05 王女の暗殺
その日、王都に衝撃が走った。
王都最古の迷宮『還らずの迷宮』の最深層域、通称【深き淵】の魔物『ミノタウロス』が、突然街中に出現したというのだ。
魔物が出現した瞬間、迷宮入口の警備に当たっていた門番の上級衛兵が全員死亡。
その現場に居合わせた、中層域の探索から帰って来たばかりの『才姫』リンネブルグ王女も命を落とす寸前だったという。
「確かなのか? 『ミノタウロス』が迷宮の入り口に出現したというのは」
「はい。発生の瞬間の唯一の目撃者──つまり、生存者であるリンネブルグ様の証言からみると間違いありません。何者かが作動させた召喚魔術によるものかと」
王立騎士団の参謀長、ダルケンから報告を受けた王子は、歯噛みをした。
「──では、やはり『ミノタウロス』の出現は人為的なもの、ということか」
「恐らくは。召喚魔術の発動は被害者の一人が身につけていた『魔術師の指輪』からと見られます。現場の遺体と共に残骸が回収ができました。極めて高純度の魔石が使われています。市販品ではありえない、規格外の品です」
参謀長ダルケンはそう言って、赤紫色の宝石の破片を取り出した。
「──そうか。ならばある程度、製造元の目星はつくな?」
召喚魔術は非常に高度な技術であり、高位の魔術師によって刻まれた精密な魔法陣と高純度の魔石が必要となる。
さらに脅威度特A【災害級】に分類される『ミノタウロス』を封じられるレベルの魔石となると、とてもそこいらの資産家が準備できる金銭で売買できるものではない。
それら、全てを用意できる者となると、自ずから限られてくるのだ。
「はい、魔術師団長の【魔聖】オーケンが調べたところ、魔石に残された魔法紋の痕跡から、出どころは恐らく魔導皇国デリダスではないかと。彼の国の最先端の魔導具製造施設で製造された魔道具の波長によく似ている、と。そして、この純度の魔石を用いれば『ミノタウロス』を指輪サイズの結界に閉じ込めることは十分可能だろう、とのことです」
続くダルケンの報告に王子は顔を曇らせた。
──クレイス王国を取り囲む周辺三国。
西の神聖教国ミスラ。
東の魔導皇国デリダス。
南の商業自治区サレンツァ。
その中でも王国の東に位置する魔導皇国デリダスは今や大陸一の強国。
そして、事あるごとに我が国へと圧力をかけて来ている国でもある。
「可能性としては、あの件への報復、か……?」
魔導皇国デリダスはここ数年、急激に発達した魔導具製造技術を背景に、武力を拡大。
同時に、他国へと侵攻して領土を拡げている。
そんな中で、我が王国に対しても
「武力を貸し出してやる代わりに、迷宮の権利をよこせ」と言ってきた。
そんなことは土台無理な話であるのを、承知の上で求めてきた。
我が王国は豊富な迷宮資源とその周りに集まる人的資源だけを頼りにしている小国だ。
その根幹を奪われたら、そもそもの国家の運営が立ち行かなくなる。
当然、父は「自国の防衛は自国で賄う」と突っぱねた。
だが、魔導皇国の皇帝、シグルド・デリダス三世はそれで納得するような人間ではない。
──よって、我が国の拒絶に対して、報復と脅しで答えた。
そう考えると合点がいく。
「いや。それだけとも言い切れない、か」
今までも嫌がらせはあった。
だが、今回の件は違う。
妹は今、王国法に則り、王位継承権の試練の真っ最中だ。
場面によっては一人となり、無防備。
そこを利用して命を狙ったのだ。
『ミノタウロス』召喚時に、同時に王女へ行動阻害の結界が仕掛けられるという念の入れようだ。
明らかに、抹殺する意図があった。
しかも、あからさまな証拠品を残し、譬えバレようが構わない、とでも言わんばかりに、堂々と仕掛けてきた。
こんなことはここ数十年、なかった筈だ。
つまり──。
「妹、リンネブルグへの暗殺工作──。その目的は、我が国への脅しというよりも、我が国から戦争を仕掛けるように仕向けたい、ということか」
「恐らく、ご推察の通りかと」
もし、妹、リンネブルグ第一王女が暗殺されたとなれば、国を挙げての犯人探しをせざるを得ない。
それが、暗殺未遂に終わったとしても、同じこと。
