戦端
「寝付けなかったんですか? 」
本部に入るクリスの顔を覗き込むようにしてキーラが声をかけてきた。彼女の頬ににじむ油にクリスはかすかな笑みを浮かべて応えた。
「君こそ夕べは徹夜だったみたいじゃないか 」
まだ日は昇らない深夜一時。ハンガーは煌々と明かりが照らされている。
「私達はこれからしばらくは待機ですから。それよりシャムちゃんの後部座席に乗るんじゃないですか? 結構あの子、無茶するかもしれませんよ 」
そう言ってキーラは笑った。本部のビルは出撃前と言うこともあり、引き締まった表情の隊員が行き来している。その中から御子神を先頭にパイロット達が姿を現した。軽く会釈をするだけで、彼らの表情はどこか固まっていた。その最後尾におまけのようについてきたシャム。相変わらずの黒い民族衣装のまま、入り口の隣で彼女を待っていた熊太郎が駆け寄るのをどこかぼんやりとしたように眺めている。
「ああ、ホプキンスさん 」
クリスにかける声もどこか頼りない。キーラはつなぎのそでで顔についていたオイルを拭うと、シャムの被っている帽子を直してやる。
「大丈夫? 眠れなかったの? 」
「違うの 」
シャムは頭を振りながら焦点が定まらないような瞳でクリスを見上げた。
「本当に大丈夫かい? 」
クリスが声をかけるが、シャムはそのままハンガーへ向けて歩いていく。心配そうな唸り声を上げて見守る熊太郎。
「元気出しなさいよ! 」
シャムの被っている帽子を叩いたのはライラだった。
「ライラちゃん…… 」
驚いたように帽子を被りなおすシャム。その様子をジェナンとシンが笑顔で見つめている。
「昨日の元気はどうしたのよ……それが取り柄なんでしょ? 」
ライラは上機嫌だった。だが、彼女の額に浮かんでいる脂汗をクリスは見逃さなかった。彼女が戦場に立つ恐怖を紛らわす為にわざと明るく振舞って見せているのは間違いなかった。
「うん大丈夫だよ。ホプキンスさんも安心していいから 」
そう言うとキーラにつれられてシャムはハンガーへと歩き始めた。
きらめく照明の中で次々と起動準備に入るアサルト・モジュールを見ながら、静かに愛機クロームナイトに足を向けるシャム。
「一番機出ます! 」
セニアの機体が接続されていた機器をパージして歩き出す。他の機体も待機状態で、コックピットを開けたまま整備員と怒鳴りあっている光景が続く。
「ナンバルゲニア機! 起動準備はどうだ 」
クロームナイトに取り付けられたはしごを先頭に立って上りながら、キーラは仕様書を読んでいる整備員に声をかけた。
「かなりアクチュエーター関連がこなれてきましたから……かなりエンジンを回しても大丈夫ですよ! 」
眼鏡をかけた男性の整備兵がそう言うと手にしている仕様書をキーラに手渡した。
「じゃあ、俺から乗るか 」
そう言うと仕様書をのぞきこむキーラをよけるようにしてクリスはコックピットに体をねじ込んだ。小柄なシャムのシートの後ろの簡易シートに腰を下ろし、安全ベルトを装着する。続いてシャムが黙ったまま自分のシートに腰を下ろし、慣れた手つきで機体状況のチェックを始めた。
「シャムちゃん。あんまり無理させないでね。隊長のカネミツの予備部品が届くのが来週以降になりそうだから 」
そんなキーラの声にシャムは覚悟を決めた表情で頷いた。コックピットの中に身を乗り出していたキーラはそのまま身を引いた。ハッチが閉められ、装甲板が降りる。全周囲モニタが起動するのを確認すると、クリスは手持ちの携帯端末を覗いた。
そこには一通のメールが届いていた。クリスと親しい東和駐在のアメリカ陸軍の武官からのものだった。そこには東和訪問中のアメリカ国務長官と、東和首相菱川重三郎の会見の予定が組まれていると言うこと、さらにその後の昼食会後に秘密裏に教条派から政権を奪い返したばかりの遼北人民共和国の周首相派の重鎮と呼ばれている遼北の在東和大使が同席しての会議が予定されていると言う内容だった。
「クリスさん。なんか難しい顔してるね 」
ようやく笑顔に戻ったシャムが声をかけてきた。
「そうだね、どうもこの戦いが持っている意味は僕が考えるより大きいのかも知れないな 」
そんなクリスの言葉に首をかしげるシャム。
『シャムちゃん、そのまま出れるわよね! 』
ウィンドウが開いてキーラの顔が大写しにされる。その表情。クリスが考えていた『神に仇なす研究の産物 』と言う面影はすでに無かった。
「うん! いけるよ! 」
シャムはそう言うと機体から機器をパージしてハンガーの前に並んでいる二式の群れに向かって機体を歩かせた。
ゆっくりと機体を固定していた機器を避けるようにして進むクロームナイト。対消滅エンジンはうなり声も上げず、クリスにはなぜ動いているのか不思議になるような感覚が訪れていた。足元で誘導する整備員に従ってそのまま、まだ暗い朝焼け前の空の下に姿を現す。
「シャム! 貴様のクロームナイトが一番足が速い。いけるか? 」
セニアの言葉にシャムは静かに頷いた。




