40 玉座の間
どれぐらいの間、俺は気を失っていたのだろう。
空を飛んでいても、下さえ見なければきっと大丈夫──俺のそんな甘い考えはすぐに打ち砕かれた。
思っていたより、揺れる。
予想していたよりも、ずっとずっと怖い。
必死に目を瞑り、とにかく上だけ見ていれば、少なくとも地面が目に入らなければ何とかなる──なんてレベルの話ではない。
それでも、俺は耐えた。
周りで話し声が聞こえるが、ちょっと何を話しているのか理解出来ないぐらいに心臓が脈打っている。
だが、途中まではなんとか持ち堪えていたのだ。
──だが、すぐに異変が訪れた。
竜がいきなり急降下をはじめたのだ。
俺は恐怖で目の前が真っ白になり──そのあとのことはよく覚えていない。
そうして、気が付いた時には目の前に眩しく輝く光があった。
「──あ──?」
それは、即座に危険なものだと分かった。
竜の吐き出した『光』よりも──
竜を焼いた『赤い光』よりも──
もっとずっと強い光。
何で、あんなものが?
まるで太陽のような眩しい光。
もし、俺たち全員があれに飲み込まれれば──
みんな、あの時の竜のように焼かれてしまう。
「先生──」
リーンが何かを語りかけてきた。
だが、それに答えている時間などない。
俺は思い切って目を瞑り剣を構え──
竜の背中を全力で蹴り、その光の中に飛び込んだ。
光に近づくだけで、あっという間に肌が焼かれる。
とても目など、開けていられない。
だが──
「パリイ」
俺は強引に『黒い剣』で光を無理やりに押し上げた。
すると、黒い剣の持ち手に奇妙な手応えを感じ──目を閉じたままでも、光が弾かれるように遠のく感じがした。
確認する為、空中で恐る恐る目を開けると、天に登っていく太い光の柱が見えた。
──よかった。
竜への直撃は免れたらしい。
巨大な光は空を昇り切ると、いろんな方向に散り散りになり、まるで流星の群れのように尾をひいて地上へと落ちていく。
それは、目を見張るような幻想的な光景だった──
だが俺はそんな風景に目を奪われる間もなく、空の高みにいることを思い出した。
途端に、身体が硬直する。
そうして、俺は全力で飛び出した勢いのまま、目の前に見える一番背の高い建物に近づいていき──
──頭から突っ込んだ。
かろうじて持っていた剣を盾に出来たから良かったようなものの、凄まじい衝撃が俺の体を襲う。
だが、なかなか止まらない。
次から次へと重厚な作りの壁が迫り、その度に強引に黒い剣で身を守る。
そんなことを繰り返し、壁を何枚かぶち破り、床を転がり続け──いつの間にか広い部屋へと辿り着いた。
──よかった。止まった。
どうにか地上に落下せずに済んだらしい。
運が良かった。
だが、ここはどこだろう……?
そう思って見回すと、見覚えのある金色に輝く老人の姿を見つけた。
彼は同じように光り輝く派手な作りの椅子に座り、その周りには暗紫色の鎧を身に纏った兵士達が立ち並んでいる。
あの鎧は多少の見た目の違いはあるが、先ほど見かけた兵士たちが着ていた鎧とよく似ている。
ということはやはりあの集団は皇国の兵士だろう。
となるとまずい場所に来てしまったのかもしれない。
だが、少し様子がおかしい。
兵士たちは俺の存在には目もくれず、老人を囲み、何かを叫びながら剣を抜いた。
なんだか、今にも斬りかかりそうな気配だ。
あの老人は皇国の『皇帝』だと聞いていた気がするが……もしかして、違うのだろうか?
