39 魔導の火
魔導帝国の首都──『皇都ネール』。
大陸の経済の一つの核にして、周辺国家を統べる政治的にも中央となる巨大都市。
その広大な面積の街を守護する、魔鉄製の頑強な素材で建築された城壁の中に聳え立つ黒鉄の大門──魔導の力で駆動するそれには動力を伝えるための魔法紋が刻まれ、紋には淡い光が走っている。
──俄かに、黒い門が動く。
高度な魔導の技術によりある程度の知能を与えられている重厚な門扉は、そこに近づく「主人」の存在を見出し、自律して動き、音を立てず開いた。
ゆっくりと開いたその細い隙間に、目にも留まらぬ速度で飛び込んできたのは煌びやかな黄金の鎧を纏った老人──そして、老人と同じ黄金色の鎧を着せられた馬は、そのまままっすぐ皇都の中心にある一番背の高い荘厳な建造物へと向かい、吸い込まれていった。
黄金の鎧を着た人物は建物の中に入ると、すぐさま馬から降り、備え付けられた魔導の力で駆動する専用の【飛翔昇降機】で一気に最上階へと昇る。
向かう先は──『帝王の間』。
世界を統べる『皇』を自認する男が座する玉座のある間。
そこが、その男が本来いるべき部屋。
緊急用の【飛翔昇降機】は男をすぐにそこまで連れていった。
そうして、男が部屋に入ると、その汚れだらけの姿を目にした臣下が驚きの声をあげた。
「陛下、ど、どうされたのです、そのお姿は──?
それに他の者は、どうされたのです……?」
その臣下──皇帝の右腕となる程の政治手腕を持つその優秀な男は、戸惑いを隠せない。
なぜなら、目の前にいる皇帝は今頃、万の兵を率いて隣国のクレイス王国に攻め入っているはずだったからだ。
「──良い。あれらは役に立たなかった。
忌々しい……無能共め。幾ら良い武器を与えても、あれほど使えぬ奴らばかりでは仕方が無いではないか」
皇帝は乾いた唇を噛む。
自分はあの時、恐怖に駆られ逃げ出した。
だが、今となっては怒りだけが込み上げてくる。
なぜ、あんなに兵をぞろぞろ連れていって、ものの役にも立たなかったのだ。
なぜ、有能だと思っていた臣下たちはあんな作戦を立案したのだ。
それを信じた己が、莫迦のようではないか。
──忌々しい。
「へ、陛下──あれは、なんです──!?」
そうして、自身が一番有能だと信じて取り立てた男が続けざまに問いかけた。
声が、震えている。
男は玉座の間の大窓の外を眺めて狼狽えていた。
皇帝も、その方向を見遣る。
「何事だ──あ、あれは、まさか──」
皇帝は、あれは何だ、とは聞かなかった。
それは先ほど、王国の空で目にしたものだったからだ。
見憶えのある巨体が皇都の上空を舞い、まっすぐに皇城へと向かってくる。
「あれは【厄災の魔竜】──なぜ、あれがここに」
皇帝は疑問に思った。
ここまで、脇目も振らず最高速度で馬を走らせてきた。
馬の鎧に『付与』した【風除け】の加護のおかげで、それこそ風そのもののように、爽快に走り抜けてきた。
この速度であれば、誰も追いつくことなどできまい──そう思って、皇都へと辿り着くまで振り返ることなどしなかった。
しかし不思議なことに、途中、馬が急に速度を上げた。
その時、夢中で馬の背中にしがみついていた皇帝には理由は判らなかった。
だが、今やその原因ははっきりとしている。
あれが、その理由だ。
「そんな──あれは『光の槍』で倒した筈では」
皇帝は誰にともなく問いかけた。
だが、臣下の声を待たずに、すぐに自身で答えを出した。
同時に、体の底から震えが来る。
「まさか、あれをまた、蘇らせたというのか」
そうだ。
あの国にはあの異常な回復術を身につけた、悪魔のような男──【聖魔】セインがいる。
──忌々しい。
奴が、あの竜を復活させたのだ。
「だが、何故──」
