149 鳳凰暦2020年6月28日 日曜日 朝 神殿ダンジョン入口ゲート前
……この道は完全に初めてかもしれません。
わたし――岡山広子はそんなことを思いながら、鈴木さんの隣を歩きます。
歩幅が違うので、本当ならわたしの歩くペースをもっと速める必要があるはずなのですが、鈴木さんが何も言わずにわたしに合わせたペースでゆっくりと歩いて下さいます。
こういうところなのです。本当に。
普段は言葉少なく、表情の変化にも乏しい方ではありますが、何も言わずとも、気遣いはひとつひとつ、行動で示して下さいます。
……好きです。大好きです。本当はこのまま、ぎゅっと、その手を……繋ぎたいのです。
朝はむにゃむにゃと何か寝言を言っている奈津美ちゃんを部屋に残して、鈴木さんといつものように豚ダンを目指しました。
豚ダンの中ではいつものように別行動です。別行動、です。
少しさみしい気持ちになりますが、仕方がありません。『クワドラプル』とつぶやいてスキルを発動させた鈴木さんの速さは圧倒的で、鈴木さんから教わった『アクセル』を使っても、わたしでは到底、鈴木さんに追いつけないのですから。
わたしも『アクセル』を発動させて走り出します。そして、オークを見つけたら殲滅していきます。
エンカウントしたオークが3体の場合は、フェイントを混ぜた足運びでオークの立ち位置を調整して、鈴木さんから教わった『一撃二殺』で処刑鬼の鎚矛を右下から左上へと大きく振り上げ、1体目の急所と2体目の側頭部をえぐります。
そして、残った1体も急所への一撃で始末します。
2体とのエンカウントは『一撃二殺』で、1体とのエンカウントは急所狙いですぐに終わらせます。
鈴木さんと別行動になって良い点といえば、オークの急所を遠慮なく狙えることくらいです。良い点と言ってよいのかどうかは微妙です。
9層で教わった槍アタックでは偶然を装って常に急所を狙っていますが、それ以外では鈴木さんと一緒の場合は急所を狙えません。狙っていると知られるのはとても恥ずかしいので。
オークの頭をふたつ同時に潰せる並びに相手の動きを調整するのは、オーク2体の距離をより近づけてメイスの振り幅がせまくなるようにしなければならないため、少し面倒なのです。
それでも、鈴木さんに遠慮なく急所を狙う恥じらいのない女だとは絶対に思われたくありませんので、そこはいつも努力しています。
こうして一人だとメイスを大きく振り回して『一撃二殺』ができるので、豚ダンでの戦闘はかなり楽なのです。でも、それは鈴木さんがわたしの近くにいないということでもあるので、気持ちとしては複雑です。
……不思議なのですが、急所を狙って倒したオークの魔石は、拾う時に少しためらってしまいます。
頭を潰したオークと全く同じ魔石なのに、どうしてなのでしょうか? 本当に不思議です。
朝の豚ダンは鈴木さんが『IRT』と名付けた攻略ルートで左右に分かれて走ります。
入口から約45度の斜め方向へ約30分間、狩りながら進み、また約45度の方向転換をして今度は約20分間進み、そこで『アクセル』の重ね掛け――重ね掛けしても効果は増える訳ではなく同じままですが、そこから1時間持続します。途中で効果が切れると動きの変化による調整がうまくできなかった場合に危険だと鈴木さんがおっしゃいますので、そうしています――をして、最後は約90度の方向転換をして、入口へと戻る方向へ狩りながら進むのです。直角二等辺三角形の辺の上を走るような動きになります。
今朝は合計34体のオークを狩って戻りました。だいたい、いつも35体前後です。これに関してはリポップ運だということなので、前後する部分は仕方がないと考えています。
鈴木さんは53体のオークを狩ったそうです。だいたい、いつも50体から55体の間くらいです。『アクセル』よりもずっと速くなる『クワドラプル』を使ったとしても、倒すオークの数が2倍になる訳ではないというのは少し不思議です。
二人合わせて80個から90個くらいの7000円魔石が集まります。
分配は公平に、43個ずつで、余ったひとつは次回に持ち越しです。これって、本当に公平なのでしょうか……? わたしが優遇されているような気持ちになります。魔石以外でドロップした豚肉は全部、鈴木さんの物ですが。
