41 王都への帰還 1
皇都の街は、酷い有様だった。
リーンから治療を受けている間、俺はとても高い建物の上から周辺の風景を眺めていた。
恐ろしいのであまり真下は見られなかったのだが、水平に眺める限りは近くに遠くに、至る所で黒煙が上がっている。
俺が建物に激突している間に、何かがあったらしい。
──いったい、何があった──?
「まさか──この光景はさっきのあの光が落ちたからか?」
俺がはじき返したあの強い光──あれが、こんなに街を破壊してしまったのだろうか。
「はい、おっしゃる通りです。
先生が弾かれた強い魔力光は分裂し、皇都の色々な場所に降り注ぎました。
あの煙が上がっている施設は全て、あの光で焼かれたものです」
「──そうか、すまないことをしたな。こんなことになるとは」
あの時は光を跳ね返すのに精一杯で後のことなど考えられなかった。
それがこんなに大きな被害を出すとは……。
「いえ……先生がお気になさることはないと思います。
あれは皇国側が放って来たもので、先生はその脅威から私たちを護って下さったに過ぎません。
罪の意識をお感じなることはないと思います」
「そうはいっても、な。
誰か、死んだのではないか……?」
そう思うと気が重くなる。
「──兄の話によるとあの光には【魔力追尾】が付与されていたようで、破壊されたのは主に魔導研究施設と『魔力炉』のようです。
『魔力炉』は空間魔力密度が高く、そもそも人の立ち入ることができない施設ですし、魔導研究施設の内部でも、魔力密度の濃い場所は同様に人が長く滞在することができない場所ですから…… 人の多い居住エリアは無傷だったようですし、きっと、人的被害は少ないと思います。
もちろん、住民の生活にも影響は出るでしょうが……私たちの国ほどではありませんから」
「そうか──本当にそうならいいのだが」
リーンの説明を聞いて少し気は楽にはなったが、しかし、これだけの大きな被害だ。誰か怪我をしたりすることは避けられないだろう。
俺たちは皇帝を追ってここまでやって来たわけだが、この街で暮らしている多くの人にとっては突然こんな風に街が破壊される事など予想もしていなかっただろう。
危険を避けるためだったとはいえ、申し訳ないことをした……。
俺がそんなことを考えていた時、リーンのお兄さんと教官の三人が現れた。
「ノール殿。リーン。ここにいたか」
「お兄様……話し合いは終わったのですか?」
「ああ──皇帝はとても素直に我々の話を聞いてくれた。
もう戦争は終わった。
今後はお互いの復興に向けた戦後の調整が始まる」
「──ええ。
彼は心の底から反省し、改心してくれました。
こちらの提案を、全て快く受け容れてくれました。
やはり生きているうちに話し合うことは大事ですね。
死んでからでは遅いのです」
「……あれを話し合いと呼ぶかは別としてな」
何だか、拍子抜けする話だ。
ついさっき始まったかのように見えた戦争も、お互いの国の領分を侵さないことを約束して、もう終わったのだという。
だったら最初から話し合いで解決すれば良かったのに、とも思う。
そんなに単純な話でもないのだろうが……。
今まではそれすら出来ない状況だったということだろうか。
「話し合いの結果、本人の希望で皇帝は退位することになった。
今後は皇帝の血縁から後継者が選ばれ、引き継ぐことになる」
「そうか。確かにその方が良さそうだな」
俺は政治には疎いが、まあ、その方が良さそうだと思う。
彼はちょっと心の弱そうな人物だったし、かなりの高齢だ。
「後継者はおそらく、今後の国家運営の都合上、皇帝の孫が選ばれることになるだろう」
「孫? となると、かなり若いのではないか?」
「ああ──今年で十歳だそうだ。
当然、彼一人では政治の難しい判断はできないので、後見人を立てることになる。
新しい皇帝の補佐役として、長らく政治の実質を取り仕切ってきた宰相と、先ほど皇帝と一緒にいた十人──彼ら『十機衆』がその間、彼の面倒をみることになる予定だ」
「──なに? あの十人が?」
年端もいかない子供がこんなに大きな国の跡を継ぐというのも驚きだが……あの俺の話をまったく聞いてくれなかった凶暴な十人も一緒に皇国の統治を引き継ぐことになるという。
そこは正直ちょっと……というか、かなり不安なのだが。
この国は本当に大丈夫か……?
などと思っていると、例の十人がぞろぞろと出て来た。
俺は一瞬、また襲われはしないかと少し身構えたのだが──
一際背が高く目立つ男が近づいてくると兜を脱ぎ、俺に深く頭を下げた。
「──先程は済まなかった。
貴殿は皇帝に雇われた護衛などではなく、王国側の人間だったのだな。
こちらの誤解で刃を向けたことを謝罪したい。
許して欲しいなどと頼める立場ではないが……償えることならなんでもさせてくれ」
男が急に丁寧な物腰になったので、俺は少し驚いた。
どうやら、さっき俺に襲い掛かって来たことを謝りたいらしい。
別に大した脅威でもなかったので、気にするほどでもないのだが。
「そこは気にしていないし、償いなどいらない」
「そうか、謝罪を受け入れてくれて、感謝する」
「だが……寄ってたかって老人一人を痛めつけるのはどうかと思うぞ?
