66 出発の朝
ミスラへの旅立ちの朝。
俺は教えてもらった集合場所へと向かった。
王都郊外の人気のない場所に到着すると、まだ辺りは薄暗かったが、すでにそこに立っている小柄な人物がいるのが見えた。
あれは────
「早いな、リーン」
「はい。緊張して眠れなくて、少し早めに来てしまいました」
彼女は装備もいつもと同じような動きやすそうな格好で、変わりのない様子だった。
「そういえば、リーンとこうして会うのは久々のような気がするな」
「そうですね。ミスラで着る服のサイズの計測以来でしょうか」
「そうか……そんなに前になるのか」
向こうで着る衣装のサイズを測るから、とリーンが数人の男たちと俺の元を訪ねてきたのは、もう二月ほど前だろうか。
本当に随分と会っていなかったな。
ギルバートとの訓練が妙に楽しかったせいか、あっという間に時間が過ぎていたらしい。
「ロロも、来たようですよ」
リーンが眺める方向を見ると、そこには俺の知っている顔の少年が歩いてくるのが見えた。
だが、俺はその姿に妙な違和感を覚えた。
そして、だんだんと彼がこちらに歩いて近づいてくると、その違和感の正体がわかった。
「……? ロロ……もしかして、少し背が伸びたか?」
「……うん。少しだけだけど」
「ほんの2ヶ月ほど会わなかっただけだと思うが……随分、成長したな」
「うん。ちゃんと食べさせてもらったから」
「そうか」
俺たちが適当な再会の挨拶をしていると、薄暗い中でも鈍く光る銀の鎧を着た女性が、金色の髪を揺らしながら歩いてくるのが見えた。
彼女はまっすぐリーンの元へと足早に近寄ると、小さく礼をした。
「リンネブルグ様。馬車の準備が整いました。
積荷を載せ終え次第、すぐにこちらに向かわせるそうです」
「ありがとう、イネス」
イネスはリーンに簡単な報告をすると、すぐに俺の方に向き直った。
前とは違って、何となく友好的なムードを感じ取り、俺が一安心していると、イネスも少し笑顔を見せた。
「ノール殿。今回もとても世話になるが……よろしくたのむ」
「ああ。こちらこそ、たのむぞイネス。頼りにしているからな」
「そうだな……こちらも、頼りにさせてもらう。
私はまだ準備があるのでこれで失礼する。また会おう」
「ああ、あとでな」
俺は足早に去っていったイネスの背中を眺めながら、少し安堵していた。
実は昨晩、もしかしたら、あの竜で行くのかもしれない、とかなり不安に思っていたところだったが杞憂に終わったらしい。
「……今回はあの竜で行くわけではないんだな」
「……ララのこと?」
「…………ララ?」
聞きなれない言葉に、俺が聞き返すとロロは不思議そうな反応をした。
「……『ララ』は、あの竜の名前だよ。
確か、ノールがつけてくれたと思うんだけど……覚えてないの?
魔竜なんて呼びにくいから、もっと短くて呼びやすい、いい名前をつけよう、って。彼女、その名前を伝えてあげたらすごく喜んでたんだけど……」
「……確かに、そんな覚えがあるな」
あの竜に名前をつけようという話になって、ロロが世話をしているみたいだから似たような名前でいいんじゃないか?と、思いつきで言ったのだが……まさか、そのまま採用されているとは思っていなかった。
まあ本竜が気に入っているというのなら、いいだろう。
「『彼女』ということは、あの竜は雌だったのか?」
「……ううん。竜には人間みたいに明確な性別の区別はないらしいんだけど……そう呼べって。じゃないと、急に機嫌が悪くなるんだ」
「そうか……竜にも色々と好みがあるんだな……?」
俺たちの会話を聞いていたリーンが、話に入ってきて補足をしてくれた。
「どうやら、あの竜は卵を産める個体らしいですから。
人間目線で言えば、やはり女性ということになるんだと思います。
それに、先生のおっしゃる通り、ララに乗っていくという選択肢もなくはなかったのですが……あの巨体は少々威圧的で目立ちすぎますからね。彼女には今、別の場所で休んでもらっています」
「……………………そうか」
本当に選択肢にあったのか……。
まあ、速いといえば速いし、上空を飛んでいけば魔物に襲われる心配もないだろう。そう考えると良い移動手段にも思えるが……やっぱり、俺自身は高い所は苦手だ。
……まずい、思い出しただけでまた気を失いそうだ。
話題を、変えなければ。
「……そういえば、本当に俺たちだけで行くのか?」
この待ち合わせ場所には俺たち以外、誰も見当たらない。
「はい、私とイネス、ノール先生、そしてロロの四名です。
馬車は以前と同じくイネスが手綱を握ります。
あまり人数がいても、かえって非常時には足かせになりますから。
今回は少数精鋭がいいだろうと、お兄様もお父様も」
「……そうか。確かにそうかもな」
多少不安に思いつつも、まあ、リーンもいることだし、なんとかなるだろうという結論に達しようとしていた頃、不意に頭の上から声がした。
見れば、遥か上空からこちらへ近づいてくる奇妙な人の姿が目に入った。
老人のようなその人影はふわふわと宙を舞い、見るからに怪しい。
まっすぐにこちらめがけて飛んでくるが……その辺りの石でも投げて、撃ち落とすべきだろうか。
「おお、おったおった!
