1 プロローグ 少年はヒロインたちと出会った。だが少年はダンジョンを望んだ
ゲーム知識チートで生きる。
僕がそう考えたのは、ここがVRMMOアドベンチャーRPGであるDW――ダンジョンズワールドの世界だと気づいたからだった。
前世で、いつ、どのようにして死んでしまったのか、は、思い出せない。
それなのに、自分が暮らすこの町の名が、『平坂市桃喰町』であると知った小学校1年生入学時。頭の中に流れ込むように、小学生よりも大きな姿をした、従姉のはるかちゃんくらいの人たちの学生生活がスライドショーのように浮かんだ。思えばこれが前世の記憶のオープニングのようなものだったのかもしれない。
はるかちゃんは当時、高校生だった。だから母に尋ねた。
「ねえねえ、かあさん。ボクのうちからいちばんちかいこうこうって、どこ?」
「アキヒロは気が早いのね。高校生になるのはまだ何年も先なのよ?」
「うん。それくらいしってるよ! それで、いちばんちかいこうこうはどこ?」
「国立のヨモツ高校が駅の北側、平坂山の方にあるね。レベル、高いみたいよ。有名な高校だからすごいところだけど、おかあさんが思うにアキヒロには関係ないかな。ある意味では有名な人が卒業生の中にはいるけど、アキヒロは有名人になりたい訳でもないでしょう? おかあさん知ってるもの。なりたいのは犬のトレーナーさんだったよね? だからもし高校生になる時は、家からの距離とか遠慮しないでどこを選んでも大丈夫だからね。近い必要はないわよ? 全然ないわよ」
「かあさん、ぼく、まだいちねんせいなんだけど……」
という返答の途中で、一気に前世の記憶の一部がリロードされたのだ。
――国立ヨモツ大学附属高等学校。平坂ダンジョン群直近に建設されたダンジョン科のあるダンジョンアタッカー育成校。DWのチュートリアルと基礎ステータスアップとジョブ獲得のために最初の3年を過ごすところ。本当にゲーム時間としての3年ではないけど。
実際には……いや、実際じゃなくてゲームでは、授業とかテストとか行事とかはクイズゲームとか格闘ゲームとか横スクロールの走りゲームみたいなミニゲームの形で終わりだし、いくつかのイベントといくつかのダンジョンをNPCとパーティー組んでクリアすれば卒業で、在学中にジョブを手にしてチュートリアルを終えて、『……巨星は堕ち、そして、ダンジョンアタッカーたちの群雄割拠の戦国時代が始まる!』というナレーションで世界各地のダンジョンに挑むMMORPGの舞台に飛び出していく。そこからが本番。
「マジか……」
「え? どうしたの、アキヒロ?」
「あ、ううん。なんでもないよー、かあさん」
あはは、と母には笑ってみせながら、僕は心の中で真剣に考えた。
……ここがDWの世界なら、ひょっとして、同じ学校に、彼女がいる、のか?
平坂桃花。『聖女』となる、ヨモ大附属での主人公パーティーメンバー候補の一人。入学前経歴、私立イザナギ幼稚園、平坂市立桃喰小学校、国立ヨモツ大学附属中学校ダンジョン科。かつて華族と呼ばれた旧名家である平坂家の分家の三女。もちろん、カワイイ。ただし、普通の女の子っぽい外面を見せているのに、実は丁寧語のお嬢さまが本性という二重人格みたいなキャラ設定は、プレイヤーには賛否両論だったヒロイン。
当然、翌日に。小学校入学2日目ではあるけど、校内を探し歩いた。
各教室の入り口の扉の窓に、クラス名簿と座席表が貼ってある。昨日から、まだ剥がしてないのだろう。そして、隣の隣のクラスの名簿、1年4組で、平坂桃花の名前を発見。見つけてしまった。僕は1年2組だった。
教室を覗いて、きらきらでさらさらなストレートの黒髪でちょいと長めのボブ、ぱっちり黒目のお人形さんみたいな純日本的美少女を目撃した。あ、これ、間違いない。
……いたよ……しかも、同学年だよ。完全にタイミングもDWとカブってる。
しかし。ここで、ヒロイン級の女の子と幼馴染関係になって……なんてことは考えない。
でも、ここがDWの世界なら……。
勉強と運動は重要だけど、まずはお金を貯めないと! アイテム用に!
