Ⅱ アリアロスの秘密-ⅹⅹ
近付けば、井戸の影にまだ若い男が横たわっていた。一見して村人のようだが、大した外傷は見当たらない。しかし呼吸はかすかで、今にも絶えてしまいそうだ。
「毒にやられているようですね。知らずに飲んでしまったのでしょう。村の者というよりは、旅の者かもしれませんね」
クレイセスが落ち着いた声音でそう言うのに、サクラはどうしよう、と青くなる。
人の体内に入った毒を、中和する方法がわからない。傷を治す、は出来る。しかし、人の体は約六割が水分と教わったが、人は光響を起こさない。
心臓が一気に、嫌に大きな音を立てて己の緊張と不安を認識させた。
「サクラ。軽く怪我をさせるので、それを治癒することで解毒が出来ませんか」
「あ……」
「どのあたりなら、最小限の力で解毒を出来そうに思いますか」
クレイセスの提案に、咄嗟に思いついたのは。
「おなか……?」
わかりましたと言い終えるのと、剣を抜いて寝かされた男の腹に斜めの傷が走るのとは、ほぼ同時だった。
サクラは男の横に膝を着くと、クレイセスが斬った腹部に手を翳す。見事に皮一枚。浅い傷だが、体内に作用出来る気はした。
松明の明かりを頼りに、翳した下の皮膚の傷が消えていくのと、全身から白い靄が蒸発するのとを確認する。
「……大丈夫そうです。呼吸と脈が安定しました」
クレイセスが口許に耳を寄せ、手首で脈を確認しながらそう言ったのに、サクラはホッとした。
近衛騎士の一人が彼を抱え、馬に積む。
サクラは一瞬くらりとしたが、ゆっくりと立ち上がって井戸に向き直った。深呼吸を少し繰り返して、思いつくままに歌を歌う。
井戸ごとに、違う歌を歌ってきた。
忘れなかったのは、この土地を、人を潤していることへの感謝。
井戸はそれまでと同じく光響を示し、サクラの声が届く周辺の草花も、淡く輝きを見せた。
しかし、弱い。
白い輝きは見えるが、虹色にはならないのだ。色を失った光響は、この土地が正常とは言えないことを示している。