しかも、鈴木さんは狩りの途中でマジックポーションを2、3本、消費しているはずです。だいたい7層格魔石3つ分です。さらに、豚ダンを出る前に鈴木さんは自分の武器とわたしの武器に『フルリペア』というスキルを使って下さいます。
どう考えても、公平だとは思えません……でも、それに甘えることがどういう訳か、とても気持ちがいいのです……心がぽかぽかとする、またはじーんとする、とでも言うのでしょうか……。
そうやって豚ダンを出るとムギタコーヒーに立ち寄って、モーニングデートになります。二人きりです。最高の朝食です。
バターたっぷりの厚いトーストとゆでたまご、そして、私は紅茶で鈴木さんはコーヒーです。あとは、新聞のオマケ付きで。
……今朝も新聞がよくお似合いです。お顔がちらちらとしか見えないのは残念ですが、真剣に読んでらっしゃる様子はまた素敵なのです。きゅんとします。
会話がないのは残念ですが、ダンジョンに絡まない話は元々ほとんど話さないのが鈴木さんですからその点については今さらです。
そして、ムギタコーヒーを出たら、いつもならまた豚ダンへ戻るか、犬ダンへ行くか、というところですが、今日は平坂第9ダンジョン――神殿ダンジョンです。
ヨモ大附属へと戻る長い登り坂を歩いていき、途中で左への分かれ道へと入ります。そこには『国立 ヨモツ大学』と書かれた大きな案内看板がありました。どうやら大学へと向かう道のようです。今度は緩やかな下り坂です。
この道は初めてかもしれません。小さな頃にわたしを平坂に連れて来たことがあるとお母さんが言っていましたから、子どものわたしがここを通った可能性はゼロではありませんが、少なくとも、今のわたしの記憶にはありません。
隣を歩く鈴木さんの手を握りたい、手を繋ぎたいと思うのも、いつものことです。突然、そんなことをされても鈴木さんも困るでしょうから、そこに勇気は出せませんが。
……嫌われているということはありえないと思いますが、鈴木さんはわたしのことをどのように考えていらっしゃるのでしょうか? わたしが鈴木さんの手を握ったとしたら、どのように思われるのでしょうか。
今度は右へ曲がってお堀に沿って歩き、しばらくすると緩やかな登り坂になりました。お堀の向こうはヨモツ大学の敷地だそうです。
……勇気が出ないのは、手を繋ぐことだけではありません。
昨日の夜、わたしが鈴木さんの部屋を出て奈津美ちゃんの部屋に入ってから、壁越しに鈴木さんが誰かと話している声が聞こえてきました。
会話の内容までは聞き取れませんでしたが、おそらく、電話をしていたのだろうと思います。
自宅通学生の鈴木さんは学校にスマホを預けていないのです……。
電話のお相手はどなただったのでしょうか? 聞きたいと思いながらも、それを聞く勇気がわたしにはありません。
わたしたち寮生は学校にスマホを預けたままなので、鈴木さんの電話の相手が寮生のクランメンバーだった可能性は低いのです。そして、鈴木さんには寮生ではない同級生がふたり、いらっしゃいます。
朝、一緒にダンジョンから出てきたことがあるあの方……附中首席だった平坂桃花さんとのお電話だったのかもしれません。『走る除け者たちの熱狂』のメンバー以外で、唯一、鈴木さんとダンジョン入りしている方です。小学校の同級生だという話ですから、可能性としては、電話で話すこともあるのでしょう。
もしくは、学校図書館で鈴木さんが「かなり可愛い」とおっしゃった、推薦首席だったお下げの設楽真鈴さんでしょうか。あの方は鈴木さんと同じ中学校の出身なのです。こちらも寮生ではないので、鈴木さんと電話で話す可能性はあります。
設楽さんについては、武闘会で対戦するのであれば必ず、必ずや倒したいと考えていましたが、あの場ではあぶみさんに先を越されてしまいました。
とても……とても残念な気持ちになりましたが、トーナメント表で反対側だったのでそのことは仕方がなかったのです。
決勝であぶみさんの右手と頭を全力の逆振りでの『一撃二殺』で仕留めたのは、それとは関係ありませんので。真剣勝負の結果です。
本当に、勇気のない自分が嫌になりそうです……この場合、『昨夜はお楽しみでしたね?』とでも言えば、いいのでしょうか? それで……そのように鈴木さんに八つ当たりをしたとして、このもやもやは消えるのでしょうか?