ホッホウ! なんとかギリギリ間に合ったわい!」
「オーケン先生?」
その怪しい老人は魔術師の教官だった。
教官は地面にふわりと着地すると、手に下げた二つの革袋の一つをリーンに差し出した。
「ほれ、お嬢。餞別じゃ。もっていくがよい」
魔術師の教官から何かの袋を手渡されたリーンは、中身を見て驚きの声をあげた。
「これは────!? オーケン先生、本当によろしいのですか?」
「何、ただのお守りじゃよ。
持って行きなさい。
まあ、こんなもの、使わないにこしたことはないがのう」
「……ありがとうございます。受け取らせていただきます」
リーンはお礼を言いつつ、受け取った何かを胸元にしまった。
「それと、ロロ。お主にはこれじゃ」
「……ボクにも?」
「そうじゃ。というか、今日はこっちが本題じゃな」
「指輪────? これは、もしかして」
ロロは教官から差し出された小さな指輪を手に取った。
「そうじゃ……アレじゃよ。
一緒に連れていってやるが良い。……使い方はわかっておるな?」
「……うん」
「もちろん分かっているとは思うが、これはあまり人目についていいような品ではない。使う時まではこの袋の中に入れておくがよい」
「……うん。ありがとう、オーケンさん」
教官はロロに礼を言われると、親指を立てて笑った。
ロロは教官から受け取った指輪を小さな皮袋の中に入れると、腰のあたりに結びつけた。
「オーケン先生? それは一体?」
「ふふ、こればっかりはお嬢にも秘密……と、いうわけにいかんしのう。
お嬢には教えておくわい。
じゃが、絶対に他の者に言うんじゃないぞ……? 絶対じゃぞ……?
……向こうでバレたら、結構やばいからのう」
教官がリーンに耳打ちすると、リーンは驚いたように顔を上げた。
「────! まさか、本当にそんなことが……?」
「……ホッホウ、当然じゃ。
なにせ、わしは天才じゃからのう……?
まあ、元々の発案と発注はレイン坊からじゃがの。
じゃが、そんな無茶苦茶な提案をこの短期間で実現できる者など、世界広しといえど、このわしぐらいしかおらんのじゃぞ?
最近、自分で自分の才能が恐ろしいわい!」
「────その割には、随分と時間がかかっていたようですが。
このままだと出発までに絶対間に合わないとか言って、半泣きで私に助けを求めに来たのは一週間ほど前のことでしたね」
「……セイン先生?」
俺たちが新しく声のした方に振り向くと、そこには優しく微笑む僧侶の教官が立っていた。
他にも数人、俺も知っている人物の姿があった。
「……セイン……あのな?
そういうの、もうちょっと、やんわり言うとか、普通、あるじゃろ?
こんな時ぐらいは、弟子の前でいいカッコぐらい、させてくれんかのう……?」
「ダメです。嘘はよくありません。
そもそも、昨日のうちに渡している筈だったのではないですか?
その話を聞いて、私も必死に手伝ったつもりだったのですが……何故、こんなにギリギリになっているのですか?」
「じゃ……じゃって……!
更にいい改良方法を思いついたからには、やらざるを得ないじゃろ?
