57 水面下の戦争
王都の地下大倉庫の崩落の後始末と【灰色の亡霊】の討伐の事実確認に追われて数日を過ごした王子は、突然出現したという歴史上の怪物の報告に引っ掛かりを覚えていた。
「文献に記録のある『聖銀の祭壇』は、そう簡単に傷つくものではない筈だが」
当事者となった妹から直接状況の説明を受けたものの、細かい点が所々腑に落ちない────。
王家の書庫に所蔵される歴史書に記述された【灰色の亡霊】。その異形の怪物を封じた迷宮遺物の『祭壇』は、その名の通り全てが『聖銀』で造られており、そう易々と傷つきはしない。
『聖銀』は強度こそ『王類金属』や『最硬鉱物』に劣るが、極めて魔力を通しやすく付与による強化が容易であり、並の剣や魔法では毛筋ほどのかすり傷もつけられない。
だからこそ先人は、あれを封じる為に巨大な祭壇をわざわざ迷宮の奥深くから持ち出し、用意したのだ。
妹が嬉々として語った、それを【プチファイア】で跡形もなく消滅させた人物の話には頭を抱えたが────色々と規格外のあの英雄じみた男の話はさておき、普通『聖銀』製の遺物がただの地震や戦争の余波で壊れるなどということは考えられない話だ。
となると、やはり────。
「やはり誰かが意図的に破壊した────と、そう考えるのが妥当か」
王子の頭を占めていたのは、先の皇国の襲撃の起点となった『リンネブルグ王女暗殺未遂事件』だった。
その計画は皇国の指揮系統の中で行われたという証拠と証言を得ることができ、その分の賠償は十二分に講和条約の中に明記させたのだが────調査を進めるうち、どうやら別の側面もあることが見えてきた。
────不穏な第三者の影の存在。
王都襲撃騒動の終結後、何度となく皇帝側近のレベルにも確認をしたが、事件のきっかけになった高純度の魔石が使われた『魔術師の指輪』に施された召喚技術──そして召喚された『ミノタウロス』は、そもそも「同じ者から提供された」のだという。
つまりその存在は、あの召喚魔道具製造技術を皇国より先に手に入れ、更に『ミノタウロス』を捕獲したということになる。
深淵の魔物『ミノタウロス』はそう簡単に捕えることの出来る魔物ではない。
何度となく相見えた【六聖】クラスであればともかく、通常の戦力では交戦することすらままならない。
それを捕獲し提供したとなるとその「見えない敵」は我が国の【六聖】と同等の戦力すらを保持している、と考える他ない。
信じがたいがそんな存在が皇国に居たということが明らかになった。
目撃者は多い。
────だというのに。
我々は未だにその正体の断片すら掴めないでいる。
不思議なことにいくら皇国で調査を重ねても、聞くたびに違う答えが返ってくるのだ。
ある者はそれは「老いた商人たちだった」と言い。
ある者は「小柄で不気味な姿の奴隷商だった」と言い。
ある者は「美しい女性の占い師の集団だった」と断言する。
────証言が取りに行く先々でまるで違う。
ここまで全てが食い違っているとなると、当初から何らかの偽装を施していたか……もしくは、事後的に記憶の操作が行われた可能性がある。
つまり、皇国に影響を与えていたのは────相当な武力を持ちながら、そんな不気味なまでに器用なことが行える団体。
そういうことになる。
それは誰なのか、という話だが。
被害者本人の証言にもある通り、最初の『ミノタウロス』の襲撃時に突然強力な『結界』が王女を縛り、彼女は身動きすらできず死にかけた。
皇国の将軍を含めた上層部はその『結界』の存在を把握すらしておらず、結局誰がそれをやったのかは不明のまま。
とはいえ、『結界技術』自体がミスラの独占物であり、そんなものを扱える存在となると自ずと限られてくる。
そして今回の【灰色の亡霊】の一件も、それと関連性がないとは言い切れない。
何故なら、ミスラへの留学経験のあるリーンが封印の祭壇に『結界技術』の魔法紋の痕跡を見出し、それが削れていたと言うのだから。
知識のある者が意図して削った、とも考えられる。
────この推測に確証はない。
調べても、証拠は全く出てこない。
だが、確信に近いものはある。
証拠は出ないが、状況がそれを示している。
先の皇国の仕掛けてきた襲撃。
奴らはそこに、きっちりと絡んでいたのだ。
それでいて復興の視察だの、支援だの、慰問だなどと。
────よくも言う。
「本当に────────反吐が出るぞ、アスティラ」
思わず口から出た言葉に、激しい怒りが滲んだ。
王があの会談の場に自分を同席させなかった理由はよく分かる。
その場にいれば、自分はあの女に確実に噛み付いていただろう。