それが僕の基本方針となった。DWのためなら、いくらでも努力ができそうな気がする。
河川敷での早朝ランニングと、ダッシュ。これを欠かさず。毎日。
勉強は授業をちゃんと受けて、図書室や図書館で知識を増やす。小学校の間はかなり簡単でも、それで油断すると中高とレベルが上がってついていけなくなるのは困る。
お年玉は全部貯金。毎月のお小遣いも貯金。時々もらえる親戚からのお小遣いも貯金。
父、母、伯父、伯母、祖父、祖母のお手伝いや肩もみとかで、小銭を稼ぐ。
廃品回収でマンガなんかを発見したらこっそり個人回収。父や母ではマンガの出処が問題になるので、両親が忙しい時を狙って、伯父に頼み込んで古本屋で売却。やや犯罪行為だけど、ここは頑張りどころ。ごめんなさい。よいこはマネしないでね。
自動販売機を見つけたら釣銭忘れをチェック。見つけた小銭は回収。
誕生日プレゼントとかクリスマスプレゼントとかは、できるだけ現金を要求するけど、現金はちょっと……とか言う伯母からは高値で売れそうなゲームとかをもらって売却。伯父がすんごい微妙な顔しててもそこはスルーで。あ、一応、1回は遊んでから売ります。最低限の礼儀として。
学校生活では、二度、小学校3年と5年で聖女ヒロインと同じクラスになったけど、ほとんど会話することもなく安定のスルーで。
そんな聖女ヒロインとの最接近状態が5年の林間学校でのカレー作りの班が一緒だったこと。ただし、会話は「鈴木くん、たまねぎ、切れた?」「うん」「涙出なかった?」「うん」「ありがとう」で、おしまい。たぶん、カレーを食べる時の「いただきます」は会話ではないと思う。ひょっとしたら、僕は「うん」としか言ってないので、それも会話とは呼べないかもしれない。その程度の、関係。
気づけば6年間、運動会では毎年リレーの代表選手になるくらいは足が速くなったし、6年では先生から中学受験はどうか、と言われるくらいに勉強も頑張った。というか、小学校レベルの勉強は前世で大卒の記憶持ちには簡単過ぎた。
小学生向けの学校のテストで百点とったら百円、という細かい小遣い稼ぎも母と祖母の二股で倍稼いだのは美味しかった。母性での甘やかしに感謝です。
ただ、母はやはり母。甘やかすだけではない。
「アキヒロ、いつもはあんまりしゃべらないのに、ダンジョンのことになると、びっくりするくらい長くしゃべりだすでしょう? おかあさん、本当は、ダンジョンに入るような仕事には就いてほしくないけど、附属中からそれを経験することで、早目にアキヒロが自分に合った仕事かどうか、考える機会になればいいのかなって思うのよね。その方が進路変更も簡単だし。おかあさん、先生に聞いて調べてみたけど、厳しい附属高と違って、附属中なら、すごく安全に配慮して、ダンジョンに入れるのよ。1年生なんて、夏休みまでいっぱい訓練して、それでやっとのことで、ダンジョンに入るんですって。ほら、ダンジョン、ダンジョンって言ってるだけのアキヒロに、そんなの耐えられるの? それでもいいなら、附属中だけは、行ってみてもいいと思うの、おかあさんは。どう、アキヒロ?」
1学期の面談で先生と話した母が、応援しているのか、否定しているのか、どちらか判断がつかない言葉を夏休み直前の夕食で長々と話し出したことは一生忘れないと思う。
