11 鳳凰暦2020年4月12日 日曜日 国立ヨモツ大学附属高等学校・中学校内ダンジョンアタッカーズギルド出張所
保健室で先生が渡してくれた服を着て、ブレストレザーを付け直し、ベッドを抜けた眼鏡っ子と一緒に保健室の先生に一礼して、保健室を出て行く。
「……あんな傷、1層のゴブリンごときにできる訳がないのにねー」
先生の小さな、小さなつぶやきは眼鏡っ子には聞こえなかったらしい。もちろん、僕も聞こえない、フリ、をした。
……バレテーラ。さすがヨモ大附属ダンジョン科の保健室の先生。1層のゴブリンはナイフか棍棒のみ。棍棒では有り得ないが、ナイフでも、バスタードソードで斬られたような傷になるはずがない。
そんなことより、重要なのはこのリポップ眼鏡っ子だ。この重要なアイテムなくして、バスタードソード教は成立しない。もはや隠し部屋の神だ。
だから、とっとと秘密保持契約を結ぶ。
という訳でやってきたのは、ギルド。正確にはダンジョンアタッカーズギルド出張所、らしい。
まっすぐ受付のカウンターへ、扉を開けて入る。なぜか扉の外で戸惑っている眼鏡っ子に手招きをして、中へ入らせる。小さな子だけど、二人になると意外と狭い。そして、扉を閉める。受付のカウンターは買取をはじめとするお金が動く何かが多いので、余計な人に取引を見せないように、小さな小さな個室になっているのだ。
「いらっしゃい。何の用?」
大人な美女……いつもの、先輩お姉さまではなくて。いや、いつもの、というほど会ってはいない。でも、いろいろと質問はしたけど。
「秘密保持の魔法契約をお願いします。パーティー用で、攻略情報の守秘です」
「え、ええと……? 契約書類はこの出張所にもあるけど、ええと、あなた、ここの学生、よね? 秘密保持? 学校内のパーティーで? 聞いたことがないけど?」
「え? できないんですか? そんなはずはないけど……」
「そ、そうね。できます。ただ、かなり高いわよ? 十万円もかかるもの」
……知ってる。そして、眼鏡っ子の顔が引きつったのがわかった。うんうん。そうなるよな。予想通りです。
実はこの契約、パーティー用には二種類あって、対等のメンバーとして行う契約と、パーティーリーダーを主として、メンバーを従として行う契約がある。
対等の方は、お金も半々に。主従の方は、パーティーリーダーとなる主契約者が全額負担する。つまり僕が払う予定。対等を眼鏡っ子が望んでも僕が払うけど、それは心理的な負担になると同時に、僕に対する借金として実質的な負担にもする。まあ、僕にいくら借金をしたとしても、退学にはならないので問題はない。たぶん。
内容の違いは、秘匿する攻略情報を二人で決めるか、一人で決めるか。それだけ。
それも、問題がない。おそらく、眼鏡っ子には、価値ある攻略情報など存在しない。だから、僕に利益を提供できない。結局、対等、という形で契約しても、本当に形だけ。僕が必要だと思って提供する攻略情報はこれを秘匿情報にしたいと言えば、対価となる攻略情報を持たない眼鏡っ子は反論できない、もしくは、しづらい。一人で決めるようになったら、これは秘匿すると僕が言うだけでおしまい。
さあ、契約しよう。早くしよう。ダンジョン行きたい。
「十万円、入金できていないので、魔石の買取をお願いします。そこから入金します」
「え?」
美女さんが戸惑いつつ、首をかしげる。
「いや、それはさすがに無理かな、と思うの。十万円よ?」
「大丈夫です。あ、魔石を入れるケースをお願いします」
「え、あ、はい」
美女さんがカウンターの下から、ケースを出してくれた。
僕はウエストポーチからゴブリンソードウォリアーの魔石を出してはケースに入れる。ことん、ことんことん、と音がする。
「え? これって、ゴブリンソードウォリアー? え? どういうこと? あなた、見ない顔だけど、1年生よね? あれ? 金曜日にゴブイチがあったばっかりじゃなかった? あれ? え? ええ? まだあるの? え? どういうこと?」
美女さんが混乱している。ちなみに背後の眼鏡っ子も、そわそわしつつ、ケースに入れられていく魔石に目を丸くしている。
「ま、待って……ざっと見ただけで50個は超えてる……お、おかしい、そんなはずは……1年生よね? 3年生じゃないわよね? え、こんなこと3年でも……」
僕は待たずに、どんどんと魔石を追加していく。目標は百個ぴったりだ。手持ちはそれ以上あるけど、とりあえず百個あればいい。
混乱していた美女さんは、次第に表情が硬直して、能面のようになっていく。目の前の現実を理解したくないらしい。
「……どういうこと? 陵の記録を1か月近く短縮? いえ、朝のこの時間? ということは、このほとんどは昨日の……? そんなの有り得ないわよね? できるはずが……」
美女さんがいろいろとつぶやいているけど、百個並べることを僕は優先して、並べた。
美女さんはいつの間にやら、能面かつ沈黙で魔石ケースを見下ろしている。
そして、僕は百個、魔石を並べて、手を止めた。
美女さんが動かなくなっている。先輩お姉さまに変わってくれないかな?
