213 戦士の訓練場
「……ほんと、ロロの奴。ウチの団員ども全員に見習わせたいぐらいタフになったよなぁ」
そこはクレイス王国の王都にある『戦士兵団』の訓練場。
王宮から十分な給料を支払われ、王都を命懸けで守護する屈強な『戦士兵団』の団員たちが見守る中、華奢な体つきの少年が二階建ての家屋ほどの巨大な黒い金属塊相手に、必死に腕を押し付け続けている。
少年を取り囲む集団の多くは、どこか呆れたような、恐ろしいものを見るような表情で少年を見守っていたが、その中の数人は熱心に声援を送っている。
だが、それもしばらくすると声援を送る方が疲れ果て、時折、気まぐれに団員が黒い金属塊に触れて一緒に押そうとするも、数秒後には顔面蒼白となってその場に膝をつき、信じられない、と言いたげな表情で少年を仰ぎ見る。
そしてやがて低かった太陽が昇り切ると、少年を取り囲んでいた団員たちは各々に割り当てられた哨戒や警備などの仕事に戻るためにまばらに去っていく。
結局、その場には黒い金属塊を押す少年と、それを見守る戦士兵団団長である【盾聖】ダンダルグだけとなった。
その間、周囲の様子に一切構うことなく寡黙に訓練を続ける少年をじっと眺めていたダンダルグは、不意に背後から自分の名を呼んだ声に振り返る。
「ダンダルグ」
「……なんだ、シグかよ。まだ、そっちの番じゃねえだろ?」
「早朝にも、ああしているのを見かけたが……ずっとか?」
「ああ。一瞬たりとも休まず、あの調子だ。ぶっ倒れた時の為に『僧侶兵団』から人を借りてるとはいえ、流石にオーバーワークすぎるよな、ありゃ」
「であれば、止めるのがお前の役割だと思うが」
「それができれば、そうしてるって。でもアイツ、いくら声掛けても笑うばっかで弱音の一つも吐きやがらねぇ。あんなの、どう考えたって拷問だろ」
自分でやらせておいてよくも言う……というセリフを呑み込み、ダンダルグの横に立ったシグは、身体中から滝のような汗を流しながら巨大な金属塊に力を込め続ける少年を見守った。
シグの目からすると、華奢な少年の腕には膨大な力が込められているのは明らかだったが、それでも金属の塊は微塵も動く気配すらない。
「あれは、普通の金属ではないようだが」
「ああ。もうただの鉄塊じゃ物足りねえってんで、オーケンの爺さんに頼んで特注で用意した、クッソ重い『魔鉄鋼』の塊だ。おまけにアイツ、それでも足りねえって、触れただけで死ぬほど辛い負荷がかかる『付与』をつけちまいやがった。ほんと、あり得ねえよ」
「ロロが自分でか?」
「ああ。正直、あんなの押すのは俺でもキツい」
シグは尚も懸命に巨大な重量物に両手と額を押し付け続ける少年を、目を細めながらじっと眺めた。
その足元には汗が水溜まりのようになっている。
「……なんで、あんなに切羽詰まってるのかねぇ? サレンツァから帰ってきてから、ずっとああだよ。訓練に真剣なのはいいが、俺にはどうにも、自分を痛めつけてるようにしか思えねえ。見てらんねぇよなぁ……?」
「本人にしかわからない理屈もある。既にロロは多くのものを負っている。世界で唯一とも言える『聖ミスラ』の記憶を得た上、『レピ族』の子どもたちの件もある。重圧は計り知れない」
「……向こうじゃ、あの子らも酷え扱いだったらしいじゃねえか」
「ロロもかつては同様だったと聞いている」
「流石に、境遇が重すぎるよなぁ。俺だったら、耐えらんねぇ」
「……ダンダルグさん、シグさん。違うんだ」
シグと共に心配を口にしたダンダルグに、大量の汗を流したロロが慌てて振り返り、早朝から続いた常軌を逸した訓練を中断して歩いてくる。
「お、ようやく止まったか。なるほど、こういうのが弱点だったか?」
「……安心して。ボクのはそういう自分から重荷を背負い込もうとする奴じゃないから」
「じゃあ、なんだよ? 動機ぐらい、言ってくれてもいいじゃんか。心配になるだろ?」