そして今回、あからさまなまでに証拠が残されていた。
まるで、誰がやったのかを主張するかのように。
あるいは、力を誇示するように。
手引きした犯人を特定するのは簡単だ。
名乗り出ているも同然なのだから。
だが、それを理由に相手国を問い詰めれば──戦争待ったなしの状態になる。
きっと、相手はそれが、望みなのだ。
「けしかけて、正面から叩き潰し、資源を奪いたい──そして、それをもはや隠そうともしない、か」
明らかな挑発。
やれるものなら、やってみろ、と言わんばかりの。
明らかに不当な干渉であり、どう考えても非はあちら側にある。
だが、それを周辺国に訴えたところで──。
「──無駄、なのだろうな」
今までは、力が拮抗していた。
迷宮資源の中央の王国クレイス。
山岳資源の北東の魔導皇国デリダス。
森林資源の北西の神聖教国ミスラ。
海洋資源の南の商業自治区サレンツァ。
それぞれが、それぞれの役割を演じ、
足りないものはお互いに交易や交渉で補い合い、
数百年の長きに亘って平穏を保った。
だが、長らく均衡を保ってきた良き関係は、近年の魔導皇国の隆盛で脆くも崩れ去った。
魔導皇国が周辺の無数の小国の迷宮を侵略戦争で取り込んだのを契機に、周辺三国は足並みを揃え、地政学的に立場の弱い我が国に理不尽な要求を突きつけてくるようになった。
魔導皇国の狙いは、明らかに「迷宮資源」だ。
奴らは、どうしても欲しいらしい。
更なる力を得る為の『還らずの迷宮』の遺物が。
周囲に味方はおそらく、居ない。
おそらく三国の間で、侵略を終えた後の取り分交渉も終えている事だろう。
王国から見れば全方位を包囲され、隣接する国すべてが敵になりつつあるという、最悪の構図だ。
「父上の考えもわからないではないのだが」
厳格で融通の効かない父は、彼らの理不尽な要求をずっと撥ねつけている。
重要なものから瑣末なものまで、道義に反すると思えるものは全てだ。
一国の王とすれば、当然の態度だろう。
それ自体の理屈はわかるし、正しいと思う。
だがそれ故に、起きている摩擦もある。
道理を通すが故に、周辺国との関係が刻一刻と悪化しているのだ。
今回の事件は、圧力に一向に屈しない父──現国王への脅し。
相手はもはや、それを隠しだてするつもりはない。
そして、おそらく他の周辺国も、何が行われているのかを理解している。
それが意味することは……。
「今は本当に危機的な状況、なのだな」
事態は、一刻の猶予もない程に切迫している。
そんな印象を王子に抱かせた。
「──ダルケン。破壊工作は今回の件だけではないと思え。まだ何か小細工が国内に仕掛けられている可能性がある。そちらの調査も急げ」
「御意のままに」
「それと──」
問題はもう一つある。
「リーンを助けたという男のことだが──」
リーンとはリンネブルグ王女の幼名であり、
王子は今も愛称として妹をこう呼ぶ。
襲撃を生き延びた彼女が語ったのは、
あの深淵の魔物『ミノタウロス』をたった一人で倒したという男が存在する、という話だった。
だが、それはとても信じがたい話だった。
王子自ら王女から話を聞いたのだが、どうも要領を得なかった。
その男はミノタウロスの繰り出す数十回の重撃をいとも容易く払いのけたという。
衛兵に配備された量産品のブロードソード一本で。
しかも、それはたった十数秒の、あっという間の攻防だったという。
──有り得ない。
それが最初に報告を受けた時の印象だった。
少なくとも、自身の知識と常識からは、とても信じられないことだった。
だが、話を聞き続けるともっと信じがたいことに、
男は最後には折れた柄だけのブロードソードで魔鉄製の攻城斧を弾き返し、その斧で『ミノタウロス』の首を刈ったという。
そんなことは、どう考えても有り得ない話だった。
そんな男がいると仮定してみる。
それはつまり、かつて深層でミノタウロスと対峙した六聖──彼ら六人のパーティよりも、優れた戦闘能力を持つ人物が存在するということに他ならない。
Sランク冒険者のみで構成されたパーティ『六聖』。
