67 ミスラの街
出発前にいきなり飛竜の群れが襲ってくるというトラブルはあったが、そこからのミスラへの旅は順調だった。
あまりに順調すぎて、拍子抜けしたぐらいだ。
俺は途中でゴブリンなどの凶暴な魔物に襲われるかもしれないと少し緊張していたのだが、全くの杞憂に終わった。
イネスの操る馬車は驚くほどの速さで街道を駆け抜けた。
この日の為に新たに特注で作られたという馬車は、魔導皇国から仕入れた特別な馬具と魔導具が使われているらしく、以前乗った馬車とはスピードが段違いだった。
これには、魔物が追いつくことも出来なかったらしい。
ロロと一緒にすごい勢いで流れる風景を眺めていたら、あっという間にミスラの街に着いた。途中にも幾つか街があったのだが……完全に素通りだった。
俺としては、もう少し馬車の中から見える風景をゆったりと眺めていたかったのだが……魔術師の教官が飛竜を倒すときに起こした激しい雷のせいで地面に大穴が空き、石畳の舗装が大きく破壊された上に、大雨のせいで酷くぬかるんでいたりと、色々と大変で出発が遅れてしまったので、それは仕方がないだろう。
とはいえ、全体的にのどかな平原や広大な平野に広がる見事な畑の風景は拝めたし、それで十分といえば十分だろう。
俺たちを運ぶ馬車はミスラの街に入ってからはゆっくりと進み、やっと落ち着いて周りを見渡せる程になったので、俺はここぞとばかりに馬車の窓から辺りを眺めていた。
「これが、ミスラの首都か」
今日は天気が良いせいか、街中には穏やかな光景が広がる。
時折通りがかるひらけた場所では陽光を浴びた樹木の葉が揺れ、所々見かける水場では子供達が遊んでいるのが見えた。
やはり、街全体から受ける印象というか、雰囲気がクレイス王国とはまるで違う。
ミスラは宗教を中心とする国というだけあり、石造の建物が立ち並ぶ中に所々教会がある。
他にも珍しい、何だかよく分からないものがたくさんあり、一々「あれは何か」と聞く俺に、リーンは一つ一つ丁寧に教えてくれた。
リーンが教えてくれた話では、俺たちの乗る馬車が今走っているのは、この街で一番大きな通りだということらしかったが、その先には一際大きな建物が見えた。街の外からでも見えた、何とも立派で豪華な造りの建物だ。
「もしかしてあれが『大聖堂』とかいう建物か?」
「はい、あそこに見えるのがこの国の中心に位置する『ミスラ大聖堂』────通称『大聖堂』です。この国の政治と宗教を象徴する一番重要な場所ですね」
宗教関係の施設が街の中心とは、これもお国柄というやつだろうか。
一番重要な所というだけあり、あれだけはどう見ても異質で特別な感じがする。
街の外からも見える山のように大きな建物だが、遠目にも繊細な装飾が施されている。
よほど、手をかけて作られたものなのだろう。
それだけでも、あれがこの国で大事にされているものなのだとわかる。
「────すごいな、ここは」
やはり、旅はしてみるものだ。
ここへ来られて本当に良かったと感じる。
立派だと聞いて楽しみにしていた『大聖堂』の建物も想像していたより、ずっとすごいものだった。
馬車の窓から街を眺める度に、俺は感心の度合いを大きくしていった。
本当に綺麗な街だ。
どこを見ても、ゴミひとつ落ちていない。
それだけでなく、街自体が装飾に富み、まるで芸術作品のように思える。
「────本当に、綺麗な街だな」
これを見られただけでも、今回の旅に出た甲斐があるというものだ。
「はい……そうですね。ここはとても綺麗な街だと思います。
ミスラの首都は『聖都』という別名もあるぐらいで、ミスラ教徒の皆さんは街自体を聖地と崇める人もいらっしゃるぐらいです。それぐらい、街が大事にされているんだと思います」
「ああ、それは俺にもわかるな……だが、随分と静かだな?
