36 訓練所の教官たち
俺は夢中で目の前の剣を弾き、走り続け──気付けば、あの大群を突き抜けていた。
──しまった、行き過ぎた。
それに気づき、立ち止まって振り返ると──金色の派手な鎧を身に纏った老人が、同じような金ピカの馬具を付けられた馬に跨がっているのが見えた。
思わず、その奇抜な格好に目が行った。
なんだ、あの老人は──?
「……誰だ」
目が合うと、老人は俺を見てそう問いかけてきた。
だが、呑気に会話をして休んでいる暇はない。
すぐに、先ほど弾いた剣が落ちてくる。
兵士たちが武器を拾って一斉に襲い掛かって来たら、俺などひとたまりもないだろう。
──急げ。
まだ休む時では無い。
一本でも多く、弾け。
俺はまた、群衆の中に飛び込み、必死に駆け回りながらひたすら武器を弾いた。
相手は全員、剣だけでなく不思議な『盾』も持っていた。
それで落ちてくる剣を跳ね返していたようだが、ついでにそれも一応、弾いておいた。
途中、あの赤い光を放ってきた巨大な黒い筒と、何やら同じように赤い光を放つ白い十字架のような物を見掛けたので、取り敢えず全て、力任せに跳ね上げておいた。
俺が今やっていることは、単なる時間稼ぎにしかならないことは分かっている──だが、やらないよりずっとマシだ。
そう思ってひと通り目の前のモノを弾き切ると、再び、隊列の最後尾──あの金ピカの老人がいる場所へと戻って来ていた。
「……貴様……ま……か……」
老人は、真っ直ぐ俺の方を見つめ、何かを呟いているようだった。
正直、ほとんど呼吸もする暇もなく武器を弾いて回っているので、息が上がり、その声はよく聞き取れない。
その老人は怯えた表情で腰から剣を抜き、馬上から俺に向かって構えた。
だが──あの老人は明らかに戦闘向きでない弱々しい体型をしている。腕も細く、あの細い剣すら持つ手が震えている。
きっと、彼は戦う要員ではないのだろう。
あの剣は単なる護身用だ。
俺を命を奪いにきた危ない奴だと思って怯えているのだろう。
この状況では無理もない。
ひとまず、あの老人の剣は弾く必要はないだろう。
誰がどう見たって、剣を振るう姿勢にすらなっていない。
俺に対して抵抗の意思を見せているに過ぎない。
だから、俺はその馬に跨る金ピカ老人を無視して、落ちた武器を拾いはじめた兵のところへと走った。
そして、ひと通りの武器を弾き終えると、気づけばまた隊列の一番端──あの老人がいた場所に戻っていた。
そこで俺は少し立ち止まり、深呼吸をする。
走り回り、武器を弾いている間は息を吸う暇もない。
時々、こうやって空気を吸っておかないと倒れてしまう。
俺が必死に空気を胸の中に吸い込んでいると、また、あの老人と目が合った。
だが、さっきの老人は馬から振り落とされたのか、顔に土を付けたまま、地面にへたり込んでいた。
何が、あった──?
あの老人、大丈夫だろうか。
彼のことが少し気がかりではあったが、また剣を拾い始めている者もいる。
まずい。
彼らに武器を持たせてはいけない。
そう思って再び軍勢の中に飛び込み、走り回り、片っ端から剣と盾を弾き続け──
次に息を吸いに同じ場所に戻ってきた時、老人は俺を見て酷く怯えた表情を見せた。
──どうした?
何が、あった?
もしかすると、彼の目には俺がとても恐ろしい人物に見えているのかもしれない。
足を止め、しばらく向かい合っていると老人の顔は段々と歪み、今にも泣きそうな表情になっていった。
──待て、そうじゃないんだ。
俺だって、好きでこんな場所にいるわけじゃない。
すぐに逃げ出したいような気持ちは一緒だ。
老人はそのままでは怯え死んでしまいそうな程に縮こまり、とても気の毒な姿に見えた。
相手は攻め込んできた側の人間とはいえ──震えている老人のことが少し心配になる。
俺は、せめて攻撃の意思が無いこと、老人に対する敵意が無いことだけでも分かってもらおうと思い、精いっぱいの笑顔を作った。
「──ニッ──」
──少し、ぎこちなかったかもしれない。
激しい運動をしたせいで、息も絶え絶えで顔も強張っている。
でも、少しでも、俺の気持ちを分かって貰えればいい。
そう思って力一杯口の端を吊り上げた。
すると老人は顔を硬直させた。
どうやら、見たところ、老人の身体の震えは治まったようだった。
どうだろう。
わかって、もらえただろうか──?
