71 舞踏会
案内役の女の人に連れられ、ボクたち三人が広い廊下を抜けると、舞踏会の会場に辿り着いた。
「もう、始まっているようですね」
そこには陽の光が差し込み、様々な服装をした人たちが立ち並ぶ、煌びやかな宴が広がっていた。会場の真ん中の辺りで、何組か踊っている人たちが見える。
ボク達がその大きな部屋に足を踏み入れると、周囲の視線が一斉にこちらに向いたのが分かった。
それはリーンやイネスでなく────僕に向けられたものだった。
……遠くから、囁き声がする。
「猊下のお話は本当だったか。まさか、本当にあんなものを連れてくるとは」
「あれが────魔族か」
「本物は初めて見たな」
「……魔物は連れてないのか? 危険はないのか……?」
「思っていたより小綺麗に整えているようだが────悍ましいな、あの眼の色。まるで魔物の血の色ではないか」
「────見るな、殺されるぞ」
「あんなのが国賓の連れに……? ……悪趣味ですわね、クレイス王国は」
視線とともに、恐怖。憎しみ。嫌悪。蔑み。
様々な感情が噴き出し、ボクの中に押し寄せてきた。
この感情を、ボクに向けている人たちは皆、ボクが『魔族』だということを知っている。
あらかじめ、知らされていたのかもしれない。
────『魔族』がここに来る、ということを。
ボクに向けられる感情の中には『殺意』も多く混じっていた。
「────う」
「大丈夫ですか、ロロ」
ここまで、大勢の人から一斉に悪意を向けられたことは、今までない。
でも、ボクは身を刺すような感情を向けられることには慣れている。
慣れているはずだ。
「────うん、大丈夫」
これはここにくる前に分かっていたことだから。
構わず、会場の奥へと進んでいく。
金色の椅子に座る皇子の姿が見えた。
「……気乗りしませんが、まずは彼への挨拶を済ませましょう」
ボクら三人は皇子の前に進み出ると、彼もボクらのことに気がついた様子だった。
彼は同じぐらいの年頃の女の子達に、口々に祝福の言葉をかけられている様子だった。
近づくと彼女達は最初リーンを、そしてボクの姿を見つめ警戒心を露わにした。
リーンはそんな視線を静かに受け流しながら、皇子に会釈をした。
「────この度はお招きにあずかり光栄に存じます、皇子」
「ふふ、やっときてくれたね。
……遅かったじゃないか。
何か、問題でもあったのかい?」
華やかな装飾の施された金色の椅子に腰掛けたまま、皇子は屈託のない笑顔でリーンに語りかけた。
「いえ、何も。
ただ、私の護衛に付いてきてくれた方が、猊下直々の命でおもてなしを受けるということで、私の元を去って行きましたが」
「そうかい、それは残念だったね。
ねえ、リーン。折角の機会だ。
そんなに遠くじゃなくて、もっと近くで話をしようか。
僕と君との仲だろう?
……なんなら、僕の膝の上に来てもいいんだよ」
皇子が笑いながら手招きすると、周囲の女の子たちの心から強い苛立ちの感情が溢れ出た。
「────お戯れを。
私などよりも、同じ言葉を周りの皆様に掛けて差し上げたら如何でしょうか。
みなさん、喜ばれると思います」
「ふふ、ではそれも考えておくよ。
……もし君が僕のものになってくれるというのなら、ね」
「────それは以前、謹んでお断り申し上げたと思いますが」
「つれないね────この僕が、こんなに熱心に誘っているというのに」
皇子の言葉に、周囲の女の子達の感情が昂ぶったのが分かった。
それは、リーンに対するはっきりとした敵意だった。
一方で……皇子の心の中は、昨日と同じく覗こうとしても見えない。
時々────いる。
こういう、心に強固な『壁』を持つ人が。
「ではどうだい、リーン。僕と一緒にあちらへ行く、というのは」
「────あちら、とは?」
「わからないかい? 僕と踊らないかって言ってるのさ。
今日は舞踏会だし、一応、僕が主役だからね。
相手を選ぶ権利ぐらいはあるんじゃないかと思うんだけど。どうだい?」
「はい────皇子がご希望とあらば、お断りする理由はありませんが」
「それは良かった。じゃあ、行こうか」
皇子はきらびやかな装飾が施された椅子から立ち、リーンの手を取った。
周囲からの羨望と嫉妬の眼差しを一身に受けながら、リーンはティレンス皇子に手を引かれ、舞踏会の中央へと進んでいく。
二人が進み出ると自然と人が避け、周りに広い空間ができた。
「では────踊るとしようか。折角の、僕の成人の祝いだしね」
皇子が合図をすると、緩やかな調子の音楽が始まった。
二人は音楽に合わせ、ゆっくりと踊り始めた。
それに合わせ、他の人たちもダンスを再開する。
耳をすますと、リーンと皇子が穏やかにステップを踏みながら、静かに会話をしているのが聞こえた。
「あの方々────『十二使聖』とお見受けしましたが」
「ああ……君は彼らのこと、知ってたっけ。確か、君の従者を迎えに行ったんだろう?」
「彼らは今、どこへ?」
「従者のことが心配かい?」
「────いいえ、少しも」
「ふうん、冷たいね?」
「ノール先生のことを私ごときが心配するなど、大変失礼に当たりますので。
かえって、あの方々が心配なぐらいです」
「へえ────君は『十二使聖』のことを知っているんだろう?
