117 鳳凰暦2020年6月14日 日曜日午後 ヨモツ大学医学部付属病院
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病室が個室だからか、娘の桜はずいぶんとリラックスして、甘えてくる。小5だから、そろそろ反抗期がきてもおかしくない。だが、今は甘えてくるこの幸せをただただ満喫したい。
そんな俺――築地益男の思いは、ノックをして扉を開けて入ってきた女性によって、否応なく中断させられることになった。
「……グラマス……わざわざ……ありがとうございます。こんなところまで」
俺はその言葉に、色々と複雑な思いを込めた。ありがとうと言っているからといって、本当に感謝しているとは限らないのだ。
「……築地課長。話は、できる?」
「ああ、はい。短い時間でお願いします。咲枝、すまん。桜を連れて……」
「わかりました。お仕事ですものね」
「えー、パパー?」
「ごめんな、桜」
「パパ。あとでお小遣いねー」
手を振りながら病室を出て行く桜に、俺も手を振り返す。お小遣いぐらい、いくらでもやるから。
咲枝の方は最後まで俺を心配そうに見つめたまま、そっと病室の扉を閉じた。それはそうだ。俺は、自分の趣味か何かでダンジョンに入って、それで遭難して、仕事を休んでることになってる。
そんなところに職場で一番偉い人がやってきたら、心配するに決まってる。
そして、病室には俺とグラマスの出雲さんが残された。グラマスが近づく前に、ふとんの上のスマホに手早くタップする。
「……申し訳ありません、グラマス。久しぶりのダンジョンをほんの少しだけ楽しむつもりだったんですが、こんなことになってしまい、大変ご迷惑をお掛けしました。私の不注意です。本当に申し訳ありませんでした」
「……そう」
長いまつ毛の下に光る、こげ茶の瞳が細められ、俺を射抜く。本当に、年齢不詳の美魔女だ。アラサーぐらいにしか見えないのに、この国のギルドのトップに君臨している。
そんな美魔女にどんなににらまれても、これ以上、余計なことは言わない。今回の調査は調査ではなく、あくまでも俺個人の趣味でのダンジョンアタックでの事故だ。そうすることが、ギルドのためにも、なるはずだ。そういうストーリーにしておかなければ、ならない。
「……今後は、気をつけるように。そういえば、君を助けたアタッカーは、ヨモ大附属の高校生だと聞いたけれど。どんなアタッカーだった?」
どうやらグラマスは、俺の言葉の裏にある提案をそのまま飲み込んだらしい。それでも、ほんの少しでも鈴木の情報を得ようと、質問してくる。
「私は、意識を失っておりましたので、自分の目で見た訳ではありませんが、私を救出した彼を見ていた人から聞かされた話では『右にショートソード、左にメイスのちょっと変わった二刀流』だそうです。その戦闘力は『驚くほどに強かった』とか。そんな高校生に助けられて、私は運が良かったんでしょう。おそらく、未来のトップランカーでは? 期待の新人ですね」
「そう。そんなに……」
あいつは……鈴木は、未来のトップランカーですよ、グラマス。ギルドが対立していいことなんか、ひとつもありませんって。どっかの企業に取られたら、それはもう大損ですから。
俺から目をそらさないグラマス。もちろん、俺も、そらさずに受け止める。
きっかけは、豚ダンの特殊な攻略情報が手に入る可能性だった。宝蔵院の報告書だ。
荒くれ者のアタッカーたちを相手にするギルド職員には、どうしてもある程度の強さが求められる。三大附属の卒業生なんかが就職してくることをギルドが歓迎してるのは、そういう部分もあるからだ。
それでも、上には上がいる。上に登った連中は、そこまで場を乱さないとはいえ、もしもの場合にはとんでもない脅威となる可能性を秘めている。
ギルド職員を可能ならばDランク……せめてEランクにしたい、という思いをグラマスはずっと抱いてきた。豚ダンはそのランクになれるダンジョンだ。その効率的な攻略情報は、まさに、喉から手が出るほど、ほしい。
そして、俺に下った1DKの極秘調査命令。1DKとは『1億円の高校生』を意味する。鈴木を示すギルド中央本部の中の、ごく一部での隠語だ。