どんな事情があったのかはわからないが──話が通じないからといって、暴力に訴えるのはよくない」
「ああ──本当にその通りだ。
冷静になった今となっては恥ずべきことだと感じている。
これからは何事も平和的に処理出来るよう努力したい。
……我々は元々、戦で物事を解決するのは好まないのだ。
そのせいで閑職にされてしまったようなものなのだがな」
「そうなのか? あまりそんな風には見えなかったが……?」
「信じて貰えないのも無理はない──だが、これだけは言わせてくれ。
もし貴殿が止めに入ってくれなければ、我が国は疲弊した中、国民同士で争う泥沼の戦火に身を投じることになっていた。
そうなれば、不満の溜まった隣国がここぞとばかりに我が国に攻勢をかけて来たことだろう。
それを未然に防ぎ丸く収めることができたのは、貴殿の介入あってこそ──心からの礼を言う」
「──そこまで言われるようなことはしていないと思うぞ。
そもそも、俺はたまたまその場に居合わせただけだしな」
「たまたま──?
そうか──本当に、妙なたまたまもあったものだな。
魔鉄製の厚い防壁を幾つも重ねて守護された最上階の『玉座の間』に、貴殿はたまたま転がり込んで来た、というわけか」
「ああ──竜の背中から飛び降り、勢い良く壁に激突した時は死ぬかと思ったぞ。
俺がたまたま、あの硬い壁を突き破れるような頑丈な剣を持っていたから良かったものの……無ければ、危ないところだった」
「そうか……貴殿はたまたまそんな剣を持っていて、たまたま、皇国の政治の中枢たる皇城の最上階に飛び込んで来たのか。
──だから、我等を身を挺して止めたことに、恩義を感じる必要はない、と。
そう言いたいわけか?」
「そういうことだ。
むしろ、俺は助けられた方だぞ?
運良くそこに床があって本当に助かったと思っている。
おかげで地面まで落ちずにすんだからな」
「はは、運良く床が、か」
背の高い男は大きな声をあげて笑った。
「貴殿は本当に面白い男だな。
わかった。そういうことにしておこう。
──だが、覚えていてくれ。
今後、我々は貴殿にどんな助力も惜しまない。
何か力になれることがあれば、言ってくれ。
命を賭して助けに向かおう」
「そこまですることはないと思うが……わかった。気持ちだけ受け取っておく」
思っていたより、話ができる男だった。
また何か別の誤解を生んだような気がするが……まあ、少なくとも、いきなり斬りかかられたり爆弾を投げつけられたりしなくなったのは大きな進歩だ。
これでひとまず一件落着──ではない。
──ちょっと待て、大事なことを忘れていた。
本当は、謝らなければいけないのは俺の方ではないのか。
「いや……そういえば、俺からも謝ることがある。
俺たちがやってきたせいで街をこんなにしてしまった──すまない」
「街をこんなに……?
【神の雷】のことか?
──いや、あれは当然こちらの失態だ。
そうか、貴殿もあの竜に乗っていたのだったな。
あれに関しても危ない目に合わせてしまった。
皇都が破壊されたのは未完成品を無理に使用したことによる『暴走』によるもの──貴殿らが責任を感じることはない」
「だが、死人が出たのではないのか?」
「かもしれん。だが今の所、そういった報告は出ていない。
それを言うなら、条約を反故にして貴国に攻め込んだ我が国の方が罪は重い。
いずれにしても、貴殿らに罪をなすりつけるような真似はすまい」
「そうか──でも、何か、俺にできることがあるのであれば言ってくれ。
瓦礫の撤去ぐらいなら手伝おう」
「──本気か?
はは、貴殿はどこまでもお人好しなのだな」
その男は、大きな身体を仰け反らせて笑った。
笑い声が街にこだまし、響き渡る。
なんだか、豪快な男だ。
ひとしきり雑談を済ませると、リーンのお兄さんが男に近付き、声を掛けた。
「──では、ランデウス閣下。
そろそろ我々は失礼する。
自国に戻って上に報告をしなければならないことが沢山できたことだしな」
「承知した、我らはここから見送ろう──だが、レイン殿。
皇国内での後処理はこちらに任せてくれるとのことだが、本当にそれでいいのか?
こちらが言うのも何だが、誰か監視役が必要なのでは?」
「政治はあくまで貴国の問題だ。
我が国は過度に干渉するような真似はしない。
そちらで納得のいく結論を出してくれればそれでいい。
皇帝には、秘匿技術の提供と国民同士の交流も約束してもらったことだしな。
その約束を違えぬ限り、貴国は我々の良き隣人だ。
それに役職柄、人を見る目はあるつもりだ。
貴殿の言葉には嘘はないと信じている。
それを裏切らぬよう、努力してくれ」
「──配慮に感謝する。
決して厚意を無下にするような真似はすまい」
「お互い、復興には時間がかかりそうだな。
歴史ある研究を納めた重要な研究所も灰になってしまったのだろう?」
「それは自業自得だ。
確かに貴重な研究資料は燃えたが、幸い人は残っている。
一からやり直すつもりでやるしかないだろう。
帰りの安全は我々が保証する。
既に戦争は終わったと全軍に通達済みだ。
安心して行ってくれ」
「ああ、では、失礼する。今後のやり取りは使者を通して行おう」
「ああ、どうか無事で帰国してくれ。
──そういえば、名を聞いていなかったな。貴殿さえ良ければ、教えてくれないか」
リーンのお兄さんと難しそうな話をしていた大男は俺の方に向き直った。
「……俺か? ノールだ」
「そうか、ノール、か。
私は魔導皇国『十機衆』の長、ランデウスという。
頼る際は名前を出してくれ」
「そうか。では、またな。
もう老人をいじめるんじゃないぞ」
「ああ──
またいずれ、貴殿と会えるのを楽しみにしている」
俺たちは竜の背中に乗り、別れを告げ──
あの老人を襲っていた十人に見送られながら、皇都を後にした。