賢明な判断だ。
あの女の顔を見た瞬間に、自分で自分を抑えきれない自信がある。
冷静で温和な父と違い、自分は迷わず刃すら向けていたかもしれない。
────当たり前だろう。
絶対に許せるはずがない。
きっと、あの女こそがリーンを殺そうとしたのだから。
「それでいて『婚約』だと? 愚弄するのも、大概にしろ────」
夜中の静謐な執務室に、再び、怒りの声が充満した。
妹、リーンはとても優秀だ。
クレイス王国の王族の長い歴史の中でも、その存在は飛び抜けている。
自分も幼い頃は神童などともて囃されたが、あの子とは比べるべくもない。
そう────あの子はあまりにも、優秀すぎるのだ。
彼女があのまま成長すれば、我が国の国力は著しく増すだろう。
誰もが認める、数百年に一人とまで言われる逸材。
その天才ぶりは王国中でも有名で、既に多くの国民は彼女の王位を熱望している。
厳密にはあの子はまだ、王国法の定める王位継承権獲得の為の【試練】を終えてはいない。
だが、継承権を正式に得たならば、間違いなく民は彼女を選ぶだろう。
それに異を唱えるつもりはない。
何より、国を守るためとはいえ多くの汚れ仕事に手を染めている自分を、常に英雄を求める気質の王国の民がすんなり受け入れるとも思えない。
自分は派手な表舞台よりも裏方の仕事が性に合っているし、誰よりも自分こそが、父の次の王位は彼女にこそふさわしいと思っている。
実際、その時が来れば民心は今まで以上に強く纏まり、クレイス王国は大きく発展を遂げることだろう。
だが、我が国が力を持つことを愉快に思わない者であれば、妹の存在は脅威としか映らない。
それを前もって潰そう、という発想になってもおかしくはない。
実際、潰しにきたのだ。
戦争という混乱に乗じて、証拠を残さぬ形で。
そして、それが失敗すると、あの女はさも憐憫の情があるかのように近づき、ありもしない『婚約』の話を持ち出した。
潰すことが叶わぬなら、自らのものにしてしまおう────そんな手のひら返しの意図がありありと読み取れた。
そんなものに怒りを抱かずして、何にその感情を抱けば良いのか。
「求めるものは、資源か────もっと別の何かか」
単純に考えれば、明白だ。
奴らに合理的な目的があるとするならば、迷宮から産出する資源か、もしくは『還らずの迷宮』そのものがまず挙げられる。
元々、奴らはそれらを欲しがっていたのだから。
神聖教国ミスラ。
武力や経済力で着飾った宗教国家の皮を被った、軍事国家。
王子はかつてそこで生まれ、国を棄てた【癒聖】セインの言葉を思い出す。
『────ミスラが信奉しているのはもう、宗教ではありません。
あそこの上層に棲む人々は信仰も、心も無くしてしまった。
人々の信じる心を利用した、もっと別の何かなのです』
加えて、「欲深き者に支配された罪深い国」とも。
発見から数百年経っても最深部への到達に至らず、どこまで深いのかも未だ分からない『還らずの迷宮』は未知の資源の宝庫だ。
そこには各国の権力者が喉から手が出る程の財宝や遺物が眠っている。
その分、『還らずの迷宮』を原因としたトラブルも多い。
中でも、【灰色の亡霊】は過去の歴史を遡ってみても一大事件だった。
だが、王国は世界に名だたる迷宮から沸く脅威を、自らの力で克服し治められることを証明し続け、ある種の畏怖とともにその保有と管理権限の正当性を主張してきた。
だが、もし────その管理ができない、と見做されれば。
例えば、『還らずの迷宮』の管理に大きな不備があり、何かトラブルが起きたとすれば、管理権限の是非を巡って他国に格好の攻撃材料を与えることになりかねない。
そんな側面から見ると────件の【灰色の亡霊】の再出現は偶然ではなく、必然だという風にも考えられる。
誰かがそれを意図したのだ。
意図して、その大惨事に成りかねない事件を引き起こした。
その誰か、というのはもう、王子の頭の中では明確な像を結びつつある。
「我々は信頼すべき相手を、長らく見誤っていたということか」
王子は歯噛みをする。
これまで我が国とミスラとは一定の距離と均衡を保っていた。
数百年もの長き間、同盟関係にあった間柄だ。
あの国には何処までも黒い噂が絶えないとはいえ、互いの利益を尊重しつつ隣国としての信頼関係を保ってきた。
だからこそ自分もリーンも幼い頃にあの国に留学をしたし、先の戦乱で国が危機に瀕した時も亡命先に選んだ。
だが、情報を得ていく中で、今更ながら自分達が浅はかであったことを痛感させられた。
もはや、あの国は盟友関係にある存在とは言い難い。