街中の大きな通りで、大勢の人がいるのに大して話し声もしない。王都の他の街の様子はあまり知らないが……変な感じだな」
辺りに人の気配はするし、大通りを行き交う人の姿も見える。でも、それにしては静かすぎるように感じた。
「……はい、おっしゃる通りだと思います。
前から、この街はこうなんです。
あまり大きな声ではいえませんが────
────この街では、常に聞かれているんです。些細な会話でも」
リーンは何かのスキルを発動しながら、声のトーンを小さくした。
同時に馬車の座席の周りが透明な膜のようなもので覆われ、あたりの音が遮られる感覚があった。
以前、見たことがある【隠蔽】というやつだろうか。
「……聞かれている?」
「はい。どうやっているのか、方法については詳しく判りませんが……ミスラでは専門の聖職者が『結界』技術で至る所から情報を集めているようです。
特に『音』に関してはかなりの範囲と精度で集められる、と聞いています。
あまり公にされてはいませんが……市民の皆さんはそのことを大抵、ご存知です。
……ですから、ここの方々は余計なことを口にしません。
私は留学でこの街に数年滞在しましたが、少し窮屈でしたね」
「……それは確かに大変そうだな。
普段の会話など聞かれても、困るというほどのものでもないと思うが……あまり気分は良くないしな。
長く住むのなら、王国の方が楽そうだ」
「……わたしもそう思います。
でも、その情報収集の『結界』はミスラ国内では教皇様の命で実施しているものですから、多くの方は治安維持の為に必要なことだと肯定的に受け取られているようです。この街の方々は『ミスラ教』の敬虔な信徒で、教皇様のことを本当に崇敬していらっしゃいますから」
「そうか、その教皇、という人物は随分と慕われているんだな」
「はい。この街がここまで立派で綺麗なのも、信徒の皆さんが熱心に寄進や寄付を行っているからです。
……ですから不用意に教皇様の悪口なんて言うと、大変なことになります。
冗談交じりに話題にしただけで、その夜、寝ている間に異端審問官が大勢で訪ねてくる……なんてことも、あると聞きますから。王都でも稀にある話ですが、本国のミスラ教徒の皆さんは特に熱心なので」
「……俺はそもそも、そのミスラ教、というのがよくわからないのだが……どういうものなんだ?」
「私も宗外の者ですから、そこまで詳しくはないのですが────いわゆるミスラ教、正式には『聖ミスラ神教』は大凡三百年前に興った比較的新しい宗教とされています。開祖はアスティラ教皇────つまり、現教皇様です。ミスラ教というのは彼女が頂点であり、原点です。彼女は建国時点から今に至るまで宗教的な頂点でありつつ、政治的な実権を握っています。ミスラ教というのは彼女、アスティラ様を抜きにしては語れない宗教です」
「────ちょっと待ってくれ。当時の教皇がまだ生きているのか……?」
「はい。アスティラ様は伝説上の種族『エルフ族』の血を引く『ハーフエルフ』であると伝えられ、飛び抜けて長寿です。ご年齢は一説には四百を数えるといわれます……ただ、それを詮索するのは失礼に当たりますし、ミスラ教徒の皆様は教皇様を神聖視されているので情報はとても少なく、あくまで一説には、という程度に考えていただければと思います。少なくとも、公式の記録から辿れば三百歳は越えられている、というのは確かですが」
「………………そうか………………。
………………要するに……………。
…………とても、長生きなんだな…………?」
「はい、そしてこの国────『神聖ミスラ教国』はミスラ教が興ったと同時に、アスティラ様が『聖ミスラ』から神託を受け、長い時間を掛けて建国されたと言われています。
ミスラ教の布教は大陸中に広く行われていますので、各地で孤児を育てる孤児院の設立や貧しい人々への施しなどを通して、教皇様は国内はもとより、他国に対しても大きな影響力を持っているのですが……その事業に関しては、あまり良くない噂も囁かれています」
「…………よくない噂?」
「はい。ただ、この話題は禁忌とされている『魔族』のことも絡み、あまり公にはしづらい事情が────」
リーンが何かを話しかけたところで、馬車を操るイネスが振り向き、リーンに声をかけた。
「────リンネブルグ様。そろそろ、馬車が聖堂域に入ります。
念の為、ご注意いただいた方が宜しいかと」
「ありがとう、イネス。
そうですね……ノール先生、申し訳ありませんが、一旦ここまででよろしいでしょうか。ここから先は、少し繊細な場所ですので、会話も最小限にしたいのです」
「ああ、分かった」
俺の返事と同時にリーンがスキルを解き【隠蔽】の気配が消えた。
前を見ると、俺たちの乗る馬車があの巨大な『大聖堂』に随分と近づいているのに気がついた。
やはり、間近で見ると更に大きく感じる。
「……ところで、俺たちはあの大聖堂の中で開かれる『成人式』に行くんだったな?