何故、あの竜が奴らの都合の良いように動いている。
神聖教国に狩られるだけ狩られ、希少な資源となっている『魔族』は全て、あの男が確保している筈だった。
なのに、何故──
そう言いかけて、ある可能性の存在に思い当たった。
途端に、皇帝の頭は怒りに支配された。
「あの男ッ──!! あの男が、まさか寝返ったのか! 彼奴は! あの男はどこだッッッ!!」
商業自治区から来たという『奴隷商人』。
魔族を管理し、獣人族を使役し、魔物を意のままに動かす。
きっと、あの怪しげな男が何か仕組んだのだ。
そうに違いない。
あれだけ目をかけてやり、礼金も弾んでやったというのに。
皇帝は拳を握り、怒りに震えた。
「ルード殿ですか? なんでも急用が出来たということで、先ほど商業自治区へ出発されました」
「──くそ、あの狸めが……!!! 愚か者め! 何故、引き止めて置かぬのだ!!」
「へ、陛下があの男には特別待遇を、と──ぐっ──?」
黄金の鎧を纏った皇帝に首の根元を掴まれ、側近の男は苦しそうに眉を寄せた。
幾ら老人とはいえ『王類金属』で筋力が増強された人間の力に、普通の人間が敵うはずもなく、男はされるがままに床に投げ出された。
「──もう良い、あれを出せ。あの竜はあれで焼く」
「…………へ……陛下……? あ、あれ、と申しますと──?」
男は皇帝の横暴にむせ込みながらも、尚も役目に忠実に意図を伺う。
「【神の雷】を使う。準備しろ」
だが──皇帝のその命令に、いつも忠実な男が言葉を返した。
その顔には、焦燥の色が浮かんでいた。
「へ、陛下……お、お言葉ですが!
まだあれは試験段階で──照準がまともに調整できず、今すぐの使用は危険です……!! そ、それも、こんな都の中でなど……!!」
「愚か者め。
目の前にあるものが見えぬのか。
あれの『光』は全てを焼く。
やらなければ、やられるだけだ──すぐにやれ」
「で、ですが、現段階での使用は思わぬ二次被害が出る可能性も──な、何か別の手段を用いて──」
皇帝は尚も反対を続ける男の言葉を遮り、蹴り飛ばした。
その皇帝の忠実な僕だった男は、吹き飛ばされて壁にぶつかり動かなくなった。
皇帝はその様子を眺めながら、その部屋に居たもう一人の補助事務官に向かって命じた。
「やれ。
一発撃てればそれで良い。撃てばアレは沈む。
先刻、『光の槍』で実証済みだ。
それを上回る威力であれば、何の問題もない。
──それと砲身に【魔力追跡】を付与せよ。
……照準が駄目なら、それで補えば良いのだ、あの無能め。
絶対に外すなよ」
「は、はい! 御意のままに!」
忠実な臣下は皇帝の命を実現しようと、すぐに動き始めた。
汗ばんだ皇帝の顔に、喜色が浮かぶ。
そうだ。
これでいい。
予定は変わったが、魔科学の粋たる至高の魔砲を以て、伝説の【厄災の魔竜】を退け、魔導の力を、皇国の力を世に知らしめる。
そこは変わらない。
この竜を沈めれば、それはすぐに叶うのだ。
忌々しい隣の王国を潰すのは、その後でも良い。
そして、それも時間の問題だ。
今回の遠征では犠牲はあったが、情報は取れたのだから。
既に戦争の火蓋は切られた。
ここからは愚かな臣下が提案した騙し討ちのような作戦ではなく、正面からぶつかるのが良い。
至高の兵器【神の雷】を改良し、真正面から力で叩き潰す方策をとるのだ。
元々、国力で勝るのであるから小細工は必要ない。
威風堂々たる姿こそが我が皇国にふさわしい。
それを、無能揃いの将軍たちでなく──自らが指揮するのだ。
そう思うと顔がほころぶ。
皇帝は気分を昂ぶらせながら、自らの権威の象徴たる『玉座』に着いた。
「──まだか。急げ」
「は、はい──さ、先程、【通話魔道具】で管制室に指示を出しました。
今、砲手と繋ぎます……!!
