210 謁見の間にて
「陛下。秘匿通信の準備ができました」
「ああ。いつもすまないな、メリジェーヌ。繋いでくれ」
そこはクレイス王国の王城、『謁見の間』。
隣国『魔導皇国』の十機衆の長、ランデウスより緊急の相談があるとの通信を受け、『王立魔導具研究所』副所長、兼、【王都六兵団】の『魔術師兵団』副団長を務める【司書】メリジェーヌは謁見の間に粛々と遠隔会談の準備を進めていた。
顔に無数の古傷を刻んだクレイス王が鎮座する玉座の隣に、レイン王子が立ち、二人の前に置かれた細長い台座の上に設置された最新型の『神託の玉』が淡く光ったかと思うと、隣国の指導者の一人、ランデウスの上半身が中空に投影された。
「久しいな、ランデウス卿。どうした?」
『……申し訳ありません、クレイス王。まずはこのような急な呼び出しにお応えいただいたことに、感謝を申し上げます』
「そう改まる必要はない。こうしてまた健勝な貴公の顔を拝めて何よりだが……少し、顔色が悪いな?」
『実は……単刀直入に申しますと。我が国のミルバ陛下が先日、失踪しまして。ご相談とは、そのことです』
「何? ミルバ殿が失踪だと?」
『しかしながら、誘拐などではなく、当人の置き手紙がありまして。本人が自らの意志で何処かに行方をくらまし、現在に至ります』
「……なるほど? 要するに家出か」
『お恥ずかしい限りですが、これまでも幾度か同じようなことがあり、その度に臣下一同が国中をひっくり返すようにして探してようやく見つかる、という有様で』
「それは豪気だな」
『本来であれば我が国の責任で収拾をつけるべきなのですが。どうも、今回はそちら側の国境を渡った形跡がありまして」
「まさか……ミルバ殿が、一人でか?」
『……はい』
ランデウスの恥を偲んでの回答に、クレイス王は謁見の間に大いに笑い声を響かせた。
「……いや、失敬。元気が良いようで何よりだ」
『本当に、お恥ずかしい限りです……』
「だが、己が彼女と同じ歳の頃など毎日のように街の荒くれどもと喧嘩に明け暮れていた。それよりはずっと、マシだろう?」
『……全ては後見人を引き受けた私の責任です。もし陛下に何かがあれば、国家の一大事となります。どうか協力を要請できればと』
「ああ、もちろんだ。捜索にも手を貸し見つけ次第、貴国に連絡する。その代わり……あまり怒らないでやってくれないか? 捕まえて恨まれるのも嫌なのでな」
『申し訳ない。この恩はいずれ、何らかの形でお返したいと思っている』
「気遣いは無用だ。これぐらいは両国の友好の過程のひとつでしかない」
『……恩に着ます、クレイス王』
両国の指導者たちの『神託の玉』を通した短い会談が終わり、空中に投影されていたランデウスの光像が消えると王は傷だらけの顔に愉しげに笑みを浮かべた。
「……どうやら、ランデウス卿は相当苦労しているようだな?」
「そのようです」
「だが、むしろ安心した。僅か十歳の子供が皇位を継ぐことになったと聞いて、少し心配していたが……どうやら、ただ好き放題に大人に操られるようなタマではなさそうだ。先帝よりずっと、己と馬が合いそうではないか?」
「……ひとまず、無事に見つかれば良いのですが」
静かに会話する二人を横目に、【司書】メリジェーヌは粛々と会談に用いられた『神託の玉』を装飾めいた箱に几帳面に仕舞い込むと、改めて王と王子に向き直って恭しく頭を下げた。
「では、陛下。王子殿下。これで私は失礼いたします」
「ああ。いつも手間をかけてすまないな、メリジェーヌ。この会談のような秘匿通信の調整役は、代わりとなる者がおらんのでな。例の弓も、南の国境を越えてすごい活躍だったそうだ。またあのような良い仕事を頼む」
「……いっ、いえいえ……!? あれは、ちょっとノリでやりすぎちゃったヤツでして……。で、でも何かしらお役に立てたなら光栄です」
唐突に王に褒められたメリジェーヌは恐縮しつつ、彼女が開発した『神託の玉』と共にそそくさと謁見の間を立ち去った。
やがて息子であるレイン王子と謁見の間で二人だけになった王は、次なる話題にひとつ、小さく息をつく。
