160 鳳凰暦2020年6月30日 火曜日夜 平坂市内桃小校区から柿小校区の夜道
なんだかよくわからないうちに、恋心を自覚して、さらにはその翌日にすぐに失恋して、それなのに一緒に勉強する……あ、ちょっとちがうか。勉強を教えてもらうことになって……。
あたし――設楽真鈴は、今、失恋した相手である好きな人と一緒に、その背中をちらちらと見つめながら夜道を歩いてる。
……失恋したのに、ドキドキはなくならないって、どういうことなんだろ?
もう、よくわかんないや。一緒に歩けるだけでも嬉しいし。失恋したのに、恋心って失われてないよね? なんで? 失恋って何?
でも、家族公認の彼女がいるんだよね……その人しか、鈴木くんの部屋には入れないみたいだし。ヒロねぇ、って人。誰なんだろ? たぶん、年上の人かな?
あ、でも、あたし、こうやって一緒に歩けてるな?
これって、男女の仲としては、なかなかポイント高くないかな?
夜道だし。うん。夜道最高。
どうなんだろ? 嬉しくてドキドキしてるのは、自覚、してる。
まあ、そもそも、一緒に歩くとはいっても、ただ単に家まで送ってもらってるだけなんだけどさ……そう考えたらテンション下がるなぁ……。
……あ、今日も鈴木くん、なんか、香水っぽい匂いがする。
昨日とは、また、ちがうやつかな?
これもオシャレ? どうなんだろ?
あたしには興味のない分野すぎる。あれかな? 汗ふきのシートの香り付きのヤツ? あれ?
テスト週間だからダンジョンには入れないよね? 汗、かくの?
あ! まさか、鈴木くんってば、トレーニングとかやってたり? ありそうだな、鈴木くんなら。昼休みとか、どっか行ってるし……。
あの平坂さんよりも、鈴木くんの方が順位が上なんだよね、首席だから……それって、あたしたちよりもすごいってことだから、全然想像できないんだけど……。
昨日はこのへんの、色々なところを説明しながら歩いた。
でも、昨日、もうそれをやっちゃったから、今日は話題がないという……たぶん、鈴木くんはあたしとの会話がないのに、そのことは全然、これっぽっちも気にしてない。そんな感じがする。
それは鈴木くんだから仕方がない気もするし、でもなんかさみしいし。
うーん、どうすればいいのか、誰か教えて……こういう時の相談相手がいないってつらいかも……。
キリちゃんとか、雪村さんとかなら、恋愛相談もできなくはないかもだけど、クランのみんなは基本的に寮だもんなー。
……あたしの場合、相手を伏せて相談しても、すぐにバレそーなんだけどさ。
鈴木くんに関しては、平坂さんには相談しにくい……っていうか、それはムリ。するんなら相談じゃないと思う。もっと別の……うん……相談じゃないよね……。
……あー。鈴木くんが好きだって気づく前は、ケンカするくらいの勢いで、なんか、色々と言えてたのに。
むぅー。恋って、難しい。ホント、これ、なんなんだろ?
昨日もそうだったけど、今日も、たぶん。家に帰って『ドキ☆ラブ』を読んだら、その場面が頭の中であたしと鈴木くんになっちゃうんだろうと思う。
恥ずかしい……あんなにえっちぃのに……。
今、鈴木くんはあたしの半歩前を歩いてる。
目的地はあたしんちなのに、あたしの半歩前って。もうあたしんちの場所、覚えてるんだ。記憶力、良すぎ。
え? 1回だけだよね? 昨日の?
……まさか、ずっと前からあたしんちがどこか、知ってたとか? ええ? そんなことってある?
いや、ないかー。そんなことは。
あー、なんか、鈴木くんってイメージよりも肩幅、広いんだ。勉強できるから細いイメージがあるけど、全然違う。
こんなにじっくり鈴木くんを見るのは初めてかも。まあ、考えてみればあの強さなら、鍛えてないはずがないよね。
そういえば、中1の時も同じクラスで、入学式の前から、教室で本、一人だけ読んでたっけ。あれ? あたし、なんでそんなこと、覚えてんの?
まさか、自覚してなかっただけで、あたしってば、その頃からずっと……いやいやいや、そんなの鈴木くんしか、教室にいなかったからね、入学式の前から本、読んでる人とか⁉ あれは目立ってた! 鈴木くんが目立ってただけだよね……?
中1のトキ……中1のトキ……ああ、そっか。最初の、中間テストで、鈴木くんだけが5教科全部100点満点だったって、大騒ぎになってたっけ。
鈴木くん、賢いって一気に有名になったんだよね……意外と同じ桃小出身の人も鈴木くんが勉強できるって知らなかったみたいで……。
あれ? そうやって思い返してみれば……なんか、いっつも教室で本、読んでたな? 高校生になった今もそうだけど、中1もそうだった⁉
うん? 本を読んでたってこと以外は……あ、運動会か。
そういえば……圧倒的に速かった……リレーも必ず選ばれてた気がする……。
あれ? あたし、やっぱり鈴木くんのこと、けっこう覚えてないかな?
いやいや。鈴木くんの特徴的なところだけじゃん。勉強と足の速さ。昔からあたしにとっての特別だったワケじゃないよね……。
あー、後は、部活関係の表彰で見たトキはあるか……。
あたしと一緒に壇上に上がったこともあったなー。1年も2年も、新人戦の表彰は一緒だったはず。剣道も個人があるし。陸上はそもそも、基本的に個人だし。個人の並びにいつもいたよね、興味なさそーな感じで……。
2年はクラスがちがったし、それくらいかな?