ただ、附属中ダンジョン科からのスタートだと、まだアイテム用の貯金が足りないので……ゲーム知識にない附属中でのスタートダッシュを選ぶか、ゲーム知識が活かせそうな高校受験を選ぶか、で、半年ほど悩んで、高校受験に賭けることに決めた。
そして僕は平坂市立平坂北中学校に進学し、附属中へ進学した聖女ヒロインとは中学校が別になった。もともとほとんど関わりはないけど。5年から届くようになった年賀状くらいの関係? しかし、今度は――。
「やっぱり、いるのか……」
同じクラスに、設楽真鈴を発見する。『侍』となる、ヨモ大附属での主人公パーティーメンバー候補の前衛で避けカウンタータンク。入学前経歴、げんき保育園、平坂市立柿不喰小学校、平坂市立平坂北中学校。濃紺の長い三つ編みお下げと、前髪にちょろりとアホ毛。同じく濃紺の瞳。文系の見かけなのにスポーティーというギャップの剣道少女。そばかすさえもカワイイ、二人目のヒロイン。
もちろん、クラスメイトとして最低限の、あいさつ程度の関係で、基本的にスルーだ。ヒロインと中学校でお付き合いしていましたー、なんて、そんなことは考えてもいない。そんなことよりお金だ。
朝は新聞配達のアルバイト。もちろん、全部貯金。基本的に休刊日以外は全部頑張る。元旦も、だ。中学生がアルバイトなんておかしい? そんなことはない。聖女ヒロインが年賀状配達のバイトしてるの見かけたことがあるからな。新聞配達の帰りにウチの郵便受けに入れてるトコ、この目で確実に見たからな。
あの子、名家のお嬢さまのはずなのに、名家だからこその修行か何かなんだろうか? 厳しい家で育ったから、附属中で3年間首席だったのかも。
1年生の1学期中間テストでは5教科五百点満点で学年トップとなった。
その情報がクラスメイトたちに知られて、それからは定期テスト予想問題を作成、販売して稼ぐ。よく当たると評判で、現金がなければ読み終わったマンガ、やり尽くしたゲームなどでの支払いもオッケー。ありがとうブック○フ。いろいろとトラブルもあったけど、これで大きく稼げた。
小学生の頃とは違って、定期テストや実力テストで学年トップクラスを維持すればお小遣い三千円、という約束を母、祖母と個別に結んで個人的ダブルインカムで稼ぐ。
小学校の時の百点百円の延長だ。これは粘り強い交渉で中2では五千円、中3では一万円にランクアップさせた。難しくなるからですね、当然でしょう。塾に行かずにこの好成績なんだから、保護者として納得してほしい。お金ぐらいは。
もちろん、自動販売機を見かけたら釣銭忘れは必ずチェックするのは変化なし。小銭なめんな。
中学校といえば部活動。ダンジョン関係で将来性があると考えられる剣道部は侍ヒロインがいるので残念ながら避けて、割と短時間集中の活動だった陸上部に所属し、基本的な身体能力をしっかりと鍛える。
そんな日常で僕についたあだ名は最速の守銭奴。なんで?
守銭奴と言われたせいか、僕が金を持ってるという噂が流れ、校舎裏で怖い先輩にカツアゲされそうになったこともあるけど、僕は全力ダッシュで逃げ切った。もちろん職員室に駆け込んで先生にチクりましたとも。ざまあ。
修学旅行のお小遣いも、1円たりとも使わない。思い出? 何それ? 金になんの?