「……それで、例のサレンツァで保護された『レピ族』の子供達だが。まるで、『記憶がない』そうだな?」
「はい。日常会話には支障がない程度には回復しましたが、誰一人として過去のことを憶えていない、と」
「……イネスの『恩寵』もまだ、戻らないと聞いたが」
「はい。オーケン、メリジェーヌらが『聖ミスラ』の記憶を得たロロと共に原因究明にあたっておりますが、未だ原因の解明には至っておりません」
「リーンは? イネスに付き添っていると聞いたが」
「彼女が気に病むことのないよう、毎日声をかけているようですが。本人が自分が力を失ったことと、力が戻らないことの両方に責任を感じているようで、心配だと」
「……我が国も、彼女一人に重荷を背負わせ過ぎたのだろうな。わかった。しばし、イネスに休養を与えよ」
「父上、それは?」
「案ずるな。【神盾】としての称号はそのままに「焦らずしばらく静養せよ」と伝えてくれ。誰にだってそういう時期はある。充足期間は必要だ」
「……わかりました。本人にはそう伝えておきます」
「くれぐれもここまで国に尽くしてくれた人物に見合った待遇でな。個人的にも、恢復には全力を挙げてサポートする所存だとも伝えてくれ」
「はい」
「本当に、何もかも万事都合よくとはいかぬものだな……とはいえ。あの男の件、聞いたか?」
身近な人物の不調の話題に表情が沈んでいた王だが、次の話題に移ると俄かにその目に明るい光が灯った。
「────また、やってくれたな。今度は『サレンツァ家』の実質的な崩壊と、『忘却の迷宮』の踏破兼、撃破。ついでに数十年間断絶していた南との国交の回復つき、ときた。あの男一人から、我が国が受けた恩恵はもはや計り知れん。これはまた、何もせずに放っておくわけにもいかぬだろうな?」
「……ですが、父上」
「わかっている。また褒賞を、などと言ってもあれが頑として受け取らぬことはとっくに身に染みている。とはいえ、為政者として多大な恩恵を受けた相手をこのまま放置するというわけにはいかないのでな。何かしら、妙案をと考えているのだが……思いつかん」
「『湧き水の円筒』の件は、あちらからの申し出がありました。次もあちらからの要請を待ってみては?」
「では、そうしようか。だがそうなると、己はあの男に『国ごとよこせ』と言われても拒めんぞ?」
「それは流石に……?」
「はは、冗談だ。だが、それぐらいの恩はあるのでな。少なくとも、あれに関しては功績に見合った扱いをせねばなるまいが……例の国境近くの獣人の集落、すごい発展具合だそうだな?」
「……ええ。商業自治区の新首長からも正式に支援を得た今や、ひとつの国家を形成しそうな勢いです」
「となると、いずれあの男が国王か。では、もはや国すら『要らん』と断られるな。本当に、どうしたものか? 難しい問題だ」
いつものように冗談かどうか判別し難い王の発言に、王子は小さく息をつくと、少し不安げな顔で窓から覗く庭園を見やる。
「……私は【六聖】から報告のあった長耳族の存在が気になっています」
「サレンツァの巨人出現に関わっていたとされる、例の黒いローブの男か」
「その後、商都に『隠密兵団』の団員を派遣して情報を集めさせましたが、どういうわけかほとんど確たる痕跡をつかめませんでした。ルードという商人のような存在がいたらしい、という風説のようなものとしか」
「『魔導皇国』の時と同じ、か」
「状況からすると相手は『黒い剣』を欲していたようです」
「エルフが優れた迷宮遺物を蒐集するのは、過去にもあったことだそうだが。少し、記録と様子が違うな?」
「ええ。対象の行動を見ると、まるで『それだけ』を持ち去るのが目的だったかのようにザドゥを使って『黒い剣』を奪取した直後、商都から姿を消しています」
「『黒い剣』は、まだあの男の手元に?」
「はい。いつものように、いついかなる時も携行しています」
「であれば、我が国で最も安全な場所にある、とも言えるが」
王は玉座の上で思案し、顎に手をやった。
「……やはり、恩人が危険に晒されている時に何もしないわけにもいかんな。例の『護衛役』の人物は呼んだか?」
