230 魔竜の森 1
「あの街ともしばらくお別れか」
王都から少しだけ歩いた、北の森。
日差しをよく受け育ったのであろう太い樹々が立ち並ぶ、山側の斜面にはところどころ草原めいた広くて平らな開けた場所があり、岩が積み上がって小高い丘状になっている場所によじ登ると、そこからは王都の全景がよく見えた。
隣には巨大な黒竜が鎮座しており、俺をじっと見下ろしている。
「……急に邪魔をして悪かったな、ララ。色々と寝床を探してみたんだが、結局、ここが一番良さそうなんだ」
『グァ! グォ!』
日当たりの良い平場に猫のようにうずくまっているララはどこか機嫌良さそうに喉を鳴らし、「細かいことは気にするな」とでも言いたげにその黒光りする大きな尻尾をゆっくりと振った。
ここは元々、俺のリクエストでララが王都に留まることになってから棲家となっていた場所だった。
二ヶ月後に王都を離れることを決めると、俺はまずギルドのおじさんの紹介で格安で住まわせてもらっていた宿を出ることにした。出発までの間に色々と準備もしておきたいし、また例の耳の長い彼らのような荒っぽい輩に襲われたら周囲に迷惑がかかりそう、ということもある。
急なことだったので宿の主人である老夫婦には少し驚かれたが、街中の仕事で金を稼げるようになり、ようやく広い場所に移り住むのだろうと思われたらしく、引っ越しのお祝いだと言って少しのお金を手渡され、満面の笑みで送り出された。
事情を細かく説明できないのは心苦しかったが、こっちからもそれなりのお金を入れた皮袋を渡しておいたので、まあ、これまでに世話になった分のお礼ぐらいはできただろうと思う。
それから俺は新たな住処を求め、知り合いにそれとなく話を聞いたり、相談にのってもらったりしていたのだが、都合により俺が「安全で周囲のどこにも人の気配がなく、武器を持った誰かが不意に襲ってきたりしても誰にも迷惑をかけない貸家」を探していると言うと誰一人例外なく、「そんな場所はない」と首を横に振った。
結局、朝からほぼ一日中歩き回っても何の情報も得られず、俺が半ば途方に暮れていたところ、息抜きの雑談をしに訪れた冒険者ギルドのマスターのおじさんから「基本的に誰にもおすすめはしないが『条件付き』であれば希望に近い所がある」、という入念な前置きをされてこの森を紹介された。ギルドマスターのおじさん曰く、王都から少し離れた山の麓にあるこの森なら、人がいない割に魔物も出ず、比較的安全で野宿していても誰にも文句を言われない、という俺の求める理想の条件にぴったりな場所なのだという。
ただ、お勧めできない理由も詳しく聞いてみると、魔竜がクレイス王国を襲って以来、ずっと住み着いているという場所だから、という話だった。
話を聞いた俺はその程度ならまずは現地を見てから決めればいいと思い、早速、ギルドマスターのおじさんにお礼を言って王都を出た。
そして実際に森を訪れてみると……想像よりずっと居心地が良さそうな場所だった。
森と呼ばれてはいるものの、所々に日当たりの良い開けた草原や岩場があって、樹木が鬱蒼と茂った森林というより、どちらかというとちょっと風通しの良い林というぐらいの印象だった。それに岩間に染み出すように流れる小川を辿っていくと綺麗な湖につながっていて、肉付きの良い健康そうな魚がたくさん泳いでいる。
ここは特に誰の土地だということもないのだそうで、一応国としては管理はしているものの、個人で消費するぐらいの量なら木の実も獲物も好きにとっても良いらしい。贅沢を言わなければ俺一人の食料ぐらいならどうにでもなりそうだった。
少し前まではゴブリンなどの魔物が大量にたむろする危険な場所だったそうだが、最近は棲みついたララの存在を怖がってか、人に危害を加える動植物の類はどこか遠くに逃げ去ってしまったのだという。皆から怖がられるララのおかげでむしろ、安全に過ごせるというわけだ。
「ララはずっと、こんなにいい場所で過ごしていたのか。羨ましいな」
『グァ!』
