180 鳳凰暦2020年7月9日 木曜日 犬ダンジョン
ヨモ大附属ではテストが終わればテスト休みになります。
これは先生方が採点し、成績をつけるための休みではないかと思います。先生方のご都合とはいえ、わたしたちにとってはただの休みですが。
もちろん、ありがたく、ダンジョン入りするための時間として使わせて頂きます。それは、わたしにとっては、鈴木さんと一緒にいられる素敵な時間なのです。もっと休みが増えてもいいと思います。
ただし。
今朝は、犬ダンジョンでクランマスター――仮の、ですが――と待ち合わせてから、犬ダンジョンに挑みます。わたし――岡山広子と、鈴木さんと、クランマスターの3人で、です。少しだけ、残念です。
あぶみさんたち他のクランメンバーは、犬ダンジョンではなく、豚ダンジョンの3層で9層格の魔石、2層で8層格の魔石を、大量に集めることになっています。
3層では、あの、テスト前に繰り返した槍アタックです。もちろん、それは鈴木さんの指示です。
豚ダンジョンのボス戦はなし、ということです。那智さんと端島さんの豚ダンジョンのクリアは後日、ということになりました。
とにかく、ひたすら魔石を集めて欲しい、ということでした。
疑問や質問はあったとしても、鈴木さんの方針に反対する人は特にいませんから、言われた通りに行動するはずです。
那智さんと端島さんのことを高千穂さんや伊勢さんは心配していましたが、二人はどちらかと言えば豚ダンジョンのボス戦を怖がっていたので、むしろ嬉しそうにしていたとわたしは思います。
いずれは経験しなければならないので、怖がっていてもどうしようもないとは思いますが、ボス戦に対する恐怖心が生まれるのは、これまでの小鬼ダンジョンと犬ダンジョンでのボス戦2回のうち、小鬼ダンジョンでのボス戦のトラウマがあるからではないか、と……。
……こほん。それはともかくとして。
これはわたしのカン、というか、ほぼ確定なのですが、おそらく仮のクランマスターは女性です。鈴木さんのノートパソコンを横から見た感じでは、女性ばかり面接していましたから、鈴木さんは。
どうして、こう、女性関係が広がっていくのでしょうか……? 不思議です。
今朝もいつものようにぐっすり寝ている奈津美ちゃんを起こさないように部屋を出て、鈴木さんと一緒に犬ダンジョンへの道を歩きます。
特に会話はありません。それはいつものことです。昨日、あんなことがあったのに、です。まあ、昨日のうちにいろいろとお話はしましたが。
昨日は本当に驚きました。
テストの打ち上げの会場となった鈴木家御用達のお寿司屋さんへ行ったら、鈴木さんと一緒にタツにぃ――陵竜也さん。日本のトップランカーです――がいたのです。
一瞬、状況が理解できませんでしたが、タツにぃに声をかけられてわたしは我に返りました。
わたしとしては、タツにぃがわたしのことを覚えているとも思っていませんでしたし、すごい知り合いがいるからといって自慢するような真似はしたくなかったので、誰にも説明してなかっただけなのです。
ところが、わたしからタツにぃの話を聞かされていない人からすると、どうして話してくれなかったのか、と思ってしまったようです。
こういうところは、本当に、なかなか難しいところです。
そこで「タツにぃは母と離婚して外国にいる父の知り合いで、子どもの頃に遊んでもらったことがある、というくらいの関係です」と説明したのです。
そうすると、今度は離婚というキーワードがそれなりにプライバシーに踏み込んだ内容なので、結果として、みなさんに申し訳ないという表情をさせてしまいました。
本当に、どうすればよかったのでしょうか……。
そこからはいつもの打ち上げとは違って、少し変な雰囲気になりました。微妙な空気、と表現した方がいいのかもしれません。
……高校生のテストの打ち上げに憧れのトップランカーが同席していたのですから、高千穂さんや伊勢さんはもちろん、他のみなさんは聞き耳をたてつつも、お寿司に集中するフリをしている、という状態ではなかったかと思います。
タツにぃの隣に、ほぼ無理矢理座らされた下北会長が、タツにぃとゆっくりお話しして下さっていて、それ以外のメンバーは、タツにぃに興味があってもなかなか話しかけられない、という感じでした。
ちらちらとタツにぃの方を見ているのですが、やはり声をかけるのはためらわれるのでしょう。
鈴木さんは当たり前のようにタツにぃと話していましたが……。
それを見ている高千穂さんや伊勢さんの視線は、動物園で珍獣を見ている時のような感じでした。
お寿司はとても美味しかったのですが、テストの打ち上げとして考えるとタツにぃは完全に異物でした。
わたし、個人としては、ここの大将さんが子どもの頃の鈴木さんの話をたくさん教えて下さったので大満足でした。
きっと女子寮に戻ったメンバーは、誰かの部屋に集まっていろいろと話をしたのでしょう。タツにぃのことについて、です。
わたしは外泊予定だったので、そのまま鈴木さんと一緒に鈴木家へと帰りました。
寮でのみなさんとの会話に参加したとしても、タツにぃのことで、わたしが微妙な空気を生みかねない存在になっていたと思います。本当に外泊のタイミングでよかったです。
外泊だから全てが問題ないという訳ではありません。
鈴木さんには、わたしがわたしの事情について秘密にしていた、と思われてしまうと困ります。
だから、昨夜、ゆっくりと鈴木さんのお部屋でお話をしました。
今はもう、問題ありません。そもそも、鈴木さんはわたしが秘密にしていた、とは考えてらっしゃらないようなのでそこはとても安心です。
元トップランカーで、この国を裏切ってカメリアへと移った私のお父さんのこと。
お父さんとタツにぃ……陵竜也さんが知り合いというか、師弟関係のような? そういう状態だったこと。正確なことは子どもだったのでよく分かりません。
