62 ロロの訓練
「【矢嵐】」
向かい合った小柄な女の子の構える弓から、無数の矢が一斉に放たれる。
ボクは少女の姿を視界に入れつつ空を見上げた。
「────あの辺り、かな」
そして頭上に無数の矢が浮遊するのを視界に収める為に、目を見開く。
視界に入る全ての矢を捉え、軌道を読む。
降り注ぐ嵐のような矢を眺めつつ足を動かし、これからの自分の行動を決める。
────あそこだ。
少しだけ矢の密度が低くなる領域が視える。
あそこを抜ければ、六本刺さるだけで済む。
「【身体強化】」
ボクは覚えたばかりの基礎スキルを使い、全力で脚力を強化して地面スレスレを這うように駆けながら、迫り来る矢の嵐に走る。
いくら避けたところで矢の連射は止まらない。
その隙間を見極めて掻い潜り、目標まで一気に距離を詰め、手にした訓練用の木製の短刀を当てる。
「────参ったわ」
矢を放った女の子の首に訓練用の短刀を当て、今日10回目の降参の合図を聞く。
短刀を下ろし一息つくと、目の前の女の子は奇異なものを見る目でボクを見た。
「ねえ、それ……痛くないの? すごく、刺さってるけど」
「うん、痛いよ」
ボクは背中に二本、腕に三本、脚に一本の刺さっている矢を引き抜きながら答えた。
「なんで、それで平然としてられるのよ……? おかしいわよ、絶対」
「……そうかな?」
「そうよ。団長の命令だから手加減なしでやってるけど、当たりどころ悪ければ、死んでもおかしくないんだからね? もうちょっと恐怖心があってもいいんじゃないかしら」
「大丈夫だよ……ちゃんと注意して避けてるから。
ええと────シモ……?」
「シレーヌよ。いい加減、覚えなさい。
言っとくけど私、体は小さいけどアンタよりずっと年上だからね?
ちゃんと敬意は払いなさいよ」
「……うん、わかったよ……じゃあ、もう一回お願いできるかな、シレーヌさん」
「……はあ、本気? アンタ、ここまで休憩なしじゃない。
本当に、どうかしてるわ……私のあれをほとんど避ける時点でどうかしてるけど。
て言うか、その前にマリーに治療を頼みなさいよ。
医療担当がわざわざきてくれてるんだから」
「あ、うん。ええと……たしか、マリー……?」
「あの子の名前はマリーベール。ちゃんと覚えなさい」
シレーヌさんとボクが視線を向けると、名前を呼ばれた彼女はびくり、と肩を震わせた。
「べ、別に、マリーでいいですよぉ……。
あ、あのぉ……ロロさんは、なんで、そんなに平然としてられるんですかぁ……? 身体に矢が刺さっても当然のように動けるなんて、な、なんでそんなことができるんですかあ……?」
彼女、マリーベールさんは恐ろしいものを見るような目でボクを見ながら、地面に足を擦るようにして少しづつ、ジリジリとこちらに近づいてくる。
一応、治療してくれようとはしているらしい。
「……我慢できるから、かな……?」
「そ、そんなの普通じゃないのですうぅ……!!」
「……あと、マリーさんのおかげだと思う。安心してケガできるから」
「うぅ……そんな風に頼られても困りますうぅ……!!
ギルバートさんもそう言って毎日、内臓と骨をぐちゃぐちょにして私に向かって平然と歩いてくるんですぅ……!! 勘弁して欲しいのですうぅ……!!
……なんで、人間の体があんなにめちゃくちゃにならなきゃならないんですかぁ……?
ウチでそういうの大丈夫なの、セイン団長ぐらいなんですよおぉ……!?
うう……あの人、あんな優しい顔して酷いんですぅ……!!
