43 仮設の執務室にて
クレイス王国と魔導皇国、両国の協議の結果、皇国の皇帝は戦争の責任を取る形で退位することになった。
同時に魔導皇国は他国へ堅く流出を禁じていた魔道具製造の秘匿技術を王国へと提供することと、多額の賠償金、加えて捕虜となった兵士達を王都復興の労働に供することを申し出て、王都の復興に係る経費は全て皇国が捻出することが決まった。
皇帝の『退位』は後継の政治の受け皿を整えた上で数ヶ月後に発表される。
その為、皇国は表向きは当面今の支配体制を維持するが、内部的には粛清を進め権力移譲の準備を進めるという。
当然反発は予想されるが、皇帝が存命のまま意思を伝えるという形であれば上手くことが運べるだろう。
王国側も表から裏から、その動きを両面で支援する体制を整えている。
王はその辺りの采配は全て、王子レインが執り仕切るように指示をした。
それに関しては、あまり心配はしていない。
あの優秀な息子に任せておけば、上手く行くだろうという安心感がある。
王の頭を占めているのは、別のことだった。
「あの『魔族』の少年を──普通に、何の憂いもなく暮らせるようにしてくれ、か」
仮設の執務室で王は急拵えの布張りの椅子に腰掛け、思考に耽っていた。
頭にあるのは、あの男のこと。
「なんとも、困った注文だ──よりによって、魔族とはな」
救国の英雄、ノールは今回の活躍の褒賞として「魔族の少年ロロの保護」──そして、人間と同等の「市民権を与えること」を望んだ。
「願いがそれだけとはな。無碍にするわけにもいかん」
『魔族』はミスラ教国だけでなく、多くの国で『討伐対象』となっている種族だ。
長い間狩られ続け、随分数は少なくなった。
あの少年は、その生き残りだ。
魔族は生まれながらにして不思議な力を持つ。
曰く、魔物を自在に操り、人の心をも見透かし操るという。
その為に恐れられ迫害を受けている、ということは皆が知っているが、実物に出会ったという話はほとんど聞かない。
多くはその特徴を伝承で伝え聞くのみで、王自身、目にしたことは幾度とない。
彼らが持つのは「凶暴な魔物をも操れる」という力であり、戦争で多くの人間を殺した。
そこだけ見ると確かに脅威かもしれないが、本当にそこまで邪悪な存在であるという話には疑問が残る。
そこまでの証拠はきちんと調べていくと、ないのだ。
確かに人と魔族の戦争はあったが、それは現存する本当の『歴史書』では人と人の争いとそう変わらない。
魔族が殺したという人数で言っても、人が人を殺した数よりもずっと少ないのだ。
それどころか、比べると人が魔族を殺した数の方がずっと多い。
実際のところ──『魔族』を特別に危険視する合理的な理由は、ない。
だが、それはたとえ知ってはいても決して公にしてはいけない類の『禁忌』だ。
それはある程度の知識に通じる者であれば、皆が知るところ──今世界に出回っている魔族の脅威を伝える逸話・風説は全てミスラの公式発表と根回しによるものだ。
それを国家が公式に「信用する」形で全ての魔族に関する国際的な条約が形作られている。
──ミスラが保有し、各国に提供する『結界技術』。
それを皆、失いたくない為だ。
『結界技術』──街の外から魔物を立ち入らせないようにしたり、迷宮から魔物を出さない為の『透明な力壁』を生み出す技術。
ある程度の規模の街になると、皆がその恩恵を受けている。
ミスラ教国がそれを独占しているが為に、ミスラ教の教会各支部を通して『安全』を提供するという形で、ミスラは多くの国に影響力を保っている。
その為、ミスラが他国に要求したことは、大抵すんなり受け入れる。
それがその国の利益に反しない限り。
有効な防衛技術を秤にかけて、主張に虚偽が含まれている、などという些事に反発する理由は何処にもないのだ。
──曰く、『魔族』は非常に危険な種族であり、人類の敵と定めよ、と。
発見次第、討伐して『処分』するか、生きたまま引き渡せ。
そうすれば、神聖ミスラ教国は協力者に多大な恩恵を約束する、と。
その要請に逆らおうとするものは誰も居ない。
そうすることで、何も得るものはないからだ。
何故、ミスラと教会がそこまで『魔族』に拘るのか理由は判然としない。
確かに彼らが魔族と大きな戦争をしたことは史実であり、その怨恨が未だに燻っているという理由づけがなされてはいるが、もう数百年は前のことだ──それだけではあるまい。
魔族は、ミスラにとって重要な『何か』なのだ。
ずっと敵としておきたい理由がある。
世界に根を張ってでも、魔族を敵にしておきたい何かが。
つまり、魔族に与することは、大国ミスラと潜在的に敵対することに他ならない。
「本当に、困ったものだ。あれは敵に回すには大きすぎるというのに」
だが、最近あの国の動きは気になることだらけだ。
今回の王都の襲撃には『悪魔の心臓』が使われていたという。
あれはミスラでなければ産出されないとされる希少な魔石。
それが、あれほど流出することなど考えられない。
あの国の誇る厳正な管理体制はそれを許さないだろう。
盗まれたなどともってのほか──何らかの理由で正式に提供を受けたと考えざるを得ない。
──何故だ?