お父さんとお母さんが離婚して、わたしとお母さんの二人でこの国に戻ってきたこと。
そして。
アタッカーになれば……もしかするとお父さんに会えるかもしれないと考えて、この道に、この学校に進学したこと。
初恋ですらない、どこかのお兄さんという感じの、そういうタツにぃとの関係を鈴木さんに誤解されたくはありませんから、いろいろと今までは言えなかったことを話したのですが、さすがにお父さんが誰かということだけは伏せたのです。
ところが鈴木さんは……わたしのお父さんが誰なのか、すぐに言い当ててしまいました。タツにぃ……陵竜也さんの師匠になれるような人は限られているから、と。
まして、この国を裏切って、と表現すればそれはすぐに誰か分かってしまう、と。
……このことはできる限り秘密にしておくように、と鈴木さんに言われました。その相手があぶみさんたちであったとしても、です。
わたしがお父さん――熊田冬弥の娘だからといって、法的には何も問題はないのです。
ただ、感情的な部分では、そのことがどう影響してくるのか、予想がつかないそうです。裏切り者という言葉にはそれだけの重みがあるそうです。
もちろん、わたしもそのことは理解していたので今まで話すことができなかったのですが。
鈴木さんはわたしのお父さんが誰だったとしても、わたしが鈴木さんのパートナーであり、パーティーメンバーであるという事実は変わらないと、そうおっしゃいました。
思わず涙が出てしまい、鈴木さんを慌てさせてしまいましたが……鈴木さんが慌てる姿を見てすぐに涙は止まり、それどころかそんな様子を嬉しく思ってしまうのですから、わたしもずいぶんと身勝手なものです。
そもそも、泣いたのも、嬉し涙でした。
……鈴木さんを独り占めしたい。
そういう欲が湧いてきます。
もちろん、それではダメなのだということは理解しています。
この気持ちがパーティーやクランを崩壊させてしまう可能性があることは分かっているのです。
恋愛感情。それが、パーティーやクランを崩壊させる、最大の要因とされています。教科書にもそう書かれています。
より正確には恋愛感情によってパーティー内やクラン内で、特定の人だけを特別扱いしてしまうことが、パーティーやクランを混乱させ、崩壊させる、とされています。納得しかありません。気を付けなければならないと思います。
それでも、どうしても止められない。それが恋愛感情です。だから、せめて隠すように努力はします。隠せていない気はしますが……。
ただ、残念ながら、わたしたちのクラン『走る除け者たちの熱狂』の仮のクランマスターはおそらく女性であるというだけで、わずかながらわたしの心は動揺してしまうのです。わずか、ですよ……?
鈴木さんが自分のクランを信頼して預けることに決めた方、なのです。そこまで鈴木さんに信頼されるとは……いったい、どういう関係なのか……。
今からの顔合わせで、そのまま犬ダンジョンに挑むのですが、本当にどのような方なのでしょう?
そんなことを考えていると、鈴木さんが犬ダンジョンの前にいる女性に近づい……って、え?
この方は……あれ? 見たことが、あります。今までに、何度も。
確か、学校のギルドの方のような気が……。
「すみません、お待たせしましたか、先輩?」
「それほど待ってはないけど、いくらなんでも時間が早過ぎるよ、鈴木くん……」
「まあ、急いだ方がいいからしょうがないんで。あ、こちら、岡山さんです。えっと、知ってます、よね?」
「今年の学校祭の武闘会で優勝したんだから知ってる……。えっと、釘崎ひかりです。今日からよろしくね」
そう言いながら、学校のギルドの方はわたしにぺこりと頭を下げました。
それから……ほんの少しだけ、目が合わないように視線をそらしつつ、自己紹介をして下さいました。
わたしも礼儀正しく頭を下げてから姿勢を正し、目を合わせよう……とするのですが、目が合いません? どうしてなのでしょう?
「岡山広子です。どうかよろしくお願いします。あの、学校のギルドで……」
「あー、それ? ええと。あのね、あたし、ギルドはやめちゃったんだ。あはは」
……あははって。そこは、笑うところなのでしょうか? 目が合わない理由は、ギルドをお辞めになられたことが、少し恥ずかしいとか、そういうことでしょうか?
いえ。そうではありません。
この方、ギルドを辞めてまで、鈴木さんに協力している、ということなのではありませんか⁉
え? それはいったい……。
アタッカーズライフデザインの授業でも取り上げられていますが、ギルド職員は卒業後の進路先として、安定・安全・安心の職場だと言われています。
アタッカーを育成する三大附属のうち、最大の規模を誇るヨモ大附属が、卒業後にアタッカーとならない進路をお薦めしているというのは不思議ですが……。
それを辞めて、このクランに……?
「まあ、とにかく、行きますよ」
「……ホント、ダンジョン以外に興味ないね、鈴木くんは」
「そんなこともないですけど……まあ、そういう部分もありますね」
「はいはい。じゃ、鈴木くんの力、見せてもらおうかな!」
「ま、そこは別に。もう魔法契約も済んでますし」
「……そうなんだよねぇ……」
……この二人は、どうも、わたしが考えていた以上に仲が良いというか、何というか。
学校がお薦めする安定定職であるギルド職員を辞めて、鈴木さんに協力するほどに仲が良い……それはつまり……。
まさか、そんな……。
「岡山さん、行くよ?」
「あ、はい……」
鈴木さんに呼ばれて犬ダンジョンのゲートを通過しながら、わたしはとてつもない不安に襲われました。
……そういえば、以前、鈴木さんが女性と一緒に、深夜にタクシーで帰宅したと奈津美ちゃんが言ってました。
そんな……まさか……この方と鈴木さんは……。