「……単純に、言うのがちょっと恥ずかしくって」
「恥ずかしい? なんだよそれ。急に、モテたくなったとか?」
「ううん。そういうのでもなくて。実は────」
ロロの口から理由を聞いたダンダルグはまず、困惑に顔を顰めた。
「────は? ……「ノールみたいになりたい」? お前が?」
「うん、簡単に言えば、そうなんだけど」
頬を掻き恥ずかしそうに俯くロロに、ダンダルグは腕組みをしつつ、首を傾げた。
「……なるほど、なぁ? 要するに、あいつぐらい腕っぷしが強くなりたい、と。男子の目標としちゃ別に悪かねえと思うが」
「ううん。確かにそうなんだけど、微妙に違って」
「違う?」
「もちろん、ノールぐらい強くなれたらって憧れはあるんだ。でも多分、それは無理だから……そっちじゃなくて、せめて、同じぐらい人に優しくなれたらいいなぁ、って。それだけなんだけど」
続くロロの説明に、ダンダルグはさらなる混乱を表情に浮かべた。
「人に優しく……? いやいや、お前はもう十分だろ。つーか、むしろ、他人の心がわかるからってやり過ぎなぐらいだぜ?」
「ううん、違うんだ。ボクのは、都合が良い時に他の人に寄り添える、ってぐらいのお手軽な優しさで……ボクが思ってるのは、ノールみたいに『何があっても態度が揺らがず、たとえ天変地異の真ん中にいてもいつもと変わらず人に優しくできる』ってことだから」
ロロの真っ直ぐな返答に、ダンダルグはさらに首を傾げ、頭を掻いた。
「……う〜ん? 『優しい』の基準が、急に跳ね上がっちまった気がするけど。あいつの背中見てたら、そうなっちまったのか……?」
「うん。でもやっぱり、どう頑張っても届きそうにない」
「そりゃそうだろ……言っちゃ悪いが、アイツ、破天荒すぎて目標にするには向かねえぞ? それにアイツはどっちかっつーと、悪意に鈍感なだけって感じがするんだが」
「うん、知ってる。でも……そういうのも含めて、いつか、ああなってみたい、っていうのがボクの唯一の夢みたいなものだから」
「ああなるのが、夢、ねぇ?」
「……ボクなんかが、大きく出過ぎだって思うでしょ? だから、口にだして言うのが恥ずかしくて」
「いやいやいや。俺は全然、そういうのを否定するつもりはねえし、目標地点としては何一つ悪かねえと思うが……多分それ、道のりとしてはめちゃくちゃ遠いぞ?」
「うん。だから、今は自分ができることを精一杯やろうと思ってて」
「なるほどなぁ。ちょっとは納得したけど。ホントにそれだけ?」
「……それと、あと一つ」
それまで笑顔で語っていたロロは、ダンダルグの前で俯いた。
「……やっぱり、大事な人が辛そうにしてる時、何も力になれないのが悔しくて」
「……イネスのことか?」
「うん。今はどちらかというと、そっちの方が大きいかも」
「確かにあいつは可哀想だが、お前が背負い込むことでもないだろ?」
「でも、ボクはまだ彼女に何も返せてないから」
「別に、急いで返す必要なんかねえんじゃねえの? そもそもきっと、アイツは何か返して欲しいなんて思ってない」
「それは、ボクもそう思う。でも、今度はこっちが勝手にそうしたいって思ってるだけだから」
「お前も、意外と頑固なとこあるよなぁ?」
「……うん、そうかも。今まで、こんなに素直に自分の意見を言えたことなんてなかったから」
顔を上げて微笑んだロロだったが、ダンダルグは尚も腕組みをして唸ってみせた。
「でも、まだいまいちわかんねぇよ。それが、どうしてお前がこんな馬鹿みたいにキツい訓練することと繋がるんだ?」
「それはね……ううん。やっぱり、まだ言わないでおく」
「なんだよ、俺に言えないことか? なら、無理に聞かんが」
「そうじゃないんだけど────やっぱり、言葉じゃ上手く伝えられないこともあるって思うから」