それがわしの魔道具技師としての矜持っていうか、プライドじゃし……。
それにこういうのって、ギリギリのところで渡した方が盛り上がるっていうか、それも小粋な気遣いっていうか……のう? わかるじゃろ?」
「わかりません。というか、私たちがあなたのその余計な気遣いのおかげで何度危ない目に遭ったか……忘れたわけではないでしょう?」
笑顔で質問を続ける僧侶の教官に、魔術師の教官は涙目になりながら応対している。明らかに魔術師の教官が劣勢、というか怒られている感じだ。
……僧侶の教官、あんなに怖い人だっただろうか……?
「まあ、いいじゃねえか、セイン。結局間に合ったんだし、な?」
「大目に見てやれ。いつものことだ」
「……まあ、いつものことだから言っているのだろうがな」
「ダンダルグ先生、シグ先生。カルー先生も……来てくださったのですか」
「ただの見送りだ。他の用事はない」
「はい。ありがとうございます」
戦士の教官、剣士の教官、そして盗賊の教官が見送りに来てくれたようだ。
そして気づけば、教官以外にもまた人が増えていた。
あれはリーンのお兄さんか。
「リーン、その指輪について話がある。
向こうに着いてからの『予定』のことを含めてな。
出発間際になってしまったが……少し、こちらに来てくれ」
「────はい、わかりました」
リーンはお兄さんについていき、二人で何か書類を見ながら話し込んでいるようだった。
俺は特にすることもないので、その様子を何となく眺めていると、魔術師の教官がこちらに歩いて近づいて来た。
……僧侶の教官にやり込められて、あちらに居場所がなくなったのだろうか。
「……何か用か?」
「何か用か、とはつれないのう。せっかく見送りに来てやったのに。
そうそう……ノール。お主に渡すものはなんにもないぞ。もし期待しとったら悪いがのう」
「いや、大丈夫だ。何も期待していないぞ」
「……なんじゃい、本当に可愛げがないのう……?
まあ、お主はそれがあるからの。
それ以上のものは、何も渡してやれんわい」
教官は目を細め、俺の持つ黒い剣を眺めた。
「……それにしても……聞いたぞ?
その『黒い剣』を杭打ち工事なんぞに使いおって。
その剣は、そんな粗雑な扱いをしていいような品ではないのじゃぞ?
……まあ、使い方は基本、持ち主の自由じゃが、な。
でも結構、貴重なもんなんじゃぞ? それ」
「ああ、もちろん大事にはしているつもりだ」
どんな使い方をしても、傷がつく気配すらないぐらいに頑丈な剣だが、いつも使った後の手入れは欠かしたことはない。
最近など、王都内の大衆浴場に持ち込んで隅々まで綺麗に洗った後、一緒に湯船につかるぐらい大事にしている。
「まあ、それならいいんじゃがの。
おいそれと傷がつくような代物でもないしの」
俺たちが雑談をしている間に、今回の旅に使うという大きな馬車が到着し、出発の準備は整った。
あとは乗り込むだけ……そう思っていたのだが。
「……何だ、あれは……?」
ふと、俺たちが向かう方向の空から、不気味な鳴き声のような音が聞こえた気がした。遠くの空に僅かに見えた点のような影。
よく見ると、それは翼を持ち、羽ばたいてこっちに向かってくる生き物のようだ。鳥の群れのようにも見えたが────鳥にしては、随分と大きい。
「あれは飛竜の群れだな。毎年自然発生する時期とはさほど外れていない筈だが────数が多いな」
俺の疑問に答えた剣士の教官に続いて、身につけていた巨大な双眼鏡らしきものを覗き込んだ戦士の教官が声を上げた。
「……おいおい、あの群れ、ちょっとやべえぞ。
あいつら、どうやら【凶暴化】が掛けられてるらしい。
あれが街まで行ったら大変なことになるぞ……たまたまのお出迎えにしちゃあ、手が込みすぎてるよな」
「ここまで、ずいぶん静かだと思ってましたが……よりによって、今日のこの場面で、ですか……偶然でしょうかね?」
「────例年の数倍の規模はある。
とても自然発生とは考えにくい……すまん、俺の警備網に穴があったらしい」
「ホッホウ……おぬしが謝ることなんぞ、ありゃあせんわい、カルー。
ふん、あの女のやりそうなことじゃ。
自分で他人の家に火をつけておいて、『結界』押し売りのセールストークに繋げようって魂胆が丸見えじゃ。ほんと、昔から変わらんのう、あのババアは。
……わし、やっぱりあいつ嫌いじゃわい」
飛竜の群れは、刻一刻と近づいてくる。
大きさは魔竜ほどではないが遠目で見たよりもずっと大きく感じる。
数が、多い。
空が無数の不吉な影で覆われていく。
「あの高さでは、剣が届かんな」
「……ミアンヌはどこだ? あいつに全部落としてもらおう」
「今は自宅だ。今日は子守で手が離せないそうだ。今から呼びに行っても間に合わんな」
「……ってことは」
「……仕方ありませんね……ここはオーケンに頼るしか」
「……マジかよ……!」
教官たちはそれぞれ、不安そうな顔で俺の隣にいる魔術師の教官に視線を注ぐと、その老人は静かに笑った。そして────俺の耳元に顔を近づけ、ぼそりと呟くように囁いた。
「ちなみにのう────『十二』じゃよ。今のわしはな」
あまりに唐突すぎて、何が何だか分からなかった。
いきなり何を言っているのだろう、この老人は……?