一応、一人一人の実力は君らの【六聖】と同じぐらいと言われてるんだけど」
「はい、存じ上げております。そう言われている、ということだけは」
「……随分と信頼しているんだね、あの男のこと」
「ええ。私の命を預けられるぐらいには」
「……本当に、羨ましいものだね。
どうだい、僕もその仲間に入れてくれないかな?」
「また、いつものご冗談ですか。そういうのはもう、結構です」
「そう思うかい? では、その真偽を確かめに今晩……。
いや、この後すぐにでも、僕の自室に──────おっと」
リーンの足が一瞬、素早く動き────皇子の足に飛んだ。
それを皇子は難なく躱し、二人のダンスは一見、何事もなかったかのようにそのまま続いた。
今のやりとりに気がついたのは、会場の中でもほんの数名らしかった。
「────失礼、ステップを間違えました」
「ふふ、足を踏み折られるかと思ったよ」
「大丈夫です。ちゃんと加減はしますから」
「……本当に怖いね、君は」
「そんなことはありませんよ。皇子がうっかりおかしなことを言わないよう気をつけてくだされば、私がうっかり足を踏み外すこともありませんから」
「ふふ、君は本当に────気が強いね」
二人は会話をしながら、見事なダンスを披露した。
いつしか周囲で踊る人々は足を止め、彼らの姿を囲むようにして見守り──料理を運んでいた女性すら手を止めて魅入っていた。
しばらくすると二人は礼をして別れ、皇子はまた元の椅子の場所に戻り、リーンはボクたちのところへと戻ってきた。
その後も宴は続いた。
相変わらず、ボクに向けられる感情は悪いものばかりだった。
隣にいてくれるリーンとイネスのおかげで、幾らか視線は和らぐものの────気分が、悪い。
────憎悪。嫌悪。蔑み。侮蔑。
ただ立っているだけで、終わりのない負の感情が襲ってくる。
「ロロ、何と思われても、気にすることはありませんから」
「…………うん、わかってる」
これ以上、彼女に心配をさせてはいけないと思い、少し話題を変えることにした。
「……ダンス、すごかったね」
「見ていてくれたんですね。ああいったものは、あまり得意ではないのですが……そういえば、ロロも教えてもらったのですよね?」
「うん、一応……基本だけは」
「実際どういうものかは────見て、わかりましたか?」
「……うん、大体は」
「ふふ、さすがはロロです。では、それなら行ってみましょうか」
彼女は突然、ボクの手を引いて歩き始めた。
「行くって、どこへ?」
「もちろん、踊るんですよ、私たちで」
「……えっ?」
彼女に引かれるまま、舞踏会の会場のほぼ真ん中に投げ出される形になった。
ボクら二人の姿を見ると、さっきとは違う意味で人が避け、周囲にぽっかりとした空間が空いた。
「……本当に、踊るの?」
「はい、どうせ何もしなくても、私たちは目立つらしいですから。
────どうせなら、いい方に目立ってしまいましょう。
私に、合わせてくださいね」
リーンはボクの腕を取り、身体を引き寄せた。
そして彼女は音楽に合わせてステップを踏んで行く。
それはさっき、リーンと皇子が踊っていた時と同じだった。
確かに、これなら何とかなりそうな気がする。
ボクは記憶を辿りながら、見よう見まねで足を踏み出していく。
「こうかな?」
「────そうです。いい感じですね。
……もう、慣れて来たみたいですね。
若干ペースを上げても?」
「大丈夫、だと思う」
リーンの動きが速く大きくなり、ボクもそれに合わせていく。
彼女がぽっかり空いた周囲の床全てを使うように、大きくステップを踏むと、彼女の白く輝くドレスが生き物のようにうねり、空気を孕んで宙を覆い────会場の中央で踊るボクたちに、大勢の視線を集める。
彼女はそれに臆することなく更に歩幅を広げ、速く、鋭く舞った。
ボクも見よう見まねでその動きに合わせ、ステップを即興で改変し、ついていく。
────そうしていると、不思議なことに気がついた。
先ほどボクに向けられていた嫌悪、蔑みが────次第に、奇異の視線に変わっていった。
そして、だんだんとそれが薄らぎ────好奇の視線に。