いくら人手が足りないからって、激務の【戦士兵団】と【剣士兵団】の医療担当を兼務させた上にこんなことまでやらせるなんて……私、絶対いつか死んじゃうのですうぅ……!!」
そんな風に色んなことを言いながらも、彼女が僕の傷口に手を当てると、見る間に矢でできた数カ所の傷口がふさがっていく。
────ほんの、数秒。
痛みが完全になくなった────彼女は本当にすごい人だ。
あの【癒聖】セインさんが『右腕』だと言っていた、マリーベールさん。
やっぱり、なんの心配もなく矢の群れに飛び込んでいけるのは彼女がいてくれるのが大きい。
ボクは身体に何の異常もなくなったことを確認し、シレーヌさんへと向き直った。
「じゃあ、もう一回、お願いできるかな」
「……本当に? 一応、休憩は挟んでもいいんだけど。
でも、やるなら団長には「ぜったい手加減するな」って言われてるから……今度こそ死んでも知らないからね」
「うん、いいよ、そのつもりで……そうでないと、ボクはあの人たちにはとても届かないから」
「あのぅ、あの人たちって、ま、まさか、【才姫】リンネブルグ様と【神盾】の騎士様ですかぁ……? ロ、ロロさん、そんなところを目指してるのです……? わ、わたし、あそこまで人外の方々のサポートとなると、ちょっと無理ですぅ……!!」
不安げな表情をしながら早口で喋りながら後ずさっていく、マリーベールさん。
……器用な人だな。
ボクがリーンとイネスと一緒にミスラへ行くことは、彼女たちも知っている。
「そうね。他人の目標にとやかくは言わないけれど……アンタがいくら異常なぐらいすばしっこくても、ちょっと無謀すぎじゃないかしら。あの人たちに近づこうなんて……【六兵団】副団長クラスの私たちから見ても雲の上の存在よ?」
「……うん、それは知ってるよ。
でも、できるだけ足手まといにはなりたくないし、ボクがやれることはやっておきたいから」
「アンタ、ちょっと普通じゃないわね。いろんな意味で」
「そうかな?」
「そうよ」
「……あの……それで、もう一回いいかな……? 時間がある限りは、何かしていたいんだ」
「────はあ、命令とはいえ本当にとんでもない奴の相手を任されちゃったわね。 …………魔族ってみんなこうなのかしら……?」
そうして、ボクらは再び配置についた。
ボクと彼女との距離はちょうど千歩離れた程度。
声がやっと届くぐらいの距離に印をつけてある。
彼女は獣人の血が流れているらしく、頭の上に耳が二つ付いていて、小さな声でもよく聞き取ってくれる。
「────いつでもいいよ」
「────今度こそ、知らないからね」
そうして、シレーヌさんは弓を構え、再び、大量の矢が飛んでくる。
「────あそこ」
冷静に弾道を見極め、被弾の少ないエリアに移動し、本当に危険な数本だけを弾く。
もちろん、ボクでは全ては躱せないし、弾けない。
体の一部に数本の矢が刺さる。
でも、それで構わない。
矢が刺さったまま、全力で目標に突進する。
────ボクには、それしかできないから。
なりふり構わず矢の雨を掻い潜り、真正面から飛んでくる矢をかわす。
ボクのやることは、避けるだけ。
【身体強化】は最小限に留め、速度を得る為だけに強化する部位を絞る。
一歩一歩、自分の身体、骨が、筋肉が発する声を慎重に聞きながら────出来るだけの無駄をなくしながら、精一杯、力を込めて駆ける。
そうすれば、意外なほどに速度が出ることもわかった。
【隠聖】のカルーさんからこの前、そのコツを教わった。
ボクの体は小さいから、好都合だ。
そして、【盾聖】のダンダルグさんからも、痛みの堪え方を教えてもらった。
自分は元々ある程度の痛みには耐えられる方だとは思っていたけれど、単純な呼吸の整え方、心の構え方だけで随分、痛みが抑えられることが分かった。
だから今、身体中に刺さる矢もそれほどの痛みとは感じない。
