23 呪われた子
その少年は、人を殺すのは今日が初めてだった。
「……うまく、できるかな……?」
少年は恐ろしかった。
この世界の誰にも忌み嫌われる『魔族』という呪われた血を宿す存在でありながら、少年は血を見るのが怖かった。
──血を見ること。
それは、すなわち自分の血を見ることだったから。
生まれてからずっと殴られ、蹴られ『人間』と同じには扱われなかった。
何かを言えば、殴られる。
目が合えば、叩かれる。
何も言わなくてもそこに居るだけで、蹴り飛ばされることは、いつものことだった。
少年は生まれながらにしてそういう存在だった。
時折、不思議に思った。
なぜ自分はこんなに酷いことをされるんだろう。
疑問に思ったことはあった。
でも、絶対に口に出さなかった。
一度、それを口に出したとき、顔の形が変わるぐらいにひどく殴られ、ご飯も三日、水だけになってしまったからだ。
少年は大人たちからひどいことを沢山された。
でも、他人に対してそれをやりたいとは思わなかった。
それをされる痛みがわかるからだ。
少年に特に思いやりがあって、相手の気持ちを察することができる、という訳ではなかった。
そういうのとは根本的に違う。
少年は相手の考えがそれとなく「わかる」のだ。
やろうと思えば、相手の心の内が手に取るように透けて見える。
だからそれが知られると、一層、少年は虐げられた。
──相手の考えていることがわかるなんて。
気持ちがわかられてしまう。
知られてしまう。
秘密が漏れてしまう。
だからあれは不気味だ、恐ろしい、不愉快だと。
──人の姿に似た、とても気持ちの悪い生き物。
これだから『魔族』は……と。
忌避され隔離され、目があっただけでひどく殴られる回数も増えていった。
そうして、少年は憎まれ、事あるごとに殴られた。
理由をつけて殴られること。
理由なく、蹴られ、踏みつけられること。
それが当たり前だった。
何度も何度も、日常的に蹴られ、殴られ。
痛みの感覚は体に染み込んでいった。
だから、少年はそれを他人に対して行うことなど、思いもよらなかった。
自分が殴られることすら嫌なのに、相手にも同じことを味合わせるなんて。
相手のことを「感じる」ことのできる子供にとって、それは二重の苦痛でしかなかった。
だから少年は人を傷つけた事はない。
どんなにひどく殴られても、自分から殴るよりはいい。
そう思って生きてきたからだ。
──でも、今日はそれをしなければならない。
傷つけるだけじゃなく、殺さなければいけない。
でなきゃ、もっと酷い目に遭わされる。
自分だけでなく、他の奴隷の子も、みんな。
──だから、ちゃんと殺さなければならない。
「言うことを聞けば、美味しいご飯を食べさせてあげる」
そう、あの男が言ったからだ。
だから、殺さなければならない。
一人残らず。大人でも、子供でも。みんな。
そうすれば、もう理由なく殴らないでいてくれる。
そして、毎日美味しいご飯を食べさせてあげる。
あの男はそう、約束してくれたからだ。
あの男は、自分を殴る。
みんなを殴る。
でも、今まで約束を守らなかったことはない。
約束を破れば、殴られた。
約束を守れば、褒められた。
だから、殺す。
約束があるから。
あの男の心の中は全く読めなかった。
その為の不思議な道具、魔導具を使っているようだった。
そういうことはよくあった。
でも、男は約束してくれた。
それに、今日はこんな自分だって人の役に立つことができる。
そう思えば誇らしい。
自分は今日、死ぬかもしれないけれど。
でも、国の役に立つらしい。
それはとても、誇らしいこと。
──そう、思いなさい。
そう言われて出発してきた。
自分を、自分たちを、生まれた時から疎み、虐げている魔導皇国という国。
でも、自分の生まれ育った国。
その役に立てるのなら──もしかしたら、それはいいことなのかもしれない。
これから、人がたくさん死ぬ。