王都から少し離れていて、街との行き来は不便ではあるが、北側の緩やかな斜面ということで日当たりは抜群だし、森の眺めも爽やかでいい感じだ。耳を澄ませば木々のざわめきと穏やかな鳥たちの鳴き声が響くばかりのどかな場所で、便利なものが揃った街での生活も捨てがたいものの、個人的にはこういう自然を感じる場所で過ごすのは好きだった。
そんなわけで、この場所が大いに気に入った俺は早速、残りの二ヶ月をここで野宿して暮らすことに決めた。
「さて、まずは寝床づくりから始めた方がいいんだろうが……天気は良いし、当面はこのまま木の根元で寝ていても十分そうだな?」
『グァォ! グァ!』
幸い、同居人となるララは快く受け入れてくれるようだった。
ララと一緒にぼーっと遠くの王都の街を眺めていると、次第に空が綺麗な夕暮れ色に染まり、西の山々の稜線にゆっくりと日が沈んでいく。王都の街中であれば次第にポツポツと人の営みの灯りが灯っていく時間帯だが、山の中はずっと早く暗くなってしまうので、俺はひとまずその辺りに散っている枯れ木を適当に集め、【プチファイア】で火をつける。
すると僅かに湿り気を含んだ枯れ枝がパチパチと音を立て、小気味良く燃え始める。
不意に一人で生活することになったものの、山暮らしが長かったせいか、こういうのはむしろ懐かしい感じすらある。
俺の他に誰もいない山の中ということで、先日俺を睨みつけて物騒なことを言って去っていった例のエルフの彼がまた急に俺を襲ってこないかだけが不安といえば不安だが……まあ、隣人といえば黒竜だけだし、いざとなれば助けてくれそうな気がする。何にしたって、これぐらい街との距離が空いていれば流石に周囲に迷惑はかからないと思う。絶対はないだろうが、街中よりはずっと気が楽だ。
話し相手が言葉が通じないララだけ、というのも少し寂しくはあるものの、こういうのはこういうので良さがある。本格的に日が沈み、辺りが本当に真っ暗になると俺は巨大な身体を猫のように丸めて蹲まったララを都合の良い風除けにしつつ、これからの気ままな一人暮らしに思いを馳せつつ、のんびりと焚き火の番をしていたのだが。
「ノール先生」
不意に背後に気配がして振り返ると、リーンが薄暗い森の中に立っていた。
この子はどうして、いつも音もなく俺の背後に現れるんだろう……と思いながら、声をかけるが。
「……リーン? …………どうした?」
「申し訳ありません。ギルドマスターにノール先生がこの辺りにいらっしゃると伺って」
「ああ、それはそんなことかと思ったが……なんだか、すごく顔色が悪いぞ?」
リーンはどういうわけか、今まで見たことがないぐらいに意気消沈している様子だった。
発する声にもいつものような元気さというか、覇気がない。
こんな彼女の姿を見るのは初めてかもしれない。
思わず心配になって声をかけると、リーンはそのいかにも元気がなさそうな顔に弱々しい笑みを浮かべ、余計に心配になる。
「…………実は。実家を追い出されてしまいまして」
「家を? どうして?」
「……私が悪いんです。我儘を言って、家族を困らせてしまいました……だから、父は何も悪くないんです」
「まあ、事情がよくわからないが。立ち話もなんだ。本当に何もないところで悪いがとりあえず、座ってくれ」
「……お気遣いありがとうございます」
俺に促されるまま、全く元気のない様子のリーンは本当に何もない地面に座った。俺はその辺りに集めておいた乾いた小枝を適当に何本か拾って焚き火にくべると、俺の生活用品が丸ごと入っている布製の大鞄から普段使いのくたびれた金属製の小鍋を取り出し、湖から取ってきておいた綺麗な水を入れて沸かし始める。
そうして、自分用の使い古したマグカップともう一つ、予備で持ってきたマグカップを並べ、お湯が沸騰するのをしばし待つ……が、その間に焚き火の明かりに照らされるリーンの横顔はやはり、いつもよりも弱々しく見える。
「…………本当に大丈夫か?」
「…………すみません」
珍しく口数少なく黙り込んだリーンに、お湯が沸くのを待つ間、ひとまずそれとなく状況を聞いてみる。
「さっき言っていた、家から追い出された、というのは何なんだ? 喧嘩でもしたのか」
「……いえ。実際のところ、それほど大した話ではないんです。本当に、私が一方的に我儘を言っただけなので……」