そうして、自分の声をできる限り抑え、その代わりに相手の心の声を──そして、迫ってくるモノの声を集中して聴く。攻撃の軌道を見極めて躱し、ボクの視力で捉えられる分は短刀で弾き、できるだけダメージを少なくする。
お前は今後それに絞れ、と【剣聖】シグさんには教わった。
短期間で何かを身に付けたいなら、それ以上のことは望むな、と。
────ボクは剣を振れない。
というか、相手を傷つけることがどうしてもできない。
相手に痛みを与えるのに、どうしても躊躇する。
だから、斬ることは考えなくていい、と。
躱すこと、弾くことだけを意識して訓練する。
そうして────ボクは最短距離で彼女に接近する。
「獲った」
木製の短刀を彼女の首筋に当て、合図の言葉を言う。
この短刀も、合図として当てているだけだ。
実戦になったとしても、斬ったりはできない。
それでも、前に出る必要がある、とこの訓練を提案してくれたのはミアンヌさんだった。
「────参ったわ」
シレーヌさんが終了の合図を口にして、これで今日11回目の目標到達。
だんだんと体の動かし方のコツぐらいはつかめてきたような気がする。
でも、まだまだ、足りない。
こんなものではあの人には取り残されてしまう。
このままでは足手まといにしか、ならない。
「じゃあ……もう一回、お願いできないかな」
ボクが訓練の続きを頼むと、シレーヌさんは呆れたように首を横に振った。
「まあ、いいけど……その前に刺さった矢を抜いたらどう? マリー、治療を」
「あうう……!! こ、これ以上は私の精神が持たないのですぅ……! わ、わたしもう帰ってもいですかあぁ……!? これ以上、ロロさんにブスブス矢が刺さるの見たくないんですぅ……!!」
「……ボクは別に、このままでも構わないよ」
「アンタ、結構無茶言うわね……? 今の自分の姿、分かってる? せめて刺さってるのぐらい抜いたらどう? 結構な光景になってるわよ」
「……そうかな?」
「いや、どう考えてもそうでしょ」
「ひいいいぃ……!! グロいですううぅ……!」
「…………ごめん…………次はもう少し、本数抑えるように頑張るから」
「そ、そういう問題じゃないのですうぅ……!! あ、あと、それ早く抜いて欲しいんですけど、わたし、抜くところも見たくないんですぅ……!!!」
ボクが身体に刺さった矢を抜くべきか抜かないべきか迷っていたところで、背後から聞き覚えのある声がした。
「遅くなったわね。ちょっと子供達の面倒見なきゃいけなくなって」
ミアンヌさんだ。
彼女は僕たちに訓練を指示した後、用事があるといって訓練所を出て行った。
具体的には彼女には二人の子供がいて、ご飯を作らなきゃならなくなったとかで。
「で。ちゃんと、死ぬ気でやってたかしら?
変な手心加えてないでしょうね、シレーヌ」
シレーヌさんは背筋を正し、両耳と尻尾をピンと立てて、ミアンヌさんに敬礼の仕草をした。それに対して、同じく獣人の血を引くというミアンヌさんはゆったりと尻尾を振っていた。
「は、はい。私は命令どおり、本気で────」
「それにしては刺さってる本数が少ない気がするけど」
「……え?」
「────ちゃんと本気でやってた?」
シレーヌさんの表情が固まった。
同時にマリーベールさんもかなり遠くまで後ずさりした。
────疾い。
「私の見立てでは倍は刺さっててもおかしくはないと踏んでたんだけど。
変な情で、手を抜いたわけじゃないわよね?」
「そ、そんなはずは……!!」
ミアンヌさんは何かを窺うようにシレーヌさんの顔を見つめ、鼻をスンと鳴らした。
「……僅かに発情の匂いがするわ。そういうこと?」
「…………!!?」
シレーヌさんの耳と尻尾の毛が逆立つのを横目に見つつ、ミアンヌさんは訓練用の弓を手にとった。
「……いいわ。ロロ。
ここからは私が交代するから。
私がやるからには……いいわね?
シレーヌの10倍は身体に刺さると思いなさい。
その傷の治療が終わったらすぐに始めるわよ」
「……うん、わかったよ」
ボクはマリーベールさんの悲鳴を背後に聞きながら、身体に刺さった矢を全て引き抜いた。