……歳も歳だし……飛竜の群れが近づくショックで急に耄碌してしまったのだろうか。
「……十二? ……一体、なんの話だ?」
「ふん、すっとぼけおって……知っておるんじゃぞ?
よいか? わしだってな、ちょっと頑張ればすぐに『十』ぐらいは余裕なんじゃ。
ちょっとばかり上達が早いからって……調子にのるんじゃないぞ?」
教官はそう言って更に俺に詰め寄ってくる。
……ますます、わけがわからない。
「のう、ノール。
わしは巷では【九魔】なんて呼ばれとるが……別に、それが限界ってわけじゃ、全然、ないんじゃからな?
……むしろ、しばらく追いついてくるやつが居なくて、寂しかったぐらいじゃからな? その上で、これ以上、ムキになるのも年甲斐がないかなぁ〜って。
遠慮して、わざと手を抜いてただけじゃからな? ……本当じゃぞ?
────その証拠に、ちょっと本気を出せば、ほれ」
教官が片手を掲げた瞬間、バチリ、と周囲に小さな稲妻を飛ばす球体が六つ、出現した。そして、教官がもう片方の手を振るうと同じものがまた六つ現れ、それらは意思を持ったように飛竜の群れへと飛んでいく。
「────ホッホウ、見ておれ。これがわしの【融合魔法】じゃ」
教官が天に向かって両手を掲げると、十二の光の玉が上空で弾けるように混じり合った。
すると突然、晴れ渡っていた空に黒い雲が立ち込め、見る間に黒雲は巨大化し、無数の稲妻を纏いながら蛇のようにとぐろを巻いて空全体を覆い尽くした。
直後、激しい雷雨が辺りを覆う。
────一瞬にして、天候が変えられた。
凄まじい光景だ。
魔術師の教官は、滝のように降り注ぐ大粒の雨に打たれながら────天に掲げた両手を大地に向け、振り下ろした。
「【雷嵐】」
────辺り一面が、真っ白に染まった。
瞬間、その目を焼くような閃光の中に大樹のような光の筋が立つのが見えた。
とてつもなく大きな雷が、地面に落ちたのだと分かった。
同時に轟音と衝撃。
大地が揺れ、空が震えた。
その災害のような凄まじい雷撃に巻き込まれた飛竜の群れは、消滅した。
かろうじて形が残ったものもいるが、黒焦げになって地面へと落ちていくのが見える。
「────すごい」
リーンはその光景に見入り、言葉を失っていた。
俺も同じく、言葉も出なかった。
「ホッホウ……これぐらい、簡単なものなんじゃよ」
巨大な雷が飛竜の群れを貫いた直後、黒雲はあっという間に霧散した。
辺りにはいつの間にか顔を出していた朝日の光が差し込み、先ほどまで降り注いだ大量の雨のおかげで、大きな虹ができていた。
「まあ、あの女はこれから、王都へこんな嫌がらせを山ほど仕掛けてくるじゃろうが……おぬしらは気兼ねなくミスラへの旅をしてくるがよい。
────王都の衛りは、わしらに任せて、な」
そう言って魔術師の教官は俺達に向かって親指を立て、楽しそうに笑った。
他の【六聖】の面々の反応↓
セ「……最近、落雷が頻発すると思ったら、こういうことでしたか」
シ「飛竜の革や骨は貴重な武具の資源なのだが……これでは、もう使えん」
カ「舗装が見事にえぐれているな……やっと直したところだったのだが」
ダ「……くそ……!! ここにミアンヌさえいれば……!!」






