03 念願の冒険者生活
「いつもわるいわねえ、ノールちゃん! 助かるわぁ」
「いや、こちらこそ。いつも依頼をくれて助かっているよ、ステラおばさん」
俺はいつものように「ドブさらい」の依頼を片付け、
依頼者のおばさんから達成のサインを貰って次の依頼先へと走る。
初めておばさんの家を訪れたときのことはよく覚えている。
俺の記念すべき、初めての冒険者としての仕事だったからだ。
ここは王都の市街地の一角だが、かなり外側に近い方だ。
国による清掃サービスが行き届いている中央と違い、住民自らが清掃を行う。
だが、俺の依頼主のステラおばさんは脚も目も悪く、旦那も息子とも死別し、一人暮らし。頼ることの出来る身内がいないので、掃除をすることもままならない。
そうして、清掃されることのなかった家の周囲の側溝は、饐えた匂いを発するようになった。
困り果てたおばさんは、思い立って冒険者ギルドに依頼を出した。
誰か何とかして欲しい、助けてほしい、と。
でも、おばさんの依頼を受ける人間はなかなか現れなかった。
普通の冒険者にとっては、おばさんの提示する報酬は魅力的でなかったらしい。
ギルドは魔物の討伐や緊急の採集依頼などを優先して斡旋する。
街の側溝の掃除などは、誰か手の空いている人間がやれば良い、という感じなのだろう。
だから、ずっと放ったらかしにされていたという。
そこで、途方に暮れているところに、たまたま現れたのが俺だった。
仕事を終えると、とても感謝された。
それ以来、俺を指名して依頼をくれるお得意様だ。
掃除を終えると、いつもとても喜んでくれる。
だから、ついつい、頼まれたこと以外もやってしまう。
実際、掃除に慣れてくると頼まれた範囲の側溝の掃除はすぐに終わってしまうため、毎回、少しづつ範囲を広げ、余計目にやっておくことにしている。
周囲の人たちにも感謝されるし、悪い気はしない。
この仕事は確かに報酬は多くはない。
だが、俺はやりがいを感じている。
人の笑顔を見るのはいいものだし、
何より、街が自分の手で少しずつ綺麗になっていくのが気持ちいいのだ。
とはいえ、今日は熱心にやりすぎたらしい。
掃除に励みすぎて時間を忘れてしまい、次の現場への出発が遅くなってしまった。
「間に合うか……?」
俺は急いで街の通りを駆け抜け、角を二つ曲がり、目的の工事現場にたどり着くと、現場監督が出迎えてくれた。
今日の二人目の依頼主だ。
「おう、時間通りだな、ノール。今日も頼むぜ」
朝のドブさらいの後、俺はだいたい毎日この工事現場で『土運び』の仕事をしている。
ここ王都は古くから巨大な迷宮があることで有名で『冒険者の聖地』とも呼ばれているらしい。
最近、迷宮前の道路を拡張する大規模工事が行われており、かなり大量の人員を必要としているのだが、人手不足らしく冒険者ギルドにも依頼が来るようだった。
でも、工事現場の仕事は普通の冒険者にとってはあまり魅力のある仕事ではないらしい。
好んで受けるのは俺ぐらいだということだった。
だが、俺にとっては願っても無い仕事だ。
どんな人間でも、こなした仕事の量に応じて評価される。
完全歩合制で土を運べば運ぶだけ収入になるのだ。
俺は【戦士】の訓練時代に身につけた【筋力強化】で普通の人間が運ぶ五倍の量を軽々と運べた。
それに、常に【僧侶】系低級未満のスキル、【ローヒール】でじわじわと回復しているため、そんなに疲労も感じない。
冒険者として登録するのに必要な「有用スキル」とは見なされなかったこれらのスキルも、今の俺の生活ではとても役に立っている。
【盗賊】の訓練で身につけた【しのびあし】は迷い猫の捜索と捕獲にはもってこいだし、【魔術師】の【プチファイア】も煮炊きするには便利だ。【狩人】の【投石】は、あまり使うことはないが、遠くのものに石を投げて当てるのを子供達に見せると、すごいと言われる。
唯一、あれだけ特訓した【パリイ】は何の活用法も見出せてはいないのだが。
未だに鍛錬は続けている。
訓練はここ15年間ずっと続けてきたので、簡単には習慣は抜けないし、まだ、もしかしたら……という淡い期待も残っているので、やめるつもりもない。
その可能性が、限りなく低くても、だ。
俺が普通の冒険者になれる可能性はともかく、おかげで王都での生活費は十分に稼げている。
だから、今までの自主訓練は全くの無駄ではなかったと思いたいが──これだけでは普通の『冒険者』の『初心者』にはなれないのだ。こんなことで「英雄譚の主人公のようになりたい」などと、自分がどれだけ思い上がっていたのかがよくわかる。
時折、もういっそこのままでもいいのではないか?
