大好きな義妹のラブレターを盗んでみたら
俺・木嶋貢には、心に決めた人がいる。
彼女の名前は木嶋新菜。年は一つ下で、勉強も運動も出来て、その上世界一可愛い――俺の義妹だ。
四年前、父親の再婚を機に家族となった俺たちは、この四年間仲睦まじい義兄妹であり続けてきた。
「洋服が欲しい」とねだられれば「仕方ないな」と財布を取り出し、新菜の帰りが遅くなった時は駅まで迎えに行き、テスト勉強に行き詰まっている時は勉強を教えてあげる。……あれ? これ頼りにされているっていうか、パシられていないか?
良いように使われているとわかっていながらも、そんな新菜を甘やかしてしまうのは、彼女が義妹だからか、それとも一人の女の子として見ているからか。
義妹を恋愛対象として見るのは間違っている。そんなこと、百も承知の筈なのに……一度抱いてしまったこの恋心を、抑えることは出来なかった。
そんな新菜の様子が、どうにも最近おかしい。
具体的に言えばだな……そう一段と可愛くなっているのだ。
「おはようー」
「あっ! おはよう、義兄さん!」
その日の朝もいつもと変わらない時間に起床すると、新菜は既に起きており、キッチンで朝食を作っていた。
制服にエプロンというなんともおとここころをくすぐる新菜の格好を、俺はつい凝視してしまう。
新菜もすぐに、俺の視線に気付いたようだった。
「義兄さん。そんなに見られると、恥ずかしい……」
「えっ? あぁ、悪い。何て言うか、まだお前のエプロン姿が見慣れなくてな」
新菜が料理を覚え始めたのは、ほんの1ヶ月前の話だ。
それ以前の彼女は、料理なんて単語とは無縁の存在で。せいぜい調理実習前に、恥をかかないように課題料理の作り方を頭に叩き込むくらいだ。
だから新菜のエプロン姿というのが、どうにも新鮮に思えてならない。
「いきなり料理を覚えたいだなんて、どんな心境の変化だよ?」
「んー? まぁ、私も高校生になって、色々考え始めたわけですよ。最低限の料理くらい出来ないと、将来困るしね」
「……卵焼き、焦げてるぞ?」
「嘘っ!?」
驚きながら、新菜はフライパンの上の黒焦げた物体を皿に盛り付ける。
恐らくその物体は、俺の朝食になることだろう。
新菜の変化は、料理を始めたということだけではない。
新菜の奴、先週あたりから化粧をし始めた。
ウチの高校は、多少の化粧くらいなら許容されている。しかし新菜は「化粧する時間があったら、寝ていたい」という理由で、一度たりとも化粧をしたことがなかった。
すっぴんでも、恐ろしいくらいに可愛い。そんな彼女が、化粧をするようになるなんて……。
最近の新菜を観察して、俺はある一つの結論に辿り着いた。
もしかして新菜は……恋をしているのではないだろうか?
◇
互いに予定がない時は、一緒に登校する。それが俺と新菜の日課だ。
と言ってもこれは義妹に悪い虫がつかないよう俺が半強制的に新菜に頼み込んだことで、今のところ彼女も了承してくれている。快くではないと思うが。
「それじゃあ新菜、勉強頑張れよ」
「義兄さんも、授業中居眠りしちゃダメだからね」
「わかった。居眠りじゃなくて、ガチ眠りする」
「それは尚のこといけません」
下駄箱で新菜と別れた俺は、靴から上履きに履き替えて教室へ向かう。
どうして新菜と離れ離れにならなければならないのだろうか? 出来ることなら、同じ教室で授業を受けたい。それが無理なら、早く放課後になって欲しい。
教室に着いた俺は、自分の席に鞄を置くなり、親友の長坂雄也に話しかけた。
「おーっす、貢」
「おはよう、雄也。……相談があるんだけど、聞いてくれるか?」
「「義妹が可愛すぎて困ってる」って相談以外なら、聞いてやるぞ」
二つあった相談事のうち、一つを先んじて潰されてしまった。なので肝心な方を、雄也に話すことにする。
「実は俺の義妹に関してなんだが……」
「わかってる。お前が新菜ちゃん以外のことで、俺に何か相談したことなんてないからな。……で?」
「なんと義妹に好きな人が出来たっぽいんだ」
俺は新菜が料理やら化粧に目覚めたことを、雄也に話した。
雄也は「考え過ぎじゃないか?」と言ってきたが、そんなことはない。新菜の心の動きなら、どんな些細なものだって把握している。
「新菜ちゃんって、一年だったよな? もう高校生なんだし、好きな人がいるのなんて普通だろ? 彼氏がいても、なんらおかしくない」
「彼氏ぃ?」
「例えばの話だ、例えばの。だから指をポキポキ鳴らすな」
おっと、危ない。
空想上の新菜の彼氏を思い浮かべて、思わず暴走してしまうところだった。
「「好きな人いる?」って俺から聞いても、きっとはぐらかされるに違いない。最悪新菜の部屋を家宅捜索するんだが……」
「そんなことしたら、マジで嫌われるぞ?」
