148 鳳凰暦2020年6月27日 土曜日 夜 ふらっとホテルズ平坂駅前店
「……移動してかけ直す」
隣のベッドで娘の桜が眠っていることを確認しつつ、俺――築地益男は電話の相手である鈴木にそう告げて、一度通話を切った。このまま話すと、桜が起きてしまう可能性もゼロではない。
鈴木家を出てタクシーに乗り、1分もしないうちに桜はウトウトしていたので、今はもうすっかり眠っているはずだ。だからといって、この部屋でする電話ではない。
俺もある程度焼酎を飲んだが、酩酊している訳でもない。酔い覚ましに歩くぐらいで丁度いい。
俺は本来の俺のスマホのカメラで、フロントでもらった紙に書かれたロックナンバーを撮影すると、ズボンの左右のポケットにそれぞれ別のスマホを入れて、できるだけ音を立てないようにしつつ部屋を出た。
エレベーターを待ちながら、鈴木が何を話そうとして電話をかけてきたのかを考える。考えても無駄だから、直接聞けばいいと心の中の俺が囁くが聞き流す。
……案外、あの母親対策か? まさか、あんなにも強くアタッカーになることを反対しているとは。
アタッカーに対する世間の評判は……基本的によくない。いい訳がない。特に、年齢層が高いと批判的だ。そういう世代はこの先、自然と減っていくので意識改革を求めていないというのも、ある。そういう世代は傾向的に頑固なのでどうにかできる対策もないんだが。
ごく一部のトップランカーについては、強く、たくましく、そして、かなりの金を持ってる、というそのうちのどこに魅かれているのかは語りたくないが、ギルドのイメージ戦略もあって、広く人気があるのも事実だ。これには政府の後押しもある。
だが、低ランクアタッカーや低ランククランの評判は最悪に近い。実際、犯罪者集団がクランを結成しているようなものもある。ある、というか、多い。
至る所にカメラがあるこの監視社会の中で、犯罪者が、撮影、録音、録画、通信などができないダンジョンへと、まるで誘蛾灯に誘われた蛾のように集まってくるのは自然なことだった。
そのお陰で、という部分だけではないが、その他の要因も含めて、日本八百万神聖国の治安は国際的に見ても、とてもいい。ダンジョン以外は。
では、ダンジョンではどうなのか。
新人の女性アタッカーをにこやかに勧誘して、手入れの行き届いていない高価な武器を貸し与え、その武器をバーストさせて借金を押し付け、風俗関係で働かせる……などというのは被害者の女性が生きているというだけでかなりマシな方なのだから笑えない。
そこに証拠の残りにくいダンジョン内での暴行や脅迫で、その場で無理矢理、契約書を書かせるなどというワンランク上の悪事をしているクランも……うん? なぜかそういう犯罪的な行為に身に覚えがあるな……。
……まあ、いいか。そこは気にしたら負けだ。そうに違いない。
もっと直接的に、新人の女性アタッカーを表面上はパーティーメンバーに加えたフリをして、ダンジョン内でスタミナ切れまで戦わせてから奥地へ連れて行き、性欲を満たした後は殺して死体をダンジョンに吸収させる、などということも起きている。
実際にはパーティーメンバーとして登録されていないのだから、事実として残るのはあくまでも他人の行方不明だ。証拠はない。ダンジョンの入退場記録と、入場時の動画くらいでは殺人を立証できないというのもある。
こういう連中に限って、ギルド内の監視カメラの配置に詳しかったりするのだから質が悪い。初心者講習で声をかけているはずなのだが、監視カメラをうまく避けて、死角を活用しているのだ。ギルド外ならなおさらだ。
中にはアラートによる救出依頼報酬を目的に、言葉巧みにダンジョンへと誘ったアタッカーを奥地で行方不明にする――もちろん、行方不明にする前に色々やってるに違いない――ようなクランもあるのだ。
いや、あったのだ、とも言える。そういうクランとの戦いがギルドの役割でもある。実際、これまでいくつもの犯罪系クランを潰してきた。
……潰しても、潰しても、また新たに湧き上がってくるからな。全体としては減少傾向にはあるが。