いや、自分が殺すのだ。
この醜悪な魔物、黒死竜を操り、ここにつれてきたのは自分なのだから。
『魔族』には元々、生来こういう力が備わっているらしい。
魔物と意思を交わし、思ったように操ることができる呪われた力。
たまたま出会ったずっと年上の魔族にそう、教えてもらった。
大昔は単に家畜を操るだけの能力だったという。
それを魔物にも使い始め、戦争に使ってたくさん殺した。
だからみんなに忌み嫌われる。
仕方ない事だ、と。
──産まれながらに魔物と意思を通わす外道。
呪われた生き物。
いつもそう言われて育ってきた。
そんな自分でも、人の役に立ちたい。
『魔族』でも、他の存在に役立ったと褒めてもらいたい。
だから、震えながらも、今日は絶対にやり遂げると決心した。
怖くても、嫌でも、やり遂げるんだ──
これが、ボクに出来る唯一のことなのだから。
──だが少年がそう決意した瞬間、突然、身にまとった【隠蔽】が剥がされた。
「……あっ……?」
魔道具で強化しているはずの【隠蔽】がいとも簡単に剥がされたことに驚き、少年は思わず声を上げた。
その瞬間、しまった……と思った。
黒死龍の眼がぎょろりと少年を睨んだ。
今、自分はミスをした。
集中を解いてしまった。
そのせいで、黒死竜への精神操作術が解けた。
今、黒死竜は自分を獲物としてしか見ていない。
この生き物は、既に人を殺すことを──そしてその肉を喰べることを覚えている。
そういう状態で少年の元へと運ばれてきたからだ。
もう一度、精神操作をかけている時間はとてもない──
このまま──自分は死ぬ。
黒死竜が口を大きく開けながら、巨大な爪を高く振り上げるのが見えた。
ああ、あれに切り裂かれて自分は死ぬんだ。
そう悟った瞬間、少年は心の底から思った。
──ああ、ここで死ねて本当によかった、と。
ここで死ねば、自分は誰かを傷つけずに済む。
自分は他人に与える苦痛まで感じずに済むんだ、と。
同時に、そんな考えに罪悪感を感じた。
自分の失敗のせいで、誰か他の子が代わりにひどく殴られるかもしれない。
でも自分は、自分が楽になることだけを喜んだのだ。
──ごめんなさい。
少年は誰にともなく、謝っていた。
ボクはずっとずっと、悪い子だった──
ダメな子には、罰が与えられる──。
そう教わってきたはずなのに。
──最後まで何の役にも立てなくて、ごめんなさい。
ああ、だから、これは罰なのだろう。
何の役にも立たない自分への。
産まれながらに呪われた力を宿す自分への。
そして、他人のことより、自分のことが可愛いと思っている自分への。
──罰なのだ。
呪われた子と言われる自分が、この世界に存在すること自体への。
獰猛な黒死竜の爪が振り下ろされる瞬間──少年は祈っていた。
魔族に神はいない──信仰を持つことも許されない。
でも、死んで生まれ変われば、違う生き方ができるんだ──。
どこかで耳にしたそんな考えを、少年は少しだけ信じていた。
だから、誰にともなく、一心に祈った。
もし、生まれ変わることが出来るなら──次の生では、あまりひどく殴られたりしませんように──と。
そして、少しぐらいは、誰かの役に立てますように──と。
それが少年の願いのほとんどだった。
でも、最後に少し、欲がでた。
あともう一つ、もし願いが叶うなら──
──できれば美味しいご飯というのも、一度ぐらいでいいから、食べられますように──。
それが死を目の前にした少年の願いの全てだった。
少年は目を瞑って、その瞬間を待った。
でも──
その瞬間は来なかった。
黒死竜の爪は、少年を切り裂くことはなかった。
なぜなら──。
「パリイ」
突然現れた見知らぬ人間。
その男が黒い剣を片手に──少年に死をもたらす筈の黒死竜の爪を、高く弾き返していたのだから。
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