「御覚悟を……! これも皇国の存続の為──貴方にはここで死んで戴きます」
「──や、やめッ──たすッ、助けッ──!!」
「陛下。後のことは我ら十機衆が引き継ぎます故。どうか安らかに御眠りください」
「では、これにて──御免」
鎧を着た兵士の中の一人が、老人に向かって大きな曲刀を振り下ろす。
あぶない──
俺は老人の前まで一気に踏み出し──
「パリイ」
剣を薙ぎ、その場にいた全員の剣を弾いた。
「「「──え?──」」」
大小様々な剣は兵士達の手を離れ、壁や床、天井に突き刺さった。
「──ヒッ」
俺の姿を見て、老人は身を竦ませた。
突然割って入った俺に驚いたのか、兵士の一人が声を荒げる。
「な、何者だ、貴様──!! 此奴を庇おうというのか! この愚かな皇帝のせいで! ──こんな愚かな皇を戴いたばっかりに、我らの国は──!!」
「──事情は分からないが、落ち着け」
俺と老人は兵士たちに取り囲まれる格好になった。
彼らはまた、大小様々な黒い筒状のものを取り出し、俺たちに向けた。
これも、見たことのある武器だ。
一斉に飛んでくる、魔力弾。
「パリイ」
俺は大きく剣を振り、魔力弾の全てを弾いた。
これぐらいなら、なんということもない。
だが、相手が多い。
話も聞いてくれないようだ。
このままでは老人を守り切れないかもしれない。
「──老人。伏せろ」
今は出来るだけ、姿勢を低くしていた方がいい──そう思った俺は咄嗟に老人の頭を掴み、床に伏せさせようと押し付けた。
だが少し、力が入り過ぎてしまったようだ。
──老人の頭が、床に深々とめり込んだ。
しまった。大丈夫だろうか。
「──カヒッ──!!」
……良かった……まだ、息がある。
どうやら、頑丈な兜のおかげで無事だったようだ。
「──貴様ッ……。
何者かは知らんが、この期に及んでこんな男に忠誠を誓っても良い事は無いぞ」
「然り──この男は、国を取り返しのつかない程に壊したのだ。
その身を以て償う必要がある。
そこを、退け」
「──よく分からないが、それは話し合いで解決できないのか?」
「知ったような事をッ!!!
それが出来れば、とっくの昔にやっておるッ!!!」
「「「──死ね──」」」
俺たちを取り囲む兵士達は、話も聞こうともせず、尚も一斉に襲いかかって来た。
短刀、鞭、双剣、鉤爪、よく分からない光る棒──あらゆる武器を手に持ち、老人目掛けて一心不乱に振り下ろす。
「パリイ」
俺は再び、彼らの武器を弾いた。
幸い、彼らの動きの速さはそんなでもない。
老人一人を寄ってたかって襲おうとしているぐらいだし……あまり、腕に自信は無い者達なのだろう。
彼らなら、俺一人でも十分に対応できそうだった。
「貴様、何者だ……。
皇国の者ではあるまい? 身なりからすると、冒険者──雇われか。
それだけの力を持ちながら、何故そのような男の側に付くのだ。最早、あれからの報酬など期待できんのだぞ……?」
「ちょっとまて。
何を言っている?
お前らはきっと何か勘違いを──」
「黙れ!! その男には死して償わせるのだ──!!」
細身の兵士が、叫びながら何かを投げつけてきた。
瞬間、閃光──。
爆弾というやつだ。
まずい。
爆風は【パリイ】ではカバーし切れない。
俺は咄嗟に、床に突き刺さったままになっている老人の脇腹を蹴った。
「エグッ」
俺に蹴り飛ばされ、勢い余って老人は頭から壁に突き刺さり、下半身だけがだらりと垂れ下がった。
──まずい。ちょっと蹴るのが強かったか?
いや、おそらく問題ないだろう。
床に沈めてしまった時よりも加減はしたつもりだし、あの金ピカ鎧もとても頑丈だ。
きっと死んではいない──と思う。
──それにしても。
「──何故だ?
何故こんなことをする。
相手は老人だぞ。
それに、あれはお前らの──皇帝ではないのか」
「──だった男だ。
だが、もうそれも終わりだ。
邪魔をするな。
その男は──死なねばならぬ。
今此処で我等の手で殺さねば、示しがつかぬのだ」
彼らの中で一際背の高い男は、そう言い終わる間際──複数の爆弾を、老人目掛けて投げつけた。
疾い──!
これも、弾いているのでは間に合わない。
俺はその爆風から逃れさせる為、急いで老人の脚を掴み、壁から引き抜いて床へと転がした。
勢い良く引き抜いた為、老人は床を派手に転がりながら、最初に座っていた派手な椅子にぶつかり──粉々に砕いた。
「アヒィ……!!」
どうやら、頑丈な鎧のお陰で無事なようだった。
だが、老人の被っていた金色の兜が割れ、片方のツノのようなものが落ちた。
今回も少し乱暴だったかもしれないが、殺されるよりはマシだろう。
しかし、問題はこの男達だ。
何故こうも執拗に老人を狙う?