という考えも浮かぶ。
なぜなら「冒険者になって、人の役に立ちたい」──
その夢はもう既に叶っているのだ。
頼まれた依頼をこなし、お礼を言われ、それに応じた報酬を受け取る。
そうして、日々生活をする──。
それ以上を望むなど、ただの贅沢に過ぎないのかもしれない。
それに俺には守る家族もいないし、そんなに金も必要ない。
わざわざ危険な依頼を受け、一攫千金を狙って大金を稼ぐ必要もないのだ。
「死ぬまでこのままでも、いいのかもしれないな」
そんなことを思いながら、王都の色々な場所で働き続けてもう3ヶ月になる。
街の中に、ちゃんと住む場所がある。
ギルドのおじさんから格安の宿屋を紹介してもらい、気に入ったのでずっとそこで寝泊まりしているのだ。格安のために食事は出ないが、今までずっと自分の食事は自分で作ってきたし、苦にならない。
宿に風呂はないが、この街には公衆浴場がたくさんある。
少し歩けば、色々な浴場があり、その日の気分で行くところを変えられる。
時々、旨いものを出す露店で食事をするのも楽しみだ。
──そんな感じで、俺は快適にこの王都での日々の生活を送っていた。
「本当によく働くなあ……ノール。
冒険者にしとくのは勿体ないぜ。
本当にうちに就職する気はねえか?
少なくとも普通の従業員の倍……いや、三倍は出すぜ?
お前さんが望むなら、もっとだ。
それぐらいの働きはしてくれそうだしな」
この工事現場の監督は俺のことを気に入ってくれて、毎日のように、こんな風に声をかけてくる。
だが、俺は。
「そう言ってくれるのは有り難いのだが……俺は今のままでいいんだ」
そう言って断るのが通例になっている。
「本当に、勿体ねえなあ……」
残念そうな監督に申し訳なく思う。
だが、やはり、夢は捨てられないらしい。
それも習慣のようなものだ。
俺はやはり、冒険者になりたいのだ。
英雄譚のような冒険をしてみたいのだ。
殆ど、無謀とも思えても。
そうして、熱心に土運びを行っていると、あっという間に終了の時間になった。
「今日の仕事は終わりだ。
お前さんのおかげで、だいぶ工期に余裕ができたよ。
じゃあ、また明日だな、ノール。頼むぜ」
「ああ、よろしく頼む」
俺はいつも通り、依頼書に依頼主のサインをもらう。
ギルドに依頼完了の報告をして報酬が入ったら、一風呂浴びて、また、空き地でいつもの訓練をするとしよう。
そう思って現場を後にしようとした時。
俺が働いていた工事現場の奥──【帰らずの迷宮】の入り口の方で何かが一瞬、光ったのが見えた。
赤紫色の、強い光。
「なんだ?」
そして同時に、
「──だれか、助けて──」
どこかから、誰かの消え入るような悲鳴が聞こえたような気がした。