────皆ではないけれど、ボクらの踊りを観て、愉しんでいる人がいる。
ボクに向けられた悪い感情が、少しだけ薄らいでいくのが分かった。
「どうですか? 少し楽しくなってきたので、もうちょっと続けてみたいと思うのですが」
「────うん、わかった」
ボクらは更にペースを上げ、舞った。
するとあちこちから歓声が上がった。
踊り、というよりは派手な剣舞のようになっていた。
縦横無尽に動く彼女の動きを真似、ついていくのは特に苦にならない。
彼女はボクに心を開いてくれているので、彼女が次に何をするのか手に取るように分かる。
僕らは、時折互いの手を離すと、鏡のように同じ動きをしながら、それぞれ舞い、またすぐ組み合って大きくステップを踏む。
だんだんと、そういう即興にも慣れてきた。
周囲から拍手のようなものも聞こえる。
皇子もこちらをじっと見ていた。
その表情は、意外にもとても楽しそうで────
────気づけば、彼の心の『壁』が少し崩れていた。
会場の濃密な悪意が薄まったおかげで、彼の心が読み取りやすくなり、彼の感情がボクの中に流れ込んでくるのが分かった。
そうして、ボクは彼の心の中を感じ取り、少し、戸惑った。
彼が今、心の中に抱いている感情────
それはリーンへの「信頼」だった。
ノールがかつてボクに向けてくれたものと同じ種類の、揺るぎない信頼。
それが、彼の心の内のおよそ半分を占めていた。
それはとても意外だったけれど……もっと気になったのは残りの部分だった。
彼は今、ボクらの踊りを眺めながら平然と、楽しそうに笑っている。
でも、彼の心の中は────リーンへと寄せる「信頼」と「期待」の他の部分は────何か、得体の知れないものに対する「恐怖」と「絶望」で占められていた。
ボクは踊りながら、リーンに声をかける。
「リーン」
「なんですか、ロロ」
彼女の耳に顔が近づく瞬間を見計らい、一言告げた。
「彼は────皇子は、ボクらの敵じゃないかもしれない」
「────今、なんて?」
ボクたちはしばらく踊りを続け、最後に二人で周囲の人々に向かって礼をした。
皇子が立ち上がり、手を叩くと────会場から大きな拍手が起こった。
────随分、気持ちが楽になった。
ボクに向けられた悪意は、全て消えたわけではない。
蔑み、怒り、嫌悪────そういうのはまだ沢山残っている。
でも、そのほとんどは嫉妬や、別の感情へと変化した。
少なくとも、恐怖と殺意はだいぶ和らいだ。
「ありがとう、リーン」
「ふふ、こちらこそ楽しかったですよ、ロロ。また────」
リーンが何かを言いかけたところで、拍手と歓声が一斉に止んだ。
突然、話し声一つしなくなり、先ほどまで賑やかだった会場を、静寂が包んだ。
熱を帯びた空気が、一瞬にして────凍りつくほどに冷えきった。
「────おかしいですね。
何故、魔族などが私の息子の成人の儀の席で踊っているのでしょう。
一応、招きはしましたが────そんな風に我が物顔ではしゃがれると、些か困惑しますね。
今、拍手をされていた皆さんはそれのことをどう、思っているのでしょう。
────まさか、同じ人間であるとでも?」
────静かに鳴り響いていた音楽が、止んだ。
「教皇猊下」
一瞬にして、場を恐怖の感情が支配した。
今まで感じたことのないぐらい強い「恐れ」と「怯え」の感情が、あちこちから湧き上がっていた。
「…………うぅッ…………!?」
「ロロ、どうしたのですか」
彼女の心の中を覗こうとして、吐き気を抑えられなかった。
あれが────教皇。
大陸中の多くの国を、恐怖で支配する存在。
そして、僕ら魔族の────最大の、仇。
「誤解なさらないで欲しいのですが、歓迎していないわけではないのですよ。私は、貴方達が此処へくるのを、誰よりも心待ちにしていたのですよ────リンネブルグ。ロロ。貴方達が私のものになってくれるこの日が来るのをずっとずっと、待っていたのです。さあ、こちらへいらっしゃい。お話をしましょう」
彼女の心の中は、この会場全ての感情を集めたものより、遥かに濃密で────比較にならないほどの深い悪意と闇で満たされていた。