本当に俺の気持ちが伝わっているかが、少し不安だったが、また遠くに、剣を手に取る兵士の姿が見える。
ダメだ、彼らに武器を持たせるわけにはいかない。
そう思い、俺はその兵士のところへと全力で走った。
このままのペースで、いけるところまでいくつもりだった。
だが、だんだん、俺の足は言うことを聞かなくなってきた。
そういえば、俺は早朝に軽く食事を取ったあとろくに食べ物を口にしていない。
それに、あの毒ガエルと戦った時、血をかなり吐いた。
あれぐらいなら大丈夫と思っていたが──その後立て続けにリーンの渾身の一撃を受け、あの大きな竜の攻撃を受け続けた。
その上で、この無茶苦茶な運動だ。
そろそろ限界が来てもおかしくは無い。
早く、切り上げて逃げ出さなければ──
そう思っていたところで、ガクンと膝が崩れた。
「──ッ──!」
しまった──!
自分の体力の限界を見誤った。
だが、まだ、ここで立ち止まるわけには行かない。
立ち止まれば、ここで袋叩きに合う。
足がダメになってしまっては、逃げることも出来ない。
【ローヒール】にも限界がある。
傷は治せても、疲労や空腹は治せない。
まずい──もう足が動かない。
俺は自分の限界を超え、激しく動き過ぎたのだ。
息も苦しい。
空気が、足りない。
「──ガハッ──」
肺にも随分と無理をさせたのだろう。
少し、血を吐いた。
途端に動きが鈍くなる。
ついに足が止まった。
頭が朦朧として、あたりの風景がぼやける。
一瞬、目眩がして意識が途切れた。
そして、気づいた時には俺は剣を持った数人の兵士たちに囲まれていた。
もう、逃げられない。
剣を持つ腕が上がらない。
足も、動かない──!
剣を拾い上げた兵士は一斉に襲いかかってくる。
ここまでだ。
ここで、俺は殺される。
だが、なんとか精いっぱい時間は稼いだ。
リーンやイネス、ロロは無事に逃げてくれただろうか?
せめて、あの子達だけでも生き残ってくれ──
そう思い、俺は空を見上げ、死を覚悟した。
「────?」
だが、その時、上空に星の様な何かが煌めくのが見えた。
その天を埋め尽くす無数の光は、まるで流星のように尾を引いてこちらにどんどん、近づいてきて──
「星天弓衝」
光り輝く矢の雨が、辺り一面に降り注いだ。
それは奇妙なことに空中でうねるように軌道を変え、次々と兵士の腕を、足を正確に撃ち抜き戦闘不能にしていく。
あれは──
俺はかつて、同じものを一度だけみたことがある。
あれは確か【狩人】の教官の技だった。
諦めの悪い俺に、最後の手向けだと言って見せてくれた、【狩人】の奥義。
天空から地上の全ての目標を正確に射抜く、弓の絶技。
手足を射抜かれた兵士たちは呻き声をあげながら、次々に地面に崩れていく。
だが、まだ剣を拾い上げ、恐ろしい形相で俺に向かってくる者もいる。
ダメだ、身体が全く動かない──やられる。
「竜滅極閃衝」
だが、俺の周囲にいた兵士達は突然巻き起こった突風に吹き飛ばされた。
見れば、そこには見覚えのある一人の男が、黄金色の槍を構えて立っていた。
あれは──
あの槍の男は。
「来てくれたのか、アル……いや、ハルバ……………………ランバート」
「ギルバートだ」
槍の男、ギルバートは辺りを静かに見回した。
「本当に一体、どうなってるんだ、この状況は……?
