52 鍛錬の日々
王都の市街を少し離れた森の中。
俺はようやく日が登り始めた時間帯の朝の空気を吸いながら、いつもの訓練を始めた。
「──────パリイ」
まずは『黒い剣』を両手で強く握り込み、周りの葉の生い茂った木々に向かって思い切り一振りする。
『黒い剣』は重いので、一振りするだけで足が地面に食い込み、森全体が少し揺れる。同時に大きな風が起こり、周囲の木々の葉を舞い散らせた。
俺はそのまま剣を構え、しばらく待ち────
辺り一面に舞い落ちて来る数十枚の木の葉の中から一枚を狙い、弾く。
「パリイ」
小気味良い音と共に木の葉が破裂する。
そしてまた次の葉を狙って叩き、弾く。
その繰り返し。
一連の動作をだんだんと速くしていき、素振りの風で舞った葉を地面に落ちる前に全て叩き落とす。
これが最初の一セット。準備運動のようなものだ。
「──────パリイ」
次はもう少しだけ強目に剣を振り、より大きく風を起こす。
そして、そこからは俺の持つ数少ないスキル【しのびあし】を発動させる。
すると、速く動く時に感じる邪魔な『空気の壁』が消える。
元は、足音を消すスキルらしいのだが──ある日、周りの空気も一緒に消えているのに気がつき、以来、そうしている。
おかげで普通に動くより、とても速く動ける。
「パリイ」
そして、俺は森の中に立ち並ぶ木々を縫うように動きながら、辺り一帯に舞い散った数百枚程度の木の葉を、地面に落ちきる前に全て弾く。
風は起きないし、足音も起きないが、葉っぱの破裂音だけは森の中に響く。
──おかげで、結構騒がしいので、これをしばらくやっていると鳥や獣もいなくなってしまうのだが。
「──────パリイ」
それが終わると、また、同じことをする。
素振りで風を起こし、落ちる木の葉を全て弾く。
ただひたすら、それを繰り返す。
そうしてだんだんと、最初に起こす風を強くして、落とす葉の枚数を増やしていく。
これをここのところ、毎日続けている。
「パリイ」
目標の「だいたい一万枚」を弾き終えた俺は、少し息をついた。
「まあ、ひとまず朝はこんなものか」
この木の葉を弾く訓練法は単純だが、前の素振りだけだった時よりもずっと良い訓練方法だ。
この訓練を始めてから、俺は前より少し速く、的確に動けるようになった気がする。
重たい『黒い剣』の素早い扱いにもかなり慣れることができた。自分の上達は実感している。
数日前にこの「素振り葉っぱ法」を思いついたときは、これで俺はもう少し強くなれそうだと喜んでいたのだが──
でも、このままでは……。
「駄目──だろうな」
俺は話に聞いた『ゴブリンエンペラー』の姿を脳裏に思い浮かべ、身震いする。
あの素早い『ゴブリン』の数倍は速く動くという恐ろしい魔物。
旅に出るというのなら、そんな奴に出くわしてもなんとか、倒せないまでも、仲間を守って逃げ切れるぐらいの力はつけたいと思って訓練に臨んでいるのだが。
──全く、そんなことの出来るイメージが湧かない。
俺は限界を感じていた。
多少は強くなった気がするが……まだまだ、そんな化物には勝てる気がしない。
何より、こんな練習を三ヶ月も続けていたら、森の木々が禿げ上がってしまうだろう。
背に腹は代えられないが、それもさすがにどうかと思う。
何か、違う方法を見つけ出さなければいけない。
何かが今、足りないのだ。
きっと、今の俺は実戦に近い形で訓練を積まなければならないのだろう。
◇◇◇
俺は昼の訓練を中止し、取り敢えず冒険者ギルドへと足を運んだ。
「おう、ノールか。しばらく見てないな──って言っても数日ぶりか。ほぼ毎日あってたからな、ちょっと会わないだけで久々に思えるぜ」
「ああ、そうだな」
俺の姿を見掛けると、ギルドのおじさんがいつものように声を掛けてきた。
「で、今日は何の用だ? うちで預かってる金が必要なら、いつでも渡せるぜ。工事手伝いの依頼じゃ考えられねえぐらいの支払いがあったからな。竜退治でもあんな金額見たことねえよ……というか、お前、本当に建築ギルドに就職考えたらどうだ? あのケチな爺いがここまで出すなんて有り得ないことだぞ? ……って言っても聞かねえのは知ってるが」
いつものようにおじさんの就職斡旋が始まるが、これは挨拶のようなものなので、そのまま俺は自分の用事の話をする。
「いや、金はいいんだ。使う予定はないから、預かっておいてくれ。今日は依頼を探しに来たんだ」
「──ん、依頼か? しばらく休むって言ってなかったか?」
「いや、工事の依頼じゃない。
何か、動くものと戦えるような──王都の中でできる依頼はないか?
もちろん、あまり強力なのを相手にするのは無理だが、出来るだけ素早い奴を相手に戦えて、毎日できて、危なくないのがいい」
「ねえよ、そんな都合の良いもんは。
……いや。ないこともない、か。
……だが、あれはちょっとな」
「あるのか?」
「一応聞いておくか?」
「ああ、頼む」
「──前の皇国の襲撃の時に、『還らずの迷宮』周辺が壊されたのは知ってるよな?