「案ずるな。部屋に侵入した痕跡は何一つ残さない。……だけどリスクが高いのも事実だし、それは最終手段にしたい。そこで、だ。お前に協力して欲しいんだ」
「協力? 何をすれば良いんだよ?」
「簡単なことだ。新菜から好きな人を聞き出して欲しいんだ」
雄也は何度もウチに遊びに来ているし、二人は少なからず面識がある。
それに雄也は恋愛スキルが高いので、もしかしたら新菜も恋愛相談をするかもしれない。
「女の子の恋心を聞き出すのは、まぁそんなに難しいことじゃないけれど……因みに新菜ちゃんの好きな人を聞き出して、お前はどうするつもりなんだ?」
「そんなの、応援するつもりに決まってるだろ」
「明後日の方向を見ながら言ったって、信じられるわけないだろ。……わかった。名前を出すかどうかはさておき、好きな人がいるのかいないのかくらいは確認してやる」
確かにその方が良いかもしれない。
好きな人どころか彼氏がいるという事実が発覚した日には――俺、何しでかすかわからないもの。
◇
雄也は早速動いてくれたようで、調査結果を翌日の朝には教えてくれた。
「昨日の夜、新菜ちゃんに聞いたんだけど……お前の予想通り、好きな人はいるみたいだ。誰かまでは教えてくれなかったけど」
「そうか……。因みにそいつとは、どれくらい親密な関係なんだ?」
「付き合ってはいないらしい。でも新菜ちゃんの口振り的に、結構良い感じみたいだぞ」
突然料理を覚えたり、化粧をし始めたり。やはりそれらは、その好きな相手と付き合う為にやり出したことみたいだ。悲しいことに、俺の予想は当たっていた。
心神喪失していた俺の頭に、その日の授業はまるで入って来なかった。
気付けば放課後になっており、俺は一人トボトボと下校する。
帰路を歩いている最中、その光景を目撃したのは、本当に偶然だった。
横断歩道で信号待ちをしている時、向かいのファミレスで……新菜と楽しそうにお喋りしている雄也の姿が、目に入った。
新菜の方もまた、なんとも幸せそうな表情をしている。その顔を見ると、俺の胸に締め付けられるような痛みが走って。
……あぁ、そういうことか。俺は瞬時に悟った。
新菜に好きな人がいるのかいないのか? 僅か一晩で調べ上げてくる雄也の仕事は実に早いと感心していたけれど……そりゃあそうだよな。だって新菜の好きな人は、雄也自身なんだもの。
好きな人までは特定出来なかったと嘘をついていたが、それも当然のことだ。まさか「新菜の好きな人は俺です」だなんて、俺に言えるわけがない。
……思えば新菜と雄也って、結構仲良かったよな。
波長が合うっていうか、思考が似ているっていうか。新菜が雄也に惹かれるのも、頷ける。
付き合っていないというのは、本当なのだろう。しかし「良い感じみたいだ」と言っていたことから、雄也の方も満更でもない筈だ。
二人恋人同士になるのは、時間の問題かもしれない。
帰宅した俺は、まず新菜にメッセージを送った。
『夕飯作っておくけど、もうすぐ帰ってくる?』
新菜からの返信は、すぐにきた。
『友達と寄り道するから、ちょっと遅くなるかも』
うん、知ってる。ファミレスに寄り道しているのも、その相手が友達でないことも。
一部始終を見てしまったから。
わかっていながらもわざわざメッセージを送ったのは、新菜がまだ帰宅しないことを確認する為だ。
俺は部屋着に着替えるよりも先に、新菜の部屋に侵入する。
もし新菜が本当に雄也を好きだとしたら、その証拠があるに違いない。例えば写真とか、日記とか。
親友に大好きな義妹の心を奪われたと信じたくない俺は、確たる証拠を探し始めた。
机の鍵付きの引き出しを、ピッキングで開ける。
その中に、探し求めていた物証は存在した。
「これは……ラブレター?」
宛名は書かれていない。しかし、差出人は明記されている。勿論、新菜だ。
既にラブレターを書いているということは、新菜は近いうち告白するつもりだということだ。
二人はもうすぐ、結ばれる。そうなれば……俺の新菜への想いは、叶わなくなる。
「それは……嫌だな」
兄としても、男としてもいけないことだとわかっている。わかった上で――俺は思わず、そのラブレターを持ち出してしまった。
◇
部屋に戻った俺は、新菜のラブレターを眺めながら、何度も溜め息を吐いていた。
便箋は、開けていない。
ラブレターを黙って持ち出してだけでも半端ない罪悪感を覚えているのだ。文面を読むなんて、そんな度胸はない。
……いいや、それも違うな。
本当は、新菜がどれだけ雄也を好いているのか、それを知りたくないだけなのだ。
俺がまたも大きな溜め息を吐くと、新菜が勢いよく俺の部屋に入ってきた。
「義兄さん! また私の部屋に入ったでしょ!」
「えっ!? 入ってないよ!」
何でバレたんだ!?