もっとも怖ろしい……と言うべきかどうか、判断は人によるのかもしれないが、そもそも殺人を目的にダンジョンに入る通り魔のようなアタッカーが、おそらく、一定数、存在している。
もうそれはモンスターと変わらない。もしくはモンスター以上にモンスターだ。
誇りあるダンジョンアタッカーの育成を掲げて進められた三大附属のダンジョン科の設立から二十数年が経った今、中堅以上のアタッカーの評判は悪くないのが現状だ。
また、附属の卒業生の割合が高くなった結果として、ダンジョン犯罪も主に浅層で発生していると考えられている。
ただ、ダンジョン犯罪が明らかになって報道される度に、アタッカーへの否定的な論調は盛り返してくるというのもまた事実だ。あれだけ外貨を稼いでいてもここまで批判されるのか、と思ってしまうのも仕方がないだろう。もちろん、それとこれとは別だ、という主張も理解できるが。
母親として、我が子がアタッカーになりたいと言えば、反対しても不思議ではない。むしろ反対するだろう。
鈴木の母は世代的に……おそらくカメリアのヒグマと同世代だろう。カメリアのヒグマ――熊田冬弥は日本ランク1位で、世界ランキング創設時に世界ランク1位とされた伝説的なダンジョンアタッカーでありながら、この国を捨ててカメリア連邦へ移住した裏切り者でもある。
当時の日本政府は万が一を考えて国籍を残したため、一応、どちらの国籍も残っているので、日本ランクにも名前があるのだが、現在の政府は熊田冬弥の受け入れを拒否し続けているため、熊田の帰国は今のところ実現していない。
あの当時は政府やギルドの強い後押しもあったのだ。世界1位の熊田冬弥に熱狂し、そして落胆したあの世代であるのなら、ダンジョンアタッカーに対して色々と思うところがあったとしても不思議ではない。
いつの間にか、平坂駅の南側にある、線路を越えるための陸橋の上に来ていた。今、この陸橋には誰もいない。
俺は鈴木のスマホを呼び出した。
『……待ちましたよ?』
「桜に……娘に聞かせたくない話があるかもしれないだろう?」
『あれ? 桜ちゃん、まだ寝てないんですか?』
「いや……まあ、それはいい。なんだ? おふくろさんの説得でも頼みたいのか?」
『母ですか? 説得? なんでそんなことを思ったのかはわかり……ああ、そういえば、そんな話をしてましたね、マドラーを指揮棒みたいに振り回して……まったく。それ、全然違いますよ。何言ってるんですか』
……どうやら俺の予想は完全に的外れだったらしい。
「じゃあ、何の話だ?」
『いや、まずは浪漫です。二重スパイみたいになった気分はどうです?』
「……最悪だ。そういう話をするからには、そっちも一人だろうな?」
『くく……いい反応です。もちろん、今は一人です』
「今は……?」
『ああ、何でもないです』
……そういえば中学生みたいな女の子がいたな。鈴木の家に。
附属の同級生で鈴木の彼女らしいが、親公認で家に泊まらせるとか、最近のガキは進んでやがる。
これは鈴木の周辺調査も必要か? 簡単な調査なら平安に戻ればすぐにでもできるからな。まあ、俺は桜に彼氏ができたとしても絶対にそんなことは許さんが。
「……とりあえず、桜を一人で部屋に残したままなんだ。用件を早く済ませてくれ」
『連れて来なければよかったのでは?』
「行きたがったんだからしょうがないだろう。で、用件」
『娘に甘いんですね……ああ、それで、神殿のことを聞きたくて』
「おい、それは……」
神殿ダンジョン――平坂第9ダンジョンはジョブを獲得できる貴重なダンジョンであり、特措法で情報規制されているダンジョンでもある。
アタックパーティー内での情報共有は認められているが、そうではない場合はダンジョンカードを失うことになりかねない。
ただ、アタックパーティーの拡大解釈で、クラン内ならば情報共有が見逃されているという点で、抜け穴はある。
クラン内なら誰とパーティーを組むかは分からないため、これが神殿ダンジョンでのアタックパーティーだと言われたらそれまでだからだ。
