27 破滅の訪れ
王子は不眠不休で王都を駆けずり回っていた。
王都に潜伏していた数十箇所の『脅威』は現実のものとなった。
調査部隊の【隠蔽除去】でその中の一体が姿を現したのを皮切りに、次々と強力な魔物が姿を現し、今朝までの静けさが嘘の様に、王都は大きな混乱に陥っていた。
幸い、潜伏箇所の殆どには兵を派遣済みであり、【六聖】率いる【王都六兵団】の面々と王都冒険者ギルドの組織する『冒険者傭兵団』が王都中に散り、出現した魔物達の対処に当たっていた。
各所での戦闘は苦戦を強いられているが、リーンとあの男、ノールのもたらした情報が無ければ、もっと酷い状況になっていただろう。
事前に対策を施したパーティを組んでことに当たれた為、善戦している、と言っていい。
怪我人は大量に出ているが【僧侶】系統職の派遣が間に合い、幸い、死人はまだ出ていない。
目の届く範囲の市民は全て、安全が確認できた王都の端のエリアに避難させた──家に留まろうとする者は、引き剥がしてでも避難させろ──そう指示を出してある。
今はまだ、そう大きな被害は出ていない。
数百の建物が壊れ、城壁が、幾多の教会が崩されようとも──人さえ残れば王都の復興はできる。
損失は大きくはない。
──今はまだ。
「だが、まだだ。まだ、次がある──!」
恐らく、ここまでの襲撃は陽動、次の一手の為の布石──となれば、奴らはここで仕掛けてくる。
こちらの手駒が混乱し、疲弊し、消耗したところで、次の大きな波を仕掛けてくる筈──
──それは分かっている。
問題はそれが何かが一向に見えない、と言うことだ。
「何処だ? どちらから来る──?」
王子は必死に頭を回転させる。
昨晩から一時の休みもなく部下に指示を出し続け、自らも駆け回り情報を集め続けている。
だが、わからない。
情報がいっこうに集まらない。
今、【隠聖】率いる隠密兵団が血眼になって王都の周囲を捜索している。
彼らはその名に恥じない凄まじい勢いで偵察を行い、もう既に、王都の周辺の土地は殆ど全て、探しきったようだった。
──それでも、何も見つからない──。
奴らは、高い確率で攻めてくる。
だが、一体何処から──?
敵は何処に駒を配置している──!?
王子は途方に暮れ、空を見上げ──その瞬間、何かに気がついた。
「──なんだ、あれは──?」
それはほんの僅かな──違和感。
空の一部が僅かに、揺らいでいる。
その違和感は、見る間に大きくなっている様に見えた。
「──まさか、空から──!?」
──しまった、と思った。
地面を駆けずり回っている場合ではなかったのだ。
空も、可能性としては排除していないつもりだった。
警戒は指示していたつもりだった。
だが、それも可視範囲程度の上空まで。
更にその上となると──
何も──対策はできていない。
敵は警戒範囲の遥か上空から、『何か』を送り込んで来ていた。
「【隠蔽除去】──ッ──!?」
王子は一刻も早く相手の姿を見なければと、【隠蔽除去】でその『何か』を覆っている透明な膜を引き剥がした。
すると──
一瞬にして、王都に巨大な影が落ちた。
「なん、だと……?」
見れば、それは一つの生き物の影だった。
それは誰もが知りつつ──誰も見た事はない──だが、誰も見てはいけない種類の生き物だった。
「まさか──あれは……!? そんな──そんなはずは──!!!」
王子はその目で見たものを、即座に信じられなかった。
否──目の前にあることが現実だと理解していながら、本能が信じることを拒否した。
何故なら、それがそこに在る事は即ち──
──王都の滅亡を意味するものであったから。
「莫迦な──!? 奴らは一体、何を考えているのだ!? あんなものを、人の身であんなものを利用するなど!! 本当に、奴らは正気なのか!?」
王子は混乱の内に叫んでいた。
最早、相手が正気の人間だとはとても思えなかった。
いや──狂っているのだろう。
狂っていなければ、こんなことなどできるはずがない。
「まさか……あんなものを、ぶつけてくるとは──!」
王子は空を見上げながら、力なく地面に膝をついた。
上空に浮かぶ存在が、全身に駆け巡る絶望が──立つ力さえ奪った。
それが何であるか識る者であれば、それは当然の反応だった。
あれは──【厄災の魔竜】。
数千年を生き、数多の伝説で語り継がれる──生ける神話。
だが、紛れも無く現実に在る、超常の生物。
それは確かに現実に存在する──悪夢めいた御伽噺。
数々の抉られた山々が、かつて大都市であったが一夜にして平らに均されたという平原が、抉られ、形を変え湖となった村々が──その歴史の証左となっている。
「──何故、あれが今、起きているのだ──?」
だが、王子は疑問に思った。
記録によれば【厄災の魔竜】は眠りについてから、まだ百五十年ほどしか経っていない筈だ。
本来なら、活動期はまだまだ先で、少なくともあと二百年は眠っているはず。
──という事は、つまり。
「まさか、起こしたのか……人の手で? 奴らは──何も学んでいないと言うのか、過去に繰り返された悲劇から──」
恐らく、あの竜は目覚めさせられたのだ。
人の手によって。
──なんと、馬鹿な事を……!
──なんと、愚かな事を……!!
「あれは、絶対に人が触れて良い類のものでは無いのだ……!! 何故、奴らはそんなこともわからない──!?」
数百年前に起こった惨劇。
眠りを邪魔され怒り狂った竜が十年暴れ続け、一帯が焦土と化した。
目撃者は既に生きながらえていないが、数多の伝説──史実としての逸話として語り継がれている為、誰もが知っている筈の歴史。
愚かな行為を繰り返さない為に──。
人々は大切に語り継いだのだ。
それなのに。
──それなのに──!
「たかが、人同士の争いに利用するなど──なんと愚かなことを──!!!」
──あれは、人の手でどうにか出来るものではない。
遭遇、即ち死。
出現が即ち、その一帯の消滅を意味する。
あの巨大な竜は【国崩しの魔竜】の異名を持ち、国ごと滅ぼされた逸話にも事欠かない。
そんな伝説上の存在──人が触れてはならない禁忌中の禁忌が今、王都の上空を悠然と羽ばたき、父の残る王城へと向かっている。
「──終わりだ、何もかも──」
王子の身体に立ち昇った怒りは、すぐに絶望に呑みこまれた。
これで、王都はおわりだ。
もう、手の施しようがない。
こんな状況をなんとか出来る存在など──何処にもいない。
──いるはずがないのだ。
これは現実で、御伽噺ではないのだから。
「いや──駄目だ、冷静になれ──!」
王子は最後に残った意志を振り絞り──なんとか、その場に立ち上がった。
──まだ、全てが駄目だと決まったわけではない。
まだ、出来ることは残っている。
今、この瞬間、やらなければならないことが──。
王子は側に立ち尽くし、硬直していた連絡官に指示を出す。
「今すぐに、避難所に集まっている人間を全て──王都の外に退避させろ。
留まろうとする者があっても、無理やりにでも引き剥がし、連れ出せ──
いいか、一人も王都に残すな……!!」
「──はッ──!」
命令を受けた連絡官は即座に伝令の為に駆けた。
同時に王子も、自ら指示を出す為──
頭の上の巨大な影を感じながら、全力で駆け出した。
既に、王都を守る為の戦いではなく──
──王都を棄て、生き延びる為の戦いが始まろうとしていた。