班別自主研修という名の自由行動では、班のメンバーが寺社仏閣に入ってから出てくるまで外で一人だけ読書待機。
昼食の時も、ホテルの朝食でおかわりをして用意した手作りおにぎりで済ませて、店の外で一人読書待機。
ホテルに戻った夕方には班長だった女の子がガチでキレててちょっと怖かった。僕のせいだというのだろうか。よくわからない。
もちろん、家族へのお土産は買わなかった。妹にジト目で見られたけど。
侍ヒロインとの最接近状態は中3での2学期中間テスト。このテストは時期的に推薦入試に影響が大きい、らしい。
中3のクラスは別だったけど、侍ヒロインがテストの予想問題を買いに僕のクラスまでやってきたから関わるハメに。「鈴木くん、噂の予想問題、売ってほしいんだけど」「どれ?」「社会と理科」「ひと教科五百円。ふたつで千円」「……マンガとかでもいいって聞いたんだけど?」「千円分の価値があれば」「えっと、これ……」と恥ずかしそうにマンガの単行本を十二冊ほど、紙袋ごと差し出す侍ヒロイン。
汚れなどがないか、発売日はいつか、チェックしようとパラパラと開いたら「うわーっ、見ないで!」「は? 汚れとか、買い取り価格に関係するし」「えー……」と、侍ヒロインのそばかす顔が赤い。くそ、そばかすカワイイぞ、コラ。
ちょっとエッチなラブシーンもある少女マンガ『ドキ☆ラブ ダンジョン学園 ~ラブ・クエスト・モーニング・キッス~』全十二巻は、男子に見られるのは恥ずかしいらしい。僕からすると金になるかどうかが全て。
パラパラと中身を確認しながら、「……誰にも言わないでよね?」「うん」「絶対だからね?」「うん」と生返事で流していると、「絶対に秘密だから!」と言われて秘密の共有みたいなことになったのは誤算だったけど、十二巻完結のセットでしかも人気作らしくて、高めで売れたのは幸運だった。ありがとうブ○クオフ。
もちろん、売る前に家で一度は読破した。成人指定ほどではないけど、最終回では夜中にベッドインしてバージンロスト、朝チュンでキスとかもしてたし、そこにいたるまでの過程でも最後まではいかないムニャムニャが結構あって、中学生にはかなりエッチな感じだったのでドキドキしたのは一生の秘密だ。体は中学生でも中身は大人なのにな。
さらには廃品回収で見つけたこのマンガのノベライズを読んで、売らずに部屋の本棚に残しているのも内緒だ。たまに気分転換に読んでいる。文字情報って、すごい……。マンガで視覚化されたイメージが脳内にあるから余計に……ごほんごほん。脳内アニメが放映されたりしてません。はい。あくまでも夜の、ちょっとした気分転換です。
侍ヒロインは剣道で2年連続全国大会出場、3年で個人全国ベスト4の3位という剣豪女子。準決勝は大接戦で、負けたけどその相手が優勝した。その実力は日本一と同等という噂。侍ヒロインは推薦で国立ヨモツ大学附属高等学校ダンジョン科へと進学した。一芸って大事だな。
僕は一般受験で、筆記はトップクラス、スポーツテストも好成績で、およそ三百倍という倍率を突破して無事に国立ヨモツ大学附属高等学校ダンジョン科に合格した。
入試の合否はともかく、なぜトップクラスだったというその内容がいち受験生にわかるのか、と? 当然の疑問だろうと思う。
まあ、単純に、3月の卒業間際に中学校へ電話連絡で新入生代表あいさつだか宣誓だかの打診があったから、たぶんトップか、トップクラスの成績だったのだろうという訳だ。もちろん、代表なんて目立つのは嫌なので校長先生に言われた瞬間にコンマ秒で断った。高校へお断わりの連絡を入れた校長先生が「断られたのは初めてだと言われたよ、鈴木くん。もったいない……」と言っていたので、ひょっとしたら入試はトップなのかな、と。
母が命の危険がある附属高のダンジョン科への進学にはかなり強くいつもの長い話で反対したけど、最終的には僕の百万円を超える金額を刻んだ預金通帳を示しつつの、安全性を高めるダンジョン攻略プレゼンを聞いて、母はぽかんと口を開けて屈服して折れてくれた。心が。「本当に似た者母子だよ」と父がフォローしてくれたので、うやむやになったけど。でも、心配してくれてありがとう。感謝です。それでも、僕は行きます。そのために9年間も準備してきたんです。