あ、3年もクラスはちがうか。
でも、3年といえば、もう、アレだ。テストの予想問題。2学期で、あたし、推薦のためになんとかテストの点数がほしくて……。
………………うわぁ。これに関しては、思い出そうとしたらめちゃくちゃ思い出せる⁉ これが黒歴史ってやつなのかな?
だってあたしの目の前で、あのえっちぃ『ドキ☆ラブ』を開いて、中を見始めたんだよ?
鈴木くんってどうなの?
それを差し出したあたしが言うなって話かもだけど!
それで、鈴木くんは、絶対に言わないでってお願いしたら、誰にも話さなかったんだよね……そういう点で、信頼できる男の子って、今も思ってるけど……。
しばらくはバラされたらどうしようってドキドキして、廊下とかで鈴木くんを見かける度に隠れた、り……って、あたし、もう、あの頃から、めちゃくちゃ、鈴木くんのこと、意識してたんだ……今さらだけど、納得かも……。
ふぅわぁぁぁ~……恥ずかしい~……あたしってば、なんで好きな人にえっちいマンガを差し出してんの⁉
誰かタイムマシンを下さいっ⁉
黒歴史を消したくなるってこのことか⁉
わかる! すんごいわかる!
そういえば高校でも、入学式のすぐ後にやらかしてるし~~~!
超至近距離で壁ドンみたいなことしてたーーーーっっっ!
え~? あたしって、鈴木くんから、どう考えても変な女って、思われてるよね? どこからどう考えても⁉
……あ、でも。カワイイって言ってはくれてる。たとえそれがあの女神二人のオマケだったとしても。
うぅ。今、きゅんってなった。
これ、何?
ちょっと痛いかも。『ドキ☆ラブ』で勉強したことと、なんか、実際には、全然ちがう……。『ドキ☆ラブ』みたいな恋に憧れてたけど、なんか全然ちがう。
あんなにうまくいかないよ……。
嬉しくなったり、悲しくなったり、痛くなったり、あったかくなったり……気持ちがぐるぐると忙しい……。
その時、ちょうど曲がり角で、鈴木くんが立ち止まったことに気づかなかったあたしは、一歩、前に踏み込んでしまった。
鈴木くんが手を伸ばして、あたしをさえぎるようにして止めてくれたけど、目の前を車がびゅって通り過ぎていった。
わひゃっ⁉
……あっぶない。交通事故になるとこだった。でも、鈴木くんが……あたしのこと、守ってくれたんだ。
あたしの目の前に、あたしをさえぎって止めるための、鈴木くんの右手が、あった。
鈴木くんが引っ込めようとしたその手を。
あたしは思わず、その手を握った。握ってしまった。
…………え? あたしってば、何してんの⁉ ホント、何してんの⁉
「……設楽さん?」
わーっ、なんかめっちゃ疑問文な感じ~! なんでって思ってる! めっちゃなんでって思ってる⁉ あたしも自分で思ってるけど⁉ え? なんで?
「え、えと、さ、さっきの車、ちょっと、ここ、怖かったから……」
何言ってんのあたし⁉ 意味わかんない⁉ そもそもあたしってそんなキャラじゃないし⁉ わわわっっっ!
……でも、あたしは、きゅっと掴んだ鈴木くんの手を離さなかった。なんでかは自分でもわかんない。ただ、離せなかった。たぶん、離したくなかった。
街灯の位置のせいか、ちょうど、鈴木くんの表情が陰になって見えなかった。でも、鈴木くんは、そのまま……あたしが鈴木くんの手を握ったまま、歩き出した。
はわわ……手、繋いでる⁉ いや、あたしが握ったんだけど⁉
そのまま、二人で、あたしんちに向かって、歩く。
手は離さない。
……どうしよう。ドキドキが止まんないんだけど⁉
ただ、手を繋いでるというよりは、あたしが一方的にきゅっと握ってるだけで、鈴木くんの方は全然力を入れてない。握り返してこない。手を繋いでるとは言えないかもな感じだけど……。
なんでかあたしは、ぎゅっと、握る力をさらに込めた。でも、鈴木くんは、ほんの少しだけでも、握り返してくれない。
……なんか、さびしーなー。でも、離したくないから離さないもんね。
こういう時ってさ、握り返してくれるんじゃないのかな? 『ドキ☆ラブ』にもそんな感じの手を繋ぐシーンはあった……うわぁ、またあのシーンがあたしと鈴木くんになってるぅぅぅ~……。
ものすごく、恥ずかしい。でも、あたしは、この手を、離さない。
……このままあたしんちにたどり着かなかったらいいのに。
そう思った瞬間、目の前があたしんちだった。八百万の神様は本当に意地悪だ。
「じゃ、僕は帰るから」
鈴木くんはそう言って、折り返そうとしたのに、あたしが手を離さなかった。
「設楽さん……?」
「あ、ごめん」
そこでようやく、あたしは鈴木くんの手を離した。でも、鈴木くんの手のぬくもりはまだ、あたしの手に残ってる。
「……勉強、ありがとう。それと、おやすみ、鈴木くん」
「あ、うん。おやすみ」
そう、おやすみって言われただけで。おやすみって伝えただけで。
なんだか、ぽかぽかと、温かいなって、あたしは思ったのだった。
今日は、たぶん、眠れそうにないや……。
……きっと、手を握り返してくれなかった理由を考え続けるんだ、あたし。答えなんて、きっと、どこにもないのに。
遠くなっていく鈴木くんの背中が、くらりとぼやけて見えた。視力の良さには自信があるのに、なんでだろ……。