それで迷宮の魔物を外に出さないために張られてた『結界』が不安定になって、弱い魔物が少し溢れ出しちまったんだが」
「そんなことがあったのか。それは知らなかったな」
「……お前のいた工事現場の近くにも看板出てただろ。見なかったのか?」
「いや。あの時は仕事のことだけ考えていたから、そんな看板のことは目に入らなかったな」
「まあ、はみ出してるのは浅い層の弱い奴だけだし、王都の防衛隊と一般冒険者が協力して抑えてるからそんなに問題にはなってないけどよ。中には対処が後回しになってるのがある。
手間がかかる割に別に脅威ってほどじゃねえから、忙しくて放置されてるんだよな。
冒険者ギルドにも大分前に王都防衛隊から応援依頼が回ってきたんだが、あまり消化されてねえ」
「そんなものがあるのか」
「ああ。依頼の内容は言ってみれば『幽霊退治』ってとこだな」
「──────────ゆ。
……幽霊……退治、か……?」
「ああ、主に出てくるのは『幽霊』だからな、運が悪けりゃ、たまに『スケルトン』も出てくる」
「──ス、スケルトン?」
「人骨が動いてるバケモンだよ。知らないのか?」
「ほ、骨が動くのか? そ、それは──ちょっと不気味だな」
「なんだ、もしかして、怖いのか?」
「いや……そそそ、そんなことは、ない……ぞ?」
声が少し、上擦ってしまった。
正直、その類の話は苦手だ。
昔、小さい頃、父親に幽霊やらゾンビやらが出てくる物語を聞かされ、怖くて夜トイレに行けなくなり、泣きながら母親に一緒に行ってくれと頼んだことがある。
流石に、今はもう大丈夫だと思うが。
当時は非常に怖かった記憶があるが今となってはもう怖くはない。
幽霊なんて本当はいない。
ゾンビなんて作り話だ。
そう自分に言い聞かせて克服したつもりだからだ。
……いや、ちょっと待て。
────────本当はいるのか。
「まあ、確かに『スケルトン』は警戒したほうがいいかもな。
脅威度ランクは同じEランクだが、ゴブリンよりも少し強い。
奴ら、武器を持って襲ってくるし、なかなか頑丈だしな。だが、そんなに素早い奴らじゃないから逃げるのは簡単だ。出くわしたら、必ず逃げるんだぞ?」
ゴブリンよりも、少し強い魔物か。
それぐらいなら、俺が挑戦するにはちょうどいいかもしれない。
「ちなみに、『幽霊』は脅威度ランクF。
いわゆる魔物じゃなくて、迷惑現象扱いだな。
奴らにも多少の攻撃性はあるが、精神的に来るだけで身体にダメージを負わされる訳じゃねえ。だから『討伐』じゃなくて、ネズミみたいな『駆除』扱いだ。ランク【無名】のお前さんでも、依頼は受けられるぞ」
「──そうか」
俺の冒険者ランクは未だに【無名】だ。
実は前に、リーンのお兄さんから、皇国の襲撃騒動の時に役立ったということで「当家の口添えがあればランクをかなり上げられる」と言われたのだが、断った。
正直、少し迷ったのだが、やはりこういうのは自分の実力で評価を勝ち取らないと意味がない。
ゴブリンにやっと勝てる程度の実力で上のランクに上がっても、良いことはないだろう。
俺はちゃんと強くなって【スキル】を身につけ、胸を張って冒険者になりたいのだ。
──それなら尚更、この依頼は都合がいいかもしれないな。
「だが、そもそも『幽霊』を駆除するには魔法が使えねえとな。アイツらからの攻撃がこっちには通じないのとおなじで、こっちからも物理攻撃が一切通じねえんだ。お前、魔法スキルは使えなかったよな?」
「いや、一応使えるぞ、ほら」
俺は指先にロウソクの火のような小さな火を灯した。
俺が唯一使える魔法スキル────
「【プチファイア】だ」
「いや、それは知ってるけどよ──それで戦うつもりか?」
「──駄目か?」
「まあ、駄目とは言わねえが……それで『幽霊』と戦う奴は聞いたことねえよ。ダメージを与えられない事もないとは思うが……微々たるもんだろう。まあ、無理だと思ったら、やめておけよ?」
だが、俺はこの依頼を受けることに決めた。
正直、苦手な系統ではある。
でも、ゴブリンより少し強いスケルトンに出食わす可能性があるというのなら、行ってみる価値はあるだろう。
おじさんは出会ったら逃げろ、と言っていたが。
今の俺はそれぐらいの強敵と戦う必要があるのだ。
──多少の危険を冒してでも。
まあ、良い歳になって、まだお化けが怖いなどと。
そんなこと、言っていられないだろうし。
だが、多少の不安はある。
俺が幽霊に有効打を与えられるのは【プチファイア】だけということになる。
それだけで戦うのは心許ない。
だから────
「────リーンに、ついてきてもらおう」
別に、一人で幽霊退治に赴くのが怖いわけではない。別に、俺は幽霊が怖いというわけではないのだが────
魔法の得意な彼女がいれば、何かあっても安心だろうと思うので。