こうして僕はリアルとなったDWの舞台に立つ権利を手にした。
国立ヨモツ大学附属高等学校ダンジョン科の入学式の日。クラス分けで1年1組になった。1組で良かった。4クラス分も名簿を見るとか面倒だし。
教室の前の座席表で、廊下側の1番前の席に名前を発見。鈴木が1番の位置とか、座席って名簿と違ってあいうえお順じゃないんだな。みんなの名前、覚えるのに苦労しそう。最初は名前順にして、名前を覚えた頃に席替えすればいいのに。面倒な。苦手なんだ、名前、覚えるのは。
座席表を見ていると、ひとつ後ろの席に浦上姫乃の名前を発見。入学前経歴、F県の山寺市立寺前中学校。保育園や幼稚園、小学校は不明。『弓姫』となる主人公パーティーメンバー候補で、アーチャーだ。DWの三人目のヒロイン。
赤茶の髪を後ろでひとつにまとめて流す。瞳は茶色。身長は百七十二センチと女子にしては高めで、鼻筋の通った美人タイプ。
ちなみに聖女ヒロインは僕の席の隣の隣。教室中央右側の一番前だ。教卓前は意外と先生に気づかれないポジション。そして、侍ヒロインは窓側の一番前。季節によって暑かったり寒かったりしそう。
もう学園に入ったんだから、ヒロインたちとほんの少しくらいは絡んでも大丈夫なのかもしれないけど、主人公を中心とするみなさんにはいろいろな苦難をしっかりと乗り越えてもらわないと困るので、鈴木という名のモブとしては可能な限りスルーでいきたい。僕は僕でダンジョンをひたすら楽しむのだ。くくく。
指定された席に僕は大人しく座って、読書をしながら待つ。
人が集まり、教室の中央では会話が広がり、ざわめきが起きる。おそらく附属中の出身だから、知り合いなんだろうと思う。好きにしてください。
一瞬だけ、本から顔を上げて、弓ヒロインはまだかな、とちらりと後ろを見るけど、いない。しばらくすると、弓ヒロイン以外は全員座って、教室には空席がひとつだけ。
どうしたんだろうか、と思っていると、先生と一緒に、弓ヒロインが入ってきた。入学初日に転校生なのか? そんな馬鹿な? でも、おお、やっぱり美人。さすがは弓ヒロイン、と思った瞬間、切れ長な弓ヒロインの茶色の瞳がキッと鋭く細められた。
……あれ? 僕が、にらまれた、ような? なんで?
なんだか不穏な空気を感じたけど、僕の横を抜けた弓ヒロインが後ろの席についた。前で紹介されなかったから転校生ではないらしい。そりゃそうか。
教壇のところに立った先生が、入学式会場への入場の仕方を説明して、座席の順に廊下に並ぶように指示を出した。今、教室で座っている縦並びの状態が、入学式会場のパイプ椅子では横並びになっているらしい。
僕のポジションは新入生の最前列の一番右だそうだ。しかも、会場へ一番に入って、最後に出るらしい。入場については僕が間違ったら、後ろの人は全部間違うようなので、頑張ろう。
拍手が溢れる中、無事に入場して、ダンジョン科の入学式が始まる。
お偉いさんのあいさつの中に、ヨモツ大学の学長さんとか、文部科学省の局長さんとか、経済産業省の局長さんとかがいるのが、国立ヨモツ大学附属高ダンジョン科の凄さかもしれない。普通は校長とかが一番上じゃないかな?
「新入生代表、宣誓。新入生代表、浦上姫乃」
「はい!」
僕の隣に座っていた弓ヒロインが元気よく返事をして、立ち上がる。
……ああ、新入生代表だから、先生と一緒に教室に来たのか。なるほど。練習とか、宣誓文の確認とか、してたんだろうな。
壇上に上がった弓ヒロインが堂々と宣誓を終えて、拍手を浴びながら戻ってくる。うわあ、超目立つ。断って正解だった。美人な弓ヒロインならいいけど、モブな僕では痛い視線が集まりそうだ。
パイプ椅子の前で弓ヒロインが回れ右をする、その一瞬。茶色の瞳が鋭く細められる。
……あれ? また、にらまれた?
一度も、入学前は会ったことはないし、今のところ、一言も、会話したことがない。にらまれる覚えはないし、そんなはずがない。
……気のせい、だよな?