「ちなみに、なんて?」
「私も二ヶ月後の『エルフ討伐』に参加させてもらいたい、と」
焚き火の中で小枝がパチン、と弾ける音がする。
「自分でも、おかしなことを言っていることはわかっているんです。私などではノール先生の足手纏いにしかならないのは、分かりきっているのに」
「いやいや。俺としてはリーンが一緒に来てくれたら本当に心強いと思っているが、俺だって行かなくていいなら行きたくないし、無理することはないんじゃないか?」
「そう、ですよね。」
リーンはしばらく何かを考えながら、焚き火をじっと見つめていた様子だったが不意に顔を上げた。
「ノール先生。少し、質問させていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、なんだ?」
「……ノール先生は……怖くないのですか? 彼ら、エルフを相手にすることが」
「う〜ん、怖いか怖くないかで言えばもちろん怖いな。俺を睨みつけて消えた彼にも、二度と会わないに越したことはないと思うし」
「であれば……どうして、先生は今回の『エルフ討伐』の遠征の件を了承されたのですか?」
「たぶんだが、彼らの目的はその『黒い剣』みたいだからな。きっと、放っておいても向こうからやってきそうな感じだった。だったらいっそ、こっちから出向いて、彼らの話を聞いてみたいと思った」
「彼らの話を……?」
「俺は別に、討伐しにいくわけじゃないんだ。彼らとの間にもし何かの誤解があるなら解いておきたい。それだけだ」
「では……先生はエルフと交渉を試みようと?」
「ああ。基本は俺を襲ってくるのをやめて欲しいだけだしな」
話しているうち、リーンの表情が暗くなっていくのがわかる。
同時に、だんだん俺自身も不安になってくる。
そもそも、王都を襲ってきた彼らには話すら聞いてもらえる様子もなかったし、あの感じだと普通に考えて、彼らの住処をホイホイと尋ねて行ったところで大勢に囲まれて一方的にやられて終わるに決まっている。
……あれ?
そういえば、そこまで深く考えずに行くと言ってしまったが。
これ、本当に大丈夫か?
「……やはり、ノール先生は凄いですね。私はとても、そこまでの心の余裕がありません」
「リーンはどうして、そこまでして一緒に行きたいんだ?」
「……少し、おかしな話と思われると思いますが。多分、怖かったんだと思います」
「怖い?」
「エルフのこともそうですが……それよりも、私がここで逃げ出してしまう事で、ずっと自分が信じていた大切なものがすっかり、消えてなくなってしまうような気がして」
「なるほど……???」
「本当に幼稚でお恥ずかしい限りですが、私は母みたいになりたかったんです。私が幼い頃に亡くなってしまったので、もう顔すらほとんど思い出せないのですが……一人の冒険者として、すごく憧れて、尊敬していたんです。やっぱり、おかしいですよね……? そんな個人的な理由で」
「いや。そういうのなら、むしろわかる気がする」
「えっ?」
「俺も昔は【剣士】の教官みたいになりたかったんだ」
「……シグ先生のように?」
リーンは意外そうな表情で俺の顔をじっと見た。
「ああ。俺も子供の頃は、あんな風に格好よく剣を振れるようになりたかったんだ。でも、残念だがどんなに頑張ってもそうはならなかった」
「……ノール先生でも?」
「結局、俺が身につけたのは全く別のことばかりだった。もちろん、同じにならなきゃいけないとは思ってないし、頑張ったこと自体はそこまで悪くはないと思っている。身につけたことは十分、生きているしな。ほら、【プチファイア】だって、こうしてお茶を淹れるのには便利だし」
「…………あっ。ありがとうございます」
「まだちょっと熱いかもしれないが、適当に冷まして飲んでくれ」
俺がお茶を淹れて木製のマグカップを差し出すと、リーンはお礼を言って両手で受け取った。
俺も金属製のマグカップを片手に夜空を見上げ、沸かしたての熱々のお茶を啜る。
「ちょっと話が戻るが、リーンのお母さんって、そんなにすごい人だったのか?」