「あのー、早くダンジョンに行きたいので、処理、してもらえませんか?」
「………………え?」
あ、再起動した。
「あの?」
「はい? ああ、処理? ああ、処理ね……いえ、どうなのかしら? 有り得ないもの……」
「早くしてもらえませんか?」
美女さんが少し考え込んで、すぐに顔を上げた。そのまままっすぐに僕を見つめる。眼鏡っ子が僕の背中に隠れた。
「……有り得ない。どう考えても……ねえ、あなた、説明してもらえるかしら? 秘密保持の魔法契約とか、この異常な魔石の数とかの、今の有り得ない状況について?」
……そんなことを言われても、である。
「何を言ってるのか、わかりません。係を変わってもらえます? いつものお姉さまがいると思うんですけど?」
「わからない? この異常さが?」
あ、眼鏡っ子が完全に背後に隠れた。
「これまでの小鬼ダンの卒業……つまり、ゴブリンソードウォリアーの魔石、50個の納品だけど、それは最短記録が5月6日。成し遂げたのは陵竜也。彼は今、26歳で日本ランク1位、世界ランク6位の正真正銘、トップランカーなのよ? それをまだ4月、それに入学して、初ダンが金曜で、すぐの土日なのに、軽く50個を超える納品なんて、有り得ないでしょう? どういうこと? 説明して?」
……いや。この人、確かに年上、だけど。今は高校生の姿の僕よりもな? でも、目の前の現実から目をそらしてるだけじゃないの? そろそろ本気で腹が立ってきたんだけど? ボスとはいえ、たかがゴブリンのボスだろう?
「何を言ってるのか、わかりません。要するに、何が言いたいんですかねぇ?」
「それはっ……それは、その。有り得ない状況の、説明、を……」
お、言いかけて、なんとか踏み止まったか。
……どんな不正をしたのか。
そう言いたかったんだろうな。言えばおもしろかったけど。
でも、まあ、もう限界。僕からダンジョンの時間を奪う? そんなこと、誰が許すと思う? 八百万の神々から神罰でも受けたいの? 馬鹿なの? ふざけるなよ?
「あの? あなたの目には何が見えてるんですかねぇ? 目の前の事実は何ですかねぇ? さっきから言ってますよね? 早くダンジョンに行きたいから処理してくれ、と? すぐそこの、そのケースの中にあるものが、この状況が全てですよね? そもそもあなたに何の権限があって、僕に説明を求めてるんですかね? ちょっと待ってくださいね……」
僕はウエストポーチから予習ノートを取り出して、パラパラとノートをめくっていく。探すのはダンジョン関連法規のところ。見てろ。僕がこの世界のためにどれだけ真剣にやってきたか!