なんとなく、不安な気持ちになりながら、入学式を終えて、退場する。退場時は、僕が一番最後に出る。弓ヒロインの背中を見つめながら。会場を出る寸前、回れ右をして、深く礼をする。最後に出る生徒の役割だと事前に先生から言われていた。
礼をすると、拍手がより強く、大きく、会場内に響いた。
教室に戻るまでにちょっとした騒ぎがあった。誰かが倒れたらしい。式典とか、朝礼とかなら、よくあること、かな? パイプ椅子があったから貧血とかではないだろうし、体調がもともと悪かったのかもな。ま、別のクラスの人みたいだけど。
「今日はもうこれで終わりだからな。ガイダンスブックはきっちり読んでおけよ。寮生は昼食後、十三時半から入寮式と歓迎会があるから、そのつもりで。寮生で保護者が来てる生徒は、このあと必ず会っておくように。冬休みまで会えないからな」
先生が教室に戻った生徒たちに、この後のことを説明してくれた。
「んじゃあ、解散」
そう言ったら、先生はすたすたと教室を出て行った。中学校の時のような、委員の号令でのあいさつとかがないので、高校はこういう感じなのか、と新鮮さを感じる。
とりあえず、荷物をまとめて、アイテムやレンタル武器を確保するために校舎内にあるギルドの出張所へ行こうと動き出すと、僕が立ち上がった瞬間に声をかけられてしまう。
「久しぶりだね、鈴木くん」
教室の中央付近全体がざわっと蠢いたのがわかった。わかってしまった。
この教室の中で、僕に対して「久しぶりだ」と声をかけてきそうな人物は一人しかいないだろう。というか、声をかけてきたことに驚いたのは僕自身だと思う。周囲以上に。律儀な人らしくて、5年からずっと年賀状は届いてたけど、まさか声をかけてくるなんて。
「……うん」
「私のこと、覚えてる? 平坂桃花だよー? 小学校、同じだった」
「うん」
……というか、聖女ヒロイン――平坂さんが、僕のこと、一人の人間として、個体として認識しているってことが、意外過ぎる。なんで?
「鈴木くんは元気にしてた?」
「うん」
「あんまり元気じゃないみたいだけど?」
「あー、いや……」
おなしょーらしーぞ、なんだおなしょーかよ、じもとみんかー、とか、聞こえてくる。たぶん、聞き耳を立てている附属中の出身者たちだろう。
関係なさそうな人たちは、もう教室から出て行ってる人もいる。親も来てるんだから、そうだよな。
「鈴木くんなら、附中を受験すると思ってたんだけどなー。小学校で、成績、すっごく良かったよね? 足もすっごく速かったし。附中の入試でも、附中に入学しても見かけなかったから、ダンジョンに興味ないのかと思ってたよー」
「あー、いや、興味は、うん、あった、けど、うん」
「そうだよねー。そうじゃないと、附属高のダンジョン科には来ないよねー」
「うん」
「同じクラスで嬉しいよ。また仲良くしようねー」
「あ、うん……」
……また? 仲良く? 小学校で平坂さんと仲良くしていたという記憶は僕にはないんだけど。僕の記憶、どこかで喪失してるのかな?
じゃあ、また明日、と言って、平坂さんが自分の席へと戻っていく。そこにおそらく附属中出身だと思われる女子が集まって話し出す。
出鼻を挫かれた状態になってしまったけど、気を取り直して、教室を出よう――としたら、またしても声をかけられる。
「あなた、鈴木っていうのね」
僕の後ろの席の弓ヒロインで新入生代表――浦上姫乃だ。あと、声のトーンが、なんか、棘があるような気がする。「あなた、ゴミっていうのね」って言われた感じ、と言えばわかるかな? 美人の冷たい視線とセリフ、ごちそうさまです。
そして、切れ長な茶色の瞳が細められている。これはもう、浦上さんが近視なのに眼鏡やコンタクトをしていないという可能性を除けば、確実に僕がにらまれていると思う。
そのまま荷物を持った浦上さんが僕の横を通って。
「……絶対に、負けないから、あなたには。あなたにだけは」
そう言い捨てて、教室を出ていく。
……ええと。なんで、僕、弓ヒロインの浦上姫乃からにらまれた上にライバル宣言みたいなの、されてんの? もう、意味がわかんないんですけど?