我が国とミスラは良好な友好関係を築いていたはず。
リーンが留学に行ったのはついこの間の話だ。
その時点では、そのような気配はなかったというのに。
そのあたりの調査はこれから本腰を入れるところで、流通経路はいずれ判明することだろうが。
現時点では疑わざるを得ない。
どうやら彼女らは、既にこの国を潰したがっているらしい、ということを。
「よりによって──このタイミングで、『魔族』の少年の保護か」
あの少年は既に多くの者の目に触れている。
あの巨大な竜を操っていたのだ。
いやが応にも目に留まる。
もはや、隠し立てはできまい。
だが、彼を保護するという決断は、如何に英雄の申し出とはあっても、現在の状況で火に油をそそぐ結果になりはしないか。
「とはいえ──あの少年をみすみす追い出すというのもな。
あの子も、今回の英雄の一人だ。
恩を仇で返すのは、我が国のやり方ではない、だが」
──『魔族』だからと言って、人間との間に垣根を設けるのは正しくない。
彼らだって、言葉を交わせる知性を持った隣人ではないか。
種族など、過去など、関係ない。
──そんな風にいえたら、どんなにいいか。
だが──自分のような立場の人間がそんな甘い夢想を口にすることは許されない。
「──レイン」
「はい」
王は仮設の執務室の入り口に控えていた息子、レインに声をかける。
「あの魔族の少年に王国の市民権と住処を与えよ。
今後の生活に支障のない程度の財貨もな。
そのやり方は任せる」
「は」
王子は王の命を受け、各所の部下に命令を伝える為に足早にその場を去った。
そうして、人のいなくなった仮設の執務室で、王は更に深く布張りの椅子に腰掛けた。
「ノール、か。本当に、困った男だ」
あの男は何も受け取らない。
財貨も、家も、財宝も。
土地ですら欲しがらない。
およそ人が欲しがるものすべてを撥ねつける。
人が当然持っているような欲が、どこにも無いように見える。
──あれは、頭のおかしくなった狂人の類か何かなのだろうか。
「いや、本当にいらないのだろうな」
あの男は強い。
だから『いらない』のだ。
先ほど自分が提示したものなど、もしあの男がその気になって必要とすれば、どこからでも取ってこれるだろう。
だから、あの男にとって、すぐに手にできるものなど価値などないのだ。
身近にあってもなくても同じこと。
もう、それだけの強さを手にしているのだから。
【厄災の魔竜】をたった一人でねじ伏せるなど──
王はその姿を間近で目にしていた。
あの男は街が吹き飛ぶほどの一撃を、たった一本の剣でいなしつつ、竜を大地に転がしていた。
──あれは、本物の英雄だ。
御伽噺の中に描かれ、王自身が憧れ続け、少しでも近づこうとした英雄像。
あの男はその理想像そのものだった。
……おまけに、何も欲しがらない。
聖人の逸話か何かだろうか。
だが、あの男は一つのことを望んだ。
「魔族の少年を助けてほしい」と。
あの男の本当の目的は、何だ?
「魔族の少年を王国民と認め保護しろ、などと。
我が国に、ミスラに背を向けろと言っているに等しい」
決して踏み入れてはならない領域。
多くの国がそれと知りつつ触れることのない禁忌。
それを、破れとことも無げに言う。
それが、あの男の唯一の望みなのだという。
──何を考えているのだ、あの男は。
「この世の因習を──我々が囚われるしがらみ全てを。
たった一人でひっくり返そうとでもいうのか、あの男は。
その苦難に我が国を丸ごと巻き込もうというのか?
それが、本当の望みだというのか……?」
王は自らが口にした言葉に違和感を覚えた。
──「巻き込まれる」?
いや、違う。
それは事実ではない。
自分は今、自ら進んで巻き込まれようとしているのだ。
自らが治める王国の民を危険に晒す可能性があるとしても。
この世界の見かけ上の安寧を犠牲にすることになっても。
あの男の通る道に巻き込まれたい。
あの男の行く末を見守りたい。
そんな気持ちが頭をもたげているのを感じる。
──できることならば、あの英雄の行く末を見守り、共に歩きたい。
そんな物語の続きを望む子供のような心が王の中で疼いている。
「本当に、困った男だ──なあ、ノール」
やはり、自分は王失格だ。
一国の王の風上にも置けない。
あの老いた皇帝に愚かな王と罵られたのは、全く以って正当だと思う。
だが──
「何処までも愚かな夢を追うのが『冒険者』という生き物──。
その端くれの王としては応援するしか──いや、これだけだと、ちと理由が苦しいか?
オーケンにでも知恵を借りていい理屈を考えねばな。
──本当に、困ったものだ、我らが英雄殿の要求には、な」
そう言う王の顔には、満面の喜色が浮かび──
いつしか、仮設の執務室の中には大きな笑い声がこだましていた。