……いや、どうせアンタがやったんだろうな。
あの軍勢の中に一人で突っ込んだ馬鹿がいると聞いて、誰かと思ったが──納得したぜ」
彼はそう言いながら笑い、槍を肩に担いだ。
だが、彼の背後から複数の兵士が斬りかかろうとしているのが見える。
彼には、あれが見えていないのか?
──あぶない。
そう叫ぼうとするが、喉に血が詰まって声が出ない。
「千刃」
だが俺の心配をよそに、兵士たちは一瞬で無数の斬撃を受けたかのように全身から血を吹き出し、倒れた。
俺は今の技にも、見覚えがあった。
あれは、確か──
「遅かったじゃねえか、師匠。先についちまったよ」
「──悪い……他の者もこれから来る」
そこにいたのは──忘れもしない。
多少、歳は取っているが、俺はあの顔には見覚えがある。
腰に一本の長剣を差したあの男は【剣士】の教官。
俺が憧れていた職業【剣士】の訓練所の指導教官だった男。
彼は、俺の方に向き直るとこう言った。
「どなたかは存じないが──本当に助かった。
だがすまないが、後はこちらに任せてくれ。
流石にここで何も出来なければ【王都六兵団】の面目が立たん。
せめて、後始末だけでもさせてくれ」
そう言うと、教官は静かな動作で腰に差していた剣に手を添え、一気に横薙ぎに抜き放った。
「千殺剣」
すると、殆ど目に見えない程の速さで千の刃が戦場を駆け巡り──至る所で血しぶきの華を咲かせた。
──ああ、これだ。
これが、俺が憧れ続けた【剣士】の姿そのもの。
俺の、長年の目標だった技。
俺は一度だけ見せてもらったこの技に憧れ、木剣を弾くようになったのだ。
努力したところで、俺には何の【スキル】も身につかない。
──でも、どうしてもあれに近づきたい。
だから、形だけでも真似しようと、俺は千の木剣を弾こうとした。
本物が手に入らないのなら──見せかけだけの、偽物でもいい。
そんな歪な努力の結果──本当に俺はできるようになった。
千の木剣を強引に弾くだけの技。
だが俺の技は、あくまでも真似事。
勿論、本物のように斬ることはできない。
この十数年、どれほど、本物をもう一度見てみたいと思っていたことか。
──今、その本物が目の前にある。
俺が次々に繰り出される【剣士】の【スキル】に我を忘れて感激を覚えていると、また別の人物が二人、視界に現れた。
一人は白いローブを纏った、目の細い聖職者風の人物。
もう一人は顔全体を覆う白い髭を蓄え真っ黒なローブに身を包む、いかにも魔術師といった風体の老人。
あれは──
「……ああ、シグ。
無闇に殺してはいけないと言ったのに。
注意しておいたはずなんですがね……死体は、簡単に情報を吐きませんから」
「ホッホウ! お前さん、無茶を言うのう!
この大軍を相手に、流石にそれは酷な注文じゃないかのう?」
俺はこの二人を知っている。
あの特徴。話し方。間違いない。
白いローブを纏い、静かに笑みを浮かべる男は、【僧侶】の教官。
もう一人の陽気な老人は【魔術師】の教官だった。
彼らは襲いくる兵士たちをものともせずに、のらりくらりと会話を続ける。
「そうは言ってもですね、オーケン。
死体になってから話を聞くのは大変疲れるのです。
生者の方がもっとずっと素直です」
「ホッホウ! そりゃあ、お前さんの『取調べ』を受けたら、
死んだほうがましだったと言う奴もゴマンといるそうじゃからのォ」
「いえいえ、とんでもありません。
それはきっと誤解です。
みなさん、最後には泣きながら私にお礼を言うんですよ?
五体満足で、とても健康な身体にしてくれて有難う、と。
……腕や脚は、治せば何本でも生やせますからね」
老人は青い顔をして隣の男から距離をとった。
「セイン、お主……」
「ほんの冗談です」
「……そういうこと言うから、いつも怖がられるんじゃぞ?