少なくとも、あちらはとっくにそのつもりだった。
────それに気づくのが、遅すぎた。
「まだ、争いは続くのか」
皇国は事実上倒れ、クレイス王国も大きく痛手を受けた。
既に長年の力の均衡は崩れている。
我が国は、放っておけば皇国から手に入れた技術を用い、発展する。
時間さえ十分にあれば繁栄するだろう。
だが、そんなことを許すほどあの女は甘くない。
あの欲深い者が『還らずの迷宮』を狙うなら、今だ。
仕掛けるなら今を於いて他はない。
────自分だったら、そうする。
今を好機と見て、ありとあらゆることを仕掛けていくだろう。
王子は自分よりずっと強大な同類の影に苛立ち、頭に血が上る。
相手の意図が、目的がよく分かるだけに怒りが増す。
自分が今後の相手の行動として想像したことは、自身も思いつきつつ、人として決してやってはならないと心に決めていることだからだ。
それを相手は────躊躇なくやる。
そんな外道を理解し、同調する自分自身にも王子は怒りと嫌悪を覚えずにはいられなかった。
「────少し、冷静になるか」
妹のミスラへの招待。
どう考えても、そこにはあからさまな罠が仕掛けられているようにしか思えない。
行けば、必ず危険は付き纏う。
だが、それは逆に好機であるかもしれない、とも王子は思う。
……妹の命を賭け金に使う度胸がもし、自分にあればの話だが。
大事な妹の命を賭けに使う?
────そんなことは、考えたくも、ない。
「いや、違う────冷静になれ。
私情は捨て、全ての道筋を考えろ…………結論はそれからだ」
妹に甘く成りがちな自分に、言い聞かせるように声を出す。
確かに、妹は国の繁栄にとって、なくてはならない存在だ。
だがそれは、役目を果たしてこそ。
己の身可愛さに保身に走ったのでは、本末転倒。
王族の使命────それは民、そして国の繁栄。
彼らに生かされている我々は、彼らに尽くす義務がある。
既に、我が国を取り巻く状況は戦争と言ってもいい。
穏やかに見える水面の奥底で、我々はもう戦場に足を踏み入れているのだ。
────そんな局面で自分の家族可愛さに、私情を挟むことなど許されない。
自分はこの盤面で、最適な駒の配置を考えなければならない。
仮に、妹の命を危険に晒すことになったとしても。
それが国の、民の利益になることであれば迷いなく行わなければならない。
そうして王子は必死に思考を走らせ────数瞬後、ひとつの結論に辿り着く。
「────ロロ、と言ったな、あの少年」
王子はすぐに気が付いた。
おそらく、あの魔族の少年。
あの少年が今回、重要な鍵になる、と。
あの少年の今後の立ち回り次第で現状の力の均衡は、そして王国の運命は大きく変わるのだ、と。
また、ふと思った。
父が彼を王国に取り込んだのは、そこまで考えてのことだったのだろうか、と。
だとすれば、「王国の民に害しかもたらさない」と『魔族』である彼の市民としての受け入れに強く反対した自分は、本当に浅はかで愚かだったということになる。
今自分が想像している道筋も、賭けでしかないが……賭けるには値する程度、見返りの大きな賭けであるようにも思えるからだ。
……いや、おそらくは違うのだろう。
父は、本当に温厚で優しい。
単純にあの少年への情と、あの男──ノールとの約束を果たそうという、ただそれだけの動機だったのかもしれない。
単純にして、素朴。
まず道理や感情を重視し、利益と損失の秤は脇に置く。
それは一見、愚か者の営為とさえ見えるかもしれない。
だが、それこそが本当の民の求める英雄像────『王の器』というものだ。
王国の民はそういう、直情的な正しさにこそ付き従う。
人心が求めるのはいつも、そんな裏表のない誠意を示す者なのだ。
自分には、それが欠けている。
────つくづく、目先の損得でしか物事を判断しない自分が厭になる。
「父上とオーケンに少し、相談してみるか────本格的に策を練るのはまた、その後だ」
おぼろげな光明を得た王子は、その追求を一旦、脇に置く。
今やるべきこと、考えるべきことは山ほどある。
自分はそれを一つ一つ、処理していかなければならない。
────あの、我が妹を手にかけようとした女。
あの化物のような存在に一矢でも報いてやる、その為に。
着実に、一つ一つ作業を積み上げていかなければならない。
凡人である自分はそうでなければ、周囲にひしめく怪物達とは渡り合えない。
「才能に乏しい者は、足と手数で稼がねば、な」
王子は執務室の窓を開けて夜の風を取り入れ、熱さの残る頭を少し鎮めると、山のように積まれた部下からの報告書に目を通す作業に戻った。