かつて『還らずの迷宮』の深層探索の為に現国王、父が率いた六名に他ならないのだが、
彼らが深層で『ミノタウロス』と遭遇した際、
その伝説的なパーティの戦士職、【不死】のダンタルグすら死を覚悟したという。
全身が鋼よりも固い筋肉で覆われ、眼球すら矢でも剣でも傷つかない。
辛うじて【魔聖】オーケンの魔法と王の所持していた迷宮遺物『黒い剣』が効いたから良かったようなものの、全員が全ての力を出し尽くし、ようやく一体を仕留め、目の前の財宝を全て諦めて逃げ帰ったという。
『ミノタウロス』はそれ程の脅威なのだ。
それを、たった一人で倒してのけたなど──
まるで御伽話の英雄でも、物語の中から抜け出してきたかのようだった。
とても、信じられる話ではない。
「妹はきっと、少し混乱していたのだろう。今は落ち着かせた方がいい。それから改めて話を聞くべきだろうな」
命を危険にさらされたのだ。
王国始まって以来の才能と言われた自分よりもずっと早く、たった14歳で【銀級】ランクまで上り詰めた才媛であっても、混乱はするだろう。
妹にとっては初めてのことの筈だ。無理もない。
或いは、それは本当にミノタウロスだったのか、という疑問も湧く。
だが、その疑問はすでに解消されている。
【六聖】の一人、【剣聖】のシグが魔物の死体を確認し、ミノタウロスで間違いないと断言しているからだ。
辻褄が合わなかった。
妹の言うような夢物語のような人物が、実際に存在する──そう考える以外に。
「その男の行方は分かったか? 現場にいるのを目撃したのだろう」
「その、それが。見たことは見たのですが──」
「見たことは見たが、何だ」
「現場に駆けつけた者の証言では『目の前から幻のように掻き消えた』と。それ以降、足取りは追えていません」
「何だそれは? どういうことだ? 手練れの偵察部隊が、みすみす見失ったと? 一体何の為の──」
王子は何の為の精鋭なのだ、と言おうとして、彼らが非常に優秀な部下であることを思い出し、一旦口を閉じた。
「仰りたいことは分かります。ですが確かに、男の姿を見たというのです。それが──音もなく、消えた、と」
「──つまり、彼らの感知能力を以ってしても、追えない程の手練れ──ということか」
「……そうなります」
一体何者なのだ、そいつは。
ミノタウロスを単独で軽々と倒し、我が国の精鋭部隊でさえ追うことのできない男。
──そんな人物が国内に潜伏しているだと?
周辺国との軋轢はいよいよ高まってきている。
何かが、起こり始めている。
「分かった、もういい。捜査を急げ。一時も無駄にするな」
「は」
初老の男は簡単に礼をすると、足早に立ち去っていった。
「──多方面の対策を、同時に進めねば、な」
相手は大胆な方法をとってきた。
バレようが構わない、とでも言うような乱暴な手法。
──それが意味するところは、ただ一つ。
「もう、近いのかもしれないな」
近いうちに、戦争が起きる。
或いは──既に始まっている、ということかもしれない。
王にも進言の必要がある。
だが、あの勘の良い父のことだ。
自分の気づいたことなどとっくに気がついていて、既に手はずは整っているのかもしれないが──
それでも──
例の男のことだけは、気になる。
その男が敵でなければ、これほど心強いものはない。
仮にも妹の命の恩人なのだ、そうであってほしいと願う。
だが──現状、正体不明の存在でしかない。
なぜ、名も告げず、逃げるように立ち去ったのかも謎のままなのだ。
その一点を以ってしても、とても味方とは考え難い。
「──甘い期待は持つべきではないな」
この現状──
甘い期待にも縋りたくなる。
だが、王子は頭を横に振る。
「妹の語る話が全て本当であれば、などと、な」
自分の様な立場で、そんなものに縋っていられはしないのだ。
妹の話はまるで、
危機に陥った時には何処かから英雄が駆けつけ、全てを解決してくれる──
そんな、よくある御伽噺のようだった。
「少し、落ち着いて考えるとするか」
また一つ、頭の中を駆け巡る要素が増えた。
王子は盤面を整理しようと椅子に腰掛け、深い思考の海へと沈んでいった。