「少し、落ち着いて話をした方がいいのではないか?
その老人は、戦う力などないだろう?
というか別に、殺さずともそろそろお迎えが来そうな年齢では──」
「そんな悠長なことをしている暇はない!!
もう一刻の猶予もないのだ!!
敵は国内に攻め込んできている!
あの【厄災の魔竜】を連れてだ!!!
彼らに、もう戦意がないことを今すぐにでも示さねば、取り返しのつかないことになる!!
急いでこの男の首を差し出さねば、我が国は──!」
その時、広い部屋に、静かで良く通る声が響き渡った。
「待ちなさい。殺してはなりません。その必要もありません──死人は、罪を償うことはできませんからね」
皆が振り向いた先──そこには、四人の人物の姿があった。
彼らの姿を確認すると、不思議なことに兵士達の手が止まった。
あれは──
「──来てくれたのか、良かった」
【僧侶】の教官と【盗賊】の教官。
その後ろにリーンと、リーンのお兄さんがいる。
「先生、御無事で」
「イネスとロロは? 姿が見えないようだが」
「ロロは今、魔竜の背中に。イネスはロロと竜を護っています。私達だけ、先生を追って降りて参りました」
「そうか」
部屋の大きな窓の外を眺めると、竜が建物の周りを飛んでいる。
背中を見ると、ロロがこちらに手を振っているのが見えた。
「ノール殿。此処から先は、どうか我々に任せてはくれないか?……『話し合い』は我々の領分なのでな」
リーンのお兄さんは、老人の姿を眺めながら言った。
「ああ、頼む。
話し合いで済めばそれに越したことはない。
どうやら、俺の話は聞いてくれないようだからな」
「恩に着る。
リーン、ノール殿を竜の処へ連れて行き、治療をして差し上げなさい。
──見たところ、随分無理をされたらしい」
「わかりました、お兄様。では行きましょう、先生」
「ああ。では、後はよろしく頼むぞ」
本当に、彼らが来てくれて助かった。
あの兵士たちは全く俺の話を聞いてくれないし、困っていたところだ。
どうやら、今の雰囲気的には話し合いに応じてくれるようだし、任せておけば上手くやってくれるだろう。
俺は後のことは三人に任せて、その場を後にした。
◇◇◇
「──久々にお目に掛かる、十機衆の皆様方。
どうか、剣を納めて頂きたい。
我々はその男に用がある。
出来れば、生きたままで引き渡して頂けると助かる」
王子の静かな呼び掛けに、その場にいる十人の兵士の中でも一際大きな体躯を持った男が応える。
先程、皇帝に向かって爆弾を投げつけた男だった。
「──レイン王子。
我々にはもう、貴国と交戦する意思はない。
全ては赦しを請う為のせめてもの手土産を、と思っての行動だ。
我等はこの男を引き渡すのに何の異存もない。
貴国に、全面的に降伏を申し出たい。
謝罪の示しが足りぬというなら、我等十機衆の首を差し出そう。
この戦を止められなかったのは我々の責任でもある」
「御配慮には感謝する。
だが、それには及ばない。
我が国はこれ以上死体など必要としていない。
それよりもまずその男と話がしたいだけなのだ。
色々とじっくりと──な。
貴国との話し合いはそれからだ」
王子が表情のない顔で床に座り込む老人を睨みつけると、老人は体を竦ませた。
「──ヒッ──! たす、ゆ、赦して──」
老人の口からは情けない声が洩れた。
「──赦す? 今、赦して欲しいと言ったのか?」
王子は冷めた目で老人の顔をじっと見つめ、次第に口の端を歪めた。
「ああ……そうだな。
勿論、赦すつもりだ。
我等はその為にやって来たのだから」
「ほ、本当か──な、ならば──」
「我が国で今日に至るまでに不自然な行方不明になった者が二十三名いる──」
「──は──?」
「そして、魔物に内臓を抉られた者──十二名。
崩れた建物の下敷きになった者──九名。
火災から逃げ遅れて焼け死んだ者──十三名。
飛んできた瓦礫に腕を折られた者──八名。
胸や、背骨を砕かれた者──十六名。
脚や腕、手首を断たれた者──六名。
様々な原因で頭蓋を砕かれた者──計七名。
加えて──
全身を引き裂かれ、砕かれ、見るも無惨な肉片に変えられた者、百二十七名。
──以上が、我が国で直接被害を受けた者たちの総数だ。
私が把握している限りの、大まかな『犠牲者』だがな」
「……そ、それが、どうしたというのだ……?」
「先程『赦す』と言っただろう?
