員をぐるりと見回した。
「……アタッカーのランクアップでもっとも難しいのはどのランクとされているかは、知っているだろう?」
「Eランク、ですな。ボス魔石でクリアできるCランクやDランクよりも、8層格や9層格の魔石1000個を集める方が、はるかに時間がかかる」
「そうだ」
「……グラマスはそこを……ギルド職員を可能な限りEランク以上にして、強いギルドにしたいと常々言っておられますが」
「……この釘崎ひかりのクランのランクアップは、Cランクまで十日もかからずにクリアしている。つまり、難しいと言われるEランクですら、あっさりとやってのけたということになる」
「そこに、目を付けた、と?」
「釘崎ひかりは、Eランク用の魔石を大量に集めるための攻略情報を握っていると考えている」
……この部分については、以前、鈴木が豚ダンを初めてクリアした時点で、宝蔵院からグラマラスへ情報が流れたはずだ。今、それを釘崎ひかりの話として出すのは、どういう意図がある?
いや。あれは、豚ダンのクリア……つまりボス戦の攻略情報か。そうすると、グラマラスは本気で釘崎ひかりが……つまり、グラマラスも勘違いしているのか……。
「それを手にして、ギルド職員を可能な限りEランクにしていこう、ということですね」
「最大でも10日程度で、可能性としては、4日間だ。実際、FランクからCランクまでは4日間しかかかってないのだから。これが使える攻略情報なら、1週間の研修期間で、ギルド職員をEランクにできるということになる」
「強いギルドの実現、ですな」
「アタッカーに舐められてますからな……残念ながら、今は」
「……だからといって強引な方法は……法務としては、あまり好ましくありませんがね?」
管理部長とグラマラスは、地方の小さいギルドの問題にいつも頭を悩ませてるから協力関係にあるんだが、一方でグラマラスはダンジョンを利用した強引な方法も使うべき時には使う。そのせいで法務部長とは対立しやすい。
……こういう部分の見極めが、組織での生き方の基本ではあるんだが、面倒な話でもある。俺も釘崎に雇ってもらって5%くらいもらった方がいいのか?
「いや、正面からの交渉でどうにかしたい。そもそも、釘崎ひかりはギルドで働いていたんだ。つながりがある者も多い。交渉の余地はたくさんあるはずだ。とりあえずは、一度、休憩をはさもうか。それぞれ、各部で集められる情報を確認して、そうだな、30分後にもう一度、集まってくれたまえ」
今回、グラマラスは強引な方法は使わないと宣言した。まあ、見えないところだと分からんが……。
「……すっかり司会役としての立場を失ってしまいましたが、では、みなさん、10時半にここに集合して下さい。休憩に入ります」
さっきまで気配を消していた秘書課長が微笑みながら、冗談交じりにそう言うと、参加者は苦笑いをしながら、一度休憩に入った。
おそらく各部で情報収集のために動くから、休憩にはならないだろう。