そういう抜け穴はあるし、言ってしまえば、バレなければ特に問題はない。どんなことでもだいたいそうだ。俺がグラマスの特命で鈴木を追いかけたことも、そういうことだ。バレずに攻略情報を盗めば、それがもっとも早いのだ。
まあ、俺が鈴木に問われて神殿ダンジョンの情報を与えたとして、それが問題になるとすれば鈴木が「築地さんに教えてもらった」と吹聴した場合か。あー……こいつなら、やりそうで怖い。
「……流石にまずい。この通話だってどこかで盗聴されている可能性もある」
『通話の盗聴まで心配してたら、何も話せませんって』
「そりゃそうなんだが……」
『僕と築地さんには秘密保持の魔法契約もあります。いざとなったらパーティーだと強く主張できなくはないし、そもそも、僕は『神殿』としか言ってませんよ? 地中海にある共通通貨のせいで財政不安な国とか、南カメリアの高山のあたりとかにも『神殿』なんか、世界中、いくらでもあるじゃないですか』
「おまえというヤツは……」
言い訳が馬鹿らしいくらいに言い逃れでしかない。だが、それを押し通せば確かに問題はなくなるだろう。
『築地さんはイエスかノーかで大丈夫です。僕が憧れてるあの神殿の建物は9階建てで、大切な神像には牛肉を捧げるはずなんですが、間違いないですか?』
「なんで知って……」
『それはイエスと受け取りますよ』
……9階建てというのはダンジョンが9層構造であること、大切な神像はボス部屋の女神像のこと、牛肉を捧げるってのは……ボスが牛鬼、ミノタウロスだということ、だろう。
鈴木に関する事前調査では、既存のクランとの関りはゼロだったはずだ。なぜ知ってる?
ギルドの誰かが漏らしたのか? あいつ、釘崎か? いや、釘崎は……神殿のキャリーを受けてないはずだ。高卒の、しかも地方採用で平坂から異動することもない立場だからな。受けるとしても3年後か。
それなら宝蔵院か? あいつが神殿について話すとはとても思えん。それに、あいつにとって神殿は陵との大切な思い出のはずだ。簡単に誰かに話すようなものじゃないだろう。
そうすると、いつの間にか、鈴木には能美との繋がりでもできたのか? そういや不正監視は出張所じゃなくて平坂支部の方でやってたような気がする。いや、いくら能美でも神殿の話は……。
『神殿は庭がとても広くて、ワンコと遊べるそうですね? あと、暗闇のお化け屋敷ではガイコツが怖がらせにくるとか。他にも何が出てくるかはだいたい知ってはいますけどね?』
「……そうだな、ただ、ワンコの牙がかなり尖ってるから噛まれないように気をつけろよ」
『ああ、ありがとうございます。そんな感じですけど、僕が知らないようなことで、築地さんがご存知のことって他にありそうですか?』
……1層の草原と森林、それと2層の洞窟はウルフの3層格までが出てくる狩場だ。3層の洞窟はスケルトンが出てくる。だから、なんでそれをおまえが知ってる?
「いや、それだけ下調べができてるんなら、俺が教えられそうなことはない」
『ふーん、そっか……』
「……おまえさんの憧れてる神殿はまるでテーマパークみたいで楽しそうだな。桜も連れていってやりたいよ」
『桜ちゃんといえば、今日、附中を受験したいって言ってましたね、ウチで。いつか、このテーマパークに行くかもしれないですね。その時は僕が連れて行ってあげてもいいですよ?』
「はぁ⁉ 何だって? 附中ってまさかヨモ大の?」
『平坂に来たいって言ってたから、そうじゃないですかね?』
「ひょっとして、ダン科か? ダン科なのか?」
『あー、それはどうなんだろう? 奈津美と二人で僕のことを話してた会話の流れだったはずだから、たぶん?』
「マジか……」
まさか、我が家も娘がアタッカーを目指すと言い出してモメるのか? それは勘弁してほしいんだが……。
いや、今、鈴木の母親の気持ちが一瞬で痛いほど理解できたわ……マジか、桜が……酔ってもないのにウザいなこの人とか思っててすみませんでした……。