「……はい。あまり表に名前は出てはいませんが、現役時代は知る人ぞ知る有力な『冒険者』だったそうです。純粋な腕力だけで言っても、あらゆる竜を片腕の力だけでねじ伏せてきたと言われるお父様が力比べで一度も勝ったことがない、と言っていましたし」
「……………………そんなに???」
「でも……強いだけじゃなくて、いつも明るくて。誰にでも本当に優しくて、格好良くて。私はそういう、お母様の全部が大好きだったんです」
「なるほど。リーンがそう言うぐらいだから本当にすごかったんだろうな」
「はい。だから……私は少しでも、お母様のような存在になりたいと思って、努力してきたんです。結局のところ、私が我が儘を言ったのはそんな理由でしかないんです。本当に個人的で、お恥ずかしい限りですが」
「いや。その気持ちなら俺もよくわかる」
「……でしたら。と言ってはおこがましいのですが……ノール先生」
しばらく静かに焚き火を見つめていたリーンだったが、ふと思い詰めたような表情で顔を上げ、俺に向き直る。
「……私にまた、強くなる方法を教えてくれませんか? もちろん、ご自身のことでお忙しいかとは思いますが……私には他に頼れる人が思い浮かばないんです」
真剣な眼差しを俺に向けてくるリーンに、俺は首をゆっくりと横に振る。
「悪いがそれは無理だ」
「……………………どうしてですか?」
「だいぶ前にも言った通り、俺なんかよりリーンの方がすごいスキルを沢山使えるし、器用にいろんなことができるだろう。俺ができることは君よりずっと少ないし、何かを教えるにしたって、たぶん同じことの繰り返しばかりになると思う。だったら、俺以外の人に教わった方がずっといい」
「…………私がノール先生に教わる資質が乏しいのは、わかっています。でも……どんな些細なことでも構いませんので」
「俺が君のために出来ることは何もないと思う。すまないが」
「……………………いえ。こちらこそ、わがままばかり申し上げて申し訳ありませんでした」
消え入るような弱々しい声で俯くリーンに、俺は頭を掻く。
「でも、それでもいいなら……ここにいてもらうこと自体はもちろん構わない。それで何か、リーンの参考になることがあるとは思えないが」
「……ありがとうございます。お側にいさせていただけるだけで結構ですので」
「でも、嫌になったら、いつでも出ていっていいからな? ここは本当に何もないからな……」
何もない、と言いつつ、辺りを見渡して改めてここが何もない場所だと思い知る。
夜の深い闇を照らすのは俺が起こした小さな焚き火のみで、空を仰ぎ見ると星々が本当に綺麗に見える。
チラリと見やると、頼りなく揺れる焚き火の灯りにリーンの不安げな顔が照らされている。
「……ひとまず、今日はもう寝よう。焦って無理しても良くないし、やっぱり本当に顔色が悪いぞ? まずは休んだほうがいい」
「ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません」
……とは、言ったものの。
リーンにここにいてもいいと言ったが、やはりここには本当に何もない。
寝床らしい寝床はあるはずもないが、かといって今から彼女が帰る気配もない。
俺は草っ原でも岩場でも木の上でも、その気になったら水中でも、どこでも寝られるのが自慢だが流石に調子の悪そうなリーンに同じことをさせるわけにもいかない。
一応、持ってきた荷物の中には多少、使い古した感のあるものの毛布が一枚ある。
ボロ切れとまでは言わないまでも、人に渡していいものかちょっと迷うラインの擦り切れ方をしていたが……仕方ないので、俺はリーンにそれをそのまま手渡した。
「悪いが今日はそれで我慢してくれ。案外、夜中は冷えると思う。ないよりはあった方がいい」
「…………ありがとうございます」
────さて。
今日はもう横になって寝るだけだが、明日からはどうしようか。
気楽な一人暮らしのはずが思ったより考えることが出てきたぞ……? と俺が内心困りつつ、マグカップ片手に満天の星を見上げていると、焚き火の脇で静かに毛布に包まったリーンはいつの間にか寝息を立てていた。