お願いじゃから、そういうの、やめとこう? ……な?」
「いやですねえ、緊張をほぐすための軽い冗談ですよ」
「全く笑えんわい」
彼らは何事でもないかのように、群がる兵達を蹴散らしながら、会話を続けている。
一人は両手で九つの魔法を同時に発動しながら。
一人は襲い来る剣を素手で受け止め、奪い取って薙ぎ払いながら。
「そろそろ、彼らがくるんじゃないですか?
用意をしておいた方がよさそうですよ」
「わかっとるわい。
搦め手は年長者の嗜みじゃからの──見せ場は外せんわい。
……お主ら、準備はいいかの?」
「「「──はい──」」」
突然、数人の黒いローブを身にまとった人物が、透明な覆いを払いのけたように現れた。
どうやら、全員が【隠蔽】を掛けながらここまで移動していたらしい。
【魔術師】の教官が大きく両手を振り上げると、九つの光り輝く魔法陣が手の中に現れる。
それと同時に、同じ魔法陣が、ローブを纏った男達の前にも一つづつ現れた。
「斉唱せい──『大地の呪縛』」
途端に辺り一面の地面が盛り上がり、惑っている兵士たちの脚を、膝の辺りまで縛り付けた。
兵士たちは不意に現れた土の枷のせいで、身動きできなくなった。
同時に、土埃をあげ、地響きを立てながら突進してくる鎧姿の集団が見える。
「ホッホウ!
お待ちかね、王都防衛隊【戦士兵団】の登場じゃの……ありゃあ、目が血走っとるわ。
殺すな、はアレに言っとくべきじゃないかの?」
「ええ、ちゃんと言っておきましたよ。
彼らが一番心配ですから……護るべき街を壊されて、一番、腹を立てているでしょうからね」
巨大な盾を構え、頑強な鎧に身を包んだ兵士達の突撃。
足を地面に固められた兵士たちは、なす術もなく次々に跳ね飛ばされた。
中でも、先頭に立つ身の丈が常人の三倍はあろうかという大男は一切の盾も剣も持たず、ただ、一際重そうな鎧を纏った体一つで突進し、土の枷で足を固定された兵士たちを枷ごと空高く跳ね上げていた。
俺はあの人物にも見覚えがある。
あの並外れた体格──間違いようがない。
あれは、三ヶ月間俺の訓練の面倒を見てくれた【戦士】の訓練所の教官、その人だった。
「まったく、酷い有様じゃのう……何人か死んだんじゃないかの?」
「他人事みたいに。作戦は王子と貴方の提案だったんでしょう」
「まあ、なんだかんだで敵を行動不能にしながら一箇所に追い込むのには良い方法じゃて……。
ホッホウ!
では『檻』は作っとくから、中のことはお主らに任せるぞ、セイン」
「はい、任せておいてください。
生存者全員を救って、改心させて見せますから。
死人は情報にも、労働力にもなりませんからね。
では行きましょう、皆さん」
そうして、また透明な膜が剥がれるようにして、白いローブを身に纏った集団がその場に現れた。
同時に、【魔術師】の教官率いる黒いローブの集団は一斉に魔法スキルを発動した。
「「「『石の監獄』」」」
そうして、盾の男達に跳ね飛ばされ、山の様に積み重なった皇国軍の兵士達の周りに、魔法で生み出された頑強な岩の壁が次々に立ち並んでいく。
高さにして人の身の丈の十倍ほどの巨壁が立ち上がり、あっと言う間に巨大な『石の監獄』が出来上がった。
そうして、監獄の外にいた兵士も【戦士】の教官に捕まれ、次々にその中へと投げ入れられ──遅れてやって来た剣を手にした集団が、白のローブの集団と共に監獄の中へと雪崩れ込んだ。
気づけば岩の壁の上には、黒ローブの集団と、いつの間にか現れた弓を手にした集団が立ち並んで壁の中を見下ろしていた。
そうして──全ての皇国の兵士たちが『石の監獄』に収監され、降伏するのにそう時間は掛からなかった。