しばし、お待ちください……!」
「早くしろ、のろまめ」
そして、砲兵と繋がれた【通話魔道具】から声がする。
『【神の雷】──ほ、砲撃の準備ができました』
「では、撃て。すぐにだ」
『で、ですが──今、皇都監視隊から連絡がありました。
あの竜の背中には、何かが──』
「黙れ、撃て」
数瞬ののち──玉座の間を照らしていた、魔導の光が暗くなる。
【神の雷】はここ、皇都の全ての魔導の力を必要とする。
皇都の至る所に設置された無数の『魔力炉』で生み出された膨大な魔導の力──それを一箇所に集め、凝縮し、放たれる神すら焼くであろう至高の雷。
それが、【神の雷】。
戦場に携行できるサイズの『光の槍』とは桁違いの威力。
皇国の魔導技術の粋を結集した、人類の知恵の象徴。
皇帝は大窓の外を眺めながら、笑みを見せた。
それは余裕の笑みだった。
あの竜も、先程一度死にかけたのに、また復活させられて使われるとは。
なんとも哀れな『伝説』だ。
今度は跡形もなくなる程度に、消し飛ばしてやる、と。
皇帝が思った瞬間──皇都の明かりが全て消えた。
そして、光が放たれる。
沈んだ太陽が再び現れたかのような強烈な光の塊が、『王類金属』と『魔鉄』の合金で製造された長大な砲身から、射出される。
それはその名の通り【神の雷】となって、
空を引き裂きながら、まっすぐに「竜」へと向かう。
だが──これは神の光ではない。
人の光だ。
人間が産み出した、人智の光。
この地上で最も優れた智慧の生み出した至高の光は、その魔力波動に刻まれた『加護』によって、今や標的から外れることはない。
どんなに逃げようとも、避ける事は能わず──
あれは必滅の光。
当たれば必ず、何であれ滅びる。
これが済んだら、今度はあれを王国に直接撃ち込んでやるのだ。
もはや、多少なりとも迷宮が傷つこうが、構わない。
我らは既に、神にも匹敵する力を手にしている。
先ほどは、愚かな家臣どものおかげで、それが十全に発揮できなかっただけのこと。
次は、そうではない。
もう出し惜しみなどしない。
この『賢帝』自らが指揮をとるのだから。
──皇帝の顔が愉悦に歪む。
さあ、ここからが本番だ。
彼奴らには煮え湯を呑まされた。
その復讐をやりとげようではないか。
皇帝は希望に胸を膨らませ、その神々しい光が竜の姿を包み込むのを目撃し──
「パリイ」
だが──
眩ゆい太陽のように輝く強烈な光──
それは、何故か、竜の真上に打ち上がった。
そして、光はそのまま上空に昇っていくと──樹が枝分かれするように分裂した。
「………………あ………………?」
皇帝が呆気にとられて様子を見守る中、その無数の分岐した光は、そのまま弧を描くように下方へと軌道を変え──光は、流星のように皇都に降り注いだ。
それは落下しながら、その魔力波に刻まれた通りに、大きな『魔力』に引き寄せられるように軌道を修正していく。
【魔力追跡】の加護によって引き寄せられる先の中の一つに──買い集められるだけ買い集め、吸収した国々から献上させられるだけ集めた大量の魔石を集積して建造した、皇都随一の魔力供給源──『魔導炉心』を備えた、魔道具研究施設群があった。
【神の雷】の砲身も置かれたそこは、皇国の最上の技術の結晶する地。
そこに保管されるのは、数百年に渡る、魔導皇国が歩んだ歴史そのもの。
それは、どの国よりも優れたる権威を示す──力の証。
天から次々に落ちる人の産み出した光は、皇国の根幹全てを支える複数の魔力供給源へと、まっすぐに落下していく。
その中で、『魔導炉心』に向かう光の群れは一際強く輝いて見えた。
まるで──それが生み出された場所に、引き寄せられるかのように。
「──や、やめてくれッ!! そこはッ、そこだけはッッッ──!!!」
皇帝は誰にともなく叫んでいた。
だが、それを聞く者は居ない。
周りの臣下は既に何処かに去り──
皇帝は玉座に一人、取り残されていた。
そうして、『帝王の間』の窓から見える皇都の空は眩ゆい白に塗り替えられ──
「────や……やめ────!」
その日、皇都の全ての魔導の火が消えた。