「はい。レイはいるか」
「────はい。ここに」
王と王子の前に、物静かな佇まいの女性がぼうっと蜃気楼のように立ち現れた。その女性はすでに謁見の間の中央に居ながらにして、少しも二人に存在を気づかれていなかった様子だった。
だが、王子はレイの返事が何も聞こえなかったかのように怪訝そうな顔で、謁見の間をぐるり、と見回した。
「……レイ。どこだ? いないのか?」
「……あ、あの。います。ここにいます。あ、あれ?」
「いないようだな」
「どういうことでしょう。カルーからは時間に正確な、非常に真面目な人物だと聞いていたのに」
「仕方ない。彼女が来るまでしばし待とう」
「……えっ? あ、あのう? 私は、ここに……あっ!」
一向に自分の存在に気がついてもらえないレイは、メリジェーヌから預かった首飾りの魔力回路が『停止』のままになっているのに気がつき、慌ててそれを『稼働《オン》』にする。
すると、途端に何かの気配に気づいた二人は驚きに顔をあげる。
「来たか」
「そのようです。私にはいつ入ってきたのか、わかりませんでした」
「己もだ」
……いえ。さっきの会談の前から、ずっとこの場にいたんです……とはとても言えないレイは、二人の前で恭しく頭を下げると、自分の落ち度を謝罪した。
「申し訳ありません、陛下、レイン様。うっかり、【存在強化】の魔導具をつけ忘れておりました」
「────そうか。凄いものだな、貴女の『恩寵』は」
「レイ。すまないが、まだ君の気配がよく読めない。会話も少し声を大きめに頼む」
「は、はい。失礼しました」
そう言って緊張に微かに声を震わせた女性に、王と王子は舌を巻いた。
王子が謁見の間に呼び出した【幽姫】レイは生来の『恩寵』により、その姿を誰も認識できない、という性質を備えている。
故に、成人した今もそのままでは誰一人正確にその姿を正視できず、幼少期より【隠聖】カルーの元で厳しい修行を積んだレイン王子ですら、彼女の存在を微かな気配としか感じない。
彼女はその体質ゆえに、常に【存在強化】のイヤリングが手放せない。
それは本来であれば、たった一つで自分の存在を遥か遠くの街にいる仲間にまで報せることのできるという強力な魔導具だが、彼女はそれを両耳に付けてすら、街の人混みの只中に佇もうと誰一人その存在を認識できないのだ。
さらに今は【司書】メリジェーヌが開発したより強力な【存在強化】の魔導具の『首飾り』を身につけているが、その状態ですらまだ姿も朧げで、うっすらと輪郭がわかるような気がするだけ。
それだけに王子は心底、この人物を恐ろしいと思う。
【隠聖】カルーに認められたのみならず、【剣聖】シグをして天才と言わしめた剣技を修めたこの人物が一旦、他者に害を成そうと思えば相手がどんな人物であれ、まるで気付かれることなくいとも簡単に首と胴体とを切り離せるのだから。
彼女が生来抱える大きなコミュニケーションの不都合にもかかわらず、カルーが『隠密兵団』の副団長に推したのも頷ける。
「【幽姫】レイ。クレイス王国の王子として改めて命ずる。例の男、ノールの身辺を警護しろ」
「己からも頼む。あの男はこの国とって重要だ」
「はい。仰せのままに……で、ですが。その前に、一つだけ宜しいでしょうか?」
「何か、質問か?」
「い、いえ。そういうわけではないのですが。あ、あの。実はそちらの壁には誰も…………いえ。やはり、なんでもありません」
「……? とにかく、重要な任務だ。頼んだぞ」
「…………はい」
先ほどから自分の反対方向に話しかけ、誰もいない壁に対して厳かに命令を下した王と王子に、「貴方たちが自分だと思ったのは、実は窓の隙間から吹き込んだ普通のそよ風で、そっちはただの壁です」とはとても言い出せない【幽姫】レイは、少し申し訳なさそうに恭しく頭を下げ、その場を音もなく立ち去った。
アニメ版で先行で登場していた謎の女性、『【幽姫】レイ』がようやく本格的な参戦です。
キャラデザ↓
https://x.com/kwgc_c/status/1831721028382552239
(カワグチ先生ついった(X)より)