もし、今述べた全ての者と「同じだけの苦痛」を受け入れるのであれば──その件に関しては貴公の罪を免じようと考えている。
その上で終戦と賠償の為の公平な『話し合い』に移ろうと思っているのだが、この提案──この場で異議ある者はいるか?」
「「「「「異議なし」」」」」
その場にいる、殆どの人物が声を上げる。
老人の顔が、引き攣った。
「ま、まて──それは一体どういう……お、同じだけ……とは、なんだ……?」
不安そうな表情を浮かべる老人に、背後から一人の人物が近づき、優しげな声で語りかけた。
「御心配なさらず。同じと言っても死にはしませんよ。大丈夫です」
白いローブに身を包んだ男は、そう言って人の良さそうな笑みを浮かべた。
「──決して、殺しませんから。
死人は反省も、改心も出来ませんからね。
貴方はどんなことがあっても絶対に死なせません。
何度死にかけても、私が蘇らせます。
何度でも、何度でも。だから、何も心配は要りません。
甘んじて御自分の罪を受け入れることをお薦めします。最後には、ちゃんと話し合いができるぐらいには回復して差し上げますから」
白いローブの男は老人に向かって微笑みながら、何かの呪文のように淡々と述べた。
黒い仮面の男が続く。
「──自分がそれだけの苦痛を受け止め切れるのか、不安か? だが何も問題はない。
その間、お前は意識を失うことは決してないからだ。苦痛に悶え、精神が擦り切れようとも──絶対に感覚を失うことはない。狂う事もない。
無念に散っていった者達の苦痛を、その身を以って余すことなく味わうことが出来るよう、俺が全力でサポートしてやる」
恐怖に崩れ落ちそうになる老人を前に、王子もまた言葉を重ねる。
「──勿論、貴公が国民へ醜態を晒す心配も要らない。我々はそういったことも好まない。【遮音】をしっかりと済ませておく。貴公の聞苦しい叫び声は決して外に届くことはない。
だから安心して、思う存分、泣き叫ぶと良い。
その嘆きは決して──誰にも聞きとられることはない」
「──カヒッ──」
老人は恐怖の余り、声を失った。
だが、精一杯絞り出すようにして懇願──しようとした。
「──ゆ、赦し──!」
「──だから、言っているだろう?
全て赦すつもりだ、と。
もし、貴公にちゃんと償う気があるのなら、な」
白いローブの男が再びゆっくりと前に出て、老人の耳許で囁くように声を漏らした。
「──皆さん、とても痛がっていらっしゃったそうです。
運良く治療が間に合った方もいらっしゃいましたが……多くの方が、亡くなられました。
流石の私も、すでに命を完全に失ってしまった人を蘇らせるのは不可能なのです。
その点を考えれば、貴方はとてもラッキーです。
この場に優れた癒し手がいるのですからね。腕だろうと、脚だろうと、私なら何本でも生やして差し上げられます。……貴方は、本当に、運がいい」
男の言葉を聞くと、老人の顔から死人のように血の気が引き、床に臭気の漂う液体が広がった。
「……ヒッ……!」
「……勘違いしないでほしい。
我々も、やりたくてこんなことをするのではない。
今、我々が貴公に望むのは、我が国の国民が受けた痛みをちゃんと識って欲しい──ただ、それだけなのだ。
これでも随分と減免したつもりだ。
家を失った者、職を失った者、家族を失った者──数えればキリがない。
それを「痛み」だけで済ませてやろうというのだ。
貴公が我が国に行った仕打ちを、たったそれだけで赦してやろうというのだよ。
多数の命を犠牲にした貴様の命を取る事もなく、な」
怯えきった目をした老人に向かって、王子はどこまでも冷え切った表情のまま──氷のように嗤った。
「なんとも、我が国は──慈悲深い、だろう?」