しかし手元にとんでもないブツがある以上、無断侵入を認めるわけにはいかない。俺は咄嗟に嘘をつく。
「言っておくけど、義兄さんがたまに私の部屋に入っているの、知ってるんだからね。下着の配置とか、変わってるし」
そんなバカな……。
完璧と思っていた証拠隠滅は、全て無駄だったというのか。
「それで、義兄さん。今日は私の部屋で、何をしていたの?」
新菜は俺が部屋に侵入したことを、確信している。嘘も言い訳も、最早通用しそうにない。
……よし、自首しよう。素直に謝って、許して貰おう。
俺は隠していたラブレターを、新菜に差し出した。
「ごめんなさい。出来心で、これを取ってきてしまいました」
「それはっ!」
ラブレターを目にした新菜の目の色が変わる。
「義兄さん!私のラブレター盗んだの!?」
「……すみません」
「まさかと思うけど……中、見てないよね!?」
新菜は俺からラブレターを奪い取る。
このラブレターは、それだけ大事なものだったのだ。
「見てないよ。流石にそれは悪いと思って」
「人のラブレターを盗むだけでも、十分重罪だよ。……うん。中を見てないっていうのは、本当らしいね」
便箋に開けられた形跡がないのを確認してから、新菜はようやく胸を撫で下ろす。
その姿に、俺の心はまたもチクリと痛んだ。
「……それ、雄也に渡すんだろ?」
だからだろうか? そう問いかける声色に、どこか不機嫌さが混じってしまう。
俺の質問に対する、新菜の反応はというと、
「はあああぁぁぁぁ!?」
ラブレターを盗られたとわかった時以上の驚きを見せた。
「私が、雄也さんにラブレターを!? 何で!?」
「何でって……お前、雄也のこと好きなんだろ?」
「違うよ! 私が好きなのは、雄也さんじゃないよ!」
「隠さなくたって、良いっての」
数多もの状況証拠が、二人の仲の良さを物語っている。
俺はお前の部屋に侵入したことを認めたんだ。お前も素直に認めろ。
「隠してないって! そんなに信じられないなら、このラブレター開けてみてよ!」
「良いのか!」
「どうせ近いうちに渡すつもりだったし……別に良いよ」
近いうちに渡すつもりなら、一層開けない方が良いのではないか? そう思いつつも、言われた通り便箋を開ける。
すると、ラブレターの一行目には……俺の名前が書かれていた。
「……え? 俺?」
「そうだよ。私は義兄さんのことが好きなんだよ」
「でも、雄也と二人でファミレスに寄っていただろ? あれはデートじゃなかったのか?」
「違うよ。どうすれば義兄さんへの告白が成功するか、雄也さんに相談に乗って貰っていたんだよ」
確かに。俺のことが好きならば、恋愛の相談相手として適任なのは雄也を置いて他にいない。
俺の推理は、この物証によって全て覆った。
「……それで、義兄さん。私、今告白したんだけど?」
新菜は返事を催促してくる。
俺が新菜をどう想っているのかだって? そんなの、何年も前から伝え続けてきた筈だ。
「俺も新菜が好きだよ」
新菜が世界一可愛い義妹であることは、変わらない。だけどそれと同時に、新菜は世界一可愛い俺の彼女になったのだった。