今更聞くのも何なんだが……俺は、そこで何をしていれば良いのだろうか……?」
俺が何気なく疑問に思ったことを聞くと、リーンはハッとした顔をした。
「す、すみません……!
自分達の準備にばかり気を取られて、先生にご説明を差し上げていませんでした。
私たちはこれからあの大聖堂内にある、来訪客用の宿舎に案内されることになります。そこで一晩明かし、明日になってから私とロロは、お昼に昼食会を兼ねた『舞踏会』、夕刻には『晩餐会』への出席が予定されています。そこで、先ほどお話しした教皇アスティラ様と、そのご子息────ティレンス皇子にお会いすることになるかと思いますが、ノール先生はその場に同席いただくことになります」
……なるほど。
とりあえず、そこにいればいい、ということらしいが……。
ちょっと、聞き捨てならないことを言っていたな……?
「……ちょっと、まってくれ……?
……教皇というと、あれか?
さっき言っていた、もう何百年も生きているという老婆のことだよな……?
これから、そんなすごい人物に会うことになるのか?
……そんな所に俺が行っても、良いのだろうか」
とても場違いな感じがするというか……何の心の準備もなかったのだが。
「はい、もちろんです。
先生は『護衛の従者』ということで、私の側に居ていただくことになっていますので……とはいえ、もちろん『従者』というのは、あくまで先生をここにお連れする口実ですので、基本的には、先生のご判断で独自に動いていただいて構いません。
もし、何か不測の事態が起きた場合、その場での判断は全て先生にお任せしたいと思います。
……おそらく、先生の方が色々な危機を先んじて察知されるでしょうから」
……危機、か……。
前に危険を伴う成人式と聞いていたので、それなりに心積りはしてきたところだが……改めて聞くと非常に不穏な感じがするな。
「…………そうか…………。
やはり、今から行く成人式では結構、危ないことが起こるんだな……?
……まさか、いきなり背後から剣が飛んできたりはしないよな……?」
「……正直なところ、私にも何があるかはわかりません。こんな風に、直前でお伝えする形になって申し訳ないのですが」
「いや、ある程度は聞いていたし、それだけ教えてもらえれば十分だ。
あまり細かいことを言われても覚えきれないからな、俺は。
……まあ、何とかなるだろう」
危険は伴うとは言うが、所詮は催しなのだし。
それにこれだけ立派な街の催しなのだ。
一体どんなものになるのか、やはり興味はある。
楽しまなければ、損というやつだろう。
「────正直、少し楽しみにしているぐらいだな」
「────はい。頼りにさせていただきます」
ずっと浮かない表情だったリーンが笑うと、その笑顔を見て俺も少し落ち着いた。
とはいえ、まだ多少の不安はある。
俺は今、とんでもない場所に向かおうとしているのだ。
正直、リーンが説明してくれたことを全て理解できたわけではないが……教皇はこの国では相当に尊敬されていて、代わる者がいないぐらいに重要な人物だということだった。
────数百年を生き、この素晴らしい街を一から作り上げた尊敬に値する人物。
俺はこれからそんな人物に会うのだ。
そう考えると、やはり少し緊張する。
「……うっかり驚かせるようなことをして、寿命を縮めてしまった、なんてことがないように気をつけなければな」