「……あった。鳳凰暦2004年のことですから、国際ダンジョン条約を日本八百万神聖国はとっくの昔に批准していますし、それによって関連法案も国会で成立済みですよね?」
「え、その……」
「条約の第3章で示されているダンジョンアタッカーの権利と義務があって、それを基に、鳳凰暦2009年のダンジョン基本法が改正されて、国会で成立、基本法の第4章第27条に攻略情報を秘匿する権利がダンジョンアタッカーに認められていて、それを侵害することは認められていません。あなたは説明しろ、説明しろと言いますけど、それ、ダン基法27条違反の権利侵害ですよね?」
「それは、その……」
「広島さん、この会話、録音しといて」
「え、ええ? えええ? 急に? いきなり過ぎます……あと、岡山です……」
「いいですか、ダンジョン科のある中学校や高校の生徒は、未成年でもダンジョンアタッカーとしてその権利を認められているはずです。攻略情報の秘匿というこの権利が求められたきっかけはサンナーザの悲劇ですけど、ご存知ないんですか? クオルフォルナ州政府が攻略情報の公開を決定して、州内のクランに情報提供を強制した結果、効率のいい狩場を奪い合うことになって衝突したダンジョンアタッカーが殺し合い、47人のダンジョンアタッカーが亡くなった事件です。有名ですよね? あなたは僕から攻略情報を奪うか騙し取るかして、附属高で凄惨な殺し合いを引き起こす気ですか?」
「あ、それ、は、その……」
「どうなんです? どういうつもりで説明しろと?」
「あ、あの……」
「もしくは、あれですか? 重要な攻略情報を、高校生だから簡単にしゃべるだろうと、そういう考えですか? ギルドはどういうつもりでやってるんですか? 関連法規の遵守は意識していないと?」
「あの……」
「これはギルドの高校生アタッカーに対するやり方ですか? それともあなた個人が法令に違反する行為を? どっちなんです?」
「も、申し訳……ありま……」
「今さら謝罪? 僕からこんなに時間を奪っておいて? 知ってます? 時間って、戻せないんですけど、ひょっとしてご存知ない? 早くダンジョンに行きたいって言いましたよね?」
「大変申し訳ありませんでした。こちらの態度が悪かったと思いま……いえ、悪かったです。失礼致しました。貴重なお時間を奪うことになってすみません。どうか、速やかに処理致しますので、お怒りをおおさめください」
……ふぅ。なんとかなった。
「では、百個あるはずですけど確認を、カードはこれです」
「はい。処理します」
美女さんが青い顔をしながら、ケースを持ち上げて、自動計算器の上で斜めにする。ごろごろごろ~っと音を立てて魔石が自動計算器に吸い込まれていく。
「それが終わったら次は契約の方をお願いします。岡山さん、僕がパーティーリーダーで、リーダーとして秘匿するって決めた内容を秘密にする契約と、僕と岡山さんが対等でどの攻略情報を秘匿するのかは話し合って決める契約と、どっちがいい? 対等のヤツは秘匿しないと決めた情報を友達に教えたりできるよ?」
「え、ええと……」
ひょいっと眼鏡っ子が僕の背中から顔を出す。なんだっけ、こんな動物、いたよな?