二度も出鼻を挫かれて、しかも、先に出て行かれてしまった。なんだそれは。僕は再び気を取り直して、教室を出ようと動き出す。その瞬間――。
「ちょっとちょっとちょっと」
窓の方からカバンを背負って早歩きで近づいてきた侍ヒロイン――設楽真鈴が、僕の腕を掴んで廊下へと引っ張り出し、そのままぐいぐいと、他の生徒が昇降口へと向かう流れに逆らって、人がいない方へ進んでいく。
廊下がL型に曲がって、普通教室棟から特別教室棟へと入ったら、僕と設楽さん以外は誰もいなくなった。なんだこの強引な二人きり状態は?
きょろきょろと周囲を確認した設楽さんが、ぐいっと僕へと向き直る。掴まれてる腕がちょっと痛い。あと、顔が近くて、赤い。くそ、そばかす、カワイイ……。
「鈴木くん? 約束、絶対だからね⁉ 絶対なんだからね?」
「え、と……」
……すんません、設楽さん。マジ、顔が近いです。あと、なんか必死過ぎです。でもカワイイです。
「絶対だから⁉」
「あ、えと……」
「覚えてるよね⁉」
「あー、と……設楽、真鈴、さん?」
「名前じゃなくて⁉ あれ!」
「あれ?」
「覚えてないの⁉」
「えーと、約束?」
「そう! 約束!」
……それはともかく、なんか、女の子のいいにおいがします。
「……なんだっけ?」
「覚えてないんだ! あ、いや、それならそれで……」
「あ、ひょっとして、『ドキ☆ラブ ダンジョン学園 ~ラブ・クエス……」
「わーーーっっ!」
「もがっ……」
設楽さんの左手が、がばっと僕の口をふさいだ。
「それは誰にも言わない約束~~~っっ!」
……あ、やっぱり。あの時の、ちょっとエッチな少女マンガ、『ドキ☆ラブ ダンジョン学園 ~ラブ・クエスト・モーニング・キッス~』全十二巻のことでしたか。
もちろん覚えてます。というか、今、言われて思い出したんだけど。
いや、あれから半年ぐらい経ったよな? そんなに恥ずかしいならそんなマンガを男子に売るなよ。
あと、設楽さん、今、僕、あなたの掌にキスしてる状態です。僕のせいではないけど。
もうちょっと乙女としていろいろと考えて行動してほしいです。そんなことは言えないし、言わないけど。
「絶対に言わないで⁉」
まるで僕の心の中の声に答えたようなセリフだったけど、こくこく、とうなずく、僕。だって口、ふさがれてるし。
「絶対だよ? 絶対にだよ?」
こくこくこく、とうなずく、僕。唇は口の中へ巻き込むようにして、設楽さんの掌にキスしたがる変態ではないことを必死にアピール。アピールになってないとは思うけど。
「まさか、ここのダンジョン科で鈴木くんと一緒のクラスになるとは……」
……そういえば、設楽さんは推薦入試、僕は一般入試なので、僕は全国大会で活躍した設楽さんがここに来ることを知ってたけど、設楽さんは僕がここに来ることを知らなかったんだろうな。同じクラスになるとは僕も考えてなかったし。
設楽さんはまだ、右手で僕の左腕を掴み、左手で僕の口をふさいだままだ。というか、そろそろ解放してほしい。肉体的には健全な高校生の男子として、かなりカワイイ女の子にこんなことされたら、中身が大人でもさすがにドキドキする。話してる内容がアレだから、恋愛的な勘違いはしないけど。
「地元の人なんてほとんどいないも同然なのに、よりによってここで鈴木くんとは……」
確かに、ここの生徒は全国から集まるので、僕たちのような地元の生徒の割合は低くて、人数はとっても少ない。
……よりによってとか言われてもなあ。成績的には、僕がここに入学するのは妥当だと思うけど。
あの少女マンガ、確かにエッチなシーンは豊富にあったけど、ストーリー展開で自然に描かれてたし、それほど濃厚な感じではなかったと思う。本屋の販売スペースは普通の棚の方だし。成人指定じゃなくて。
ここまで恥ずかしがるのは、設楽さんが純真で初心な女の子、ということだろうか?