悩ましいことです。鈴木さんを好きになってから、とても心が温かくなって気持ちがいいことや、逆に、どうしようもなく不安になることがあって、時々、どうすればいいのか、分からなくなります。
「鈴木と岡山」
「あ、ほんとだね、エミちゃん。目がいいね。おーい、ヒロちゃーん、鈴木せんせーい」
右側の道から、みなさんがこちらへ向かって歩いています。学校からここへと直接繋がっている道があるのでしょう。
「おはよう」
「おはようございます」
「おは」
「こっちが神殿であってて良かったね」
「下北先輩がそう言ってたでしょ」
「私も、そこまで自信があった訳ではないのだけれど……」
人数が集まると途端に賑やかになります。それはそれで楽しいのですが、鈴木さんと二人きりではなくなるさみしさもあります。
「あ、そーだ、ヒロちゃん」
「はい? 何でしょう?」
あぶみさんが何かを思い出したらしく、わたしに声をかけます。
「昨日の夜、寮で学年別の集会があったんだけどね、それで……」
「『火の国屋書店』で『ドキ☆ラブ』の新刊を予約した人は、発売予定日じゃなくて前日に受け取り可能って話、だったかな」
あぶみさんを遮って説明したのは紅葉さんです。
「モミちゃん⁉ あたしのセリフ盗ったね⁉」
あぶみさんが紅葉さんの腕を掴んで目を見開いています。この二人はだいたいいつもこういった小競り合いを楽しんでいます。おそらく、数秒後にはあぶみさんが紅葉さんのたわわな部分に触れて、それを高千穂さんがたしなめて小競り合いを終えるでしょう。
……わたしが外泊している間に寮で集会が行われて、そんな話があったのですね。
「平坂で、早売り、決まった」
「『ドキ☆ラブ』は全国で平坂が一番売りぇてましゅから!」
矢崎さんがにやりと微笑みながら、また、端島さんが弾けるような笑顔で、そう言いました。端島さんは本当に『ドキ☆ラブ』が大好きです。
「その話、ホントなのかな? 都市伝説じゃないのかな?」
揉み解そうとしてくるあぶみさんからたわわな部分を守りながら、紅葉さんがそう言いました。
「ちょっとみんな、その話、鈴木くんの前では……」
少し慌てた高千穂さんが『ドキ☆ラブ』の話題を止めようと声をかけます。『ドキ☆ラブ』の話題よりも、あぶみさんを止めて下さるといいのですが。
「あ、大丈夫。鈴木先生の部屋、『小説版ドキ☆ラブ』、全巻、本棚にあるんだって。高千穂さんにはまだ言ってなかったね」
慌ててる高千穂さんを安心させるようにそう言ったのは、ついに紅葉さんのたわわな部分をぎゅっと握ったあぶみさんです。鈴木さんはそちらに視線を向けていませんが、高千穂さん、早く止めて下さい。
「え、そうなの?」
「マジか……」
「あれを……鈴木くんが……その……読んで、るの……?」
「鈴木、仲間」
ダン科女子は『ドキ☆ラブ』の話になると手が付けられなくなると言われています。昨夜の女子寮はかなり騒がしくなったのではないでしょうか。もちろん、わたしたち『走る除け者たちの熱狂』のメンバーも例外ではありません。
今もなかなか無秩序な感じがします。その様子が顕著なのは、手で口を押さえながら目を見開いて鈴木さんを見つめている下北先輩と、普段とは違って著しく興奮状態の端島さんかと思います。
確か、7月3日が『小説版ドキ☆ラブⅡ』の発売日だったはずです。早売りでその前日となると、7月2日に――。
「あっ……」
「うん? どうしたの、ヒロちゃん?」
紅葉さんに突き飛ばされながらあぶみさんがわたしを振り返りました。
「……予約するの、忘れていました」
「え? ホントに?」
「大失敗」
「はい……」
――矢崎さんが言う通り、大失敗です……今日の午後は、打ち上げの後で、駅前に行けるのでしょうか。いえ、『ドキ☆ラブ』の新刊のためなのです。万難を排して本屋へ出向かなくては……。
ただ、今日は奈津美ちゃんが約束してしまった来客があるので、そこは心配なのですが……だからといって、その場にわたしがいるのも常識的に考えると少し不自然ではありますし、ここは『ドキ☆ラブ』の新刊を優先していいと思います。
そのようなことを考えていた時、わたしたちはちょうど神殿ダンジョンへと到着したのでした。