「対等のヤツは契約者で契約のためのお金を折半する。リーダーが決める方は、リーダーがお金を全額負担する」
「リーダーの方でお願いします! もちろんリーダーは鈴木さんです! それに友達はいませんから大丈夫です!」
……いい食いつきです。あと、最後の情報は悲しくなるから。僕自身が。
「書類が用意できました。主と従に分かれるB契約の方でいいですか」
「はい、それで」
「では、主たるパーティーリーダーはこちらに、メンバーの方はこちらにサインをお願いします」
僕はその場で、眼鏡っ子は僕の後ろからカウンターの前まで出てきて、サインをした。
「では、ダンジョンカードで決済します。先程の魔石は間違いなく百個、ゴブリンソードウォリアーの魔石で、1個二千円での買取となりました。合計20万円です。そこから秘密保持の魔法契約で十万円、引き落としさせて頂きます」
「20万円……」
眼鏡っ子が絶句している。
「はい。あ、Gランクになりましたね。ありがとうございます」
「あ、すみません。おめでとうございます」
「残りの十万円で、スタミナポーションをお願いします」
「スタ……ええと、十万円で十本ですが、よろしいですか?」
「はい。それと、レンタル武器をお願いします」
「はい、何を用意しましょう?」
「メイス5本、ショートソード5本をそのカードで」
「了解しました」
便利なもので、このダンジョンカードでレンタルも記録される。
「あ、これは返却します」
僕はウエストポーチから既に使って、そろそろ壊れそうなレンタル武器を返却する。
「岡山さんは、レンタル武器、いるよね? どうする?」
「ええと、そのぅ……」
「はい、ご希ぼ……あ、あなた⁉」
「ひぃ……すみません~」
「い、いえ……」
美女さんが眼鏡っ子に何かを言おうとして、僕の顔を見てすぐにトーンを下げた。
「あなた、昨日のショートソードは……?」
「すみません……実は……その……また、ロスト、しました」
「またっ……いえ。ではダンジョンカードを。どれをレンタルしますか?」
「えっと……鈴木さん、ショートソードはずっと運が悪かったから、変えようと思っています。どれがいいと思いますか?」
「ん? 弓、使える?」
「無理です」
「なら、ナイフは問題外だから、メイスか棍棒の二択。どっちがいい?」
「うぅ、メイスがいいですけれど、棍棒の方が安いですよね? もしもの場合?」
「すみません、彼女にメイスをお願いします」
「鈴木さん⁉」
「大丈夫。壊れたり、失くしたりしたら、その時はその時だよ」
「は、はい。そうですね……」
「そんなことより、早く行こう。ダンジョン行こう」
「……そうですね。あんな傷が残るような怪我をして、その勢いでダンジョンを求める心理はひとつも理解できませんけれど、あの傷はわたしの責任でもあります。恩返しをすると約束したのです。わたしは鈴木さんについて行きます。足手まといかと思いますが、どうか、よろしくお願いします」
よし。素敵なパーメン、ゲットです!
僕と眼鏡っ子はギルドを出て、小鬼ダンへと向かった。
「……あの、気になることがあるのですが、お聞きしても?」
「どうぞ」
「さっき、ゴブリンソードウォリアーと聞こえたのですが、それは確か、3層の奥のボスのことですよね?」
「うん」
「つまり、その、鈴木さんは、3層へ行くことができる上に、そのボスも倒せると、そういうことでしょうか?」
「うん」
「…………ええと、それも、その魔石が百個というのも、間違いなく事実で?」
「うん。換金した。で、使った」
「ええ。見ていました。大量の魔石に驚いて、それが二十万円になったことに驚いて、そしてそれをためらいなく使ったことにも驚きました。わたしも一人の女子高生ですから、イマドキの言葉を使えば、そうですね、意味がわかりません、でしょうか?」
「そんな丁寧なJKはいない」
「ここにいるのですが……それよりも、そのボスの魔石が50個で小鬼のダンジョンは卒業して、外の、一般のダンジョンへ進出できると、ガイダンスブックに書いてあったと認識しているのですが、間違いないでしょうか?」
「うん」
「ということは、鈴木さんにとっては、もう、小鬼ダンは、必要がない場所なのではないですか? それなのに私のような落ちこぼれのた……」
「いいか、広島さん。君は落ちこぼれなんかじゃない。君がいる小鬼ダンジョンにはどうしようもなくかけがえのない価値がある。小鬼ダンジョンのために君がいると言ってもいいし、君のために小鬼ダンジョンがあると言ってもいい。それくらい、君は僕にとって重要で、大切で、鍵となる人物だ。自分で自分を否定しないでほしい」
「うへぇぁ……急に長文でそういうことを言われるのはその、なんというか、困ります。あと、岡山です。そういうことをいう時にはできるだけ間違わずに岡山でお願いします。効果が半減しますよ?」
「うん」
「うん、て……意味が伝わっていませんね」
「もう入口だから集中しようか」
「あ、はい」
眼鏡っ子はきゅっと唇をすぼめて、目を細めた。どうやら集中する時の顔らしい。
……君は今から、君の価値を知ることになる。
僕は眼鏡っ子というこの重要なアイテムを必ず守ると心に誓った。この子は今、僕にとっての、隠し部屋の鍵なんだから。