もし、そうなら、今のこの体勢に、乙女として恥ずかしさを感じてほしい。マジで。
僕は動かせる右手で、設楽さんの左の手首を握り、ぐいっと押して、ふさがれていた口を解放する。もちろん、すぐに設楽さんの手首から手を放す。
「……そろそろ、この体勢、やめない?」
「え……」
「いろいろとあせってたのはわかったけど、腕、掴んだままだし」
「あ、ごめ……」
謝りかけた設楽さんが口ごもり、目を見開いて、赤くなっていたそばかすほっぺがさらに赤く染まっていく。
……いや、マジでカワイイ。そばかすカワイイ。照れ顔カワイイ。語彙が消える。
「くぅぅ~~~っ、ご、ごめんなさい~~っっ!」
全力ダッシュで立ち去る、いや走り去る設楽さん。さすがは剣道全国レベル。走るのも速いんだな。
……というか、設楽さんって、あんな子だったんだな。ゲームでは、もっとクールなイメージだった記憶があるけど。ザ、武士、みたいな。
いや、そんなことよりも、僕はなんで、DWのヒロインたちに絡まれてんの?
僕、モブだよな?
僕の名は、鈴木彰浩。
佐藤、田中などと並び称される、モブ・オブ・ザ・モブ・ネームの鈴木。全国の鈴木さん、ごめんなさい。でも、わかってもらえると信じています。
名前のアキヒロっていうのは、確かにこれまで小中と同じクラスで同名の人と一緒だった記憶はないけど、だからといって珍しい名前でも、主人公っぽい名前でも、ないと思う。
ヒロインたちの名前と比較してみてほしい。ヒラサカモモカ、シタラマリン、ウラガミヒメノ、そして、僕はスズキアキヒロ。
……うん。どう考えても、僕はモブです。特別感がなさ過ぎる。
あれ? DWの主人公の名前って何だった? 1年1組だったのは間違いなくて……。
……ん? いや、ゲームスタートの時点で、名前は入力するタイプだったよな?
デフォルトネームはなかったような? ないよ、な?
その代わり、織田信長でも、藤原道長でも、源頼朝でも、なんなら、わきばらかゆい、とか、おしりくさい、とか、そういうおかしな名前でもプレイできたはず。普通はしないけど。『私はもう動けないもの。先に逃げて、おしりくさい』とか、ヒロインに言わせてどうする? シリアスぶち壊しだろう? シナリオは壊れないけど⁉
いや、そうじゃなくて。
……この世界だと、僕が主人公だって、可能性も、あるってことなのか? それとも、クラスに主人公がいるのか?
そもそも、ヒロインたちと主人公との出会いイベントが、僕とは、全然、違う。
聖女ヒロインの平坂桃花とは、初のダンジョン実習で誰かをかばっての怪我で、平坂桃花にライトヒールの治癒魔法をかけてもらうところで、出会う。というか、初めて会話する。
侍ヒロインの設楽真鈴とは、入学初日に廊下を走ってきた設楽真鈴とぶつかって、謝られるというのが出会いイベント。
弓ヒロインの浦上姫乃とは、GW明けの第一テストの結果で、トップ5に入ると、隣の席の浦上姫乃が話しかけてくる、だったような。
あと一人、出会いすら高難度の隠れヒロインがいるらしいけど、僕がDWから離れてしばらく経ってから偶然発見されて噂になったから実はこの子はよく知らない。
それに、ヒロインの全員とパーティーを組むのではなく、誰か一人と組むストーリー展開だった。ヒロインはそれぞれトラブルに遭遇するからそれを解決しなきゃならない。三人同時とか無理だろう。当然だよな。
……というゲームの事情から考えると、三人と初日から関わった僕は主人公ではないよな? たぶん?
僕はしばらく考えて、でも、考えても答えは出ないと結論付ける。そもそもヒロインと絡んでトラブルに巻き込まれるのは面倒だから僕は僕の道を行くと予定通りに校地内にあるギルドの出張所へと向かった。いろいろあって少しも予定通りの時間ではなかったけど。
こんな感じで、僕のDW世界での高校生活はスタートしたのだった。