そうとだけ言って自分の汗を拭うと、ロロはまたトレーニングに戻った。見れば、その両の手が触れた黒い金属の塊があらかじめ設置されたであろう場所からほんの僅かだけずれている。
「……ったく。何を言い出すかと思ったら……『どんな時も変わらず人に優しくありたい』、って。ロロらしいっちゃあらしいが、そんな理由であんなに必死になる奴がいるかよ?」
「だが、本心だろう。そうした嘘を吐く性格ではない」
「そりゃ、知ってるけどよ。にしても、よりによって『ノールみたいに』かぁ。なんか、俺はそこがちょっと不安だなぁ……?」
ダンダルグが反芻したロロの言葉に、シグはほんの僅かに口の端を引き上げる。
「……ノールが誰かの『師』となるなど、あの日にはとても想像できなかった。だが、どうやら教え難いものを教えられているようだ」
「っていうか。あいつがそんな高尚なことをロロに吹き込んだとはとても思えねえし。ロロの元からの性格だろ?」
「同じことだ。誤読もまた創造の一部、と誰かが書いていたが……あいつの背中を見てロロが何か己の信ずるべきものを受け取った。影響は受けている」
「そんなもんかねぇ……? 勘違いを肯定的に受け取りすぎじゃねえの?」
議論を交わす二人が見守る中、ロロは相変わらず巨大な黒い塊を全力で押している。
「……しっかし。訓練つけてる立場の俺が言うのもなんだけど、アイツ。信じられないぐらいに化けたよなぁ。背も伸びて、だんだん体格も良くなってきたし。あのひ弱な子供はどこいった、って感じだぜ」
「ああ。最初こそ危なっかしかったが……今では剣術の腕は【剣士兵団】の団員では並ぶ者がないほどになっている」
「へぇ、なるほどなぁ。あいつ、頑張ってたもんな……って!? そんなに!?」
「最近は毎日、ギルバートと一緒に模擬戦を行っている。今日もその予定で、迎えにきた所だ」
「お、おいおい!? それ、この後すぐってことだろ!?」
「そうだ。本人の希望でな」
信じられないようなものを見るような目で、ダンダルグはロロを見返した。
「男子、三日見ざれば……とか言うけどさ。流石に化けすぎだろ、それ」
「我々【六聖】にロロを預けたイネスの見立ては正しかった。当初、ロロは才能や素養という点ではむしろ、劣っている部類と思えた。だが、真に見るべきはあの意志の強さだった。今や、『王都六兵団』全てを見渡してみてもあの努力の質に優る者はいないだろう」
「ノールが王都に『魔族』を住ませたい、なんて言い出した時はどうなることかと思ったが。まさか、こんな風になっちまうとはなぁ?」
「俺たちは、彼の助けになろうとしたが……結局、かえって多くを教わったようだ」
「なんか、既視感あるよなぁ」
黒い鉄塊に向き合う少年の姿に、かつての少年の記憶が重なり、シグはまた可笑しそうに笑う。
「我々はいつも、教えられてばかりだ。あの日の少年にも、目の前の子供にも。いよいよ、俺たちがいつまでも『教官』などと、笑えてくる」
「それを言ったら、ノールには最初から振り回されっぱなしだろ? そもそも、俺がアイツに教えたことなんて殆どねえし。あいつはちょっと目を離した隙に、気づいたら育ってた」
「どうやら、ロロもその系統だったようだ」
「へ?」
ダンダルグがシグの視線の先に振り向くと、巨大な金属塊を一歩、また一歩とグイグイ押し込んでいくロロがいる。
「お、おいおい……!? あれ、俺でも一人じゃ厳しい奴なんだけど……? って。ちょっと待て! ロロ! その勢いだと、訓練場の壁突き破るぞ! ストップだァ!! ……えっ? 重すぎて急には止まらない? ちっくしょおおおお!! 結局、俺もやる羽目になるのかよォ!!?」
青ざめたダンダルグが慌ててロロと反対側に駆け込み、巨大な金属塊に両手を当てて苦悶の表情を浮かべるのを見て、シグは人知れず小さく声を上げて笑った。