過去に色々な事件が起きたことで、攻略情報を奪うことは国内はもちろん、国際的にも違法だが、そもそもダンジョンという場所はどうしようもない無法地帯だ。
そのへんの本音と建前――本音では攻略情報を奪うか、盗むかすればいい。気づかれることなく。証拠は残らないし、証言だけならただの水掛け論だ。
だから貴重な隠密系のスキル持ちが派遣される。
ところが、建前では、当然、違法な真似は許されない。特に、ギルドに大きく貢献しているアタッカーが相手なのだとしたら、絶対に、だ。
ギルド中央本部で隠語になるようなアタッカーだとしても、まだ高校生だ。簡単に攻略情報は手に入るはず……それが共通認識だった。
だが、鈴木は……1DKは、そういう枠を軽く跳び越えてしまうような存在だった。それだけのこと……。
俺がこういう状態になった以上、本音の方が1ミリでも表に出ることはあってはならない。分かるヤツには分かるんだろうが、それを見える形にしてはいけない。
それは、ほんのわずかな、沈黙の時間だったのかもしれない。命令を受けた時の、ギルマスとの執務室での、言葉だけのやり取りが、一気に頭の中を回って一瞬で消えていった。
見つめ合う俺とギルマスの間には、何とも言えない緊張感があった。だが、それが、グラマスの一度のまばたきで、途切れた。すっと緊張感が消えていく。
「……わかりました。個人的な楽しみでの事故なので、弁済が大変だとは思うけれど、そこは自己責任だから」
そう言って、グラマスは俺に背を向けた。そして、そのまま――。
「……あなたから消えたのは、髪の毛だけと思っておくわ」
――トドメに、俺の方を見ないでそう言い残して、グラマスは病室から出て行った。
……髪の毛は失われても、まだ信頼関係は残ってるってか? どうだか。
俺は、スマホの録画ボタンを押して、録画を止めた。映っているのは天井ぐらいだから実質的には録音だ。最後の捨て台詞の前に止めれば良かった。
……それにしても……うっかりしていた。そうだった。結論としてはこれでいいとは、俺自身が思ってのことだが、俺個人の責任で終わらせたら、俺個人に弁済が降りかかるんだった。髪の毛だけじゃなくて、給料からも色々と失われるじゃねぇか。
いったい、いくらだ?
96時間アラートで……それまでのアラートでギルドの依頼を受けたパーティーメンバーの数だけ5万円か。ああ、しかも1日あたりで計算するのか……犬ダンの規定だと……48時間からか?
どれくらいの人数が引き受けたのかにもよるが……そもそも、その連中が本気で俺を捜索したとは思えんが……くそ。自分に降りかかるまではそういうものだと思ってたが、自分が支払わなければならないと思うと、流石にまともに捜索してないというのは腹が立つ……いや、今回は救出成功? 救出したのは鈴木だぞ?
それがどれだけ気に喰わなくても、救出はもう鈴木の手柄だが、依頼を受けてなくても、救出の報酬は出るはず……96時間アラートからの救出ならそれだけで100万……つまり、俺はあいつに100万も払うのかよ、マジで。
踏んだり蹴ったりじゃねぇか……これ、そもそも鈴木のマッチポンプだろ。それを口に出せないってのは、分かってはいるが……しかし、そうなると総額は、150万か200万……いや、300万くらいは、かかるんだろうな……やられた……それだけあったらそこそこいい車が買えるぞ……ワンボックスでも買って家族でキャンプに行くとかできるんじゃないか……くぅ……無念だ……。
もう二度と、ギルマスの特命は受けない。それは許されるだろう。許されるはずだ。当然だ。俺はそう強く心に誓ったのだった。
……ま、俺がどう思うかではなく、グラマスの方が俺を信じられずに、もう二度と特命は出せんだろうが、な。
それから1時間ぐらい経って病室に戻った咲枝と桜に、弁済が300万ぐらいはかかるだろうという話をしたら、咲枝と桜の二人に大きなため息を吐かれた。
最愛の二人のため息に心が折れそうだ。
だが、これも、今、生きているから、だ。そう思い込むしか、なかった。




