第Ⅲ話 《罪禍の楔と少女の贖罪》
《煉禍》。それが意味するもの。
それは、世界崩壊後に魔煌都市ノインエルカディアをはじめとした八つの支配区域都市における吸血種は始祖ネビュリスの血統に属し、また序列第一位から序列第七位までに該当する始祖継承権を所持した吸血種を〝七魔鏡皇〟と呼称していた。
なかでもエレンリーゼ=アリステラという少女は他の吸血種とは違い、元人間の少女である。
―――これは、数十年前に遡る話だ。
昔のことで、少し記憶が曖昧だけど。
一度は誰しも富や名声、恋愛など裕福な暮らしを思い描いたことがあるだろう。
エレンリーゼ=アリステラもその夢に憧憬を描くひとりの少女だった。
……わたしの両親は表情の切替が巧みな道化師だった。
表向きは仕事の成績も優秀で愛想のよい言葉やコミュニケーションに周囲からの評判も悪くはなかった。
その反面で精神的なストレスと蓄積する疲労により幼い頃から腹を蹴るなどの暴力的な指導と教育が日課となって、その様子はとても裕福な生活からは懸け離れていたため困窮する日々を過ごしていた。
あの日。あの夜。
父母を殺め、その血肉を貪るまでは。
『人の姿をした女狐のような風貌だ』
『ひっ!?』
彼の威圧的な言葉に少女の身体は竦み、徐々に顔を青ざめていく。
『―――おまえは人間が嫌いか?その妖艶に満ちる風貌の内に隠れた漆黒の業火に意識が溺れていくのが、人間を殺めたい欲望に感情が支配されていくのが怖いか?胸が苦しいか?まぁ無理もないが……長年、蓄積していた憎悪による感情がおまえの身体を侵蝕しているからだ』
『……ひくっ……ぅ、っ、あぅ……。おね、がい……しま、す。たす、け、てぇ……』
アリスは嗚咽を零す。均整のとれた幼顔を歪めて大粒の涙が瞳から溢れて頬を伝う。
しかし、この状況においてその懇願に正当性はもたない。
それは何故か。
アリスの隣に無惨な姿で身体を引き裂かれ、心臓が切り刻まれた人間の死骸が二つ転がっており、少女の右手には真紅に染まる鋭利なナイフが握り締められていたからだ。
―――それは、おまえが犯した罪。
―――それは、おまえが願った罰。
故に、キサマは〝人間〟に成り損ねた。
『お、かあ……さ、おと……う、さん。わ、たし……わたし……、っあ、ごめんな、さ……い。だれか……だれ、か……、私を、殺……し、て』
呆然と佇むわたしの身体を恐怖が包み込んでいくのがわかる。
このナイフで突き刺した時の感触がまだ右手にうっすらと残っていた。
私が父母を殺めたんだ。
その認識がより恐怖を増幅させた。
私は初めて、自分が怖いと思った。
何の意味があって人を演じ続けないといけないのか?
何の意味があって人としての生を謳歌しないといけないの?
…………何の意味もないのに。
ただ、悠々と。
罪を犯して、罰を認識して生き続けるのは苦しいだけなのに。
『この世界に叛逆する意志はあるか?』
『―――人から異種へと身体が変貌する感覚。醜い欲望に、酔いしれる渇望のすべては俺が喰らう。そして、血の盟約による儀式のもとおまえは異種に変異する。だが、その為にはそこにある死骸の血肉を喰らい、小娘が飢餓状態に陥る必要がある』
『……えっ?』
この人は……何を、言ってるの?
食物連鎖が絶えない世界で飢えた獣が同種の獣を捕食するみたいに。私も……人間の血肉を、心臓を食べるの?
『…………』
私はちらりと右隣の死骸に視線を向けた。
腐食が侵蝕して切り裂かれた死骸の身体からは腸と内臓がはみだしており、雛罌粟のように紅く染まる血の霧雨がアリスの艶やかな髪を濡らしていく。
その時、深夜の刻限を告げる鐘の音が街全体に鳴り響いた。
何者かの襲撃からおよそ4時間ほどが経過していた。
(…………もう、時間の猶予がない)
死骸の血を啜って、父母の血肉を喰うこと。
そして、人間の姿を諦めて怪物に変異すること。
その2つの選択肢が今後の事象において私を地獄へ導くことを、この頃の幼い少女はまだ知るよしもなかった。
お久し振りです。第Ⅲ話《罪禍の楔と、少女の贖罪》をご愛読いただきありがとうございます。
彼女が犯した罪、そして《煉禍》が齎す業とは!?
それでは皆様、次回の更新もお楽しみに!!